インド旅行記Dアグラ・その2  旅行関係

今日は、タージ・マハルへ。
車を降りて、↓のような乗り物に乗ります。

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こんな感じ。

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この道を行きます。

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途中に猿が棲息。

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このような列に並び、

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荷物検査。

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娘はアメを没収されました。

↓が大楼門

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赤砂岩づくりで高さ約30m。
イスラーム建築で多用される大きなアーチを持ち、
両側には八角形の太い塔が、
上部には、白い鍾乳石の型体をした11個の丸屋根があります。

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アーチの向こうに

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白い建物が

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姿を現します。

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ジャーン!

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これが、世界遺産

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タージ・マハル

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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、
亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのため建設した
総大理石の墓廟。

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インド・イスラーム文化の代表的建築です。
塔が修復中なのが残念。
美しさを損なっています。

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大楼門を振り返ったところ。

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↓がタージ・マハルの全体図

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タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地を有します。
南端の約4分の1分は前庭があり、
その北端にある大楼門を挟み広がる庭園は
一辺296mの正方形であり、
水路と遊歩道によって東西南北それぞれに2等分され、
さらにそれぞれが4つの正方形で区分されています。
その北には敷地の約4分の1を占める基壇の上に、
廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場・迎賓館があります。

↓シャー・ジャハーンと

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↓ムムターズ・マハル。

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謀反を起こした臣下の討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、
遠征先で14人目の子供を産んだ後の産褥病のため、
1631年6月7日に死亡します。
36歳でした。

死にあたり、シャー・ジャハーンが
「そなたのために世界一美しい墓を建てる」
と約束しました。
別な説では、
マハルが遺言のひとつで、
後世に残る墓を所望したともいいます。

名前の由来は不確定ながら、
王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、
ターズがインド風発音のタージになったといいます。
ムムターズ・マハルはペルシャ語で
「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉で、
第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号。
本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムといいます。
タージ・マハルを言葉どおりに訳せば
「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になります。

1632年着工、1653年竣工。
シャー・ジャハーンは、
タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に
黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしましたが、
自分の失脚で、この計画はに終わりました。

一説には、
タージ・マハルの建設で莫大な国費を使い、
更に新たな霊廟を建てることの反発を受け、
王位を剥奪されたともいいます。

上に上がるには、
このように、ビニールで靴を覆わなければなりません。

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そうでなければ、このように靴を脱いで、

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裸足で。

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墓廟の東側にあるのが、集会所・迎賓館

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東側から墓廟を見たところ。
墓廟は横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、
四隅が切られた変形八角形をしています。
高さは丸屋根上部までが58m
上に据えられた頂華の長さを加えると更に高くなります。
この比率はタージ・マハルが目前から見上げられる際に
威容を感じさせるためのものです。

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背後に流れるヤムナー川

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西側にあるのがモスク

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正面から中に入るための行列。

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何やらインド音楽が歌われています。

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ここからは撮影禁止。
従って写真集から借用。

シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルの記念碑

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棺のように見えますが、
実際の遺体はこのはるか数メートル下にあります。
シャー・ジャハーンは失脚後、
息子によってアグラ城塞に幽閉され、
亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、
1666年に74歳で死去しますが、
死後は、同じ墓廟の中に埋葬することが許されたのです。

墓廟の内部に入ると丸天井は24mしかありません。
これは二重殻ドームという形式で、
外観上の丸屋根と内部の天井の間に空洞が置かれ、
屋外から見るデザインと屋内の空間との
バランスを両立させる形式です。

内部から出て、ほっとした感じ。

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設計にはイスラーム世界から広く名声を博した建築家や工芸家らが参集し、
職人はペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人ほどを集められました。

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建設期間中には、常に2万人もの人々が工事に携わりました。

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建材はインド中から1千頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、
大理石はラージャスターン地方のジャイプル産、
赤砂石はファテープル・シークリーの石切り場から運ばれました。
翡翠や水晶は遠く中国から、
トルコ石はチベットから、
サファイアや瑠璃はスリランカから、
カンラン石はエジプトから、
珊瑚や真珠貝はアラビアから、
ダイヤモンドはブンデルカンドから、
アメジストや瑪瑙はペルシャから集められました。
他にも、碧玉はパンジャーブ地方から、
ラピスラズリはアフガニスタンから、
カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだといいます。

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大理石を削り、
そこに全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれました。
今だにはがれていない、精巧な細工です。

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ヒンドゥー教徒は墓を持たず、
遺体は火葬され遺骨や灰は川に流されます。
霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒が持つ墓は簡素なものです。
ムガル王朝の皇帝が大きな霊廟を建てたのは、
専制君主の権勢を示す目的がありました。
しかし、権力を握っていたわけでもない
ただの王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、
他にはほとんどありません。

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彼がそれほど王妃を愛したのは、
夫が父帝や継母と対立し、
各地への転戦や逃避行中でも、
これに付き従い苦楽をともにしたことによるようです。

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その妻への愛が、
浪費とも非難される巨大建造物を建築させ、
それが、今、インド観光の目玉となり、
年間400万人(うち外国人は20万人)の観光客が訪れる
文化的遺産になるとは、誰が予想したでしょうか。

なお、開場時間は日の出から日没までですが、
満月の夜前後2日間のみ
人数制限はあるものの夜間入場が許可されています。
満月に照らされたタージ・マハルを見てみたいものです。

さらば、タージ・マハル。

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車は、次の訪問地、チャンドバオリを経て、
ジャイプールに向かいます。






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