『戦場のコックたち』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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第2次大戦に志願した
ルイジアナ出身のティモシーは、
ひょっとしたことからコック兵になる。
祖父が経営する「コールの親切雑貨店」は
祖母が作る惣菜の売り上げでもっているようなもので、
その祖母の書いたレシピ帳がお守り代わりだった。
やがてティモシーの所属する中隊も
ノルマンディー上陸作戦に参加しることになる・・・

というわけで、
欧州戦線をドイツに向かって進軍する軍隊での
コック兵ティモシーの日常が描かれる。

登場人物は全員「外人」。
日本人は一人も登場しない。
日本人の書いたアメリカ軍の小説というのも珍しい。

題名からして、
軍所属の料理調達と軍食料事情の話かと思いきゃ、
そうでもない。
通常の戦闘の描写で、
料理の部分は付け足し。
ただ、描かれた戦場は相当リアルだ。

5つの章からなり、
ノルマンディー上陸でのパラシュート降下作戦から始まり、
フランス、ベルギー、オランダ、ドイツを舞台に話は進むが、
そのどの章もミステリーがらみの設定となっている。

第1章 ノルマンディー降下作戦では、
予備のパラシュートを集める兵隊の謎。
第2章 軍隊は胃袋で行進するでは、
輸送されてきた粉末卵600箱消失の謎。
第3章 ミソサザイと鷲では、
連合軍を受け入れたおらんだ人玩具職人の
夫婦揃っての自殺と遺書の謎。
第4章 幽霊たちでは、
前線で掘ったタコツボの中で幽霊の立てる音を聞いた兵の謎。
第5章 戦いの終わりでは、
米軍に紛れ込んだドイツ兵とその救出作戦。

その合間に仲間が死に、
町は瓦礫となり、
死体の山が出来る。
戦争の悲惨さを著者はどこで学んだのだろうか。

戦場での兵士の心理も詳細に描かれる。
たとえば、タコツボの中で普通の生活を希求するシーン。

戦争が終わったら、
少なくともこの地獄の仕事から足を洗えたら、
やりたいことが山ほどある。
バスタブに熱いお湯をたっぷり張って浸かり、
朝寝坊をし、美味しい朝ご飯をゆっくり時間をかけて食べる。
家族と話した後は
夏の日差しに輝く川で魚を釣り、
町の人とどうでもいい雑談を交わし、
封切られたばかりの映画を観て、
ダンスホールへ行き、
お洒落した女性たちが色とりどりのスカートを翻して
躍るさまを眺めていたい。

ドイツ人に対する心理も複雑だ。

「でも死んだのは罪もない一般人ですよ」
「罪もないだと?
独裁者を選んだのは誰だ?
軍国主義と侵略に賛同したのは誰だ?
戦争をはじめるままにさせておいたのは誰だ?」
「当然の報いだ。
自分たちの罪は自分たちの命で贖うべきだ」

故郷に帰った時の心理も微妙だ。

見渡す景色のどこにも焦土はない。
崩れかかった家も、
生焼けの死体も、
梁に顔を潰されて眼球が飛び出た子供も、
叫びながら妻を助けようとしている夫も、
巻き添えを食って死んだ犬猫も、
ここにはいない。
飢えに苦しんだ挙げ句にやっと口にした食べものによって
命を落とした男も。
仲間の死体も、ちぎれた手足も存在しない。
すべては映画の中の出来事のようだ。
いや、もしかしたら今のこの景色こそが、
作り物なのかもしれない。
夢から醒めたら、
またいつもの戦場に戻っていても、
きっと驚かないだろう。

見上げればピンクのアイスクリームの巨大看板が広告塔に揚げられている。
磨かれたショーウィンドウ、ネオンサイン、
スカートを翻して軽やかに通り過ぎる若い女性たち。
清潔な石鹸のにおいがする。
そういえば、心地よいにおいを漂わせている女性も久しぶりだった。
平和だ。
これこそが平和なのだ。
僕らはこのために戦った。
それなのに、この虚しさは何だ?

その癒しは、やはり祖母からもたらされる。

心を戦場に置いたまま、
抜け殻のようになってしまった友人を思う。
家族の元へ帰るために旅立った、
異国の男を思う。
そして、二度と手の届かない所へ行ってしまった親友を思う。
彼の母親と伯父は、いつか彼の死を知るのだろうか。
ふとざらついた感触が顔に触れ、
はっとして顔を上げた。
祖母がナプキンで僕を拭いているのだ。
いつの間にかじっとりと脂汗をかいていた。
「あんたと悲しみを分かちあえる人間は、
残念だけどこの家族にはいないでしょうね。
でもここはあんたの帰る場所で、
あんたの出発点なのよ。
いつだってね」
「うん・・・そうだね」
「痛いのを我慢する必要もないし、
痛くなくなったことに後ろめたさを感じる必要もないの、ティモシー。
スープの味を含ませるのと一緒。
少しずつ、焦らないこと」
祖母ちゃんはそう微笑むと立ち上がり、
静かな足取りで食堂から出て行った。

進軍する連合軍が
存在を知らされていなかった
ユダヤ人強制収容所と遭遇する場面も衝撃的だ。

日本人が書いたアメリカ人の従軍小説。
大変珍しく、
描写の克明さに、
読むのが辛かった。

先の直木賞候補作
選考委員の選評は賛否両論。

林真理子
どうしてアメリカ軍の兵士の物語を書かなければならないのか。
現代の日本人がいくら勉強してそれを書いたとしても、
根底にあるものはやはり借りものであり、
本当のことを描ききっていないと思う。
最後のトリックもいささかちゃちである。


北方謙三
謎解きふうのものが入ってくるところは首を傾げたが、
コックを扱ったのは秀抜なセンスを感じさせる。
ただ、なにかが足りない。
戦争を描く必然性というと堅苦しくなるが、
読みながら、私は常にそれを感じ続けた。

浅田次郎
第二次大戦下の欧州戦線を舞台とした全くの虚構を、
これほどまで読みやすく、
かつ面白く描き切るというのはまさに非凡の才である。
ただし、この種の小説には必要不可欠な、
戦争観や哲学性には不足しているとも思え、
あえて強く推す根拠を見出せなかった。

宮部みゆき
ノルマンディ上陸作戦を振り出しに
ヨーロッパ戦線をゆく連合軍の若い料理兵の物語に
遠慮を感じてしまったのは、
何のことはない、
私自身が〈太平洋戦争と青春〉をどのように書くかという問いに、
作家としてまったく回答を用意していなかった、
その問いに向き合う覚悟もなかったから、
ただそれだけです。
ただ私はミステリー作家ですので、
この作品の核である〈戦場下の日常の謎ミステリー〉部分が
いささか弱い――残念ながら、
作者が意図したであろうほどには
物語を豊かにしていないという点で、
支持することができませんでした。

伊集院静
(「羊と鋼の森」と共に)私が推した作品。
選考委員から、日本人の若い作家が、
なぜ第二次大戦のアメリカ兵士を描いたのかと
日本人の戦争観に話がおよんだ。
若い人に限らず人の戦争観の論議は、
私にはナンセンスに思えた。
よく見た戦争映画を下に書き上げたのではという評もあったが、
これからの若い作家が
映像を見て感動し、それが作品の想起になるのは自然なことで、
映像を見ての感情が、
作品の軸になった方が斬新なものを生むのではないか。

高村薫
多くの映画や記録映像のある
第二次大戦のヨーロッパ戦線の、
しかもアメリカ軍の兵士たちを、
日本人が日本語で描くことの是非以前に、
戦場にも兵士たちにも身体性を感じられない。
端的に、コックを描きながら料理の匂いがないのである。

桐野夏生
私は本作品を推した。
主人公の小さな世界から始まって、
次第に戦争の中に突き進み、
その恐ろしくグロテスクな面を浮き彫りにしていく構成もよい。
第二次大戦のアメリカ兵に材を取っているが、
どの時代のどんな人物を題材にしようが、
文学は自由だ。
問題は描かれるテーマにあって、
この自由さを失っては小説は消滅する。
敢えて苦言を呈すれば、
ストーリー中のミステリー風味には、
興を殺がれた。

宮城谷昌光
(「ヨイ豊」と共に)いえることは、構成力の弱さである。
この構成力は細部の表現に微妙につながっていて、
そこがおろそかになっているがゆえに、
大きく展開できなかったといえる。
こざかしいことをいうようであるが、
(中略)知っていることではなく、
知らないことを書いてもらいたい。

東野圭吾
日本人の若い女性がこれを書いたのはすごいことだと思う。
たぶん才能豊かな人なのだろう。
だがそれを考慮に入れるべきではないというのが私の意見だ。
もし作者名が伏せられ、
翻訳物だと聞かされて読んでいたなら、
「あまり出来のよくないミステリだな」
と思ったのではないだろうか。
仮にこの作品が英訳されたとして、
自信を持って欧米人に奨められるかと自問し、
それはないと思った。






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