ドキュメント『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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以前、ウズベキスタン旅行記で
第2次大戦で捕虜になった日本兵たちが
タシケントのナボイ劇場の建設に従事したことを紹介したが、
この本は、
その題材を追ったドキュメント。

筆者は嶌信彦氏。

敗戦でソ連の捕虜になった時から始めて、
タシケントへの移送、
そこでの劇場建設への従事の様子と
帰国まで、
丁寧に事実を拾い上げた労作である。

日本人捕虜60万人を労働に従事させた背景には、
ソ連か第2次大戦で沢山の男の労働力を失ったという事情があり、
労働力不足を日本をはじめドイツ、東欧などの捕虜を
労働に活用する方針が
スターリンによって打ち出されていた。

ソ連は第2次大戦で約2000万人を失い
経済と国土は疲弊しきっていた。
そこへ約60万人にのぼる日本兵が満州に残り、
捕虜とすることができた。
ソ連がこの日本人の労働力、
あるいは頭脳力を使わない手はないと
考えるのは不思議ではなかった。
多くはシベリアや極東地区の労働力として活用し、
ソ連のインフラ整備に充てる腹づもりだった。
シベリア抑留者が
鉄道や道路、港湾、木材伐採、橋や建物の建設労働に充てられたのである。

つまり、無料の労働力として使おうというのだ。
いくら戦勝国としても、国際法違反である。
その上、ソ連は日ソ不可侵条約を破って、
もはや死に体だった日本に襲いかかったのだから
卑怯この上ない。

ウズベキスタンには約3万人の日本人が連行されたという。
極寒のシベリアでないだけ幸運だったといえよう。
オペラハウス建設に従事したのは457人
旧陸軍航空部隊の工兵たちが主だった。
隊長は永田行夫大尉。

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当時まだ24歳の若さである。
しかし、統率能力、交渉能力に長けたこの人物がいたからこそ、
建設業務が完遂したことがよく分かる。

永田が隊員を前にした訓示。

「我々の仕事は劇場を建設することだが、
最も重要な使命は
全員が無事に健康な状態で
日本へ帰国し家族と再会することだということを
全員肝に命じて欲しい。
そのためにはいろいろ不満や不安なことが出てくると思うが、
全員で協力しあって
皆で日本へのダモイ(帰国)を実現することに
気持ちを一つにしてほしい」

この「全員の日本への帰国」を目標にしたことで、
永田の姿勢はぶれないのである。

社会主義国の捕虜管理の仕方は、
ノルマの達成度合いで食事の量に差をつけることである。
そのことは仕事のきつさの不公平感などで
隊員の間に反目を呼ぶことに気づいた永田は、
沢山食料をもらった兵隊が
少ししか配給を受けなかった兵隊に分け与える、
という方法で解決する。
当然、方針と違う収容所側は咎めるが、
それを「一旦受け取ったものは自由に処分していいはずだ」
と主張して認めさせたりもする。

収容所所長のアナポリスキーにも、
「日本で仕事をする時に最も大事なことは“和”だ」
ということを認識させる。
                                        
永田の隊員への言葉。

「手抜きをしたり、いい加減なやり方で
恰好をつけた建物にすることもできると思うが、
私はソ連の歴史に残るオペラハウスとなる以上、
日本人の誇りと意地にかけても最良のものを作りたいと思っている。
捕虜としてやるのだから
別にそこまで力を入れなくても良いだろう、
という意見もあるだろう。
しかし私の気持ちとしては、
後の世に笑われるような建築物にはしたくないと考えている。
さすが日本人たちの建設したものは
“出来が違う”といわれるものにしたいと
本気で思っている」

この姿勢が、いかにも日本人らしい。

朝6時起床、洗面、掃除後点呼して7時から朝食、
仕事は8時作業開始。
正午に劇場近くにある収容所に戻って昼食、
1時から再び劇場で作業、
5時に作業終了となり、
午後6時から夕食で、
後は自由時間。
9時に消灯。
という日課もなかなかのものだ。
休日は日曜と元旦、メーデー、革命記念日。

自由時間の使い方も面白い。
将棋の駒や碁石を作って夕食後に楽しむ。
花札やトランプに始まり、
麻雀パイを器用に作って遊ぶ者も出て来る。
麻雀やトランプ、花札が流行りだしてから
所内の雰囲気が良くなったというから、
人間は娯楽がないと生きられない動物なのだと分かる。
バイオリンも作り、日本の曲を演奏すると、
皆涙を流す。
演芸隊、音楽隊、合唱隊が出来て、演芸大会を開くまでになる。

シベリアでは収容所内に民主運動と称する
共産主義教育が始まったが、
永田の第4収容所では運動が広がらなかった。

一緒に仕事をしていたウズベク人との会話。

「日本人は自国にいても、
みんな仕事に熱心で
そんなに器用なのか。
近くの収容所にいるドイツやイタリアの捕虜は、
いつもサボって真面目に働こうとしていないよ」
「いや、日本人もいろいろいるさ。
ただ、日本の教育は、
学校でも家庭でも
“真面目に勉強し働きなさい”
“ウソはつくな”
“約束の時間はきちんと守れ”
“目上の人の経験や話はまずちゃんと聞け”
“仕事はみんなで協力してやりなさい”
“わからないことがあったら、恥ずかしがらずに周りの人に聞きなさい”
などと教えられてきたからな」

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劇場が完成し、
帰国の日が近づいた時、
永田がした“最後の仕事”が胸を打つ。
第4収容所に収容された日本人捕虜の
名前と住所を暗記したのだ。
紙に書いて持ち帰られればいいが、
帰国船に乗る時の身体検査で見つかる可能性もある。
スパイ容疑をかけられるかもしれない。
そこで、永田は全ての隊員の名前と住所を記憶に留めたのである。
名前はまだしも、住所の記憶は大変で、
特に田舎の住所は「大字○○字○○」と長ったらしい。
最初の100人は大変だったが、
100人を越えると、次からは割合楽だったという。

舞鶴港に着くと、
一日も早く故郷を目指す隊員たちと離れ、
永田だけは舞鶴の宿に泊まり、
記憶が薄れないうちに、
隊員たちの名簿作りに没頭したという。
後々まで残る「第4ラーゲル会」の名簿である。
自宅に帰り着くと、
早速隊員たちや留守宅に手紙を出し、
第1回の会合は帰国1年後の昭和24年に早くも会合を開いている。
その後は毎年1回、
永田が亡くなる直前の平成21年まで「第4ラーゲル会」は開かれた。

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1966年4月26日、
タシケントを直下型大地震が襲った。
タシケントの街がほぼ全壊する中、
あのナボイ劇場だけが、
ほとんど壊れることなく、
悠然と堂々と建ち続けていた。
「さすがナボイ劇場だ。
あの時働いていた日本人の労働、
技術は本当に素晴らしかったんだ」
という声がタシケント中に広がって行ったという。

劇場脇の外壁には記念プレートが埋め込まれている。
そのプレートには、
ウブベキスタン語とロシア語、英語で
「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていた。
しかしこれを見た独立(1991年)後のカリモフ大統領
「ウズベキスタンは日本と戦争をしたことがないし、
ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」
と指摘した上で
「捕虜」という言葉を使うのはふさわしくないと
1996年にプレートを作り変えさせた。
その文言は次のとおり。
「1945年から1946年にかけて
極東から強制移送された数百名の日本国民が、
このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、
その完成に貢献した」
文章はまずウズベク語が記され、
次いで日本語、英語、ロシア語の順に刻まれた。

ウズベキスタン独立10年の2001年、
團伊玖磨作曲のオペラ「夕鶴」が
ナボイ劇場で上演された。
公演が終わると、永田さんら元抑留者が
「この方たちがナボイ劇場の建設に関わった方たちです」
と紹介され、
観客全員が総立ちになり、万雷の拍手となったという。

日本人の勤勉さ、実直さ、誠実さが発揮された
シルクロードの町での
劇場建設の逸話。
日本人として誇りが持てる話である。

晩年の永田行夫氏。

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タシケントを訪問した時の旅行記は↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20160608/archive



映画『ヒメアノ〜ル』  映画関係

〔映画紹介〕

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この映画、メインタイトルが出るまで40分かかる。
前半はタイトル前の前振りのようなものらしい。
それほど前半と後半で内容が変わる

前半は、ビル清掃の岡田の日常。
同じ毎日の繰り返しで焦燥感を抱く岡田は、
「恋に生きる」という同僚の安藤から
カフェの店員ユカとの恋の橋渡し役を頼まれる。
何とかダブルデイトまで持ち込むものの、
ユカから好きだと告白された岡田は、
安藤の目を盗んでユカと付き合う。

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一方、ユカのカフェで岡田と再会した高校時代の同級生・森田は、
ある事件をネタに脅迫していた
同級生の和草とそのフィアンセに殺されそうになり、
逆に撲殺してしまい、その結果・・・

というわけで、前半と後半はがらりと違った展開になる。

前半は、ネジが一本外れてしまったような安藤に振り回される岡田。
この日常が妙にすっとぽけた味で笑いを誘う。
岡田の濱田岳も同僚のムロツヨシも適役。
特にムロツヨシはこの手の役をやらせたら、最強だ。

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後半はエスカレートする森田の殺人行脚。
二人を撲殺した後、
たまたま駅でうさんくさい目で見られたOLのアパートに押し込んで殺し、
エリート社員の一戸建てに侵入して妻とその夫を殺し・・・

帰宅した夫の前で平然とカレーを食べていた森田が凶行に及び、
夫を刺殺した後、すぐにテーブルに戻って残りのカレーを食べる場面など、
森田の異常性をあますところなく浮き彫りにする。
不審を感じてやって来た警官を殺し、
銃を奪った森田は、
ユカの行方を追い、
岡田のアパートにやって来るが・・・

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一体何人殺されたか。
7人? 8人?
「これ以上罪を重ねるな」という岡田に
森田は「どうせ死刑だから同じだ」と吐き捨てる。

終盤、高校時代のある出来事で
岡田の中に森田に対する罪悪感があることが分かる。
このあたりは、ちょっと泣かせる。

スピード感にあふれ、
笑いと残虐さが心地よくブレンドされた
ちょっと日本映画ではお目にかかれなかった作品だ。
殺人者を、まるで本人であるかのように演ずる森田剛の演技が見物。
蜷川演出や劇団新感線で鍛えられた賜物か。
役名との一致はたまたま。

監督は吉田恵輔
岡田とユカのセックス描写と
森田の撲殺シーンをカットバックさせた演出が出色。

コミックが原作。

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5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/bFgLQGyKn9I

題名の「ヒメアノール」の
“アノール”とはトカゲの1種で、
イグアナ科アノール属に含まれるトカゲの総称。
165種ほどがある。
ヒメアノール=ヒメトカゲとなるが、
“ヒメトカゲ”とは体長10cmほどで
猛禽類のエサになる小型爬虫類。
つまり、“ヒメアノ〜ル”とは強者の餌となる弱者を意味する。

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選挙の結果と都知事選  政治関係

参議院議員選挙は、
与党の圧勝で終わった。
改選議員の過半数を与党が取り、
改憲勢力は3分の2を確保、
しかし、自民党単独過半数は阻止するという、
なかなかの日本国民のバランス感覚を見せた結果となった。

野党は「アベノミクスは失敗した」と宣伝したが、
国民の選択は、
「当面、アベノミクスに期待する」というもの。
20年も続いた病み上がりの日本経済を建て直すのに、
3、4年で回復出来ると言う方が甘い。
「道半ば」ということを容認したということだろう。
大企業の業績回復の恩恵が中小企業まで及ぶこと、
都会の回復が地方にまで及ぶこと、
これが今後の課題で、
真価が問われるのは、
次の衆議院選挙
その時には、「道半ば」という理屈は通用しない。

野党は代案を出せず、
ケチを付けるのみ。
なによりも民主党時代の
あの停滞感の記憶はなかなか払拭できるものではない。
よく31議席も取れたものだというのが実感。

野党は「3分の2を阻止する」としていたが、
これは、安倍政権が憲法改正の発議の条件を緩和しようとした時、
「だったら、3分の2を取ればいいじゃないか」
と野党が言ったことを実行しただけ。

議論がおかしいのは、
野党側には「憲法改正をさせてはいけない」という前提があることで、
法令は時代背景の変化によって変わるものであって、
現行憲法を金科玉条とするのは、そもそもおかしい。
世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正している。
主要国を見ても、
戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、
イタリアは15回、ドイツに至っては58回
も憲法改正を行なっている。
日本は戦後一回も改正しておらず、
「世界最古の憲法」と呼ばれている。

それというのも、
現行憲法を「平和憲法」と呼ぶ人々がいるからで、
憲法前文の
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」
という文言一つでも、現実と乖離しているといわざるを得ない。
中国の動向、北朝鮮の存在が
「公正と信義に信頼」出来るものかどうか、
考えてみたらいい。

出口調査で、憲法について、
「改正すべき」「改正すべきでない」「どちらとも言えない」
がきれいに3分の1ずつとなっている。
つまり、憲法改正はこれからの議論に委ねるべきなのだ。
憲法改正部分を示して議論して、
国民の理解を求め、
いけるとなれば3分の2を行使して発議すればいいのだし、
その後には国民投票が待っている。
改正内容によっては国民が「賛成」するものもあるし、
「反対」するものもあるだろう。

そのように、それこそ憲法の定めに従って実行すればいいのであって、
それを憲法改正そのものが悪というような
野党の硬直した思考こそ、
日本のためにならないだろう。

今度の選挙で残念だったのは、
社民党が1議席獲得してしまったことで、
まさにゴリゴリの時代遅れの「護憲政党」が
政治の世界から姿を消すことを楽しみにしている者としては、
結果に失望した。
どうやら、国民の中に一定のファンがいるらしい。
ただ、比例代表で吉田党首をさしおいて
副党首である福島瑞穂が当選、
というのも、支持者は納得するのだろうか。
それこそ非礼代表にならねばいいが。


東京では引き続いて都知事選挙が行われる。
忙しいことだ。
小池百合子さんが旋風の目となっているが、
この人、自民党都連に事前に筋を通しておけばよかったと思うのだが。
「根回し」は政治の世界だけでなく、日本社会の基本中の基本ではないか。
その意味で、政治家としてのセンスを疑う。
今になって「都連はブラックボックス」などと烙印を押し、
「誰が、どこで決めているのか分からない」と言っている。
幹部会で決めているが、
副会長である自分が呼ばれておらず、
少数で物事を決めているのだという。
それは都連の内規の問題で、
自分が呼ばれなかったから「ブラックホックス」と言うのでは、
単なる不平不満。
全ての組織が成り立たなくなる。
どんな組織も、責任ある立場の人たちが集まって物事を決めているのであって、
それが気に入らないなら、
全ての会議を総会形式でしなければならなくなってしまうではないか。

「冒頭解散」というのも、おかしな話で、
小池さんが都知事になった暁に不信任案を出させ、
それに対応する形で都議会を解散するのだという。
しかし、直近の選挙で都民によって選ばれた知事に対して
不信任案を出すことなど、どう考えても筋が通らない。
となれば、この「冒頭解散」は画餅、すなわち絵に書いた餅である。
実現不可能なことを公約に掲げるのなど信義にもとることではないか。
それに、解散・選挙を嫌う議員心理を逆撫でする、このやり方、
政治家のすることとは思えない。

4年後、オリンピックの時期と都知事選挙が重なることを避けるために、
3年半の時点で辞任し、
前倒しで選挙を行うとも言っている。
しかし、知事が辞任しての再選挙で同じ知事が選ばれた場合は、
任期が継続したものとみなされ、
4年の任期満了時点、つまりオリンピック時期の選挙は不可避となる。
もっとも、再選挙に立候補しないというなら別だが。

私は2008年の自民党総裁選挙
立候補者が一堂に会して話を聞く機会があったが、
麻生太郎、与謝野馨、石原伸晃、石破茂らに交じって発言した
小池さんの話を聞いて、
「ああ、内容のない人だな」
と感じた記憶がある。
石原伸晃に対しても同じ感想だった。
ちなみに、その時、聴衆の心を鷲掴みにしたのは石破さんだった。
国を思う心情に撃たれた。
会場をシーンとさせるだけの「言葉の力」を持っていた。
失礼だが、「ああ、この人の顔、特に目つきがもう少し良ければ」と
嘆いたものだった。

どうやら自民党は増田寛也元岩手県知事・元総務大臣の擁立を決めたようだが、
この増田という人、
福田内閣総務大臣時代に、
東京一極集中ではなく疲弊する地方経済を救済する目的で、
東京など税収の多い地域に対して
「地方交付税特別枠」という
東京に納まるはずの税金をほかの道県に流す制度を作った人だ。

増田さんのこの方針、制度のおかげで
東京都は過去7年間累計で1兆円以上の税収を失った。
この暫定措置は、消費税10%への引き上げが再延期されたことで
取り止める口実がなくなり、
そのまま地方税一部国税化拡大という方針に繋がっていった。
このため、東京に納まるべき税金が
日本の他の地方の道県(交付団体)へ、
年間約5800億円も流れ出てしまう状況に陥った。

東京はお金持ちだから、
多少地方に回してもいいじゃないか、
という意見もあろうが、
しかし、東京は人口が多い。
それだけの費用がかかるのだ。
今後、高齢化に直面する東京都にとって、
これらの予算が都税に繰り入れられないため、
喫緊の課題であるはずの育児、教育、高齢化対策、
交通渋滞や通勤電車混雑の緩和、
首都高ほかインフラの耐震化に使えなくなる。

これらの東京に著しく不利な政策を導いたのは、
「東京一極集中」を長く批判してきた増田さんに他ならない。

そのような「前科」のある人が都知事になって、
都民の利益を本当に守れるのだろうか。

石田純一は論外。
こんな人を担いだら民進党は恥をかくところだった。
ようやく立候補を断念したが、
CMの違約金で「天文学的な金額」が請求されているという。
しかし、聞いてみれば、数千万円の額。
これが「天文学的」とは・・。

民進党は、前神奈川県知事の松沢成文参院議員(無所属)、
元経済産業省官僚の古賀茂明氏を軸に人選を進める考えを示している。

帯に短し、襷に長し。
人材不足ですな。


図書館の映画鑑賞会  わが町・浦安

今日、昼過ぎ、浦安市立図書館に出かけ、

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「名作映画鑑賞会」に参加しました。

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会場は視聴覚室。

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こういう会場。

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席は100。
予約なしで先着順です。
つまり、満員になることはないのでしょう。
今日も30名少々でした。
もちろん全員高齢者。

「今日、寝ちゃうかもしれないわ」
「寝なさい、寝なさい」
「昨日3時まで寝れなくて」
「いろいろ考えちゃって?」
「そうなの、そうなの」

とか、

「老人ホームでもやってるわよ、月1回」
「あら、そうなの」
「日本映画ばかり。
それに年寄り相手だから、音がすごく大きいの」

とか、

「私、映画ファンだから。
舞浜の映画館に年1度くらい行くわ」
(映画ファンなのに、年1度とは・・・)
「それに、私、歳だから、千円で見られるし」
(今は、1100円ですよ。
いつから行ってないんですか)

などという会話が聞こえます。
話しているのは、女性のみ。
一人参加の男性は全員だんまり。

映像はビデオ上映

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プロジェクターは、天井に備えつけ。

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今日の作品は「地下鉄のザジ」

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フランスのルイ・マル監督(1932〜1995)による1960年の作品。

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2009年にリバイバルされています。

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ルイ・マル監督は「死刑台のエレベーター」
25歳の時、衝撃的な長編映画監督デビューを果たした人。
ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の旗手とされています。

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フランスの詩人・小説家であるレーモン・クノーによる小説を映画化。

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田舎からパリに出て来た10歳の少女ザジの目的は
地下鉄に乗ること。
しかし、ストライキで運行していない。
地下鉄の走ってパリをザジの冒険が始まる・・・。

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日本では1961年に公開。
私は中学1年の時、この映画を見て、
当時友人が持っていた8ミリカメラで、
ちょっとモノマネ風の映画を撮ったりしていました。

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つまり、55年ぶりの対面
今まで図書館で映画鑑賞会をしていたのは知っていましたが、
観た映画が多く、
今回初めて参加したのは、
「地下鉄のザジ」を観るためでした。

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再度観た感想は・・ちっとも面白くなかった
「少女ザジが町をさまよう様子を
シュールレアリスム的でスラップスティックな表現で描いている」
と解説にありますが、
スラップスティックであれば、
ハチャメチャが許される、
というような甘えが随所に見られ、
監督の思いつきばりが目立って、
楽しめませんでした。

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後続の「アメリ」や「神様メール」のような
監督のセンスに裏打ちされた作品とは違います。
ヌーベル・ヴァーグの一つとして
当時もてはやされたのですが、
時代の進化には勝てなかったようです。

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上映終了後、
集まった高齢者たちは
キツネにつままれたような顔をして帰って行きました。

来月以降のラインナップ。

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どうやら特別な傾向はないようですが、
どんな人が、どのようにして作品を選定しているのか興味津々。

なお、図書館における映画上映は、
著作権法第31条第1項の規程により、
「営利を目的としない事業」として、許されています。

更に、図書館での映画上映は、
図書館団体である社団法人日本図書館協会と
社団法人日本映像ソフト協会との間で
1998年に、
上映・視聴に関する合意がなされ、
図書館にある映画は著作権処理済みとなっており、
一般の映画館、レンタル店などの妨害に成らない範囲での
上映会が認められています。


インド旅行記Eチャンド・バオリ  旅行関係

車は、次の訪問地、ジャイプールに向かいます。

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時々、牛に行く手をはばまれます。

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これは牛の行列。

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山羊(?)たちも平然と道を横断します。

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危ない乗り方ですが、インドでは当たり前。

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これは、日本人観光客を乗せています。

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時々、こうした町が現れます。

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車は、脇の田舎道へ。

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こんな店のある

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ここは、

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チャンド・バオリ

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入ってびっくり。

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この幾何学模様の建造物の正体は、

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井戸です。

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インドにはこのような階段井戸(step well)がいくつかありますが、
チャンド・バオリは、その中でも最大級。

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階段の総数は3500段、
階数は13階で
深さは100フィート(約30メートル)に達します。

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この階段を降りて、

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地元の人が水汲みに行ったようです。

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宗教儀式もしたようで、

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ここには、

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様々な石像の遺物が並んでいます。

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こちらにも。

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9世紀頃、インドが
イスラム系諸王朝に支配され始める前の
最後の時代(諸王朝が割拠した時代)に造られました。

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とにかく酷暑の地ですので、

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水の確保が大切。

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そのために、水源を求めて、
地下へ地下へと掘り進んだのでしょう。

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その結果が、この幾何学模様。

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まさに、天下の奇観。

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柵が設けられているので、
下に降りられないのが残念。

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こらこら、柵を乗り越えては駄目ですよ。

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この奇観を映画が見逃すはずはなく、

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映画の撮影に使われ、
バットマンの「ダークナイト ライジング」↓や

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「落下の王国」↓など

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幾つかの映画の中で見ることができます。

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珍しいものを見せてもらいました。

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動画を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/F6u7MISa8t4

さて、再び道路へ。

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インドに来て、初めて山らしきものを見ました。

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トンネルもあります。

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ジャイプールに着きました。

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