映画『ジャッキー ファーストレディ 最後の使命』  映画関係

[映画紹介]

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ジョン・F ・ケネディ元大統領の妻ジャクリーン・ケネディ
ケネディ暗殺から葬儀までの4日間を
どのように過ごしたかを描く。

といっても単純ではなく、
3つの時系列が存在する。
一つが単独インタビューでの記者とのやりとり。
ここで、ホワイトハウスの修復などの
ジャクリーンのファースト・レディ成り立ての時期も描かれる。
一つが、まさに暗殺の時から葬儀までの4日間
もう一つが、早世した子供を墓に埋葬する日の
神父との会話
ここでジャクリーヌの本音が語られる。
「狙撃の時のことはよく憶えている」と。

この錯綜した内容を混乱もなくまとめた
ノア・オッペンハイムの脚本は、
ベネチア国際映画祭で最優秀脚本賞を獲得。

1963年11月22日午後12時38分。テキサス州ダラス。
ジョン・F ・ケネディ大統領が、
衆人監視の中で暗殺される。
ライフルによる射撃という衝撃的な死だ。
その後の顛末は、
「パークランドケネディ暗殺、真実の4日間」(2013)という、
すぐれた映画に描かれているが、

そのブログは、↓をクリック。
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20140704/archive

本作では、
夫の死を眼前で迎えたジャクリーン・ケネディに焦点を絞る。
全場面でジャクリーンが描かれる。
衝撃的な夫の死を間近で目撃した
極限状態の中にいるジャクリーンを待ち構える様々なこと。
ワシントンへ向かう飛行機の中で行われた
リンドン・ジョンソン副大統領の大統領就任式への立ち会い。

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幼い二人の子供に対する父の死の告知。

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既に「前大統領夫人」となった自分への周囲の視線と闘いながら、
葬儀を取り仕切り、
墓を手配し、
ホワイトハウスから退去の準備という雑務にも追われる。

何より関心は、夫を過去の人にせず、
その死をレジェンドにするための葬儀の進め方だった。
まさに、それこそ彼女の最後の使命
そのために、彼女は夫の棺に付き添って歩くことを主張する。
世界から集まった100人にものぼる元首を
狙撃の危険にはさらせないと難色を示すシークレットサービス。
しかし、彼女は「元首たちに手紙を送る」と脅して行進を実現する。
その姿が全世界の人々の胸を打つ。
又、ケネディ家の墓に入れることを拒否、
ケネディだけの独自の墓にする。
その方が国民の記憶に残るからだ。

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それ以外にも、
暗殺の衝撃を国民の脳裏に焼き付けるために、
血染めのスーツを当日、着続ける、など、
本能的な感性で行動する。

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ある意味で、したたかな、しかし、
夫の短い任期を人々の記憶に残すために
自己演出の辣腕をふるった人間像。

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そのジャクリーヌをナタリー・ポートマン
血管が切れそうなハイテンションの演技で演ずる。

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アカデミー賞主演女優賞にノミネート
エマ・ストーンという強敵がいなかったら、
オスカーは彼女のものだっただろう。

監督は、「NO」でアカデミー賞外国語映画賞候補になった
チリ出身のパブロ・ラライン監督。
こういう題材を外国人に任せる映画会社の勇気に敬服する。
神父役のジョン・ハートが少ない出番ながら、さすがの渋い演技。

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ミカ・レヴィの音楽が効果的。
(アカデミー賞作曲賞にノミネート

中でロバート・ケネディの「座れ」という指示(命令?)に
ムッとする新大統領ジョンソンの描写や、
彼女のテレビ出演を演出する                           
古くからの付き合いの女性がいたなど
初めて知ることが続く。

また、ホワイトハウスが歴代の大統領を見つめ、
伝統と歴史の場であることへの言及も興味深い。
ホワイトハウスを案内するテレビの映像は、
当時のテレビ映像を忠実に再現。
放映された実際のホワイトハウス案内を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/CbFt4h3Dkkw?t=315        

映画で再現された場面と実際の映像との比較は、↓をクリック。

https://youtu.be/espe9jaGBv0

アメリカの歴史の裏事情を知る、
実に興味深い映画だった。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/VJhp15xtGl4

TOHOシネマズ等で拡大上映中。


ダラスの現場を訪れた時のブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20120925/archive


付録:「キャメロット」について

映画の中で「キャメロット」の曲が流れますが、
「キャメロット」は
ケネディが愛したミュージカルとしてよく知られています。
これにちなみ、
ケネディ政権のことを「キャメロット」と呼ばれることがあります。
ケネディ大統領の時代のアメリカの、
希望に満ち溢れた華やかな時代の空気を
理想郷キャメロットに託したのです。

ライフ誌のインタビューでジャッキーは、
夫のケネディがミュージカルのキャメロットにおける、
以下の歌詞がお気に入りであったと語っています。

「忘れてはならない
 かつて昔、
 一瞬でも光輝く瞬間があったことを
 それを人々はキャメロットと呼んだ」

この“一瞬でも光輝く瞬間”は
ケネディの突然の死を表す言葉になり、
人々に広く知れ渡りました。
そして、ジャッキーはインタビューで
「偉大な大統領はまた現れるかもしれませんが、
キャメロットは2度と現れないでしょう」
と語っています。

で、このミュージカル、
「マイ・フェア・レディ」を大ヒットさせた
アラン・J・ラーナー(作詞)と
フレデリック・ロウ(作曲)の作品で、
1960年12月3日から
ブロードウエイのマジェスティック劇場で開幕。     
1963年1月5日の閉幕まで873回のロングラン。

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その後、1980、1982、1993、2011年と4度リバイバル。
初演時の主演はリチャード・バートンジュリー・アンドリュースで、
バートンはトニー賞の主演男優賞を受賞。

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内容はアーサー王伝説によるもので、
アーサー王が「円卓の騎士」(上下の序列のない平等な会議)と
「正義のための力」という理念で
世界から騎士を集めて、
キャメロットという理想の国を作ったことになぞらえています。

1967年に映画化

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監督は「南太平洋」のジョシュア・ローガンで、
アーサー王にリチャード・ハリス
王妃グィネヴィアにヴァネッサ・レッドグレイヴ
(歌はマーニ・ニクソンが吹き替え)
騎士ランスロットにフランコ・ネロ
(歌はジーン・メルリノが吹き替え)
アカデミー賞の編曲賞、衣裳デザイン賞、美術賞を受賞。

1967年10月25日、
アメリカでは一部劇場でシネラマとして公開。
日本では1967年12月21日に正月映画として公開。

アーサーがグィネヴィアとランスロットの不倫を知って、
苦悩の果てに、二人を許し、
「今こそ、私は王になろう」
と悟るシーンが前半の見どころ。
やがて策謀家が現れて、国が乱れ、
負け戦におもむくアーサーが
どこで間違えてしまったかを悔やんでいる時、
現れた少年にキャメロットの理想が継承されていることに歓喜して、
少年を未来に向けて送り出すのがラストシーン。

なかなか格調高いミュージカルでしたが、
日本ではほとんど受け入れられませんでした。

余談ですが、
リチャード・バートンが泥酔して
舞台に立った時の話が残っています。
その日、幕が開き、バートンが登場して、
すぐに観客が異変に気づきます。
何かぶつくさ言って、舞台をうろつくだけ。
すぐに幕が下ろされ、
しばしの間の後、
再び幕が開くと、
そこには代役のアーサー王が立っていた。
嘘のような伝説です。

おまけに余談をもう一つ。

ある役者が朝起きると、昨晩の記憶がない。
どうやら泥酔して、舞台をすっぽかしたらしい。
夕方、開幕の時間が来たので恐る恐る楽屋に入っていくと、
共演者たちの視線が冷たい。
「昨日は悪いことをした」と謝ると、
相手の役者が
「過ぎたことだ、仕方ない。
でも、もう二度と昨日のような演技はするなよ」
つまり、泥酔して舞台に立っていたわけで、
そちらの方が恐ろしい。

リチャート・バートンとジュリー・アンドリュースの「キャメロット」↓

https://youtu.be/xqWFbo_ZLUA 
                        
リチャード・バートンの歌う「キャメロット」↓

https://youtu.be/8h7E5rtnFH4                          


タグ: 映画

ミュシャ展/スラヴ叙事詩  美術関係

今日は、午後から六本木へ行き、

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ここ、

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国立新美術館へ。

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このオブジェは、

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草間彌生さんの展覧会が行われていて、

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「木に登った水玉 2017」という、
草間さんの作品です。

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草間さんの展覧会の入り口も水玉。

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このコーナーは、
水玉を貼り付ける部屋。
草間さんの展覧会のチケットを持った人だけが入れます。

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私は、この美術館に来るのは、初めて。

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広いですね。

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2階に上がります。

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上からの眺め。

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本日のお目当ては、これ。

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アルフォンス・マリア・ミュシャ(1860年7月24日〜1939年7月14日)は、
アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。
「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、
チェコ語の発音を日本語表記すると
「ムハ」または「ムッハ」となります。

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パリで多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作。
1895年、
舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために作成した
「ジスモンダ」のポスターで、一挙に有名になりました。

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星、宝石、花などの様々な概念を
女性の姿を用いて表現するスタイルと、
華麗な曲線を多用したデザインが特徴。

↓は、装飾パネル連作「四季」(1896)

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アメリカの富豪チャールズ・クレーンから
金銭的な援助を受けることに成功し、
財政的な心配のなくなったミュシャは
1910年、故国であるチェコに帰国し、
20点の絵画から成る連作「スラヴ叙事詩」を制作。

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この一連の作品は
スラヴ語派の諸言語を話す人々が古代は統一民族であったという
近代の空想「汎スラヴ主義」を基にしたもので、
この空想上の民族「スラヴ民族」の想像上の歴史を描いたもの。

Wikipediaによれば、
スラヴ人は、
中欧・東欧に居住し、
インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す
諸民族集団のこと。
ひとつの民族を指すのではなく、
本来は言語学的な分類です。
東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人
西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人
南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)
に分けられます。

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スメタナの組曲「わが祖国」を聴いたことで、
構想を抱いたといわれ、
完成までおよそ20年を要しています。

この時期には
チェコ人の愛国心を喚起する多くの作品群や
プラハ市庁舎のホール装飾等を手がけています。
1918年に
ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、
チェコスロバキア共和国が成立すると、
新国家のために紙幣や切手、
国章などのデザインを行いました。
財政難の新しい共和国のためにデザインは無報酬で請け負ったといいます。

1939年3月、
ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体され、
プラハに入城したドイツ軍によりミュシャは逮捕されました。
「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」
という理由からでした。
ナチスはミュシャを厳しく尋問し、
それは78歳の老体には耐えられないもので、
ミュシャは釈放から4ヶ月後に体調を崩し、
祖国の解放を知らないまま生涯を閉じました。

「スラヴ叙事詩」はミュシャが
1910年から1928年にかけて手掛けた作品で、
チェコおよびスラヴ民族の伝承・神話および
歴史
を描いた全20作品から成り、
サイズは小さいものでもおよそ4 x 5メートル、
大きいものでは6 x 8メートルに達します。

全作品が完成した後、
特設の展示場を用意することを条件に
プラハ市に寄贈されたましたが、
ミュシャ存命中に全作品が展示されたのは
1928年の一度きりでした。
その後、南モラヴィア州のモラフスキー・クルムロフの城館に
展示されていましたが、
2012年、プラハ国立美術館
ヴェレトゥルジュニー宮殿に移されました。

チェコ国外において全作品が展示されることは初めてのことです。

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故郷のスラヴ人−トゥラン人の鞭とゴート族の剣の間で

異民族の襲撃におびえるスラヴ人。
後方には襲撃によって燃え盛る炎と、
家畜と人間を略奪する異民族が描かれる。
前方右手にはキリスト教以前の司祭、
前方左手には異民族から隠れるスラヴ人の男女が描かれ、
スラヴ人の独立と平和への願いが描かれている。

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ルヤナ島のスヴァントヴィト祭−神々が戦う時、救いは芸術にある

スラブ人はルヤナ島(リューゲン島)に神殿を建造し、
毎年収穫を祝った。
しかし1168年にデーン人の襲撃を受け神殿も破壊されてしまう。
人々は気づいていないが上空では神々の戦いが始まっている。
左には狼を引き連れたオーディンの姿が描かれ、
中央樫の木の手前、うなだれている青年の後方に
スラヴの神スヴァントヴィト(スヴェントヴィト)が描かれている。

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大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入−母国語で神をたたえよ

キリスト教国となったモラヴィア王国では
国王ラスチスラフがラテン語からスラヴ語による典礼を導入した。
モラヴィアからの求めに応じて
ビザンツ帝国から派遣された修道士、
キュリロスとメトディオスによる翻訳が開始されたが、
反発するものも多くメトディオスはローマへ行き
教皇の許可を得なければならなかった。
この作品ではラスチスラフの跡を継いだ
スラヴ語導入反対者のスヴァトプルクの前で
教皇からの手紙が読み上げられている。
画面中央、ローマの特使から少し離れたところに立つ人物が
メトディオスである。
上空右手には導入に積極的だったロシアとブルガリアの国王夫妻、
中央には前王ラスチスラフと東方教会の司祭が描かれる。
その下の導入を喜んで抱き合う4名を
抱えるように立つ人物がキュリロスである。
画面手前左手の青年が持つ輪はスラヴ人の団結を象徴する。

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ブルガリア皇帝シメオン−スラヴ文学の明けの明星

ブルガリア帝国の皇帝シメオン1世は帝国の版図を拡大し、
その治世は帝国の繁栄の時代であった。
ブルガリアは文化の中心地ともなり、
ここには文人、学者、司祭に囲まれた皇帝が描かれている。

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ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世−スラヴ王朝の統一

オタカル2世はその軍勢の強さから「鉄人王」と呼ばれ、
また領有していたクトナー・ホラの銀山から「黄金王」とも呼ばれ、
彼の時代にプシェミスル朝は最盛期を迎えた。
オタカル2世はハンガリー王国と敵対していたが、
1261年オタカル2世の姪と
ハンガリー王の息子による結婚で和解した。
この作品では結婚を祝いに来た来賓に対して、
オタカル2世が新郎と新婦の手を取って
引き合わせている姿が描かれている。

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セルビア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位−スラヴの法典

セルビア王ステファン・ドゥシャンは軍事的な成功により
セルビアの最大領土を獲得した。
またドゥシャン法典を編纂し法整備をすすめた。
ドゥシャンは1346年皇帝に即位、
この作品では戴冠式の後の祝賀の列を描いている。
宝冠を被り白い衣装を着た画面中央の人物がドゥシャンである。
手前には若い女性たちが描かれているが、
彼女たちが持つ若枝は希望と明るい未来の象徴である。

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クロムェジーシュのヤン・ミリーチ−尼僧院に生まれ変わった娼家

ヤン・ミリーチはカレル4世に仕えたが、
その後貧しい人々の救済に人生を捧げた。
1372年には彼の説教により大勢の娼婦たちが改悛し
病人や貧民の救済にあたった。
この作品では悔い改めた娼婦たちのための施設を
建設している場面が描かれている。
作中でのヤン・ミリーチについては異なる説があり、
足場の上に立つ青い衣装をまとった髭の長い人物とするものと、
改悛を表す白い服を着た娼婦たちの前に立つ
青い服を着た人物とするものがある。

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ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス−真実は勝利する

宗教改革者として後々の時代まで大きな影響を残したヤン・フスは、
カトリックから異端と宣告され処刑された。
彼の処刑はフス戦争を引き起こすこととなった。
作中では1412年のベトレーム礼拝堂で行われた
フスの最後の説教が描かれている。
フスは左手中央の身を乗り出して説教を行う人物である。
画面左、壁を背にして立つ片目の人物は
フス戦争で指揮を執ったヤン・ジシュカである。
右手の天幕の下には女官を連れた
ヴァーツラフ4世王妃ソフィアが描かれている。

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クジーシュキでの集会−プロテスタントの信仰

フスの処刑後、フスの教えに賛同するものが出始め、
カトリックに忠実な司祭は追放され、
フス派がそれにとって代わった。
フスが学長を務めたプラハ・カレル大学は
フスの教えを広めないよう閉鎖されたが、
フス派は郊外で集会を行い、反乱の計画を練った。
作中では過激派の説教師コランダが
信仰とともに武器を持って立ち上がるよう説いている。
暗い空はその後の争乱の時期を暗示し、
枯れ木と白い旗は反乱による犠牲者を、
赤い旗と緑の木は希望を表している。

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グリュンワルトの戦闘の後−北スラヴ人の団結

ドイツ騎士団は急速に勢力を拡大しており、
これに対抗するためポーランド王国と
リトアニア大公国は同盟を組み、
グリュンワルトの戦闘でドイツ騎士団を破った。
作品では戦闘場面ではなく戦闘の翌朝を描いている。
戦闘で死んだ多数の人馬が描かれており、
画面中央上部には勝利の代償に愕然とする、
ポーランド国王ヴワディスワフ2世が描かれている。

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ヴィトーコフの戦闘の後−神は権力でなく真理を伝える

ヴァーツラフ4世がこの世を去ると、
後を継いだのは弟のジギスムントであった。
ヤン・フスの処刑は彼の責任であると見られており、
民衆は彼の王位継承に反対した。
ジギスムントはカトリック教会から支援を受けて、
十字軍を組織しプラハに侵攻するが、
ヴィトーコフの丘での戦闘で奇襲を受け敗退する。
この作品も戦闘場面ではなく、
戦闘後に執り行われた荘厳ミサを描いている。
中央右にはフス派の指揮官ヤン・ジシュカが描かれており、
足元には戦利品が散らばり、
陽光がスポットライトのように彼を照らしている。
左手には聖体顕示台を持つ司祭と、
ひれ伏して祈りを捧げる司祭たちが描かれている。
また左下の隅には戦争によって被災したと思われる
乳児を連れた女性が描かれている。
この作品が制作された1916年は
第一次世界大戦でヨーロッパが戦火に包まれており、
ミュシャの戦争への嫌悪感がこの作品に現れている。

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ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー−悪に悪をもって応えるな

ペトル・ヘルチツキーは
宗教改革に影響を与えた思想家の一人であったが、
戦争や軍事的行為には反対する平和主義者であり、
フス派とは一線を画していた。
この作品に描かれているのは、
フス派によって襲撃されたヴォドナャニの町と、
家を焼かれた住民たち、そして犠牲となった人々である。
何の罪もない人々が犠牲となったという
フス戦争の暗い一面を描いている。
画面中央で聖書を抱えた姿で描かれたヘルチツキーは、
戦争の犠牲者たちを慰め、
また心を復讐に向かわせないよう諭している。

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フス教徒の国王ボジェブラディのイジー−条約は尊重すべし

フス派の穏健派(ウトラキスト派)は
バーゼル協約によってフス派を認めさせることに成功した。
しかし教皇はこの協約を一方的に破棄し、
ローマに従うことを求めてきた。
この時チェコの国王であったのがボジェブラディのイジーであった。
彼は、およそ150年ぶりのチェコ人の国王であり、
賢明な王として知られた。
この作品では横柄な態度をとる教皇の使節に対し、
玉座を蹴って立ち上がり、
要求をはねのける国王の姿である。
右下に描かれたこちらを向いた少年は
「ローマ」と題された大きな本を閉じており、
ローマとの関係の終焉を表している。

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クロアチアの司令官ズリンスキーによるシゲットの防衛−キリスト教世界の盾

1566年、勢力を拡大していたオスマン帝国は
ついにドナウ川を渡りシゲットへ侵攻してきた。
都市を守るのはクロアチアの貴族ニコラ・ズリンスキーであった。
ズリンスキーは防御を固めたが、
包囲から19日後に防御施設は破壊される。
降伏勧告を拒否し決死の突撃を行うが、
多勢に無勢でありズリンスキーは兵士とともに命を落とす。
ズリンスキーの妻、エヴァは火薬庫に火を放ち、
同胞を巻き添えにしながらもトルコ軍を撃退した。
スラヴ叙事詩20作のうち、
唯一戦闘場面が描かれた作品である。
エヴァは右手にある足場の最も高い場所に立ち、
状況を見つめている。

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イヴァンチッチェでの聖書の印刷−神は我らに言葉を与え給うた

ヤン・フスとペトル・ヘルチツキーの影響を受けて
1457年に設立されたチェコ兄弟団(ボヘミア兄弟団)は
信仰にとって教育が重要なものと考え、
ミュシャの故郷であるイヴァンチッチェに学校を創設し、
聖書をチェコ語に翻訳した。
この聖書はその後クラリッツェで印刷されるようになり
クラリッツェ聖書と呼ばれた。
チェコ語で書かれた聖書は国民の連帯意識を高め、
またチェコ語文法の基本ともなった。
画面右手には印刷された聖書を
ルーペを使ってチェックする人々が描かれ、
左手前方には老人のために聖書を読む青年が描かれている。
青年の厳しい表情はカトリックによる
その後の迫害を予知しているかのようである。

左下に描かれたこの人↓がミュシャ本人だと言われている。

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ヤン・アモス・コメンスキー−希望の灯

1619年に神聖ローマ皇帝となる
フェルディナント大公がボヘミア王位に就き、
この王の下カトリック化が推し進められていった。
1620年、フェルディナント2世と政策に反発する
プロテスタント貴族との間で白山の戦いが起こった。
プロテスタントたちは敗北し、
主だったものは処刑または追放された。
この時に大勢の知識人、聖職者、貴族も国外へ亡命した。
そのような中にヤン・アモス・コメンスキーもいた。
コメンスキーはボヘミア兄弟団の精神的指導者であり、
教育の重要性を説き、
またその改革的教育法で高い評価を得た人物であった。
コメンスキーは亡命先のオランダのナールデンで
海を散歩して過ごしたが、
最期は海岸で椅子に座りながら息を引き取った。
作中で椅子に座っている人物がコメンスキーで、
左手にいる彼の信奉者たちは
指導者の死を嘆き悲しんでいる。
中央には小さなランタンがあるが、
これは亡命者たちが母国に戻れる日がいつか来るだろうという
「希望の灯」である。

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聖山アトス−オーソドクス教会のヴァチカン

アトス山は正教会の聖地であり、
また南スラヴ人にとっても重要な場所であった。
ミュシャはこの作品を制作するにあたって
1924年にこの地を来訪しており、
時代を超越した精神性に感銘を受けている。
中央に大きく描かれた聖母マリアと幼いイエスが描かれており、
その手前には慈愛と信仰の寓意像が描かれている。
左右には実在する修道院の模型を持つ天使たちが描かれる。

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スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち−スラヴ民族の目覚め

白山の戦い以降ボヘミアは
およそ300年間ハプスブルク家の支配下に置かれた。
近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動が盛り上がり、
チェコでもまた1890年代に
オムラディーナと呼ばれる若者たちによる
民族運動団体が結成された。
彼らは反オーストリア、反教会を標榜し、
過激派とみなされ、
1904年には指導者が逮捕・投獄されている。
作中では若者たちが輪になって
スラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。
女神スラヴィアは占術のシンボルである菩提樹に腰かけている。
手前でハープを奏でる女性のモデルは、
ミュシャの娘ヤロスラヴァであり、
1928年の展覧会では同じポーズのポスターが制作されている。

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また、少女の対称にあたる右手に腰かけている若い男性は
ミュシャの息子、イージー(ジリ)がモデルである。

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この作品はいくつかの人物が
油彩で仕上げられておらず未完成作とも言われている。

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ロシアの農奴解放の日−自由な労働は国家の基盤である

ロシアは近代化した他のヨーロッパ諸国に遅れをとっており、
皇帝アレクサンドル2世は
改革のため1861年に農奴解放令を布告した。
作中、およそ中ほどに立つ人物が布告を読み上げる役人である。
周囲の人々は熱心に聞き入るわけでもなく、
また歓喜に包まれるといった風でもない。
背景には右側にクレムリン宮殿、
中央に聖ワシリイ大聖堂が描かれているが、
その姿は霞んでおり漠然とした不安といったものを感じさせる。
ミュシャはこの作品を書き上げる前年、
1913年にロシアに取材旅行に出向いており、
多数の写真やスケッチといったものがこの作品に生かされている。

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スラヴの歴史の神格化−人類のためのスラヴ民族

スラヴ叙事詩最後の作品。
ここまで描かれてきた歴史の集大成であり、
スラヴ民族の独立を祝う作品である。
この作品ではテーマごとに特徴的な色彩が用いられている。
右下の青で描かれた部分は太古の神話に近い時代を表している。
上方の赤はフス戦争によって多くの血が流れた中世を表しており、
その手前、暗い影として描かれているのは
スラヴ民族を脅かす敵対勢力である。
中央の黄色は第一次世界大戦で祖国のために戦った男女で、
オーストリア=ハンガリー帝国の終焉と
スラヴ民族の新しい時代が始まることを象徴している。
中央に大きく描かれた青年像は、
新しいチェコの自由と独立を表し、
その背後にはキリストが描かれ、
スラヴ民族の独立と繁栄を見守っている。


↓は、eチケット

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ネットで予約し、プリント。
仮に2枚プリントしても、
最初に入った人のバーコードが読まれ、
次の人は入れない仕組みです。
ブロードウェイのチケットで見たことはありますが、
日本では、初めて見ました。

音声ガイド

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檀れいさんのきれいな声が解説し、
背後にスメタナ「わが祖国」が流れます。

檀れいさんの挨拶は、↓をクリック。

https://youtu.be/E5dzDFszlZE

↓映像コーナー。

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↓会場の写真。

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あれ? 撮影禁止では?

実は、この展覧会、1室だけ撮影OKなのです。

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粋なはからい。

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メトロポリタンも大英博物館も写真はOKですけどね。

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ですから、こんな写真も撮れます。

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こんな大きな作品をどうやって運んだかというと、
丸めて運ぶのだそうです。

展示風景は、↓をクリック。

https://youtu.be/kMRPaNp2yNQ

スラヴ叙事詩以外にも、
「ミュシャとアール・ヌーヴォー」
「世紀末の祝祭」
「独立のための闘い」
「習作と出版物」
というコーナーがあり、
堺市の所蔵する展示物もあり、
全部で100点ほど。
なかなかの充実度でした。

堺市には、
「ドイ・コレクション」があり、
「カメラのドイ」の創業者である土居君雄が、
ミュシャの知名度がさほど無かった頃から個人的に気に入り、
渡欧する度に買い集めたものです。
1990年、土居が他界した際、
土居夫妻が新婚時代に居住したことのある
堺市に寄贈されたものです。
堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館で一部が展示されています。

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ミュシャ展は6月5日まで

その後は、東京ミッドタウンに行き、

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このお店で

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こんなものを食べて、

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暗くなった頃、ミッドタウンの裏に。

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ライトアップされたがきれいです。

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東京タワーがこんな風に見えます。

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公園に出来ていたのは、

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「江戸富士」
高さ6m、幅23mあります。

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そこにプロジェクションマッピングで、

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映像が映し出されます。

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プロジェクションマッピングは、
4月16日まで




短編集『サンライズ・サンセット』  書籍関係

[書籍紹介]

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時代小説の名手、山本一力の新作は、
意外や、現代のニューヨークが舞台。
著者はここ10年、
毎年マンハッタンに1カ月半ほど逗留。
仕事はメールでこなし、
マンハッタンの町を散歩するのが日課。
そこで見聞きしたことで、
この小説の構想が生まれたという。

「行けば行くほど好きになる。
東京が失ってしまった、
俺が子どもの時分にあった町が、
俺が憧れている江戸の暮らしが、
マンハッタンには“いま”の話として生きている。
そう感じたんだ」

と言っているが、
いつもながら着眼点が素晴らしい

ホワイト・キャブ

ウィスコンシン州の片田舎の酪農農家で、
夫ノーマンの葬儀を終えた妻のマーサが
孫の住むニューヨークに行く、と言い出す。
心配した家族は、
もう一人の孫のミッキーを付き添いにつけるが・・・

この話にノーマンとマーサの出会い、結婚、
農場を根こそぎさらっていった竜巻、
たった一度だけの夫婦のラスベガス旅行の話がからみ、
ギャンブルで勝って得たアイゼンハワーの1ドル銀貨を
ニューヨーク旅行に持参する話が加わる。
更に、JFK空港で待ち受けていた
ぼったくりタクシーの白タク
(イエロー・キャブならぬ、ホワイト・キャブ)
のデイブがからむ。

デイブの父親のキャンディストアでの兄妹の王冠の話は、
「リーダーズ・ダイジェスト」で読んだことがある。

ピクルス

ブルックリンの古書店「モビー・ディック」の店主、
アンソニー・マーチンの話。
店名の由来である「白鯨」の初版本が置かれている。
これに父親の映画の看板書きの継承を志す美術学生モーリン、
町営映画館コブルヒル・シネマ、
町の人に愛されたスーパー「グリーンマーケット」の
存続問題がからむ。

ブルックリンの地上げの問題など初めて知った。
モビー・ディックをフランク・シナトラが
ライザ・ミネリと一緒に訪れて、
「白鯨」の初版本を見るあたり、
事実なのか創作なのか興味深い。

キューバン

ブルックリンのエリザベス通りにある
「キューバン・カフェ」が舞台。
焼きトウモロコシのコーン・スペシャルが人気だ。
経営者のナディアの父、ルピオが
祖国キューバで食べた味を記憶をたどりながら仕上げたものだ。
ルピオは、キューバ革命のさ中、
アメリカに逃亡してきた人物。
逃亡の際、親友のマリオと生き別れになった。

最近、周辺に現れたホームレスが
マリオではないかと疑ったナディアは、
その姿を撮ったスマホの映像をルピオに見せるが・・・

バーバー・プンチャン

タイからやって来た理髪師メイリンの一代記。
バンコクの理髪店でのひげ剃りの技術にほれこんだ
米軍将校の勧めで
ニューヨークに移住し、
ウォール街の理髪店で働き、客がつく。
しかし、9・11のテロで客足が遠のいたため、
クイーンズに移り住む。
地下鉄で通ったミッドタウンの床屋のオーナーに気に入られ、
ウッドサイド駅近くに
メキシコ人とギリシャ人との共同経営で、
バーバー・プンチャンという店を持つ。
やがて公園の青空市でうまい野菜を売っているサルと知り合い・・・

理髪店という地味な職業にも
9・11やリーマン・ショックの波は押し寄せて来る。

C・P・D

42丁目のピザ屋「シシリア」の息子パトリックは、
7月4日の独立記念日の花火で
方向感覚をなくした傷ついたカモを助ける。
隣の中華料理店「ジンジャース」の息子チョウセイに相談し、
セントラル・パークの池に戻してやろう、と決める。
それを助けたのが、
「エンパイア・コーヒー」のオーナーの息子デューイ。
(この三人の頭文字を取ったのが、「C・P・D」だ。)
しかし、子どもが子どもだけで歩いていたら、補導されてしまう。
そこで編み出したのが、
それらしい観光客の子供のふりをして、
すこしずつセントラルパークに近づこうというものだった・・・

大人の足なら42丁目からセントラルパークまでは苦もない道だが、
子供の足では大冒険。
その途中のポートオーソリティ(バス発着所)、
タイムススクエア、ブライアントパーク、
5番街など、
ニューヨーク好きにとってはたまらない地名が続く。

グリーン・アップル

グリーン・アップルは、クイーンズタクシーのニックネーム。
マンハッタンのタクシーが黄色なのに対し、
市はクイーンズのタクシーにアボガド色の塗装をさせた。

そのグリンー・アップルの運転手トムが
マンハッタンでマックという
故郷のアリゾナ州セドナに向かう青年を乗せる。
そのマックの軍隊生活の人生が
思わぬところで交錯していることが判明する。
イラクへの出兵、
故郷へ帰った時の意外に冷たい出迎え、
軍隊時代に炊事兵として蓄積した技術が
ダイナーで花開く・・・

ここでもセドナのイン(宿屋)に
9・11の影響が波及する。

書籍紹介には、
次のようにある。

摩天楼が並ぶ世界の最先端のイメージはほんの一角。
まったく変わらない場所のほうが多いという。
昔ながらの風情の町には、肉や魚の店、
靴の修理にクリーニング店など、
専門の個人商店がずらり。
住人はなじみの店主とやりとりしつつ、
自分の町内でなんでも揃える。
画一化された全国展開店と違い、
いきおい町に個性がうまれる。
脈々と受け継がれて文化になる。

確かにニューヨークの町は、
東京のように変化は激しくない。
また、個人商店が多いのも特色。
こんな効率の悪いことを、
という店がいくらでもある。
そして、「ダイナー」と呼ばれる町の食堂。

作者は言う。
                                  
「とにかく、人が主役で生きている。
そのことに強く惹かれたの。
営まれている暮らしにも、
人の数だけバリエーションがある。
それを短編にしたらおもしろいなと」

出てくる名物ピクルスや
焼きとうもろこしのコーン・スペシャルなどは実際にあるグルメ。
エンパイヤ・コーヒーも本当にあり、
本書に出て来るように、
警官がたむろしてコーヒーを飲んでドーナツを食べているという。

本書の中に食べ物が頻繁に出て来るが、
これが実にうまそうで、食欲をそそる。
まさにグルメの描写力


映画『ムーンライト』  映画関係

団地の中庭の桜が満開になりました。

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下で見ると、こんな感じ。

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[映画紹介]

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私はLGBTの映画は苦手である。
特にゲイの映画は駄目。
基本となる感性が分からないので、
描かれる世界を理解することが出来ないからだ。

LGBT=レズビアン(lesbian) 、
      ゲイ(gay) 、
      バイセクシュアル(bisexual)、
      性同一性障害を含む肉体と精神の性別が一致しない
      トランスジェンダー(transgender)
      の人々の総称。それぞれの頭文字を取っている。

だが、普通なら敬遠し、
アカデミー賞作品賞受賞作だからこそ観た
この映画は少し違った

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マイアミの貧困地域で、
麻薬常習者の母親と暮らす少年シャロンは、
学校ではいじめられ、母からは見捨てられ、
たまたま出会った麻薬売人のファンとその妻に
親近感を抱いている。
そして、唯一の友人のケヴィンだけが心の支えだった。

高校生になったシャロンの中で
ケヴィンへの思いが次第に形をとり始める。
そんな時、いじめをそそのかす友人の手によって、
シャロンとケヴィンの仲は引き裂かれる。

大人になったシャロンは売人として贅沢な暮らしをしており、
母親は施設に入っている。
ある日、ケヴィンから電話を受けて、
車を飛ばして会いに行くが・・・

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小学生時代、高校時代、そして成人したシャロンと、
3つの時代を別な役者が演ずる。

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貧困といじめと腐った環境の中で、
自分を見つめるシャロン。
大人になった時、
その人生の結実にシャロンはおののく。
老人ホームに入った母親と初めて和解し、
長い間疎遠だったケヴィンに会いに行く後半で、
一挙に感情が高まる。

母も失い、心の中の父であったファンとも死別し、                 
暴力事件で少年院に入った後、大人になった自分は、
結局ファンと同じ売人になった。
一方、ケヴィンは刑務所の中で習得した料理の腕を生かし、
ダイナーの料理人として、まともな暮らしをしている。
再会は苦く、悲しい。
結局、あこがれていたファンと
同じ道を行くしかなかった自分への羞恥が包む。
それと共に、悲惨だった子供時代への
悔恨とある種の憧憬と痛切な記憶がシャロンを責める。
そして、その夜、
シャロンは重大な告白をケヴィンにするのだが・・・

ケビンと再会したダイナーの場面以降、
涙が止まらなかった

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ここには、幼少期、少年期の集大成としての今の現実が
残酷に突きつけられ、
それでも、人生の輝きを取り戻そうとする
シャロンの狂おしい希求が感じられるからだ。
設定はLGBTだが、
描かれた内容の本質はLGBTを越えて普遍的だ。
その点でLGBT映画が苦手な私にも
受け入れる余地があったのだろう。

良い映画はおしなべて脇役がうまいが、
ファンを演ずるハマーシャラ・アリ
アカデミー賞助演男優賞を受賞

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母親を演ずるナオミ・ハリス助演女優賞にノミネート

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しかし、成人したシャロンとケビンを演ずる
トレヴァンテ・ローズアンドレ・ホランドという
二人の役者の演技もうまい。
両人ともまなざしの演技をする。

題名の「ムーンライト」は、
老婆が語ったという
「月明かりの下、黒人少年の肌は青く見える」
による。
元々「In Moonlight Black Boys Look Blue 」という戯曲が原作。
監督のバリー・ジェンキンズ脚色賞を受賞
映像的にも黒人の肌に青を乗せる加工がされている。

題名は、常ならぬ光の下、
別なものとして光り輝く人生の一瞬を象徴するようだ。
それと共に、シャロンが抱えた記憶の輝きも内包する。
ケビンとの再会で再び差して来た月光に輝く
子供時代のシャロンの映像が印象的で、
深い感動と余韻が観客を包む。

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出演者は全員黒人
そういう意味で、白人映画の「ラ・ラ・ランド」と対をなす。
今年のアカデミー賞は、
前年の「ホワイト・アカデミー賞」の反動で、
黒人映画が有利だった。
「ラ・ラ・ランド」には華があり、
映画の祭典の作品賞にふさわしいが、
会員は、この黒人映画に軍配を挙げた。

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時代の流れなのだろう。

5点満点の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/jiN_11Q_TOk

TOHOシネマズ等で上映中。

タグ: 映画

花見十景  旅行関係

今朝は6時起きで、
ここ東京駅の

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丸ビルの角へ。
ここに集まっているのは、

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このツァーへの参加者。

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東京の桜の名所10カ所

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1日で回ってしまおうという、贅沢なツァー。

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親子3+親戚筋1の4人で参加。
3台のバスに別れて、私たちは2号車。

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途中で参加者が混じらないように、
3台は別々のルートで行くようです。

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最初に訪れたのは、
上野恩賜公園

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花見のメッカです。

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花は7分咲き。

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満開予想が「4月2日」と出た時には、
「当たり!」と喜びましたが、
2日ほど早かったようです。

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上野名物の「席取り」。

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ゴミの分別も、この通り。

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どこに行っても、中国人が多い。

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西洋人も多い。

日本の「花見文化」は有名で、

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開花時期を調べてやって来るようです。

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不忍池

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弁天島にも行ってみました。

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ここの屋台は

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準備中。

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なにしろ、まだ朝8時半ですからね。

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ここは、夏には
池全体に蓮が広がります。

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お次は、ここ、浅草

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おなじみの風景。

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隅田公園

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花は5分咲き。

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このツァーは、3月23日から開始。
つまり、開花の日取りと合わなければ、
「つぼみツァー」となります。

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先週出発のツァーの車内の雰囲気はどんなだったでしょうか。

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今年の当たりは明日、明後日の出発日でした。

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ここは、水上バス

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発着所。

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浜離宮経由で、日の出桟橋まで行きます。

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↓は、最新鋭のホタルナ。

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かっこいい船体で、ヒミコと共に人気です。

私たちが乗ったのは、こんな感じの船。

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1階席。

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2階席。

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ここで、お弁当を開きます。

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代金は旅行費用に含みます。

隅田川沿いの桜を見て、

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吾妻橋から築地大橋まで
13の橋をくぐります。

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中央大橋。

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佃島のマンション群。

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勝鬨橋。

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築地市場。

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最後の築地大橋。

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晴海の建物群。

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遠くにレインボーブリッジが見えます。

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ここの水門から入って、

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浜離宮。

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昨年は、ここの菜の花を見に来ました。
その時のブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20160318/archive

日の出桟橋を出たところ。
すごいバスの数で、一大産業です。

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次は芝公園

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1873年(明治6年)開園と、
上野恩賜公園と並ぶ古い公園です。

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中にあるお稲荷さん。

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実は、長年東京近郊に住んでいながら、
芝公園は初めてで、
大きな前方後円墳があったことも、知りませんでした。

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これは、伊能忠敬測地遺功表

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日本地図測量の起点が
芝公園近くの高輪の大木戸だったので
遺功表がこの地に建てられたようです。

東京タワーは芝公園4丁目が所在地です。

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次は六本木ヒルズへ。

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さくら坂

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ここにある滑り台と

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ロボットのトーテンポールが面白い。

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さくら坂を上から見たところ。

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毛利公園

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イベントが行われていました。

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なつかしきちゃぶ台。

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次は、目黒川

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最近、桜の名所として名が上がっています。

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世田谷区三宿の東仲橋付近で
北沢川と烏山川が合流して目黒川となって南東へ流れ、
品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぎます。

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目黒区の辺の桜並木が
多くの見物客でにぎわう場所です。

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次は神田川

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三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、
両国橋脇で隅田川に合流。
流路延長24.6km、流域面積105.0平方キロと、
東京都内における中小河川としては最大規模。
かつては「神田上水」を取水し、
江戸の水道として利用されていました。

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「神田川」の名前は、
かぐや姫が1973年(昭和48年)に歌った歌で
日本中に知られるようになりました。
ただし、神田川という川は日本中にあります。

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「神田川」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/iGSfr9yCX9M

120〜160万枚のヒットをしましたが、
この年のNHK紅白歌合戦には出場していません。

というのは、
歌詞の2番に登場する
「24色の『クレパス』買って」が商標名であることから、
NHKから「クレパスを『クレヨン』に変えて歌って欲しい」
と言われたため出場を拒否。
紅白歌合戦で、この歌がオリジナルのままで歌われたのは、
南こうせつがソロで初出場を果たした1992年。
レコード発売から19年後のことでした。

中野区内の末広橋近くの公園には
「神田川」の歌碑が建てられています。

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これは、一体・・・

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木が先なのか、柵が先なのか・・・

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近くを走っていた都営荒川線の新車両。

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都電は車両が老朽化して使えなくなったら
廃線されるものだと思っていましたが、
新車両を投入していたんですね。
つまり、廃線の予定はないということ。
失礼しました。

最後に行ったのは、靖国神社

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これが有名な

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開花の目安となる標本木

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ものすごく古い木です。

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本殿近くの桜。

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本殿。

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おなじみの屋台村は、

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ここにまとめられていました。

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今年は立食形式のようです。

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千鳥ヶ淵入り口の木には

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なぜかスズメたちが一杯。

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なぜでしょう。

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千鳥ヶ淵

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満開にはほど遠い。

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これが満開時の写真。

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その時のライトアップ。

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残念。2日早かったか。

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昨年は、ここでボートに乗りました。
その時のブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20160331/archive

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夕方の靖国神社。

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夕日を見ながら東京駅に帰還。

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暖かく、天気にも恵まれましたが、
桜だけが満開ではありませんでした。
(ただし、気象庁は、2日に東京の満開宣言。
↓は3日朝刊の上野恩賜公園の写真。)

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私たちが行った朝から夕方までの間に
満開になったのでしょうか。

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→上野恩賜公園
→隅田公園
→隅田川お花見クルーズ
→日の出桟橋
→芝公園
→六本木さくら坂
→毛利公園
→目黒川
→神田川
→靖国神社
→千鳥ヶ淵

自分の足で行ったら、
電車を乗り換えたり、歩いたり。
それをバスで効率良く回る。
ただ、参加日で当たり外れあり。

長い一日でした。





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