『火の山のマリア』  映画関係

〔映画紹介〕

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これは珍しい、グアテマラの映画
グアテマラは、↓ここ。

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舞台はグアテマラの高地。
マヤ文明の末裔たちが住む村が舞台。

マヤ人については、
Wikipedia の説明は、下のとおり。

マヤ人(マヤ系先住民族)とは、
メキシコ南部から中央アメリカ北部にかけての地域に居住する
アメリカ州の先住民族である。
ただし、“マヤ" という、まとまった一つの民族として
存在しているわけではなく、
文化と言語の一部を共有する、
異なる多くの集団、社会、エスニックグループを総称したもので、
それぞれは彼ら自身の伝統、文化、
歴史的なアイデンティティを保持している。

17歳のマヤ人マリアは、
グアテマラの活火山のそばで
農業に従事する父母と一緒に生活をしていた。

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最近蛇が大量に発生して、
農作物にも影響が出ている。
収穫できなければ小作人の立場の一家は追い出されてしまう。
そこでマリアの両親は、
地主イグナシオの後妻として
マリアを嫁がせようとする。
だが、マリアの心はコーヒー農園で働くペペに寄せられていた。

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ペペはアメリカに憧れを持っており、
マリアは一緒に連れて行ってくれることを望み、
その証しとして体を求められ許してしまう。
しかし、ペペは一人でアメリカに発ち、
マリアはペペの子供を身ごもり、
そのことを知った母は、
マリアに堕胎を進めるが、
うまくいかず、腹がだんだん迫り出して来ると、
母親は「この子は生きる運命だ」と判断し、
産み育てることを決意する。

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グアテマラのことなど何も知らない。
せいぜいコーヒーの産地であるとか、
マヤ文明のことくらいだ。
その異国の、あまりに貧しい暮らしに驚かされる。
なにしろ、電気もなく、ランプで照らし、
水道も引かれていな極貧生活だ。

観ていて、一体何時の時代の話だろう、
と思っていたら、
やがて車が登場し、そのうち「携帯」という言葉が出て来て、
まぎれもない現代の話だと分かる。
「小作人」だの「地主」だの、
かつての日本にもあったが、
半世紀も遅れていて、
しかもそこから抜け出せる気配がないのだ。

グアテマラの識字率は70%以下。
小学校の新入生は50人以上いるのに、
家の手伝いをしなければならないので学校に行けず、
年々生徒は減って行き、
最後に卒業出来るのはたった1人だという。

この映画が話されている言葉は、
マヤ系言語だ。
学校で公用語のスペイン語を習っても、
次第に学校に行けなくなるので、忘れてしまう。
マリアの一家もマヤ語しか話せないのは、
マリアも学校に行けなかったのだろう。
映画のラスト近くで
マリアを襲う悲劇も、
スペイン語を読めないことに起因している。

貧困と無知
山本周五郎「赤ひげ」の中で、
このように言わせている。
「現在われわれにできることで、
まずやらなければならないことは、
貧困と無知に対するたたかいだ」
「それは政治の問題だと云うだろう、
誰でもそう云って済ましている、
だがこれまでかつて政治が
貧困や無知に対してなにかしたことがあるか。
貧困だけに限ってもいい、
江戸開府このかたでさえ幾千百となく法令が出た、
しかしその中に、
人間を貧困のままにして置いてはならない、
という箇条が一度でも示された例があるか」
そして、こうも書く。
この世から背徳や罪悪を無くすることはできないかもしれない。
しかし、それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、
少なくとも貧困と無知を克服するような
努力がはらわれなければならない筈だ。

この映画を観ながら、
「赤ひげ」のそんなセリフを思い出した。

若者たちは、アメリカでの生活に憧れる。
「広い、庭付きの家」。
アメリカのイメージはそのようなものだ。
「しかし、間にメキシコがある」
という言葉に、
それが遥か遠くの生活であることが分かっている。

映画の終わり近く、
赤ん坊がアメリカ人に引き取られ、
「広い、庭付きの家」で住んでいる、と
両親がマリアを慰める場面がある。
「言葉は英語だ」
という両親に、
マリアが「まだ、そうじゃない」と否定する。
それは、マヤ語という、
自分たちの存在証明のような言葉に対するこだわりに違いない。

グアテマラ出身のハイロ・ブスタマンテ監督が
放つ長編デビュー作。
グアテマラ映画は日本初上映。
先住民族としての誇りと、
貧困と無知を含む 
グアテマラの社会問題も交えて描く。
そして、富の偏在
豊かな国は徹底的に豊かで、
貧しい国は気が遠くなるほど貧しい。
生まれた国によってこんなにも違う。
世界はこんなにも不公平だ。

引きずられて連れていかれ、種付けされる豚。
パーティーでの饗応のために殺される豚。
災いをもたらす毒蛇、
マグマをはらみ、煙を上げる火山、
その上で堕胎のために飛び上がるマリアなど、
様々な宗教的暗喩がちりばめられている。
主人公の名前はマリアだが、
処女懐胎したマリアの象徴ではないかと思わせる。

いろいろな意味で奥の深い作品だった。

マリア役には演技初体験のマリア・メルセデス・コロイを抜擢。

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やや演技が固い。
もっと微妙な表情がほしい。
母親役にはアマチュア劇団で演じていたマリア・テロンを起用。

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娘の幸福を一心に望む肝っ玉母さんを
リアル感一杯に演じて好演。

2015年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3uTdqNNJc0E

タグ: 映画




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