タモリ、浦安に来たる  わが町・浦安

先日放送された「ブラタモリ」第58回は、
わが町・浦安でした。

クリックすると元のサイズで表示します

早朝の舞浜駅近辺から始まります。
朝日が昇った直後で、誰もいません。

クリックすると元のサイズで表示します

案内役は、この方、
浦安市郷土博物館主任学芸員の尾上一明さん。
なかなか達者です。

クリックすると元のサイズで表示します

提起されたテーマに添って、

クリックすると元のサイズで表示します

江戸時代から、浦安は夢と魔法の町だったといいます。

クリックすると元のサイズで表示します

町を案内する前に、
東京ディズニーランドへ。

クリックすると元のサイズで表示します

開園前の誰もいないパークを行きます。

クリックすると元のサイズで表示します

開園前のパークでミッキーに迎えられてご満悦のタモリ。(敬称略)

クリックすると元のサイズで表示します

なにしろディズニーランドに来たのは、
開園当時、姉の子供に付き合って来たので、
33年ぶりだとか。

クリックすると元のサイズで表示します

ウォルト・ディズニーの銅像の前で写真を撮ると、
案内人が「ここまでです」と。
驚く二人。

クリックすると元のサイズで表示します

というわけで、市街地に案内されます。
地図や地形に詳しいタモリは、
この道が古い道であることを見抜きます。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、行ったのが、この公園。

クリックすると元のサイズで表示します

奇妙な形をしています。

クリックすると元のサイズで表示します

公園の先には、
浦安の中央を走る境川に。
「今の公園は何だったのでしょうか」
の質問に、

クリックすると元のサイズで表示します

タモリは「物資を陸揚げするための水路」
船だまりの入り江)と正解を出します。
実は、公園に入った途端に「堀留めの感じですよね」
とタモリが正解を口にして、
案内人があわてる、という一幕もありました。

↓の写真が当時の様子。

クリックすると元のサイズで表示します

漁師たちの船が2100艘も留められていた場所が、
今は埋め立てられて、公園になっているのです。

クリックすると元のサイズで表示します

当時の船の様子。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

広重の浮世絵にも描かれています。

クリックすると元のサイズで表示します

更に上流に行くと、
水門があり、

クリックすると元のサイズで表示します

ここで、旧江戸川と合流していたことが分かります。

クリックすると元のサイズで表示します

旧江戸川は、その名の通り、かつての江戸川本流。
1919年に江戸川放水路が開削され
放水路側が本流とされました。
1943年、放水路との分派点に江戸川水門を建設。
その結果、「旧江戸川」という名称となったものです。
全区間にわたり千葉県と東京都の境界となっています。

浦安の漁師たちは、
捕った魚介類を
船で、運河(新川、小名木川)を通って運び、
当時日本橋にあった魚河岸に運んだのです。
つまり、魔法のルートで夢の町、漁師町が作られたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

なにしろ、冷蔵庫のない時代。
鮮度が勝負の海産物は、
この最短ルートで運ばれました。

クリックすると元のサイズで表示します

風や潮の満ち引きの影響を受けやすい海に出ることなく、
内陸のルートで運ばれたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

モーターのない時代、
人力の櫓だけで、何時間かかったのでしょうか。

クリックすると元のサイズで表示します

このアニメのBGMが、
「メリー・ポピンズ」の中の
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」の
三味線ヴァージョンだったのがおかしかった。

クリックすると元のサイズで表示します

ここは、フラワー通りという、商店街の名残。

クリックすると元のサイズで表示します

昔はパチンコ屋や寄席、映画館もありました。
私が引っ越した昭和50年当時は、
まだ商店も並んでいましたが、
今は全くひっそりとしています。

クリックすると元のサイズで表示します

そこには、こうした江戸時代末期の旧家もあります。

クリックすると元のサイズで表示します

旧大塚家住宅が文化財として保存されています。
浦安には、大塚、宇田川、熊川という姓が多くあります。

クリックすると元のサイズで表示します

大塚家は漁師の家。
当時、漁師は裸一貫で財をなし、
このような立派な家を建てることが出来たのです。

クリックすると元のサイズで表示します

当時は何が取れたのか、
そのことを示すもの。
中庭に敷きつめられた貝殻。

クリックすると元のサイズで表示します

そうです、当時の浦安では、
貝が「湧く」ように沢山取れたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

場所は変わって、魚市場へ。

クリックすると元のサイズで表示します

浦安の漁師は漁業権を放棄していますので、
ここでセリがあるわけではなく、
築地で仕入れた魚介類が売られています。

クリックすると元のサイズで表示します

いい匂いに引きつけられて、一軒のお店に。

クリックすると元のサイズで表示します

おばさんたちが焼いているのは、

クリックすると元のサイズで表示します

はまぐりとアサリのくし刺し。

クリックすると元のサイズで表示します

タモリも試食します。

クリックすると元のサイズで表示します

後日、私も食べましたが、おいしい。
20本で820円。

クリックすると元のサイズで表示します

ここでは、貝剥きをやってみます。

クリックすると元のサイズで表示します

というわけで、浦安の名産は貝。
昭和の中頃には、
年間3万トンもの貝が取れ、

クリックすると元のサイズで表示します

むき身屋では一人一日1万個もむいたといいます。

クリックすると元のサイズで表示します

貝が取れたのは、
当時浦安には広大な浅瀬があったからです。

クリックすると元のサイズで表示します

一時期浦安に在住した山本周五郎
「沖の百万坪」と言ったように、
浦安は遠浅の海で沢山の貝が採れたのです。
漁師たちが「貝が湧く」と言ったとおり、
東京湾からの海流が旧江戸川とぶつかって浅瀬を作り、
そこに沢山の貝が生息したのです。

クリックすると元のサイズで表示します

まさに、魔法のように採れた貝が
魔法のルートで江戸に運ばれたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、その漁師町に影を落としたのが、
昭和33年(1958年)、
旧江戸川上流に出来た製紙工場から出された工業廃液でした。

クリックすると元のサイズで表示します

漁師たちは工場に抗議のデモをしかけました。

クリックすると元のサイズで表示します

1600人の漁師たちが集まったというから、
大変な抗争です。

クリックすると元のサイズで表示します

こうして、漁が成り立たなくなり、
舟は燃やされ、
昭和46年(1971年)には、
漁業権は放棄されます。

クリックすると元のサイズで表示します

漁師町で漁が出来なくなったのですから、
町は死んでしまいます。
町は新たな道を模索します。
それを表わすのが、この道路。

クリックすると元のサイズで表示します

右側の道路が一段高くなっています。
どうして、こんな道路が出来たのか。

クリックすると元のサイズで表示します

それに対してもタモリは「防波堤ですか」と
さすがの正解。

クリックすると元のサイズで表示します

古い海岸線を越えて、
海が埋め立てられたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

浅瀬だったので、埋め立てに適していました。
町の面積は4倍に広がりました。

クリックすると元のサイズで表示します

何のために埋め立てたか?
それは、住宅地を作るためでした。
当時、東京の土地は高くなっていましたから、
東京に近くて、便利で、
家を建てられる場所として注目を集めたのです。
↓の写真は、住宅説明会に集まった若い夫婦たち。

クリックすると元のサイズで表示します

その埋め立て地をより魅力的なものにするために
工夫されたのが、この場所。
実は、私の住まいは目と鼻の先にある「中央公園」。
ここには、山があるのです。

クリックすると元のサイズで表示します

その名も「浦安富士」。
標高15メートル。

クリックすると元のサイズで表示します

平地ばかりの土地に変化を持たせるために、
トラック1万3千台分の土を運んで作られた
人工の山。

クリックすると元のサイズで表示します

頂上から見た景色。
正面に見える左側のマンションが
私の住むマンションです。
浦安の埋め立て地に最初に建てられたマンションでした。

クリックすると元のサイズで表示します

埋め立てが始まった頃は1万8千人だった人口は、
今や16万。
浦安は漁師町からベッドタウンに生まれ変わったのです。

クリックすると元のサイズで表示します

続いて、釣り舟の老舗「吉野屋」の船で河口へ。

クリックすると元のサイズで表示します

つくろぐタモリ。

クリックすると元のサイズで表示します

河口には自然に出来た三角州がありました。
今も「大三角線」という道路名に残っていますが、

クリックすると元のサイズで表示します

今の地図を重ねると、こうなります。

クリックすると元のサイズで表示します

ディズニーランドは、
まさしく、埋め立て地の上に作られたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

案内人が、船を使ったのは、
この景色を見せるため。

クリックすると元のサイズで表示します

干潟にあった葦(浦安ではヨシという)が

クリックすると元のサイズで表示します

埋め立てで無くなったかと思えば、
ディズニーランドの脇に今も残っていたのです。

クリックすると元のサイズで表示します

最後は、新浦安駅そばのビルの屋上から。

クリックすると元のサイズで表示します

確かに、
浦安は、「夢と魔法の町」なのでした。

クリックすると元のサイズで表示します

タモリの感想。
「これが一つの町とは思えない」

浦安に住んで40年の私でも
知らないことが沢山あった、
ためになる番組でした。





AutoPage最新お知らせ