浦安三社祭  わが町・浦安

6月17日から19日までの3日間、
浦安では、三社祭が開催されています。

浦安は湾岸道路をはさんで北と南で
旧市街と新市街に分かれますが、
新市街には神社は一つもありません。
埋め立て地だから当然です。

三社祭とは、
旧市街に古くからある
豊受神社、清瀧神社、稲荷神社が合同で
4年に一度開かれる「浦安三社例大祭」のこと。

旧市街は町ごとお祭ムードになります。

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ここが豊受神社(とようけじんじゃ)。

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1157年(保元2年)創建というから、相当古い。
ご祭神は、
食物や穀物の神である豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)で、
五穀豊穣や無病息災、延命長寿を司る神社として
信仰を集めています。

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祭の舞台のお囃子。
練習したんでしょうね。

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本殿の脇にある岩山。

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日本の神社は、
神社の中に神社があるのが特徴。

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周辺には夜店が並びます。

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2015年調べで、
全国の神社の数は7万9千335

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これはコンビニの数(5万2千397)より多い。

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神輿のルートは、
↓のように新聞に発表されているので、
それを辿ると、

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はい、出会えました。

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5基の宮神輿を中心に
100基前後の町内神輿が繰り出します。

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これは、浅草の三社祭とほぼ同規模です。

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神輿を出すのは、
「町会」や「町内会」と呼ばれる、氏子の組織

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自治会が警備や運営に協力しています。

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神輿の起源がユダヤの「十戒」にある、という説を紹介したブログは、
↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20060813/archive

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その説の動画は、↓をクリック。

https://youtu.be/C0sSxhynxSA

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通りは、これこのとおり。

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各所に休憩所が設けられ、

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冷たい飲み物が用意されています。

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到着を待つ人々。

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すぐに飲み物や食べ物がふるまわれます。

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色とりどりの、担ぎ手衣装。

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ここは、清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)。

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1196年(建久4年)創建。
ご祭神は、海の神である大綿積神(おおわたづみのみこと)で、
海路安全や漁業繁栄を司る神社として、
浦安漁民の信仰を集めました。

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ここにも夜店が出店。

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かき氷は、シロップかけ放題。

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あっ、これは

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私の大好物、イカだ!

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我慢出来ず、購入。

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寄付者リスト。

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その周辺でも、地図を辿って、神輿と遭遇。

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よくこんなに担ぎ手が現れるものです。

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氏子組織の底力でしょうか。
それとも日本人のDNAが騒ぐのか。

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ここは、稲荷神社

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1689年(元禄2年)に、
小岩の善養寺から移されました。
ご祭神は、食物や穀物の神である
豊受大神(とようけのおおかみ)で、
商売繁盛や病気平癒を司る神社として
信仰を集めていました。

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浦安の市川市との境にあり、
私は40年浦安に住んでいても、
来たのは今日が初めてです。

ここでも、神社イン神社。

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神輿に遭遇。

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子ども神輿。

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帰途、河口方面を望む。

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祭を祝って、味のある夕焼けが。

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浦安三社祭、明日も続きます。


インド旅行記@ビザ取得とデリーからベナレスへ  旅行関係

さて、インドに旅行するためには、
ビザを取得しなければなりません。
これがなかなかの難物
ある旅行サイトには、
「インドのビザは世界一取得がめんどくさく、チェックが厳しく、
なおかつ分かりにくいことで有名です。
インド渡航前に日本でインドビザ申請センターへ
書類不備のために3回も行った苦い記憶があります。
ビザセンターでは、種類不備で帰される人、
会社への報告に追われた社会人の方が
多くいらっしゃいました」
と書いてあります。

旅行会社に委託することもできますが、
1万円ほどかかるので、
自力でやることにしました。
それに、ウズベキスタン旅行がインド旅行の直前にあり、
ビザ申請に時間がかかって、
パスポートが戻らない、
などということがあっては、
ウズベキスタン旅行までもが
なくなってしまう恐れがあったからです。

インドビザを取得するには、
インドビザ申請センターのホームページにアクセスして、
申請書を作製しなければなりません。
パソコンのない方、使えない方はどうすればいのでしょうか。
その場合は旅行会社を通じてやれということなのでしょうか。

パソコンで申請書のフォームを呼び出し、
そこに記入していきます。
↓がその画面。
赤いポチがついているのが、必須項目。

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全部、英語。
英語の分からない人は、ここで脱落して、
結局旅行会社に頼むことになりそうです。
アメリカのESTAの申請フォームは日本語ですから、
インドのビザ申請はその点でも不親切。

記入項目は多岐に渡り、
氏名・生年月日・出生地などに交じって、
「識別できる身体上の目印」などというのがあります。
「頬に傷がある」などと書いたら、ヤクザと思われるのでしょうか。
両親の姓名・国籍・前国籍・出生地・出生国も書かなければなりません。
国籍は「生まれつき」(By Birth)か「帰化している」(Nationalization)の選別があります。
「叔父・叔母にパキスタン国籍の方はいますか」
「軍隊に勤めているか」などという質問もあります。
「以前インドを訪れたことはありますか」というのも。
そして、「最近10年以内に訪れた国」というのもあり、
「うえー」と思いながら、リストに基づき全部記入したところ、
後で確認画面に進むと
「100文字以内にせよ」だと。
最初からそう書いてくれよ。
しかし、「10年」なんて長さが必要なのか。
「過去3年間に、アフガニスタン・バングラデシュ・
スリランカ・ネパールへの渡航履歴がありますか」
というので、
「スリランカ」と記入。
配偶者の「国籍」に続いて「前国籍」という欄もあります。

全部記入して、
確認画面で確認し、

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認証ボタンをクリックすると、
それまで記入したことが反映された申請書の形式に変換されます。
これをプリントアウトして、

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写真(5p×5p)、パスポート、航空会社のeチケットを添付して、
ビザ発給センターへ。

発給センターの最寄り駅は
都営三田線の芝公園駅。
私は田町から歩きました。
広い通りからちょっと外れたところにあるビルへ。

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正式には「インド大使館ビザ発給センター」といいます。

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2つの部屋に別れており、
この前の部屋で順番に係のチェックを受けます。
↓このテーブルがその場所。

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脇を旅行会社の人と思われる人が顔パスで中に入っていきます。

ここのチェックで、まずほとんどの人が「書き直し」を命じられます。
脇にパソコンがあって最初から入力し直し、
プリンターで申請書を印刷して、
再申請する仕組み。
よくダウンするようです。

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私の場合は、2つの点でやり直し。
一つは「職業」欄で「UN-EMPLOYED」(無職)を選択したところ、
ここは「RETIRED」(定年退職)にした上で、
前の職場の名称・住所・電話・役職を書け、というもの。

もう一つは、入国回数を「Single」(1回)でなく、「Multiple」(複数回)にし、
期間も「2Months」(2カ月)でなく、「6Months」(6カ月)にせよと。
入国は1回しかしないつもりだし、
ビザが出てから2カ月もあれば十分、
と思って正確に書いたのに、
そのように直せ、と。
だったら、記入フォームにそう書いておいてもらいたい。
なお、料金は同じだとのこと。

脇のパソコンで入力しなおし、再提出することも可能でしたが、
委任状を作れば、娘の分も私が提出可能と判明しましたので、
家に持ち帰って、その夜、二人分作りました。

そして、翌日。
娘の申請書で問題が。
勤務先に「Designation/Rank」(役職)という欄があり、
娘は平社員で、
「必須」のマークが付いていなかったので、
空欄にしておいたところ、
ここを埋めよというのです。
「任意になっていますよ」
と言うと、とにかく書けという。
書かないと受け付けないというなら、
それは「必須」ということでしょう。
だったら、「必須」のマークを付けておいてもらいたいものだ。
しかも、こう書けと指示されたのが、
「Office Clerk」。「事務員」が役職でしょうか。
署名のあるページなので、
このまま持ち帰り。
文句を言っても仕方ない。
決定権はあちらにありますから。

浦安だからまだいいですが、
埼玉とか千葉や茨城から来た人は腹が立つでしょう。
ツイッターには、
「あそこの職員は、チェックではねつける回数に応じて
特別ボーナスが出ているんじゃないか」
と冗談を書かれていました。

翌日、訂正し、娘の署名を書いたもので再提出。
ようやく、奥の部屋に入れました。

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料金は1人1890円
いやな思いもしましたが、
1万円に比べれば安いものです。
結局3日かかりましたが。

おそらく、インドの日本大使館では、
「一文字違う。書き直せ」
などと日本人がインド人に対してして言ってるんでしょうね。

ネットを見たら、
インドビザ申請についての苦情というものがあり、
郵送で申請書を送ったところ、
4日後に記載に不備ありで返却されてきた。
しかし、不備とされた箇所は、
電話で申請センターに問い合わせをして、
対応してくれた方の指摘通りに作成したものだった。
郵送代、返送郵送料、申請手数料などが損失、
という経過に続いて、
次のように書いています。

「申請内容に間違いがないかどうかは
高い申請料を払って、とにかく郵送しろ。
そうすればチェックしてやる。
間違っていれば何度でも返送してやる。
その都度手数料を頂く。
旅行に間に合うかどうかなんて知ったこっちゃない」
という上段の構え。
この原始的で、正にお役所仕事というやり方。
電話で問い合わせをしても、嘘の回答をして、
少しでも手数料を稼いでやろうと考えているのではないかと
勘ぐってしまいます。
私のこの怒りはおかしいでしょうか。
そして、もし、苦情を訴えるとしたら、
私は何処に訴えればいいのでしょうか。
同じような体験をされた方のご意見、
また、苦情を訴えたことのある方のご意見をお待ちしています」

という問いに対して、

仕方ないとあきらめるしかないです。
日本のようにきちんとしていないのには腹が立つことも多いですが
それがインドなのです。

お怒りになるのは、ごもっともですが、
日本の基準で物事を考えていてはいけません。
相手は、インド人です。

ご質問のことぐらいでお怒りになっていたら、
インド旅行は極めてストレスフルなものになるでしょう。
お仕事などであれば仕方ありませんが、
再検討が可能であれば、
精神衛生上、インドへのご旅行は考え直した方が宜しいかと思います。

行く前からイラっとしてたら、
インドのいい加減さに付いていけませんよ!
インド人、良い人は良いですが、
大体、嘘つきですし、
時間にもお金にもルーズです。
私達日本人の性分とは全く違いますので、
ビザで、腹を立ててるようでは、
インド、厳しいかもしれませんね。

そんな些細な事で腹を立てていたらインド旅行は無理です。

などという回答が並んでいました。

出発前に貴重な教訓を得た感じ。

ただ、インドのビザ申請、良いところは、
進捗状況がネットで確認できること。
ビザ申請センターのサイトだけでなく、
メールで「大使館で受理。申請センターに返送した」などと
(英語で)知らせてくれます。


さて、出発当日になりました。

↓ここは、以前、身元検査のあったところ。
はて、あれはいつから無くなったのか。

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夕方からの出発だと余裕があります。

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今回は全日空なので、快適。

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夕日の中を出発。

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機内食も安心。
とろとろ玉子の鰻玉丼。

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機内エンタテインメントも豊富。
映画は全部日本語吹き替えか日本語字幕。

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日本未公開の「ジョイ」と

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「ズーランダー2」、

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それにこの時点ではまだ公開されていなかった
「レヴェナント 蘇りし者」の3本を観ました。
「レヴェナント」は後半寝てしまったので、
帰国後、で再度観るはめに。

到着前の軽食。

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飛行時間は9時間11分。

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インドと日本の間には、
3時間30分(!)の時差があります。

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インディラ・ガンジー空港のトイレ。

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美男美女が迎え、
男性トイレ、女性トイレが一目瞭然。

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外に出たのは、夜中の1時
ところが、待ち合わせとして指定された
6番出口に出迎えが来ていません!
4番、5番に行ってみましたが、
それらしい人はいない。
というか、人影まばら。
こんなことは、初めて。
うわ、自力でホテルまでいかなければならないか、と悪い予感がします。
空港からホテルまでタクシーを使った人たちの証言で、
「そのホテルは倒産した、
良いホテルを紹介する」
と別のホテルに連れていかれた話の数々。
緊急電話にかけると、
インド人の女の人が出て、
その場で連絡。
しばらくすると、
どこからか若い男の人が出現。
一体、どこにいたんだ。

それから車で30分ほど。
ホテルに着くと閉まっており、
ノックすると中から開き、
チックイン後、部屋に案内されました。
その部屋が↓。

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結構広いですが、
エアコンかものすごい音をたてます。

トイレは↓。
あのバケツは何に使うのか。

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翌朝は6時起床。
上の階の食堂。

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バイキングのようです。

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新聞紙の上というのが、何とも。

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朝からカレーです。

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ちょっと外に出てみました。

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これがホテルの外観。

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このあたりは小さなホテルが沢山あるようです。

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インドの下町。

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すさまじいクラクションの音の中を空港へ。

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インドの人が日本に来たら、
クラクションを鳴らさない静けさに驚くことでしょう。

エア・インディアでチェック・イン。

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空港の様子。

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実は、インドでは、空港、駅、港、軍事施設、祈りの場所などでは撮影禁止ですが、
誰も何も言いませんでした。

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ベナレスへ。

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国内線ですから、
インド人が多い。
当たり前。

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1時間のフライトなのに、食事が出ました。
東京〜大阪間で食事が出るようで、不思議。

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ベナレス。

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ベナレス空港。

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今度はちゃんと出迎えが来て、市内に向かいます。

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ビービービービーとクラクションを鳴らすのは、同じ。

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田舎に来た、という感じです。

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にぎやかな町中に。

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何を揚げているのか。

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この通路に荷物を引きずりながら、入ります。

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PALACE ON STEPSというのが、
今日泊まるホテル。

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井戸があります。

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道路には、犬や

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山羊や

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牛が寝ています。

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5つほど角を曲がった時点で、
道を覚えることを断念。
表通りから10分ほど歩いて、ホテルに着きました。
迷路みたいで、
絶対一人では辿り着けません。

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ホテルというより、ゲストハウス
調べてみたら、1500円程度で泊まれます。

インドでは、↓こういう宿帳に記入します。

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部屋。

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ここもエアコンがうるさい。

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この部屋、電気のスイッチの接触が悪く、
すぐ消えてしまいます。
そこで、バンドエイドで補強。

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ヤモリが同居。

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これが部屋の鍵。

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おっ、窓の向こうは?

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ガンジス河だ!

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申し訳程度のテラスがあって、

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河が見渡せます。

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上階のレストラン。

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ここの見晴らしが最高。

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階段があるのは、沐浴のため。

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昼食は、またカレー。

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午後、観光へ。
続きは、また今度。


小説『家康、江戸を建てる』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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天正18年(1590年)、
落城間近の小田原城をながめながら、
豊臣秀吉徳川家康
関東8カ国への移封を命ずる。
現在家康が統治する駿河、三河、信濃を捨てることに
家康の重臣たちは断固反対する。
しかし、家康は国替えを受け入れる。
「関東には未来(のぞみ)がある」と言って。
家康49歳の時である。

初めて訪れた関東は、
広いことは広いが、
沼地で、どうにもならない土地だった。
そこから、家康の都市造りの計画が始まる。
その後、江戸として国の中心となり、
当時の世界一の人口を抱える都市に成長し、
やがて大東京と変貌を遂げる、
その第一歩が
家康によってはじめられたのだ。

本書は、その家康の都市造りを
5つの章で語っていく。

第1話 流れを変える
は、江戸を水浸しにしている元凶である利根川の流れを変えること。
今と違い、利根川は江戸湊(東京湾)に注いでおり、
そのため一面湿地となっていた。
その利根川の流れを東方向に変えてしまおうというのである。
そうすれば、今までの湿地が耕作地となり、
人が住むことが出来る。
広大な土地が宝の山に変わるのだ。

その大仕事を託されたのは伊奈忠次
家康直々の任命だ。
それから忠次の苦闘が始まる。

家康は最初から利根川の流れを変えることを見通していたわけではない。
関東平野をくまなく歩いたあげくの忠次の結論だった。
それから数年かかり、
仕事は息子・忠政と忠治、孫の忠克へと引き継がれていく。

まず、第一段階で東に流れる川と合流した新利根川が
現在の浦安市の猫実(ねこざね)の河口へ注ぐことになった、
と読んで、嬉しくなった。
猫実は、かつて私が住んだことがあるからだ。
そして、伊奈家4代目の忠克の時、
常陸川と赤堀川がつながり、
利根川の水は現在と同じ鹿島灘に流れ出るようになる。
家康に「地ならし」を命じられてから64年。
親子三代にわたって治水工事が完成したのである。

第2話 金貨を延べる
は、秀吉の天正大判に対して
家康が小判を鋳造し、
貨幣流通の実権を握ろうとする話。
取り立てられたのは橋本庄三郎
貨幣鋳造役の後藤家でくすぶっていた人間だった。
小判鋳造について庄三郎と話していた
家康家臣団の重鎮・大久保長安が
「いくさじゃ。これは貨幣戦争じゃ」
と言う部分に象徴されるように、
家康の慧眼はここでも光る。
また、秀吉が天下統一してしまったから、
もはや国をくれてやることは出来ず、
あとは金で天下を制するしかない、
などというところも、なるほど、とうなずかせる。
慶長小判を発行し、続いて一部金(4枚で1両に相当)が発行され、
それまでの秤量貨幣から計数貨幣に転換するなども興味深い。
今日の経済生活の習慣はこの時確立されたのだ。

第3話 飲み水を引く
は、江戸の町民のために飲み水を確保する苦労を描く。
元々は沼地だった場所だから、
水脈など走っておらず、
掘っても塩味の水しか出ないところなのだ。
きれいな飲み水を確保することは町造りでの急務だった。
ここで登用されたのは、大久保藤五郎
後に六次郎春日与右衛門が加わる。
藤五郎は水源として七井の池を発見する。
家康も現地に赴く。
この場所が後に「井の頭」と呼ばれるようになる。
水路を江戸市中に導く際、
江戸城の堀と交差する橋を作るあたりも興味深い。
後に、この橋は「水道橋」と呼ばれる。
そして、江戸の地下に木製の水路を堀る。
長屋にある井戸も、この水路から供給された水なのだ。
その取水口に堰を設け、
それが「関口」の語源となるなど、
興味は尽きない。

第4話 石垣を積む
は、江戸城の石垣としての石を産出する石切の吾平の話。
伊豆で石を切り出していた吾平が
初めて江戸に行く時の描写がなかなかいい。

たった二十年前には海だったなどということは、
(言われなきゃあ、わからねえな)
何しろ街なみが整然としていた。
道はまっすぐで幅がひろいし、
よく地固めがなされている。
藁くずひとつ落ちていない。
道の左右は町人地だが、
大工なら大工が、鍛冶屋なら鍛冶屋が、
それぞれ寄り集まって一街を形成しているらしく、
町人地にありがちな
汚くごちゃごちゃした印象はなかった。
「江戸の町人は、こんな場所に住んでいるのか」
正直うらやましかったし、
こんな光景を現実のものとしてしまった
徳川家康という男のことを、はじめて
(大したお人じゃ)
とも思ったが、

第5話 天守を起こす
は、もはや天守閣など不要、
という二代目将軍・秀忠の反対論を押し切って、
天守閣にこだわる家康の心中の話。
家康の指示の図面を受け取った大工頭が首をかしげたのは、
外壁が白ということ。
それまでの城郭は外壁は黒、が常識だったからだ。
白壁を塗るには漆喰がいる。
そのために石灰の産地を見つけなければならない。
木材も必要だ。
こうした難題をクリアしながら、天守閣は完成する。
その最上階に乗った家康が
天守閣から江戸の街を眺めての感慨がなかなかのものだ。

ふりかえれば、すべてのはじまりは
豊臣秀吉のひとことだった。
小田原攻めの陣中で、秀吉は、
──家康殿には、関八州を進呈する。
にこにこと、純粋な好意であるかのごとく言ったものだった。
──そのかわり現在の領国である東海五か国はぜんぶ差し出さっしゃれ。
美田と泥沼を交換しろというようなものである。
家臣たちは「断固反対すべし」と言いつのったし、
家康自身、そのことに心がかたむきもしたが、
結局、この国替えを受け入れたのは、
「関東には、手つかずの未来がある」
その直感の故だった。
うまく手を入れ、田をひらき、街をつくれば
関東は上方にもまさる大生産地帯になる。
大消費地になる。
その中心地として小田原ではなく
江戸をえらんだのも、
いろいろ地勢的を理由はあるけれども、
家康的には、
(手つかずの、土地)
日本史上もっとも人と米と土と金を投入した、
巨大なばくちにほかならなかった。
その大ばくちの結果が、
いま、純白の屋根ごしに眼下へひろがっているのである。
(わしの、街じゃ)
家康は、じっとしていられなかった。

「・・・われながら、ようやったわい」
入府当初はぼろぼろの城と
わずかの漁民しかなかったこの寒村が、
いまでは一大開発現場となっているのだ。
おそらく、今後もそうありつづけるのだろう。
江戸は永遠に普請中。
成長をやめる日は来ない。
そこに街があるかぎり、
槌音はひびき、道路は均され、
海は埋められつづけるのだ。

東京という世界一の街が、
家康の未来を見通す目から始まったことに感慨を覚える。
そして、その実現には、
多数の技術者が関わった。
その抜擢についても、
家康の人を見る目があったし、
それに応えようとする忠義の心があった。
いや、忠義というより、
目的に忠実な技術者の心意気と言った方がいいだろう。

荒地から一つの街が興るという
歴史的事件をつづった、
大変ためになる小説だった。



ついに辞任  政治関係

舛添要一都知事がついに辞任した。
高額海外出張費から始まり、
公用車による別荘地通い
政治資金の公私混同と広がった
一連の問題も一段落だ。

「真実が解明されていない」という声もあるが、
セコい一人の政治家が
政治資金規制法に使途の規程のないことを逆手にとって、
家族旅行の費用や会食、様々物品購入の支払いに
政治資金をあてた、というだけのことだ。
それ以上の細かい事実の究明など
もはや必要あるまい。

正月のホテルを訪れた「元新聞記者の出版社社長」も、
その氏名を明らかにできないのは、
そういう人物は存在しない、ということだ。
あれは、純粋な家族旅行だったのだ。

それにしても、教育上悪い1カ月だった。
尊敬されるべき高い地位の人は
厳しく自分を律しなければならないのに、
それをせず、
言い訳に終始する姿は、
子どもたちの心に
こんな人でも高い地位につくことが出来るんだ、
と思わせたことだろう。
そして、壊れたテープレコーダーのように
同じ言い逃れをする姿に、
なんとも言えない侮蔑を覚えたことだろう。

「第三者の厳しい目」のはずの弁護士が、
舛添知事の言い分だけを聞いて裏付け調査をせず、
「不適切だが、違法ではない」という結論に、
「へ〜え、法律って、そうなんだ」と思い、
「法律の隙間をつけば、何でも許されるんだ」
と認識したことだろう。

そして、「生まれ変わった気持ちで」と職に留まろうとする姿に、
「何をしても、本人が辞めると言わなければ、居座れるんだ」
と思ったことだろう。

「ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)」は、
「高貴な身分に伴う規範的義務」などと訳されるが、
舛添さんは、その言葉を一から学び直さなければならない。
都知事だからこそ、
税金を有効に使うために
出張旅費は少しでも少なくする努力、
公用車を与えられているからこそ、
公私をしっかり分けて運用する規律、
そして、政治資金に税金が投入されている事実を重く捉えて、
一円、一銭までも公私の使途を峻別するけじめ。

それなのに、まるで中小企業の社長のように
私的会食も家族旅行も趣味の物品購入も
領収書を全部会計責任者に投げ渡した。
「これを付けておいてくれ」と。
オーナー社長ならまだいい。
会社の利益は自分がもたらしたという自負があるからだ。
しかし、政治資金は税金が投入されているのだ。

2年前の都知事選挙で舛添さんを支援した自民党・公明党の
及び腰もいただけない。
解散になった時の都議選をおそれる気持ち、
リオ五輪、東京五輪への影響、
次の知事候補に適切な人がみつからない、などの
「大人の事情」で逡巡する姿も
こどもへの教育上は悪かった。

どうせ辞任するなら、
初期の段階で潔く辞めていれば、
あんなにもみっともない姿をさらすこともなかった。
その意味で情勢を正しく認識出来ない人だということが分かってしまった。

ようやく辞任に至ったが、
とんでもない人間を知事にしてしまった
という後悔が都民の間に広がる。
ただ、リオ五輪の閉会式で
オリッピック旗を舛添さんが受け取る姿を見ずに済む、
というだけても救いだった。
しかし、東京都知事が「政治とカネ」の問題で
2人続けて、任期なかばで辞任したという事実は消えない。

8月初頭に都知事選挙をすると、
4年後、東京オリンピックの最中に都知事選挙になってしまう、
と心配する向きがあるが、
それも、オリンピックの半年又は一年前に
都知事が辞任して信を問う都知事選をすれば済むことだ。

今回の一連の事態で
子どもたちには、
法的責任よりも
道義的責任の方が重い

ということを
誰かが教えなければならない。

舛添要一、67歳。
これからの人生をどうやって生きていくのだろうか。


インド旅行記・その前に  

世界地図を見せられて、
「インドはどこか」と聞かれたら、
まずほとんどの人が
正確にインドを指さすことが出来るだろう。

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↓インド洋に三角形に突き出たところがインドである。

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「インド亜大陸」と呼ばれるように、
大陸移動説によると、
インドは元々単独の大陸で、
プレートの移動によって北上、
ユーラシア大陸に衝突し、
そのためにヒマラヤ山脈が隆起したとされる。
現在もインド亜大陸は北上し続けている。

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動植物の類似から、
マダガスカル島と同じ地域にあったという説が有力だ。

インドは南アジア随一の面積(世界7位)と
13億1千万人(2015年)という、
世界第2位の人口を持つ大国である。
1位は中国で、
人口は13億7462万人。(面積は世界第3位)
人口は増え続け、
インドが中国を抜いて世界一の人口大国になるのは
2028年と予測され、
この時点で、インドの人口は14億5千万人に到達するという。

人口密度は中国の1平方キロ当たり145人に対して、
インドは368人
ちなみに、日本の面積は世界62位で、
人口は1億2711人で世界10位、
人口密度は340.8人。

インドは人口構成が若いのが特徴で、
2000年の中位年齢は23歳であった。
識字率は74.04%である。

英語の India は、
インダス川を意味する Indusに由来し、
もとはインダス川とそれ以東のすべての土地をさした。

イラン語派の言語ではインドのことを、
やはりインダス川に由来する Hinduka の名で呼び、
古い中国ではこれを「身毒」または「天竺」と漢字で音訳した。
初めて「印度」の字をあてたのは玄奘三蔵であるが、
玄奘はこの語をサンスクリット indu (月)に由来するとしている。

国旗は↓。

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上のサフラン(オレンジ)色はヒンドゥー教を、
また、勇気と犠牲を意味する。
緑色はイスラム教を、
白は平和と真理を意味し
両宗教の和合を表している。
中央には、アショカ王の記念塔になぞらえたチャクラ(法輪)が
デザインされている。
法輪の中の24本の線は1日24時間を意味する。
チャクラは、仏教のシンボルであるため、
上記2宗教と合わせて、世界四大宗教のうち3つが象徴されている。

○歴史

紀元前2600年頃から前1800年頃までの間に
インダス川流域に
世界四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)の一つ、
インダス文明が栄えた。

前1500年頃にインド・アーリア人が
ガンジス川流域の先住民を支配して定住生活に入った。
インド・アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした
身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成し、
それが今日に至るまでのインド社会を規定している。

紀元前317年、最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立。
これらの古代王朝の後、
5世紀に、グプタ朝が北インドを統一した。
7世紀前半頃、玄奘三蔵がヴァルダナ朝および前期チャールキヤ朝を訪れ、
ナーランダ大学で学び、657部の経典を中国(唐)へ持ち帰った。

ガズナ朝、ゴール朝、デリー・スルターン朝、
ヴィジャヤナガル王国などを経た後、
ティムール帝国の末裔であったバーブルが
ムガル帝国を立てた。
ムガルはモンゴルを意味する。
ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。
6代皇帝のアウラングゼーブは帝国の最大版図を築いた。

しかしアウラングゼーブの死後、
ムガル帝国が没落し
イギリス東インド会社が覇権を握り、
インドはイギリスの植民地となった。

日露戦争における日本の勝利
(非白人国家による白人国家に対する勝利)
などの影響を受けたこと、
民族自決の理念が高まったことに影響され、
民族運動が高揚し、
マハトマ・ガンディーの非暴力独立運動が
イギリスのインド支配を動揺させ、
1945年、イギリスでのアトリー内閣は
インドをこれ以上植民地下に置くことはできないと判断し
独立を容認することとなった。

初代首相(外相兼任)にはジャワハルラール・ネルーが就任。
1949年にインド憲法が成立し、
1950年1月26日に共和制に移行した。
紆余曲折をへて
2014年5月開票の総選挙でインド人民党が大勝して、
ナレンドラ・モディが第18代首相に就任し、
人民党政権が発足した。

国家元首は大統領だが、
実権は無く、内閣の助言に従い国務を行う。
行政府の長は首相であり、
下院議員の総選挙後に大統領が任命する。
内閣は下院議員の過半数を獲得した政党が組閣を行う。
議会は、両院制で、州代表の上院と、
国民代表の下院の二院により構成される。

中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいるため、
州政府が一定の独立性を確保している。

○経済

1991年以降、経済改革に取り組み、
特に2003年以降は概ね年間7%から9%ぐらいの
高い経済成長率を達成している。

インドの経済は、農業、工業、鉱業、
ITサービス産業と多種多様の分野に富んでいる。
労働力人口の3分の2が直接、或いは間接的に
農業で生計を立てている一方、
製造業とサービス業は急速に成長している部門であり、
インドの経済に重要な役割を担うようになってきている。
IT産業の他、自動車部品・電機・輸送機器といった分野も伸びており、
加えて産業規模は小さいものの
バイオ・医薬品といった産業の発展にインド政府は力を注いでいる。

主な貿易品目は、
輸出が石油製品、後述する農産物と海老、
輸送機器、宝飾製品や医薬品、化学品、繊維等である。
輸入は 原油・石油製品、金、機械製品等である。

労働力に関して言えば、
インドの労働力人口
2050年にかけて毎年約1%ずつ増加していくと見込まれており、
その豊富な労働力が成長の礎となることが予想されている。
また、それらの人口は将来的に
実質的な購買力を備えた消費者層(=中間層)となり、
有望な消費市場をもたらすものと考えられている。

IMFによると、
2013年のインドのGDPは1兆8706億ドル(約190兆円)と、
世界第10位である。
しかし、2011年の一人当たりのGDPは1388ドルであり、
世界平均と比較しても大幅に低い水準である。
世界銀行はインドを低所得の経済と分類している。

インドは急速な人口の成長と
経済的・社会的不平等の問題に直面している。
独立以来貧困の問題は残っている。
統計によると、2007年推定で、
インド人の25%が貧困にあえいでいるとされている。

しかし、将来性が大きく、
2050年までにインドが世界最大の経済大国になると予測されている。

○民族・言語

インド・ヨーロッパ語族、ドラヴィダ語族、オーストロアジア語族、
モンゴロイド系のシナ・チベット語族の4つに大別されるが、
人種的には約4千年前から混血している。

インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、
約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。
公用語はヒンディー語
他にインド憲法で公認されている州の言語が21あり、
インド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。
ヒンディー語圏以外では各地方の言語が日常的に話されている。

インド憲法には1950年の憲法施行後15年で
英語を公用語から除外するとしている。
しかし、15年を経過しても英語を除外することは出来ず、
公用語法において英語の使用を無期限延長することとしている。

ただし地名に関しては英語離れとでも言うべき動きが進んでおり、
ボンベイ、カルカッタ、マドラスという大都市は、
それぞれムンバイ、コルカタ、チェンナイという
現地語の名称へと公式に改められた。

○宗教

インドの人口に占める各宗教の割合は、
ヒンドゥー教徒 80.5%、
イスラム教徒  13.4%、
キリスト教徒   2.3%、
シク教徒     1.9%、
仏教徒      0.8%、
ジャイナ教徒   0.4%(2001年国勢調査)。

ヒンドゥー教徒の数はインド国内で8.3億人、
その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、
キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目。

「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、
サンスクリットでインダス川を意味する sindhu に対応するペルシア語。
「(ペルシアから見て)インダス川対岸に住む人々」の意味で用いられ、
西欧に伝わり、インドに逆輸入され定着した。

ヒンドゥー教はキリスト教やイスラム教のような、
特定の開祖によって開かれたものではなく、
インダス文明の時代から
インド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ
時代に従って変化したものと考えられている。
したがってヒンドゥー教がいつ始まったかについては見解が分かれている。

狭い意味でのヒンドゥー教は、
バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、
土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教である。
紀元前2千年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入した。
彼らは前1500年頃ヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。

紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛があり
バラモン教は変貌を迫られた。
その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化して
ヒンドゥー教へと変化して行く。
ヒンドゥー教は紀元前5〜4世紀に顕在化し始め、
紀元後4〜5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになった。
その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。

神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、
四住期に代表される生活様式、
身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだ
カースト制等を特徴とする宗教である。

三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、
中心となる3大神、すなわち
ブラフマー:宇宙の創造を司る神
ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神
シヴァ:宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神
は一体をなすとされている。

(カルマ)はサンスクリットで 本来は行為の意味。
因果思想と結合し、業はその善悪に応じて果報を与え、
死によっても失われず、
輪廻転生に伴って、代々伝えられると考えられた。

生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり、
永遠に生まれ変わり、
来世は前世の業(行為)によって決定される。
これが、因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、
輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて
一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。

ヒンドゥー教では河川崇拝が顕著であり、
水を使った沐浴の儀式が重要視されている。
特にガンジス川(ガンガー)は川の水そのものが
シヴァ神の身体を伝って流れ出て来た聖水とされ、
川自体も女神ガンガーであるため「母なる川ガンジス」として
河川崇拝の中心となっている。
ガンジス川添いには沐浴場(ガート)が設けられた聖地が点在する。
ヒンドゥー教徒は、沐浴場に設けられた石の階段を下りて
川の水に頭までつかって罪を清め、あるいは水を飲む。

ヒンドゥー教は不殺生を旨とし、
そのため肉食を忌避するので菜食主義の人が多い。
しかし、身分やしきたりによってその度合いが異なる。
一般的な菜食は植物に加えて鶏卵も可とする人と、
鶏卵を不可とする人がいる。
また上位カースト階級には、
収穫の際に地中の生物を殺す惧れのある
タマネギなどの根菜類を不可とする人もいる。
いずれの場合も牛乳および乳製品は良く食べられる。
ところが宗派によっては祭りに際し犠牲獣を供することがある。
その際、宗教儀式にしたがって神に捧げられたヤギなどの犠牲獣の肉を
「お下がり」として食べる場合もある。
しかし、どのような場合においても牛、
特に瘤牛は神話にも出てくる聖獣絶対に食べない

ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。
神話にもたびたび牛が登場し、
たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。
実社会でも牡牛は移動・運搬・農耕に用いられ、
牝牛は乳を供し、
乾燥させた牛糞は貴重な燃料(牛糞ケーキ)となる。
ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、
水牛は崇拝の対象とはならない。

ヒンドゥー教の修行としてヨーガが挙げられる。
ヨーガは、心身の鍛錬によって肉体を制御し、
精神を統一して人生究極の目的である「解脱」に至ろうとする
伝統的宗教的行方のひとつである。

インドでは人口の81.4%を占める8億2760万人、
ネパールでは人口の過半数、バングラデシュでは人口の14%、
スリランカは15%がヒンドゥー教徒である。
インドネシアのバリ島では人口の約9割が
バリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の習合宗教を奉じ、
マレーシア、シンガポールにも相当数の信者が住んでいる。
世界全体での信者数を比較してみるとヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多くなる。
信者が地域的に偏在していることもあって、
日本では世界宗教ではなく民族宗教と考えられており、
世界三大宗教の座を仏教に譲っている。

○カースト

ヒンドゥー教の特徴の中で、カースト制度の存在が大きい。
カーストは歴史的に基本的な分類(ヴァルナ)が4つ成立し、
その下に職業を世襲するジャーティ(生まれ・出生)と呼ばれる社会集団が形成されて、
例えば「牛飼い」や「大工」や「床屋」などの職業が世襲されてきた。
結果としてインドには非常に多くのカーストが存在する。
カーストは親から受け継がれ
生まれた後にカーストを変えることはできない。
ただし、現在の人生の結果によって
次の生などの生で高いカーストに上がることができるという。
現在のカーストは過去の生の結果であるから、
受け入れて人生のテーマを生きるべきだとされる。

基本的な4つのカースト(ヴァルナ)とカースト外の身分には、以下のものがある。
1.ブラフミン(バラモン)
  神聖な職についたり、儀式を行うことができる。
 「司祭」とも翻訳される。
2.クシャトリア(クシャトリヤ)
  王や貴族など武力や政治力を持つ。
 「王族」「戦士」とも翻訳される。
3.ヴァイシャ
  商業、農業、牧畜、工業及び製造業などの職業につくことができる。
  のちには主として「商人」を指すようになった。
  「市民」とも翻訳される。
4.シュードラ(スードラ)
  古代では、一般的に人が忌避する職業にしか就けなかったが、
  時代の変遷とともに、ヴァイシャおよびシュードラと
  職業の関係に変化が生じ、ヴァイシャは商売を、
  シュードラは農牧業や手工業など生産に従事する
  広汎な「大衆」を指すようになった。
  「労働者」とも翻訳される。シュードラ(スードラ)
5.ヴァルナをもたない人びと
6.ヴァルナに属さない人びと
  アウト・カーストで、アチュートという。
 「不可触賎民(アンタッチャブル)」とも翻訳される。
 1億人もの人々がアチュートとして、
 インド国内に暮らしている。

カーストの4つの分類の中には非常に細かい定義があり、
結果として非常に多くのジャーティその他のカーストが存在している。

他宗教から改宗してヒンドゥー教徒になることは可能であるが、
他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストである
シュードラにしか入ることができない。

カースト制度による差別は憲法で禁止しており、
都市部での影響は薄まっているが、
農村部では今でも影響は残っている。

○その他

広島の原爆記念日である毎年8月6日に
国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、
昭和天皇崩御の際には3日間喪に服したほどで、
インドは極めて親日的な国家である。

イギリス領だった影響から、左側通行である。

2002年の憲法改正および2009年の無償義務教育権法により、
6〜14歳の子どもに対する初等教育の義務化、無償化が図られている。
後期中等教育(日本の高等学校に相当)は2年制と4年制に分かれており、
大学へ進学するには、
4年制の高校で学ばねばならない。
インドの学校は日本などと同じ4月入学を採用している。

インド料理は、フランス料理・イタリア料理・中国料理・日本料理などと並ぶ
世界的な料理スタイルの1つである。
特徴の1つは、様々な香辛料(スパイス)を多用する事であるが、
インド亜大陸は広大であり、
地域・民族・宗教・階層などによって多くのバリエーションがある。

インド国内では各地方の言語でそれぞれ独自に映画が制作されていることもあり、
インドは世界で最も多くの年間映画制作本数を誇る国である。
また同様に音楽も各言語ごとにアーティストがおり、
独自のアルバムが制作される。各州、各言語ごとに音楽や映画の制作者が存在する。

2013年インド国内には、
ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が25件
自然遺産が7件存在する。






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