小説『残り者』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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慶応4年(1868年)4月11日、
江戸城は官軍の手に明け渡された。

大奥も4月9日と10日の2回に分けて
奥女中の一行が江戸城を出た。

この小説は、10日に、
大広間に170名ほどの女たちが集められ、
天璋院の挨拶を受けるところから始まる。

※天璋院・・・てんしょういん。 
        13代将軍家定の御台所(みだいどころ。正妻)。
        篤姫(あつひめ)。

一斉に西丸(にしのまる)を退去する奥女中の中で、
針の始末を気にかけて、りつは呉服之間に戻ってみる。

※呉服之間・・・奥女中の衣服を縫う部署。

静まりかえった廊下の有り様に
徳川幕府の瓦解を実感するりつの前に
御膳所のお蛸が現れる。

※御膳所・・・天璋院の食事一切を受け持つ部署。
        呼び名は魚にちなんでつけられる。

お蛸は天璋院の飼い猫のサト姫が
いなくなったのを探していたのだ。

更に御三之間のちか、
御中臈のふき、
静寛院付きの呉服之間のもみぢ
などが次々と現れ、
5人は人の姿のいなくなった
大奥の「残り者」となって夜をすごす。

※御三之間・・・天璋院や御年寄などの
          上役の雑用を受け持つ部署。
※御中臈・・・おちゅうろう。将軍・御台所の身辺世話役。
        家柄や器量の良い女性が選ばれ
        この中から側室が選ばれていた。
※御年寄・・・おとしより。大奥の万事を取り仕切る最高権力者。
※静寛院・・・せいかんいん。14代将軍家茂の御台所。皇女和宮。

ちかは「籠城のため」と言い、
もみぢは前日から居残り、
ふきは何か目論見があって留まっている。
特にもみぢは、天璋院と静寛院の確執を
あからさまに5人の中に持ち込む。

この5人のそれぞれの過去を描きながら、
「大奥最後の日」に居残った者たちが
のぞき穴から、官軍が乗り込んで来るのを目撃する。

なかなかの趣向である。
崩壊した武家社会の最後の砦江戸城で
その凋落を身をもって体現した者たちのすごす一夜。

月明かりと蝋燭一本だけで過ごす夜である。
奉公する場が異なる者同士、
一つ所に集まって語り合うのもこれが最初で、
そして最後だとりつは思った。

実は5人の籠城は危険をともなっている。
もし争いにでもなれば、
それを理由に官軍が徳川家をつぶしにかかるかもしれないのだ。

戦は勝敗を決した後に、
もう一度、弓矢を交えぬ戦いがある。
勝った側は相手からちっとでも余分に所領や財を奪いたいし、
負けた側は何を守り、
何を諦めるかの選択を迫られる。
それが降伏の中身を詰めるということぞ。
向こうはほんの僅かな手落ちを理由に、
やはり徳川宗家は潰すと揺さぶりを掛けてくるだろう。
さすれば、如何相成る。
これまで重ねてきた交渉も嘆願も水泡に帰し、
再び、関が原のごとき大戦(おおいくさ)になりかねぬ」


「大奥」という特殊な閉鎖社会の様々なしきたりも興味深い。
その200年かけて作り上げたしきたりも、
一夜にして無くなってしまうのだ。

そのしきたりの成り立ちをりつの伯母の口が語る。

「250年もの昔、
徳川の御世が始まる前はいかなる世であったかを考えてみよ。
・・・そうだ、戦の続く乱世であったよの。
かような世における大名家の婚姻は、
嫁御の実家勢力との結びつきが最たる目的であった。
ところが徳川家も三代目、家光公が将軍になられると、
公家から正室をお迎えになる。
なにゆえだ」
「権力を掌中に収めた徳川家にとって、
格下の大名家との婚姻には
もはや何の旨みもなかろう。
まして、諸国への支配を盤石とするには、
大名らから武勇の気風を剥ぎ取らねばならぬ。
そう、天下を盗み返そうと企む不遜な欲望をいかに治めるか・・・
そこで、文で治める政(まつりごと)が始まった。
文とは故事典礼に通じ、
儀礼を重んじることよ。
格式を奉じることよ。
ゆえに徳川家は、
公家の姫君を御台所の座に迎えるようになったのだ。
将軍の世嗣(よつぎ)は側室がお産み申し上げればよい。
家内を束ねるのは公方様の御母堂じゃ。
そして、御年寄ら役人が
諸藩の奥向との儀礼交際を通じて、
天下を取り仕切る。
よいか、政は御大老や御老中ら表向だけではないのだ。
大奥と諸藩の奥のおなごは
自らの家の権勢を高めるために
互いに結び合い、ときに駆け引きをする。
大奥の意向で大名の位階が変わり、
公方様の世嗣が決まることもある。
ゆえに奥も紛うかたなき、
政の府であるのよ」

そのような女の世界で生き抜いた人々。

大奥は、
女が自らの足で立てる唯一の場であったのだ。
その仕組みの中で、
お蛸もふきも生きてきた。何十年も。

大奥への奉公が決まった際に差し出した
血判誓紙の文言も興味深い。
「同僚の陰口を言い、人を仲違いさせたりいたしませぬ」
など、あまりに具体的だったからだ。

これから一生、城内で奉公して
身を立てていくのだという決意で
総身を硬くしていたにもかかわらず、
「こう誓え」と命じられた文言が
あまりに世情めいていて、驚いた。
高貴の人に仕える女中らは皆、
忠実無私で、利他の心に富んでいる者ばかりと
想像していたからだ。
いまから思えば、
尼寺に入るごとき清さに
若干の憧憬を感じていたのかもしれない。

大奥の組織、仕組み、人間関係と共に、
一つの文化が滅びゆく経過、
江戸城明け渡しの最後の一日の
一昼夜の出来事を描いて出色の小説

エピローグで、
その後の5人の足取りを辿ってさわやか。
時代の変転を生き抜く女のたくましさを感じる。





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