『大放言』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「かつて放言は一つの文化だった」

と、冒頭にあるように、
ちょっとした放言も
世間からのバッシングを受ける風潮に対して、
あえて放言を述べることで警鐘を鳴らそうとする本。

どこからも突っ込まれない意見や、
誰からも文句の出ない考えというものは、
実は何も言っていないのと同じだ。
鋭い意見と暴論は実は紙一重なのである。
だから、皆さん、
もう少し心を大きく持とうではないか。
放言を笑って聞くだけの
度量のある社会にしようではないか。
一見、無茶苦茶な意見に聞こえる「放言」であっても、
そこには一分の真実と魂があるはずだ。

たとえば、
「地方議員はボランティアでやれ」
「図書館は新刊本を入れるな」
などは全くそのとおり。
「チャリティー番組は誰のため?」
は、視聴者に募金を呼びかける番組が
莫大なCM収入を得て、
金儲けしている構図について意見する。
番組司会者も多額の出演料を取っている。
これがチャリティ番組と言えるのかどうか。

「少数意見を取り上げるべきか?」
では、国会で「政党」として認められるのが
所属議員数5人以上か
得票率が2%以上である政治団体、という決まり。
具体的には社民党で、
得票率2%ぎりぎり。
「少数意見を大切にしろ」という意見に対し、

たとえば中学校のクラスに50人いたら、
2%というのは、そのうちのたった1人である。
みなさんも中学時代を思い返してもらいたいのだが、
いつの時代でも50人に1人くらい
むちゃくちゃな意見を言うバカがいたはずだ。
他の49人がうんざりして、
「また、こいつがむちゃくちゃ言い出した」
という存在だ。
町内会でも50人にひとりくらいは、
どうにも対処のしようがない厄介者がいる。
2%というのは、そういう数字なのである。
たしかに「少数意見」ではあるが、
98%が「納得できない」という意見は、
切り捨てていい意見だと思う。

「本当に格差社会なのか?」では、
日本の歴史から見て、こんなに格差のない時代はない、
と論証する。
また、世界的に見ても、日本ほど格差のない社会はない、
と論証し、
そうした上で、提言する。

「現代の日本の最も大きな問題のひとつが格差社会で!」
と主張する一部の評論家や文化人やコメンテーターの
アジ演説を信じ込み、
自分たちは社会に虐げられた存在だと思い込むのは
やめようではないか。
自分を犠牲者と位置づけることで、
何かいいことが生まれるのだろうか。

中には、「日本は韓国に謝罪せよ」というのもある。
おやおや、と思って読むと、こんな調子である。

1910年、日本が朝鮮を併合して
まっさきに行ったのが、
朝鮮全土に小学校を作ったことだ。
日本が漢城(現・ソウル)に統監府を設置するまで
朝鮮には小学校は40校しかなく、
国民の文盲率は90パーセント以上だったとも言われている。
(戦前の東亜日報には、
1920年代まで文盲率80〜90パーセントという
推計記事が載っている)。
日本政府はこんなアホばかりの国民では
使い物にならないと思ったのか、
文字や基本的なことを教えるために、
多額の税金を投入して
朝鮮全土に5千2百を超える小学校を建てた。
 (中略)
小学校を義務教育にしたせいで、
朝鮮人の239万人が就学し、
文盲率も急激に下がった。
(中略)
これらは朝鮮人から頼まれてしたことではない。
つまり日本が自分たちの都合で、
朝鮮人の意向も聞かずに
行なったことだ。
考えてもみてほしい。
学校なんかほとんどなかった国に
勝手に学校を作り、
こどもたちを無理矢理就学させて、勉強させる──
こんなことをやれば、
朝鮮人に恨まれてもしかたないではないか。
(中略)
さらに許されないことは、
日本は朝鮮の自然にまで手をつけていることだ。
当時は朝鮮の山々はほとんどが禿山であったが、
日本はそこに6億本の木を植えて、
勝手に朝鮮の景色を日本風に作り替えてしまった。
また農業用のために池を大量に作った。
現在もため池の半分は日本が作ったものだ。
そう、傷跡は今も各地に残っているのだ。
国土の蹂躙はそれだけではない。
併合前はわずか100キロしかなかった鉄道を
6000キロにまで増やした。
美しかった朝鮮の土地に
醜い鉄道網を敷きまくったというわけだ。
また道路や河川を勝手に整備して、
多くの橋を作り、ダムまで作った。
海岸には港や防波堤を作り、
ここでも美しい朝鮮の風景を破壊した。
各地に工場を作り、発電所を作り、病院を作り、
都市には下水道施設までも整備した。
いずれも朝鮮人に頼まれてしたことではない。
ちなみに賢明なるヨーロッパ諸国は
植民地に学校などは作らなかったし、
植林もせず、河川の整備もせず、ダムも作らなかった。
植民地の資源や農作物を収奪して輸送するため
必要最小限の鉄道を敷いたくらいだ。
だから今も多くの国が恨まれていない。
欧米諸国と比べると、
日本はいかに朝鮮半島で
やりたい放題をしてきたたがわかる。
また荒地を開墾して
耕地面積を2倍にし、
近代的な農業を導入したせいで、
たった30年あまりで朝鮮人の人口を2.5倍に増やしてしまった。
(平均寿命も24歳から42歳まで伸ばした)。
これでは人口問題まで引き起こしたと
非難されてもしかたがない。
日本はこれらのことをやるために
多額の国家予算をつぎ込み〜

(中略)
日本政府は今からでも遅くはない。
韓国および北朝鮮に対して、
誠意を持って謝罪すべきである。
韓国もまた日本の謝罪を受け入れてほしい。

百田が軍隊創設論者だという批判にも、反論している。

ここで声を大にして言いたい。
戦争を望む者などいるはずがない。
日本が戦争をして誰が得をするというのだ。
私にどんなメリットがあるというのだ。
私自身が命を失うかもしれないし、
息子が戦死するかもしれない。
中国やロシアに侵略戦争を起して勝てるはずがないし、
もし弱小国に侵略したりすれば、
たちまち世界から石油を含む
すべての資源供給は止められ、
日本は一瞬にして息の根を絶たれる。

もう一つこれも声を大にして言いたい。
左翼系ジャーナリストたちは
「憲法改正派は戦争を起したがっている」
というイメージを懸命に作ろうとしているが、
こんなまやかしはない。
私も含めて憲法9条改正派の目的は
「日本を戦争から防ぐ」というものだ。
実はこれは9条護憲派も同じである。
つまり両者の目的は
実は驚いたことに同じなのである。
では何が違うのか。
それは両者のリアリティである。
ここで読者に問いたい。
「戦争は絶対にしない。
たとえ攻められても抵抗はしない。
だから軍隊も持たない」
という国と、
「侵略戦争は絶対にしない。
しかしもし侵略されたら、
徹底的に抵抗する。
そのために軍隊を持つ」
という国──
さて、どちらの国が侵略されにくいかというリアリティの問題である。
集団的自衛権も同様である。
自国兵力だけで大国の侵略を防ぎきれない国は、
他国と軍事同盟を結ぶ。
その典型的な組織が
NATO(北大西洋条約機構)である。
(中略)
しかし、「自国は守ってもらいたいが、
他国を守るのは御免こうむる」
という国があれば、
どこからも相手にしてもらえないだろう。
日本の左翼系ジャーナリストたちが、
日米安保条約でアメリカに守ってもらいながら、
アメリカが攻撃されても助けないというのは、
はっきり言えばそういう主張である。
また集団的自衛権の行使を放棄するなら、
自国の軍隊だけで国を守れるほどの強力な軍隊が必要であるが、
左翼系の人々はそれさえも認めないという。
もう何が言いたいのか意味がわからない。
(中略)
スイスは「永世中立国」として200年以上(!)も
戦争をしていない世界で唯一の近代国家であるが、
実は強大な軍事力を有している。
(中略)
第二次世界大戦が勃発したとき、
スイスは「領空侵犯する飛行機は
枢軸側・連合国側問わず撃ち落とす」と宣言し、
実際に2百機以上の飛行機を撃墜
あるいは強制不時着させている。
その代償としてスイス空軍も二百機以上の飛行機を失い、
空軍はほぼ壊滅した。
しかしヨーロッパ中が火の海となった戦争から領土は守られた。
スイスは平和というものは
どうやって維持していくものかを知っているリアリティの国と言える。
(中略)
戦争のない世界は理想である。
私たちはそれを目指していかなければならない。
しかし残念なことに、
口で「平和」を唱えるだけでは
戦争は止められない。
世界と日本に必要なのは、
戦争を起こさせない「力」である。
力のない正義は無能である。

これらのまっとうな主張を
「放言」と呼ばなければならない
日本を覆う一部メンタリティが悲しい。


                         




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