小説『千日のマリア』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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小池真理子の短編集。
小説現代に2006年から2015年まで掲載された作品の中から収録。
かなり長い歳月をかけて掲載された作品群を一冊にまとめたのだが、
意外に統一感がある。
くくってみれば、「愛と死」というテーマで貫かれているといえよう。

「過ぎし日の墓標」
母の再婚相手の弟の映画監督との交流を描く。
別荘で会う日を重ねながら、
男女の関係にはならない日々が続き、
いつかは、と期待させながら、
彼の突然の自殺で終焉を遂げる。
亡くなった男の面影を辿る日々を描く。

「つづれ織り」
父母が離婚し、東京で貧しい借家住まいをしながら、
母親と大家の息子との関係を悟ってしまった幼い日。
それから45年の歳月が流れ、
母も亡くなった今、
何が真実か分からない中、
追憶の中で、あの頃をなつかしむ日々。

本当のことは口に出して言ってはならない、
と幼いころから知っていた。

何故、そうなったのか、わからない。
真実を口にすることは、
時として恐ろしい行為であること、
何をしゃべってもいいが、
本当のことだけは
決して誰にも言わず、
胸に秘めておくべきであることを、
誰に教わったわけでもないというのに、
わたしは早くから知っていたのだ。
わたしは不幸な子供だったのだろうか。
それとも、そんなに早くから人生という名の、
広大無辺な宇宙を感じとることができて、
幸運だったというべきなのだろうか。

「落花生を食べる女」
ファッション雑誌の編集長だった父の愛人のモデル・あかり。
父との関係を知りながら、密かにあかりに対する恋情を高める孝太。
今、70歳を迎えたあかりと共に時を過ごし、
「おばあさんになっちゃった」と嘆くあかりを
孝太は初めて抱きしめる。

「修羅のあとさき」
付き合っていた苑子を裏切り、
学生時代の元恋人と結婚し行雄に
会社宛てに苑子の手紙が届くようになる。
そこには、行雄との恋愛関係がつづられていた。
「多幸症」と言われる精神病で、
全て行雄との架空の関係に持って行ってしまう症状だ。
そして、ある日、行雄は苑子と母の暮らす家を訪ねるが・・・

「常夜」(とこよ)
かつて夫であった演出家の井上日出夫の死を知り、
死を看取った姉の佐和子のもとを訪ねた修子は、
最後の日々、日出夫が文鳥を飼っていたことを知る・・・

「テンと月」
脱サラしてペンション経営をした夫が亡くなり、
その後の経営に行き詰まった主人公は
ペンションを売り払うことに決め、荷物を整理する。
そんな時、庭にテンが現れて・・・

「千日のマリア」
義母の交通事故のせいで左手を失った秀平は、
義母を責め続け、最後には関係を持ってしまう。
そうした秀平の悪行を義母は受け入れ、許す。
義母が亡くなった時、密葬を主張する妻を説得して、
秀平は普通の葬式を出してやろうとする。
それがせめてもの義母に対するつぐないだった。

「凪の光」
有料老人ホームで働く知美が
入居者を訪ねて来た高校時代の友人・より子と再会する。              
やはり高校時代の友人・佐藤と結婚して幸せそうだ。
実は知美には、より子と40年も疎遠になる理由があった。
高校時代、より子が想いを寄せていた男を
意図せずに奪ってしまったことがあったのだ。
より子は、そんなことは全く忘れたように振る舞うが、
知美の方は知らぬふりはできなかった。
この話に、知美の家の庭の木に作ったキセキレイの巣と
中の雛たちの話がからむ。

やはり表題作の「千日のマリア」が抜群の出来
どうしようもない義理の息子の侮辱を
受け入れ、癒す母性の愛が
すさまじくも美しい。

どれも小池真理子らしい短編集で、おススメ。

そこで思い出した。
昔、小池真理子の小説だと思い込んで読んでいた小説が、
何だか林真理子の小説みたいだな、
と思ったことがあった。
読み終えて、カバーをめくって驚いた。
林真理子の小説だったのだ。

真理子というだけで小池真理子作と思われて、
さぞ迷惑だったろう。



ジュンスのコンサート  音楽関係

今日は、夕方から、カミさんと一緒に新幹線に乗って、

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新横浜へ。

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目的地は、ここ横浜アリーナ

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キム・ジュンス

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4枚目のソロ・アルバム「XIGNATURE」

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ワールド・ツアー・コンサート

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今度のアルバムは粒よりで、
ジュンスの守備範囲の広いことがよく分かるものですが、
中でも「TONIGHT」という曲は、
タンゴ風の曲調がなかなか聞かせます。
ステージで演奏すると、ますますよかった。

他に「タランタレグラ」のダンス、
「FLOWER」の変成振り付け版など、
目も耳も釘付けにされました。

例のごとく、場内は撮影禁止。
今度の席は切れ目の最前列の席だったので、
秘密撮影は出来ませんでした。

そこで、冒頭のシーン↓と

https://youtu.be/xU9ywt-ZqC8

アンコールの「FLOWER」の動画↓を掲載します。

https://youtu.be/VGbqDTz83R4

ファンの願いを3つだけ叶える「ジーニータイム」は、
大幅に時間を延長。

今度の会場はステージの奥の座席にも客を入れ、
360度の体制。
ジュンスが提案したウエイブでは、
会場の照明を落とす中、
赤色ペンライトの波が
場内を一周した後、
中央から正面席へ向かって駆け抜けるという、
見たことのない光景を現出し、
ちょっと泣きそうになりました。

横浜アリーナでの公演は2年9カ月ぶり。
良い音楽と良いダンスで、
至福の時間を過ごしました。

9月には、創作ミュージカル
「ドリアン・グレイの肖像」↓の公演があります。

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オスカー・ワイルド唯一の長編小説が
どんな風にミュージカル化されるのか、
興味津々ですが、
ジュンスによれば、
「みなさんが、ダンス・ミュージカルを望んだのですが、
適当なものがないので、
自分で創りました」
とのこと。
ダンス・ミュージカル?
どんなものが出来上がるのか。
「あの愚かな大統領がいる間は
韓国には行かない」
と言っていた禁を破ることになりそうです。



映画『神様メール』  映画関係

〔映画紹介〕
                    
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ベルギーとフランスとルクセンブルク(!)の合作。

神様はベルギーのブリュッセルのアパートに住んでいた。
そして、パソコンを駆使して世界を管理していた。
(パソコンが発明される前は、どうやって管理していたんだろうね)

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家族は女神の妻と10歳の娘エア
息子は2000年前に家出し、キリストになった。

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エアは高圧的な父を嫌い、家出を考える。
立ち入り禁止の父の部屋に忍び込んだエアは、

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全人類にそれぞれの余命を知らせるメールを送信し、
家を飛び出してしまう。
携帯電話やパソコンで余命を知った人間は混乱するが・・・

という、予想することもできない発想の映画。

まず、「神様」が、根性のねじ曲がった中年オヤジというのが面白い。
いろいろ妙な法則を作ってはパソコンで指令するが、
それがことごとく人間を困らせる意地悪なものだというのも笑える。
余命を知った人間たちは、
それぞれ反応する。
中には余命が長いことを逆手に取って、
命懸けの実験をする者もいる。
いくら自殺しようとしても、
余命があるから、ことごとく助かってしまう。

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神の部屋と俗世界をつなぐルートはコインランドリーの洗濯機。
そして、家出したエアが6人の使徒を獲得する過程が興味深い。
冷たい夫を離れてゴリラと恋をする有閑マダム、
子どもの頃以来の「殺し屋体質」からスナイパーに転身する保険屋、
セックス依存症の原因となる子どもの時の運命の出会いを果たす男、
女の子になりたい余命わずかな男の子
鳥を追って北極まで行く男・・・
変わり者ばかりだ。

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使徒を獲得するたびに、
元の家に飾ってある
「最後の晩餐」の絵の中の使徒の数が増えていく、というのも面白い。

一方、エアを追った父(神)は浮浪者扱いされ、
ウズベキスタンで強制労働にあう。

使徒を6人増やす理由が笑える。
そして、最後に女王がしたことは・・・

思いがけないクライマックスに、
心地よく酔わせてもらった。

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原題の意味は「新・新約聖書」
使徒の話は「○○の福音書」と記され、記録される。

と、遊び心満載の映画。
「八日目」を作ったジャコ・ヴァン・ドルマル監督の
豊かな発想力に裏打ちされた、珍品である。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/18WpTeyxQo8

現地ポスター↓。

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タグ: 映画

インド旅行記Dアグラ・その2  旅行関係

今日は、タージ・マハルへ。
車を降りて、↓のような乗り物に乗ります。

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こんな感じ。

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この道を行きます。

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途中に猿が棲息。

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このような列に並び、

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荷物検査。

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娘はアメを没収されました。

↓が大楼門

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赤砂岩づくりで高さ約30m。
イスラーム建築で多用される大きなアーチを持ち、
両側には八角形の太い塔が、
上部には、白い鍾乳石の型体をした11個の丸屋根があります。

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アーチの向こうに

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白い建物が

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姿を現します。

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ジャーン!

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これが、世界遺産

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タージ・マハル

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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、
亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのため建設した
総大理石の墓廟。

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インド・イスラーム文化の代表的建築です。
塔が修復中なのが残念。
美しさを損なっています。

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大楼門を振り返ったところ。

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↓がタージ・マハルの全体図

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タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地を有します。
南端の約4分の1分は前庭があり、
その北端にある大楼門を挟み広がる庭園は
一辺296mの正方形であり、
水路と遊歩道によって東西南北それぞれに2等分され、
さらにそれぞれが4つの正方形で区分されています。
その北には敷地の約4分の1を占める基壇の上に、
廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場・迎賓館があります。

↓シャー・ジャハーンと

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↓ムムターズ・マハル。

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謀反を起こした臣下の討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、
遠征先で14人目の子供を産んだ後の産褥病のため、
1631年6月7日に死亡します。
36歳でした。

死にあたり、シャー・ジャハーンが
「そなたのために世界一美しい墓を建てる」
と約束しました。
別な説では、
マハルが遺言のひとつで、
後世に残る墓を所望したともいいます。

名前の由来は不確定ながら、
王妃ムムターズ・マハルのムムが消え、
ターズがインド風発音のタージになったといいます。
ムムターズ・マハルはペルシャ語で
「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉で、
第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号。
本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムといいます。
タージ・マハルを言葉どおりに訳せば
「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になります。

1632年着工、1653年竣工。
シャー・ジャハーンは、
タージ・マハルと対をなす形でヤムナー川を挟んだ対岸に
黒大理石で出来た自身の廟を作ろうとしましたが、
自分の失脚で、この計画はに終わりました。

一説には、
タージ・マハルの建設で莫大な国費を使い、
更に新たな霊廟を建てることの反発を受け、
王位を剥奪されたともいいます。

上に上がるには、
このように、ビニールで靴を覆わなければなりません。

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そうでなければ、このように靴を脱いで、

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裸足で。

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墓廟の東側にあるのが、集会所・迎賓館

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東側から墓廟を見たところ。
墓廟は横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、
四隅が切られた変形八角形をしています。
高さは丸屋根上部までが58m
上に据えられた頂華の長さを加えると更に高くなります。
この比率はタージ・マハルが目前から見上げられる際に
威容を感じさせるためのものです。

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背後に流れるヤムナー川

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西側にあるのがモスク

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正面から中に入るための行列。

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何やらインド音楽が歌われています。

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ここからは撮影禁止。
従って写真集から借用。

シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルの記念碑

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棺のように見えますが、
実際の遺体はこのはるか数メートル下にあります。
シャー・ジャハーンは失脚後、
息子によってアグラ城塞に幽閉され、
亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら、
1666年に74歳で死去しますが、
死後は、同じ墓廟の中に埋葬することが許されたのです。

墓廟の内部に入ると丸天井は24mしかありません。
これは二重殻ドームという形式で、
外観上の丸屋根と内部の天井の間に空洞が置かれ、
屋外から見るデザインと屋内の空間との
バランスを両立させる形式です。

内部から出て、ほっとした感じ。

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設計にはイスラーム世界から広く名声を博した建築家や工芸家らが参集し、
職人はペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人ほどを集められました。

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建設期間中には、常に2万人もの人々が工事に携わりました。

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建材はインド中から1千頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、
大理石はラージャスターン地方のジャイプル産、
赤砂石はファテープル・シークリーの石切り場から運ばれました。
翡翠や水晶は遠く中国から、
トルコ石はチベットから、
サファイアや瑠璃はスリランカから、
カンラン石はエジプトから、
珊瑚や真珠貝はアラビアから、
ダイヤモンドはブンデルカンドから、
アメジストや瑪瑙はペルシャから集められました。
他にも、碧玉はパンジャーブ地方から、
ラピスラズリはアフガニスタンから、
カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから取り寄せられたものだといいます。

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大理石を削り、
そこに全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれました。
今だにはがれていない、精巧な細工です。

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ヒンドゥー教徒は墓を持たず、
遺体は火葬され遺骨や灰は川に流されます。
霊魂は永遠と考えるイスラーム教徒が持つ墓は簡素なものです。
ムガル王朝の皇帝が大きな霊廟を建てたのは、
専制君主の権勢を示す目的がありました。
しかし、権力を握っていたわけでもない
ただの王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、
他にはほとんどありません。

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彼がそれほど王妃を愛したのは、
夫が父帝や継母と対立し、
各地への転戦や逃避行中でも、
これに付き従い苦楽をともにしたことによるようです。

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その妻への愛が、
浪費とも非難される巨大建造物を建築させ、
それが、今、インド観光の目玉となり、
年間400万人(うち外国人は20万人)の観光客が訪れる
文化的遺産になるとは、誰が予想したでしょうか。

なお、開場時間は日の出から日没までですが、
満月の夜前後2日間のみ
人数制限はあるものの夜間入場が許可されています。
満月に照らされたタージ・マハルを見てみたいものです。

さらば、タージ・マハル。

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車は、次の訪問地、チャンドバオリを経て、
ジャイプールに向かいます。



小説『典獄と934人のメロス』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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典獄とは、監獄の長、
今で言う刑務所長のこと。
当時、監獄官吏は役人の中では最下層の仕事と思われ、
「獄卒」という卑しいがされていた。
本書の典獄・椎名通蔵(しいな・みちぞう)は
東京帝国大学出でありながら、
自ら典獄となることを望んだ。
陰では
「帝大を出たら、普通は判事か検事になるだろう。
典獄になったということは、
頭の悪い、無能な若造だからだ」
と言われていた。
しかし、椎名の中には、
犯罪者を処罰することより、
犯罪者を更生させ
国の役に立つ人間に育てるのだ

という理想を持っていた。

大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が発生。
震源地に近い横浜は甚大な被害を受け、
横浜刑務所の建物も塀も崩落した。

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↑関東大震災によって全壊した横浜刑務所の外塀と舎房

その状況を見て、椎名は囚人の解放を決意する。

その根拠は、監獄法第22条にあった。

「天災事変ニ際シ
監獄内ニ於テ避難ノ手段ナシト認ムルトキハ                    
在監者ヲ他所ニ護送ス可シ
若シ護送スルノイトマナキトキハ
一時之ヲ解放スルコトヲ得
解放セラレタル者ハ
監獄又ハ警察官署ニ出頭ス可シ
解放後二十四時間内ニ出頭セサルトキハ
刑法第九十七条ニ依リ処断ス」

前例がある。

1657年の明暦の大火の際、
小伝馬町の牢屋奉行である石出帯刀吉深は、
焼死が免れない立場にある罪人達を哀れみ、
大火から逃げおおせた暁には必ず戻ってくるように申し伝えた上で、
罪人達を一時的に解き放つ「切り放ち」を独断で実行した。
もし罪人が戻って来ない時は、切腹する覚悟だった。
罪人達は涙を流して吉深に感謝し、
結果的には約束通り全員が戻ってきた
吉深は罪人達を大変に義理深い者達であると評価し、
老中に死罪も含めた罪一等を減ずるように上申して、
実際に減刑が行われた。
以後この緊急時の「切り放ち」が制度化されるきっかけにもなった。
         
当時、横浜刑務所にいた囚人は1千名を越える。
そのうち、地震で亡くなった者、
病気で動けない者、
特に行き場がなく、刑務所に留まることを希望した者を残し、
934名を解放した。
本書は、その934名が約束を守って帰って来るかの軌跡を追う。
まさに「934名のメロス」である。

解放に際しての看守部長の発言。

「われらは自信をもって彼らを信頼します。
それに対し、彼らは信頼に応えるでしょう。
それは、解放が囚人たちを信頼している何よりの証(あかし)だからです。
二十四時間が還ってこない者は、
かなりの数にのぼるかもしれません。
しかし、信頼された事実があるのですから
犯罪には手を染めないと思います。
日頃、囚人と心を通わせているわれわれは
今回の典獄殿の決断に
衷心より感謝申し上げます」

衛生状態の改善のために、
刑務所内に便所を作るためにスコップとツルハシを調達しようとし、
市内の工務店を回って断られた後、
快く応じてくれた工務店主との会話。

「商売道具なのに、いいんですか。
他のところじゃ『金のなる木』だからと断られました」
「人が生きるか死ぬかの難儀をしているときに、
それを金儲けの種と考えるような
下衆な性根は持ち合わせていないよ」

船からの荷揚げ作業を依頼され、
賃金を支払うと言われた時の椎名の回答。

「それは辞退します。
賃金をもらっても国庫に入るだけで
受刑者には渡せません。
懲役刑という刑罰の宿命です。
奉仕だから意義があります。
囚われの身で
人様のお役に立てることが
なによりの喜びなのです」

これについては、

受刑者を更生させる最良の処遇は
社会への貢献と、
それに対する評価である

とも言う。

その他、名古屋刑務所が300人の囚人の受け入れの申し出、
他の刑務所の囚人の義援金の申し出など、
感動的な挿話は事欠かない。
いざという時、
公のために役立ちたい
という
日本人の長所がよくあらわれている。

名古屋刑務所の対応。

受刑者たちもまた
二つ返事で被災地・横浜刑務所の囚人受け入れに協力を誓った。
今まで6人で使っていた雑居房は11人で使い、
それでも足りなければ独房も二人部屋になることを覚悟した。
それだけではない。
1500名の囚人たちは全員、
東京と横浜の被災者への募金を申し出たのだ。
それは月々計算される
作業賞与金からの醵出であった。

名古屋刑務所に囚人を送る際の椎名の訓示。

「解放という一時釈放と
荷役奉仕を経験された諸君。
これらはこれから先、諸君が歩む人生において
貴重な財産になるはずだ。
今こうして私たちは生かされていることを深く自覚している。
この命を大事に使い、
世のため人のためになるように、
これから努力しようではないか。
塀のない横浜刑務所の記録は、
将来必ず活かされる。
いつの日にか塀のない刑務所ができるだろう。
君たちが秩序を守ってくれたからだ」


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↑大正12年9月8日午前6時半、
受刑者たちを集め、
名古屋刑務所移送について訓示する椎名典獄
(写真右、一段上に立つ白い制服)

横浜刑務所の解放に対する資料は大変少ない。
その中から、
横浜の震災の被害に焦点を当て、
解放の記録を描写した本書の意義は大きい。

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↑地図の中央を流れているのが堀割川で、
それに面する四角いエリアが横浜刑務所





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