『「昔はよかった」病』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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著者のパオロ・マッツァリーノという人は、
「イタリア生まれの日本文化研究家、戯作者」
と紹介されているが、あやしい。
「イタリアン大学日本文化研究科卒」という略歴だが、
「大学自体の存在は未確認」だという。
イザヤ・ベンダサン=山本七平の前例もあるから、
日本人である公算大。

冒頭、

もういいかげん、
「古き良き」という枕詞(まくらことば)を使うのは
やめてもらえませんか。

と挑戦的に言うように、
「古き良き」や「むかしはよかった」という言葉に疑問をぶつけ、
その虚構を例証してみせる。

史料から客観的に判断すると、
むかしの社会もむかしの人間も、
ちっともよくなんかありません。
いまのほうがずっといい。
あるいは、
むかしもいまもたいして変わらない。
それが歴史の事実です。

と断言するように、
私も同感で、
「むかしは良かった」というのは、
錯覚か回顧の美化でしかなく、
生活する環境は確実によくなっている。
昔は外食など、
ちびた食堂でラーメンかカレーか親子丼くらいだったが、
今は世界中の料理があふれんばかりにあり、
しかも美味しい。
「昔の野菜の味がする」などというが、
実際は青臭い味で、
今の野菜の方が確実にうまい。

映画も演劇も小説も、
昔の方がよかった、という人は、
思考の速度がついていかないだけで、
「今」を描く映画や小説の方が面白いに決まっている。
ただし、「古典」になったものは別。
「古典」になる力を持った作品は、
今観ても、読んでも面白い。

役者の演技も、昔の映画はへたですよ。
歌だって、昔の歌手と比べて、
今の歌手の方が歌唱力は格段に上。
よくテレビで昔のお笑い番組を放送して、
「いやあ、今見ても面白いですねえ」
などというが、
これに対して異を唱えたのが松本人志
「今見ても面白いはずがない」と断言。
そう書いたものを読んで、
松本人志、なかなか分かってるな、
と思ったものだ。

「三丁目の夕日」などというゆるい映画がもてはやされたが、
あの時代はもっと貧しく、差別もあり、犯罪も多かったのだ。
粗末なCG同様、あのお粗末な内容が
もてはやされたのは不思議だった。

歴史は進む。文化も進む。
新しいものが常に時代を切り取り、新しい

この本の中で、へ〜え、と思わせられことがいくつかあった。

たとえば、振り込め詐欺の被害額が過去最高になった、
という報道の真実。
ところが実際には、
振り込め詐欺の件数はここ10年で4分の1に減っているという。
なのに、なぜ過去最高額?
それは存在してない未公開株の購入や投資を持ちかけて
カネを振り込ませるタイプの
金融商品取引詐欺が激増したから。
件数を減っていることを報道せずに
金額が増えたことだけを報道する
その姿勢は問題だと著者は指摘する。

詐欺が増えている、
それはせちがらい世相の反映だ、
というのも嘘。
「日本長期統計総覧」によると、
大正末以降で詐欺が最も多かったのは、
昭和8年
(1933年)。
この歳だけで詐欺は38万8666件も起きている。
平成24年の詐欺件数は3万4678件。
戦前の日本では、
今の10倍以上の詐欺被害が出ている。
しかも当時の人口は今の半分くらいだから、
戦前は平気で人を騙す人が蔓延していたことになる。
「よかったはずの昔」に。

侵入盗(空き巣)の発生件数
1971年をピークとして、その後は減少。
ここ数年は、戦後最低記録を更新しているという。

しかし、報道はそれを報じない。
むしろ、空き巣に関する報道が増えているという。
そのことを数値的に示したのが、↓。

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空き巣被害が著しく減少しているのに、
空き巣関連の記事は逆に増えているのだ。

これが世にいう
体感的治安悪化のからくりです。
自分の身のまわりでは犯罪は減っているのに、
新聞を読んでると、
むかしより増えているかのように
錯覚してしまうのです。

凶悪事件が増えたように感じるのは、
新聞よりテレビの影響だと思われます。
いまは朝から晩まで、
ニュースやワイドショーで
同じ事件を繰り返し何十回と伝えます。
住んだことも行ったこともない町で起きた事件を、
日本中の人が知ることとなるので、
凶悪事件が
むかしよりものすごく増えて身近になった気分になるんです。

著者は新聞や週刊誌のデータベースを持っているらしく、
どういう言葉を使った記事が
何年には何件、何年には何件と数字をあげ、
それで証明してみせているのだ。

一つ、瞠目する掘り起こしがあった。
それは、コカコーラが戦前からあったという事実だ。
コカコーラは戦後のもの、
進駐軍が持ち込んで普及したものだ、
と思っていたら、大違い。
その証拠に芥川龍之介が大正14年(1925年)に作った戯れ歌に

酒のまぬ身のウウロン茶、カフェ、コカコラ、チヨコレエト

というのがあるというのだ。
また、大正8年(1919年)の読売新聞1面の広告にも
コカコーラの宣伝があるという。
(ちなみに、大正期から太平洋戦争前までの時期、
朝日・読売両紙とも、朝刊第1面には記事はなく、
すべて広告で埋められていた、
というのも、この本で初めて知った。)
で、その広告。

純良衛生飲料コカ・コラ
盛夏の好飲料中元の好適品

一杯のコカコラは
元気を回復し
渇を癒やし
精神を爽快に以て
活動能率を増進す

ですと。
当時のコーラは、
カルピスのように原液のシロップ状態で販売されており、
カフェやレストランなどで
それをソーダで提供していたのだ、
というのも、この本で得た新知識。
しかも、瓶詰めで売れなかった理由は、
清涼飲料水に関する取り締まり規則で、
濁った清涼飲料水の製造が禁止されていた、
という事実に二度びっくり。
サイダーやラムネのように
無色透明の炭酸飲料しか作れなかったのだ。

しかし、コーラの宣伝文句について、著者はこのように書く。

日本人は、飲食物を販売する際には、
「カラダにいい」ことをウリにしなければいけないという
強迫観念に取り憑かれているようにお見受けします。
その萌芽がすでに大正期に認められたとしても、
驚くことではありません。

老人問題に対しても
他では言えないようなことが書かれている。

日本はこどもと老人と犬に甘すぎる社会です。
こどもと老人と犬は善なるもの、
無垢な存在と決めつけていて、
悪いことをしても
しつけをしない人がじつに多い。
相手が老人だからといってマナー違反や
悪事を見逃すことは、
敬意でなく差別だと、
なぜ日本人は気づかないのですか。

人間は歳をとれば分別がついて
善人になるなんてのはまやかしです。
老いは、善人にも悪人にも、
賢者にも愚者にも平等に訪れます。
いいひとはいい老人になるし、
悪いヤツは悪い老人になる。
賢い人は賢い老人になるし、
愚かものは愚かな老人になる。
高齢化社会とは、
いい老人も悪い老人も増える社会なんです。

その他、
「安全・安心」のまやかしや
「絆」の偽物性など、
炯眼と言える部分が沢山あって、
面白かった。





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