『若冲』(じゃくちゅう)  書籍関係

昨日は、午後、渋谷に出かけ、

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映画を1本観た後、
いつものここで

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焼肉バイキング

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二杯目のおかわり。

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このように食欲が戻ったので、

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風邪からは完全に回復したようです。


〔書籍紹介〕

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若冲とは、
江戸時代中期、京都で活躍した「奇想の画家」、
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう 1716〜1800)のこと。

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「若冲」の号は、「老子」45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。
意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」である。

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物語は8つの章からなり、
「オール読物」2013年6月号から
2015年3月号まで
間を置いて掲載された連作を一冊にまとめたもの。

京都錦高倉市場の青物問屋枡源(ますげん)の跡取りでありながら、
店の仕事をせず、
奥で作画三昧の生活をする若冲が
店を弟に譲り、
母親違いの妹志乃と暮らす。
若冲は妻・三輪を、嫁いで2年で自死させた過去があり、
その罪悪感が若冲の創作欲の源泉となっていた。
そして、亡き妻の弟の弁蔵は若冲に反抗して奉公先から逐電し、
その後、市川君圭(くんけい)と名を変えて、
若冲の絵の贋作を作ることで対立する。

物語は若冲、三輪、弁蔵、志乃の
4者の葛藤として展開する。

しかし、物語として弱いのは、
若冲が三輪をどれほど愛していたかが見えてこない点と
贋作者となった弁蔵の才能
(なにしろちょっと見ただけの若冲の絵を
寸分違わず再現してみせるという特殊な才能の持ち主なのだ)
が不明なことであろう。
最後になって若冲と弁蔵が共同創作者だという見解が出、
若冲や弁蔵自身によっても語られるが、
ここは志乃の見解として語られるべきだろう。

「わしはあの時、
あの鳥と獣しかおらんはずの屏風の中に、
とっくの昔に死んでしもうた者の面影を、
間違いなく見ましたんや。
そないなことをさせる絵なんぞ描けるのは、
生きながらこの世の地獄を這いずった者だけやないどすか。
一度それに気付いてしもたら、
わしは──わしはもう画人としてのあいつを憎めしまへんのや」

市井の若隠居であった茂右衛門を
稀代の画人に押し上げた、
その激しき孤独、絶望。
それを唯一分かち合い、
理解するに至った
市川君圭という影を、
若冲は生涯見つめ、恐れ──
そして己が半身として慈しみ続けた。

という結論に至るには、
何かとてつもなく足りないものがある、と感じた。

錦高倉市場と五条問屋町との相克での中井清太郎との関わり、
公家20名に蟄居が命ぜられた「宝暦事件」で処罰された
裏松光世との関わりや
天明の大火という歴史的事件も織りまぜ、
池大雅、与謝蕪村、丸山応挙、谷文晁といった実在の画家たちも登場する。

動植綵絵(どうしょくさいえ)」の創作過程、

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釈尊の入滅の様を野菜に託した
「果蔬涅槃図」(かりゅうねはんず)の制作の経緯、

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大作「鳥獣花木図屏風」の創作の秘密もあかされる。

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日本画に興味を持つ人なら
垂涎ものの小説だろう。

先の直木賞候補
選考委員の評点は辛い。

林真理子
どうも小説の世界にのめり込めない。
若冲があまりにも普通の人過ぎる。
最後まで主人公に魅力や共感を持てなかったのである。

伊集院静
亡妻への想いが若冲の創造力の源なら、
その想いの根底にあったものを描いて欲しかった。
妻の弟の弁蔵が贋作絵師に至る歳月、
描写ももう少し納得させてもらいたい。

高村薫
そばにいた女性の眼は若冲の人生を捉えることはできても、
肝心の画業自体に迫るには限界がある。

東野圭吾
読んでみると思いの外地味で、
しかも主人公に華がないので驚いた。
その点に難色を示した意見が多かったが、
私は渋味を買った。
妻の弟が復讐のために贋作師になったという設定も悪くない。
ただ彼が絵の技術を習得していく様子が描かれていないので、
その執念が今ひとつ伝わってこない。

北方謙三
相当引きこまれながら私は読んだ。
ただ、表現者を表現するのは、実に難しいとも感じた。
創造する人間の姿は、
言葉では表現しきれないのではないのか、
ということまで思った。

桐野夏生
無理に話を作ろうとして、それがあまりうまくいっていない。
一番問題に感じたのは、若冲に魅力がないことだろう。
また、姉を自殺させられたことを恨んだ男が、
君圭という贋作者になるという設定も安易に感じられる。

宮城谷昌光
この作家は上達したというしかない。
節度のある比喩を用いていることにも感心した。
この作品を読んで、いやな感じをうける人はほとんどいないであろう。
そこに作者の風致をみたとおもうのだが、
称めすぎであろうか。

浅田次郎
そもそも若冲という素材を用いたこと自体が、
すでにひとつの才能であると言える。
しかし学術的な教養に小説の結構が負けている。
物語に必須の美醜と聖俗の選択を、
作者はさほど意識していないように思えた。

宮部みゆき
完成度の点では「流」に並ぶ秀作でした。
若冲の絵を観てあれこれ感じることは万人に可能で、
現に私もその一人として、
あの愉快な野菜の釈迦涅槃図や、
色彩豊かな可愛い小鳥たちを鑑賞すると、
これを描いた絵師は、
この小説のなかの罪悪感に苦しみ贋作者の脅威に怯える絵師よりも、
もう少し幸せな人だったのではないか――と感じてしまいました。






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