短編集『あくむ』  書籍関係

[書籍紹介]

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悪夢のような体験をつづった短編集。
井上夢人1993年の作品。

「ホワイトノイズ」

レストラン勤めの主人公は、
ディスカウント・ストアで
衝動的にエアバンド・レシーバーを購入する。
警察無線や自動車電話や携帯電話の電波を捕捉し、
盗聴する機械だ。
他人の会話を盗み聞きすることで、
突然生活に張り合いが生ずる。
常にレシーバーを携帯し、
イヤホンで盗聴する毎日。

そんな中、ひょんなことから
夫の部下と不倫をした女性の会話を盗聴し、
しかも、喫茶店で会っているのを目撃してしまう。
その上、脅迫者が現れ、
その主婦を脅迫し始めたのだ。
脅迫者は主婦に20万円を要求し、
置き場所を指定する。
指定場所の公園に行った主人公は、
主婦がお金を置いたのを横取りしてしまう。
脅迫者は主婦に再度金を要求する。
また同じ場所だ。
夜、公園に潜んだ主人公は・・・

というわけで、盗聴という行為が
脅迫という行為に転化していく様を描いた一篇。

「ブラックライト」

個展前に交通事故にあった画家が病室で目を覚ます。
体が固定され、目には繃帯が巻かれている。
失明したのだという。
しかし、画家はそれを疑う。
次第に手足も動き、目も見えていることが分かる。
病室と思っていたのは、屋敷の屋根裏部屋だった。
自分は誘拐されたのだ、と逃走を企てるが、
途中で捕まってしまう。
しかし、一味の中の女性がまた逃がしてくれるが・・・

最後に、自分の失明が受け入れられない画家の
妄想の逃走劇だったことが判明する。

「ブルーブラッド」

高校教師の主人公は、
実は吸血鬼の血筋で、
血を吸いたくて仕方がない。
しかし、犯罪になるから、
鳥の首を切り、その血を飲んで我慢し、
教え子の女子高校生の首筋に、夢の中で食らいついている。

そんな中、新任の音楽教師の依田優子が現れ、
夢の中で親しくなり、
最後には、その首にアイスピックを刺して、
噴出する血を吸い尽くす夢を見る。
しかし、最後は夢なのか現実なのか分からなくなり・・・

「ゴールデンゲージ」

裕福な家庭に育った優介は学校で問題ばかり起こしている。
反対に兄の賢介は常にトップで、将来を嘱望されていた。
その賢介の体に異変が起こる。
体の各所に筋のようなものが出来、延びていくのだ。
カッターで切り開いてみると、
その部分から短い回虫のようなが出現する。
虫を殺しても、筋は増え続け、
体を網のように走る。
筋を切ってみると、
そこにはびっしりと卵がついていた。
それを燃やすが、
それよりも早いスピードで虫が増殖し・・・

この本の中で最も戦慄する内容。
体の皮膚の下に住み着いた虫。
想像しただけで震える。

「インビジブルドリーム」

劇団員の大野は、
同じ劇団の女の子、ミライの見た夢の話を聞き、
その夢のとおりの出来事に出会う。
一度は壁にめりこむ腕の夢で、
固まっていない道路のコンクリートの中に手をめり込ませる。
続いて、天から槍が降って来る夢で、
ドラマの撮影時、事故で大道具係の腰の工具入れから落ちた
錐が足に刺さる。
一度は大きな猫に襲われる夢で、
バックして来た宅配便のトラックにぶつかる。
そのトラックには大きな黒猫が描かれていた。
そうしたことが続き、
最後にミライはナマコになった夢を見る。
そして・・・

という夢が現実になるという恐ろしい話。


どの話をとっても、
今まで読んだことのない話で、
井上夢人の引き出しの多さが分かる作品群である。


映画『本能寺ホテル』  映画関係

[映画紹介]

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この映画、「再び『プリンセス・トヨトミ』のスタッフ・キャストが集結」
と書いてあるので、
万城目学の原作だと思ったら、
そうではなく、
脚本の段階で万城目は下ろされたらしい。
で、監督の鈴木雅之と脚本の相沢友子
主演の綾瀬はるか堤真一らが集結、ということに。
ホテルのエレベーターが本能寺とつながっていた、
というのは、万城目的アイデアに見えるが、
どういうことになっているのか。

倉本繭子は、会社の倒産を機に
恋人の吉岡のプロポーズを受け、
吉岡の両親に挨拶するために、京都に向かう。
ホテルの予約の手違いで、
泊まるところを探さねばならなくなった繭子は、
路地裏にある『本能寺ホテル』という
変わった名前のホテルに宿泊する。

(京都の中京区には、「ホテル本能寺」というホテルが実際にある)

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エレベーターに乗った繭子がエレベーターを下りると、
そこは大きな寺で、戦国時代の人々がいた。
やがて、そこが1582年の本能寺で、
その日は信長が暗殺された本能寺の変の前日だと分かる。

というわけで、信長の時代のオルゴールと
フロントの呼びリンの音が合図となって、
戦国時代と現代の間を繭子が行き来することになるのだが・・・

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アイデアはまあまあだし、
タイムスリップした場所が
日本史最大のミステリーとされる本能寺というのも
妥当な選択。
(しかし、類似作品に「信長協奏曲」(2016)あり)
信長に明智光秀の謀叛のことをいつ知らせるのか、
謀叛を知った信長が一体どうするのか、
歴史は変わるのか変わらないのか、
それと現代との関連はどうなるのか、
といった興味深い内容なのだが・・・

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結論としては、
歴史は変わらない(変えようがない)し、
新説が発表されるわけでもない。
信長こそ戦さのない、平和な世の中を望んでいた、
などというのは、新説でも何でもなく、
現代の価値観の押しつけでしかない。
(というか、「信長協奏曲」で既にやっている)
目新しいのは、
秀吉の中国大返し(どうしてあんなに迅速に京都に戻れたか)の謎くらいか。

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京都観光の一枚のパンフレットを信長が見て、
「平和な戦さのない太平の京が実現するのなら」
と、歴史を変えない道を選ぶ、
というのは、面白くもなんともない。
繭子の「自分探し」の結論も大甘過ぎて、白ける。
冒頭の信長の進軍の様子と、
繭子のホテル探しのカットバックで
少しだけ期待させたが、
終わってみれば、
合議制の委員会方式の悪いところが出た感じだ。
プレバト風に言えば「凡人」の作った映画。

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わざわざお金をかけて映画にするのなら、
万人をうならせるような「ひねり」がほしい。
まだ「信長協奏曲」の方が、
信長は未来人の高校生が入れ代わり、
明智光秀は実は信長本人で、
真の悪役は信長に恨みのある秀吉だった、
という「ひねり」があった。

ただ、綾瀬はるかの天然ぶりが、
全体の不自然さを見えにくくしているし、
堤真一の信長は、なかなかいい。
濱田岳近藤正臣らの演技が映画を支える。
それにしても、八嶋智人扮するマッサージ師の
思わせぶりな描写は何だったんだろう。

つっこみ所は満載だが、
「信長協奏曲」のレビューに、
「そもそもタイムスリップなんて
ありえないことが起きてる話なんだから、
深く考えてはダメ。
軽い気持ちで見たらそれなりに楽しめる」
とあって、納得した。

そこそこ観ていられたので、
5段階評価の「3」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/mJW305CadBg

TOHOシネマズ他で上映中。


                                    
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23区所得ランキング  耳より情報

同じ都市でも、
地域によって貧富の差はあるもの。
たとえば山の手と下町では、
その住民の構成から、当然収入の差は生ずる。
それは、良い悪いではなく、
歴然たる現実だ。

このたび、
総務省統計局のデータを活用して
東京23区の年収ランキングが掲載されたので、
紹介しよう。

2013年度の各区の課税対象所得を
納税義務者数で割って計算。
分子が所得だから、
この数字より実際の年収はもっと多い。
「年収ランキング」より「所得ランキング」の方が正しい。

まず、ワースト5から。

第19位
江戸川区・・・所得平均346万円

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東京都の東の端。
東は千葉県と接しており、
北は小岩、南は葛西臨海公園までが区域。
総武本線、都営新宿線、東京メトロ東西線、京葉線と
各線が都心からつながっており、
交通の便は比較的良い。
区の平均年齢は42.83歳と
都内で3番目に若い。

第20位
荒川区・・・所得平均345万円

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都電荒川線が横切る古くからの住宅エリア。
区の面積も小さく人口も少なく、
目立った観光スポットもない地味な区。
港区や中央区とは反対に
昼間の人口が極端に少なく
夜になると人が帰ってくるエリアだ。
つまり事業所など働く場所の数が少ないことをあらわしている。
その中で目立つのが製造業の多さ。
ただ、小規模な企業が多く
周囲の平均年収を下げることにつながっている。

第21位
北区・・・平均所得344万円

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京浜東北線の赤羽駅と王子駅を中心とした区域で、
荒川を挟んで埼玉県と接している。
飛鳥山公園、清水坂公園、赤羽自然観察公園など公園が多い。
区内の単身者向け物件の家賃相場は8万円程度。
長いアーケードを持つ十条銀座商店街や
赤羽スズラン通り商店街、霜降銀座商店街など
新旧入り交じる商店街が並び
物価も比較的安いため、
中流層の住みやすさにつながっている。

第22位
葛飾区・・・平均所得333万円

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「男はつらいよ」でおなじみの区。
劇中のイメージそのままの人情味が残る下町エリアで、
住み慣れた人には居心地の良い街だ。
人気は京成押上線・立石駅周辺や北部の水元エリア。
治安の良さが若い女性などに支持されている。
都心部に出るには日暮里駅や押上駅で乗り換える必要があり、
若干不便な交通事情が
単身者用世帯で6万8千円という家賃相場に反映。

第23位
足立区・・・平均所得324万円

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23区最北の区。
以前は治安が悪いイメージがついて回っていたが、
最新の犯罪発生率は1.626%と、
新宿区(3.319%)や中央区(2.750%)と比べて低くなっている。
単身者用世帯の家賃は平均で6万9千円ほど。

11位〜18位は、次のとおり。

第11位
豊島区・・・平均所得412万円

第12位
大田区・・・平均所得395万円

第13位
練馬区・・・平均所得395万円

第14位
江東区・・・平均所得389万円

第15位
中野区・・・平均所得387万円

第16位
台東区・・・平均所得385万円

第17位
墨田区・・・平均所得350万円

第18位
板橋区・・・平均所得350万円

6位〜10位は、次のとおり。

第6位
目黒区・・・平均所得537万円

第7位
世田谷区・・・平均所得506万円

第8位
新宿区・・・平均所得477万円

第9位
杉並区・・・平均所得436万円

第10位
品川区・・・平均所得427万円

それでは、トップ5を下から順に。

第5位
文京区・・・平均所得544万円

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山手線の内側にすっぽりと収まる文教地区で、
犯罪発生率が約0.9%と治安がいい。
六義園や小石川後楽園、東大植物園など緑も多く
住環境の良いエリアだ。
ゆったりとした造りの戸建て住宅が並び、
学生向けに貸し出しを行っている家主も多い。
しかし港区や中央区のタワーマンションのように、
「飛び抜けたお金持ち」が少ないことが
この順位に収まっている理由。
あまり時代のあおりを受けない、落ち着いたエリア。

第4位
中央区・・・平均所得556万円

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銀座や日本橋など由緒ある名所が多いエリアではあるが、
下町の風景を残す月島や
工業地域である晴海まで範囲であることから、
この順位になったと考えられる。
しかしベイエリアの一端をなす月島は街の再整備も進み、
高層マンションも多く建設されている。
豊洲・有明エリアと並んで
2020年の東京オリンピックに向けての注目エリアでもあり、
数字は今後上昇していくかもしれない。
区の平均年齢が42.24歳と都内で一番若いことからも、
「これからのエリア」であることがうかがえる。

第3位
渋谷区・・・平均所得703万円

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渋谷や原宿といった若者の街のイメージが強いが、
広尾や恵比寿といった「大人の街」が数字を押し上げ、
4位との差を大きくつけた。
この2つのエリアをはじめ
東京メトロ日比谷線沿線は、
六本木や霞ヶ関、日比谷や銀座まで1本で行けるため
ビジネスマンに人気の土地だ。
恵比寿駅周辺は恵比寿ガーデンプレイスや駅ビルアトレのほか、
商店街もあり買い物に困らないことなどから、
特に女性の人気が高い。

第2位
千代田区・・・平均所得784万円

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真ん中に皇居があり、
東京駅から永田町、飯田橋まで
中央省庁などが集中している。
住む街というよりは「働く街」のイメージが強く、
夜間人口が極端に少ない地域でもある。
それでも公務員宿舎や丸の内に住む「エリート」たちや、
近年の都心回帰志向の高まりを受けて
移住してきたビジネスマンたちが数字を押し上げた。
一方で神田や九段下など
古くから住んでいる世帯が多く残っているエリアも多いことが
港区との差につながったと考えられる。

第1位
港区・・・平均所得902万円

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六本木や赤坂、品川やお台場までを区域におさめており、
大手の情報通信企業など
羽振りの良い会社が集まっている。
それらの企業に勤める裕福な層が
麻布、白金、青山といったエリアに住んでいるとみられる。
古くからの町並みも残していた
品川から田町にかけてのベイエリアにも
ここ数年で多くの高層マンションが建設されている。
家賃50万円を超える物件も普通で、
高収入の人しか住めないような物件が多くあることからも
この順位は必然といえる。


1位の港区と23位の足立区のは、578万円
この差を、どう見ますか?


小説『ダレカガナカニイル・・・』  書籍関係

[書籍紹介]

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共作作家・岡嶋二人(井上泉・徳山諄一。
「おかしなふたり」をもじったペンネーム)を解散して、
井上夢人として「ソロデビュー」した最初の作品。
1992年刊行。
                                        
警備会社に勤める西岡悟郎は、
不祥事を起こし、山梨に左遷される。
新しい任地は、
小淵沢から車で行った山中にある
新興宗教「解放の家」の警備だった。
解放の家は、近隣住民とトラブルを起こしていたのだ。
初出勤の日、施設内で火事が起こり、
教祖の吉野桃江が焼死する。
その時、悟郎の体に異変が起こる。
何かの衝撃を受けてはね飛ばされ、
その後、悟郎の中に奇妙な声が聞こえるようになったのだ。
悟郎はその声と対話し、自分が狂ったのだと思い込む。
精神科医の診断も受け、催眠療法もやってみる。

やがて、その声は、焼死した吉野桃江のものらしく、
死後、離脱した桃江の「意識」が、
悟郎の中に住み着いたようなのだ。

ということが判明するのは、172ページあたり。
読んでいて当然なことを
そんなにもていねいに描いているのだ。

催眠療法の経緯もごくていねいに描く。
ていねい過ぎて退屈するくらい。
なかなか悟郎が「声」の現実を認められず、
いつまでも「声」と言い争っているのが、
しつこく感じる。

そうこうしているうちに、
頭の中の「声」は力を発揮するようになり、
悟郎が眠っている間に
悟郎の体を支配するようになる。

教団は離散し、
その一人である葉山晶子が悟郎のアパートにいつくようになる。
晶子は実は亡くなった教祖の娘なのだった。
悟郎は晶子を通じて、教団の教えと、
ポワという精神離脱の事実を知る。

と同時に、異変以来、
寝るたびに襲って来るも悟郎を苦しめる。
火事の中、自分の体が燃えてしまう夢だ。

その夢の謎と、
火事の真相を究明するために、
悟郎は警備会社から監視カメラの映像を取り寄せ、解析する。
火事の現場に出入りした人がいないことを証明する映像だが、
その映像は加工されたものであることが分かる。
と同時に晶子が行方知れずになる。

真相を確かめるために、
廃墟と貸した教団施設を訪れた悟郎が見たものは・・・

という、                                    
超常現象を扱ったSFサスペンス。
いかにも井上夢人らしい、と思わせる内容で、
この人の作品の特徴である、
描写は精緻を究める。

教団の施設が高い壁に囲まれたものだったり、
その中に修行をする宿舎があって
信徒たちが共同生活をしていたり、で、
オウム真理教のサティアンを思わせるが、
この作品が刊行されたのは、1992年。
オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、
上九一色村の教団施設が注目されるより3年前だから、
その後の事件を予見したと言えるかもしれない。
「ポワ」というオウム真理教が用いた言葉も出て来る。

後半のある時点で、
物語の構造ががらりと変化する仕掛けがあり、
それはなかなかのものだ。
SFとミステリー、それに恋愛小説を融合したような内容で、
いつも新しいことに挑戦する井上夢人らしさがあふれている。

文庫本で683ページに渡る大作だが、
中途はすこし省略して、
展開を早くした方がいいのではないかと思われた。
だが、分かりきったことを
登場人物と共に納得していくのが
井上夢人らしいとも言えるが・・・。


映画『アイヒマンを追え!』  映画関係

[映画紹介]

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題名にある「アイヒマン」とは、
アドルフ・オットー・アイヒマン(1906〜1962)のこと。

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ドイツのナチス親衛隊の中佐で、
数百万のユダヤ人らを絶滅収容所へ移送するにあたって
指揮的役割を担った人物。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、
1960年、イスラエル諜報特務庁(モサド)によって
イスラエルに連行されて裁判にかけられ、
死刑判決が下された結果、
1962年5月に絞首刑に処された。
                                        1942年1月20日に、
ベルリン高級住宅地ヴァンゼーに集まった
いわゆる「ヴァンゼー会議」に
アイヒマンは議事録作成担当として出席し、
ユダヤ人を絶滅収容所へ移送して絶滅させる
「ユダヤ人問題の最終解決」(= 虐殺)政策の決定に関与した。
この会議で絶滅政策が決定されたことを認めているが、
アイヒマン自身は会議の席上で一言も発言しておらず、
ただタイピストとともにテーブルの隅っこに座っていただけだと
証言している。

この会議後、アイヒマンは、
ゲシュタポ・ユダヤ人課課長として
ヨーロッパ各地からユダヤ人を
ポーランドの絶滅収容所へ列車輸送する最高責任者となる。
1942年3月から絶滅収容所への移送が始まったが、
その移送プロジェクトの中枢となり、
総力戦体制が強まり、
一台でも多くの車両を戦線に動員したい状況の中でも
交通省と折衝して輸送列車を確保し、
ユダヤ人の移送に努めた。
続く2年間に「500万人ものユダヤ人を列車で運んだ」
と自慢するように、任務を着実に遂行した。

アイヒマンの実績は注目され、
1944年3月には
計画のはかどらないハンガリーに派遣される。
彼は直ちにユダヤ人の移送に着手し、
40万人ものユダヤ系ハンガリー人を列車輸送して
アウシュヴィッツのガス室に送った。

1945年にドイツの敗色が濃くなると、
親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーは
ユダヤ人虐殺の停止を命令したが、
アイヒマンはそれに従わず、ハンガリーで任務を続けた。
彼は更に武装親衛隊の予備役として委任させられていたため、
戦闘命令を回避するために自らの任務を継続していた。

このナチス戦犯アイヒマンを、
1960年に潜伏先で拘束するまでの
極秘作戦の裏側に迫る実録サスペンスがこの映画。
ドイツの検事長フリッツ・バウアーに焦点を絞り、
いかにしてアイヒマンの消息をつかみ、
追い詰めたかを描く。

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1950年代後半のフランクフルト。
ナチスによる戦争犯罪告発に執念を燃やす
検事長フリッツ・バウアーのもとに
アルゼンチンから
逃亡中のナチス親衛隊中佐・アイヒマン潜伏に関する手紙が届く。
アイヒマンの罪をドイツの法廷で裁こうと
バウアーは追及していくが、
当時のドイツは、
ナチスの過去を持ちながら
戦後ドイツで指導的立場についている人々が多く、
連邦刑事庁も情報機関も、
アイヒマンを裁きの場に引き出すことを喜ばなかった。
秘かに捜査を進めるバウアーは、
身近からの激しい抵抗に直面する。
当時司法に関わっていたほとんどの法律家は、
ナチス政権に仕えていた過去を持っており、
自らの名声に傷がつくことを恐れていたのだ。
「執務室を一歩出れば、そこはもう敵国だ」とバウアーは言う。

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当時のドイツは、国全体が敗戦からの経済復興に向かい、
戦争の記憶の風化が進みつつある時代だった。
強制収容所の事実さえ明確に認識されていなかった。
ホロコーストの首謀者たちは、
世界各国に逃亡したり、
国内の政財界で平然と高い地位を得たりしていた。
ユダヤ人でもあるバウアーは、
一人ナチスの残党を追い続けるが、
もみ消したい過去をもつ人々が
彼を失脚させようと圧力をかけ妨害をする。
アイヒマンがリカルド・クレメントという名前で
アルゼンチンに潜伏している証拠をつかんだバウアーは、
ドイツ政府に期待できないことを悟り、
国家反逆罪に問われかねない危険も顧みず、
その極秘情報をモサドに提供する。
しかしそれも政府の監視網の中にあった。

ナチスの戦争犯罪の徹底追及に人生を捧げた
バウアーの孤高の闘いを、
モサドや敵対勢力との息づまる駆け引きを絡めて描いた映画。
周囲の妨害に耐えながら、
真実を究明していくバウアーの姿は、
ミステリー映画のようなおもむき。

一旦辞任する思いになったバウアーは、
部下が犠牲的精神で秘密を守ったことを知ると、
猛然と闘いの決意をする。
この同性愛者の部下、カール・アンゲルマンの罠のくだりは、
完全に創作だが、
当時ドイツ刑法では、
男性間の性交渉は犯罪行為とされていた。
ただ、この架空の人物の話はなくもがなの印象。

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実はバウアーの功績は、
ホロコーストをドイツの司法で裁き、
アウシュビッツの真実を究明したことにあるのだが、
その前の部分で映画は終わる。
その点は不満といえば不満だが、
すでに映画「顔のないヒトラーたち」(2014)で描いているから
やめたのかもしれない。

フリッツ・バウアーを演じるのは、名優ブルクハルト・クラウスナー
歴史を変えた信念の人を重厚に演ずる。

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ただ一人信頼できる部下、アンゲルマンを
ロナルト・ツェアフェルトが演じている。

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監督は、ラース・クラウメ

ドイツ映画賞で作品賞、監督賞、脚本賞、
助演男優賞、美術賞、衣装賞の6部門で受賞。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/Ywg4UJ2bd8U

渋谷のル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。

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ところで、戦後のアイヒマンの逃走だが、
Wikipedia を参考にまとめてみた。

第二次世界大戦終結後、
アイヒマンは進駐してきたアメリカ軍によって拘束されたが、
偽名を用いて正体を隠すことに成功し、捕虜収容所から脱出。
ドイツ国内で逃亡生活を送り、
その後、難民を装いイタリアに到着。
反共産主義の立場から
元ドイツ軍人やナチス党員の戦犯容疑者の逃亡に力を貸していた
フランシスコ会の修道士の助力を得、
リカルド・クレメント名義で国際赤十字委員会から
渡航証(難民に対して人道上発行されるパスポートに代わる文書)↓の発給を受け、

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1950年7月15日、
親ナチスのファン・ペロン政権の下、
元ナチス党員を中心としたドイツ人の
主な逃亡先となっていた
アルゼンチンのブエノスアイレスに船で上陸した。
その後約10年にわたって
工員からウサギ飼育農家まで様々な職に就き、
家族を呼び寄せ新生活を送った。

1957年、フリッツ・バウアーから
アイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているという情報を提供された
モサドは、ブエノスアイレスに工作員を派遣したが、
アイヒマンの消息をつかむことは容易ではなかった。
しかし、アイヒマンの息子がユダヤ人女性と交際しており、
彼女に度々父親の素性について話していたことから、
モサドは息子の行動確認をして
アイヒマンの足取りをつかもうとした。
2年にわたる入念な捜索の末、
モサドはついにリカルド・クレメントを見つけ出した。

モサドのイサル・ハルエル長官は
作業班を結成させ、長官自らブエノスアイレスへ飛んだ。
作業班はリカルド・クレメントに「E」とコードネームを付け
行動確認した。
クレメントも慎重に行動していたが、
最終的に作業班が彼をアイヒマンであると断定したのは、
アイヒマンの結婚記念日に、
クレメントが花屋で妻へ贈る花束を買ったことであった。

1960年5月11日、
クレメントがバス停から自宅へ帰る道中、
路肩に止めた窓のないバンから数人の男がいきなり飛び出し、
彼を車の中に引きずりこんだ。
車中で男たちはナチスの帽子を出して彼にかぶせ、
写真と見比べて「お前はアイヒマンだな?」と言った。
彼は当初否定したが、少し経つとあっさり認めたという。

その後アイヒマンは、
ブエノスアイレス市内のモサドのセーフハウスに置かれた後、
アルゼンチン独立記念日の式典へ参加した
イスラエル政府関係者を帰国させる
エル・アル航空(イスラエルの国営航空会社)の飛行機で、
5月21日にイスラエルへ連れ去られた。
出国の際に彼は、
酒をしみこませた客室乗務員の制服を着させられた上に
薬で寝かされ、
「酒に酔って寝込んだ非番の客室乗務員」として
アルゼンチンの税関職員の目を誤魔化した。

さらに同機は当初ブラジルのサンパウロ市郊外にある
ヴィラコッポス国際空港を経由して給油する予定だったが、
アイヒマンが搭乗していることが知られた場合、
ブラジル政府により離陸が差し止められる危険性があることから、
ヴィラコッポス国際空港での給油を行わずに
セネガルのダカールまで無給油飛行を行うなど、
移送には細心の注意が図られた。

イスラエルのダヴィド・ベン=グリオン首相は
1960年5月25日にアイヒマンの身柄確保を発表し
世界的なニュースとなった。
(私の記憶にある)
この逮捕および強制的な出国については、
イスラエル政府がアルゼンチン政府に対して
正式な犯罪人引き渡し手続きを行ったものではなかったため、
アルゼンチンはイスラエルに対して主権侵害だとして抗議した。

獄中のアイヒマンは神経質で、
部屋や便所をまめに掃除したりするなど
至って普通の生活↓を送っていた。

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獄中のアイヒマンを知る人物は
「普通の、どこにもいるような人物」と評した。

アイヒマンの裁判は1961年4月11日に
イスラエルのエルサレムで始まった。

裁判のテレビ中継に至る顛末は、
映画「アイヒマン・ショー」(2015)に描かれている。

アイヒマンは、「人道に対する罪」、
「ユダヤ人に対する犯罪」および
「違法組織に所属していた犯罪」などの
15の犯罪で起訴され、
その裁判は国際的センセーションと同様に
巨大な国際的な論争も引き起こした。
裁判の中でヒトラーの「我が闘争」は
読んだことはないと述べている。
(そんなはずはない)

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裁判を通じてアイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人迫害について
「大変遺憾に思う」と述べたものの、
自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。

この公判時にアイヒマンは
「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」
という言葉を残した。
その他、イスラエル警察の尋問で、次のような主張をしている。
「あの当時は『お前の父親は裏切り者だ』と言われれば、
実の父親であっても殺したでしょう。
私は当時、命令に忠実に従い、
それを忠実に実行することに、
何というべきか、精神的な満足感を見出していたのです。
命令された内容はなんであれ、です」
「連合軍がドイツの都市を空爆して
女子供や老人を虐殺したのと同じです。
部下は(一般市民虐殺の命令でも)命令を実行します。
もちろん、それを拒んで自殺する自由はありますが」
「戦争中には、たった一つしか責任は問われません。
命令に従う責任ということです。
もし命令に背けば軍法会議にかけられます。
そういう中で命令に従う以外には何もできなかったし、
自らの誓いによっても縛られていたのです」
「私の罪は従順だったことだ」

1961年12月15日、
すべての訴因で有罪が認められた結果、
アイヒマンに対し死刑の判決が下された。
アイヒマンは死刑の判決を下されてもなお自らを無罪と抗議した。
翌1962年6月1日未明に
ラムラ刑務所で絞首刑が行われた。

処刑前に「最後に何か望みが無いか」と言われ、
「ユダヤ教徒になる」と答えた。
何故かとたずねると
「これでまた一人ユダヤ人を殺せる」
と返答をしたという。
しかし、この発言は、
ネガティブな戦犯としての印象を与えるための
創作ではないかとの指摘もある。

絞首刑になる直前のアイヒマンの言葉。
「ドイツ万歳。アルゼンチン万歳。オーストリア万歳。
この3つの国は
私が最も親しく結びついていた国々です。
これからも忘れることはありません。
妻、家族、そして友人たちに挨拶を送ります。
私は戦争と軍旗の掟に従わなくてはならなかった。
覚悟はできています」

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