『ナイルパーチの女子会』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「ナイルパーチ」とは、
スズキ目アカメ科アカメ属の淡水魚

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一時期「スズキ」「白スズキ」という表示で販売され、
表示の規制が厳しくなって、
その名称では売られなくなった。
外来生物として
一つの生態系を壊してしまうほどの凶暴性を持ち、
ビクトリア湖に放流されたことにより、
在来の魚を次々と駆逐して爆発的に増殖し、
ビクトリア湖の生態系を破壊させた。

主人公は二人。
一人は国内最大手の商社の食品事業部に勤める志村栄利子。
一人は普通の主婦で人気ブロガーの丸尾翔子。
その二人がブログを通じて出会い、
栄利子が翔子に執着したことから巻き起こる騒動を描く。
いわば、他の環境に入ってしまったナイルパーチが
生態系を壊すような行為になぞらえられている。

というのは、二人とも女友達がいない
というコンプレックスを持っていたのだ。
栄利子の方は同じマンションに住む圭子という幼なじみを
高校生の時、思い込みで傷つけてしまった負い目を持っている。
その結果、圭子は結婚に失敗し、今だにニートだ。
翔子の方は、実家の父親が何もしようとしない人で、
妻に逃げられ、再婚相手から離婚をつきつけられている。

小説はこの二人を交互に描いていくのだが、
どうにもこうにもうざったく読むのが苦痛だった。

「登場人物の愚かな行動に、読者は同情しない」
という命題があるが、
主人公の愚かな行動の連発に戸惑うばかりだ。

たとえば、栄利子は派遣社員の真織に
セクハラまがいの発言をして脅迫され、
「うちの営業部の男23人と寝ろ」
と命令されて、愚かにも実行に移す。
しかも、父親の元部下だった部長を真っ先に誘惑する。

翔子は行きつけの店の店員に誘われ、
水族館でキスしているところを栄利子に盗撮され、
それをネタに脅迫をを受けて、
ブログも栄利子に乗っ取られ、
旅行に連れて行かれ、
栄利子が写真を削除すると、
その喜びのあまり夫に経緯を話してしまい、
見切りをつけられてしまう。

こうした奇矯な行動の原因として、
二人とも女友達がいない恐怖を上げているのだが、
女性とは、そんなに同性の友人がいないことに恐怖するものなのだろうか。
友人がいない孤独にも耐えていかなければならないことは、
男ならみんな知っている。
いや、「男なら」という表現が妥当でないなら、
「人間なら」と言い換えてもいい。

栄利子など、仕事が出来て、
アフリカにナイルパーチの買い付け商談に出張するくらいの
業績と信頼も、
仕事上の喜びも知っているはずなのに、
女友達がいないくらいで理性を失うなど考えられない。

というわけで、
著しく納得性に欠ける内容で、
二人の愚かな行動と繰り言に
うんざりした小説だった。

これでも先の直木賞の候補
しかし、選考委員の評価は辛い。

林真理子
文章や、構成力に格段の進歩があり、
以前は感じた“幼なさ”が完璧に消えている。
「エリート狙い」の派遣社員の描き方が、
どうにもステレオタイプだ。
主人公の女性に女友だちがいないというのも不自然。
リアリティがないというのは、
ミもフタもない感想であるが、
無理やりつくり上げた物語という思いは最後まで拭えなかった。

伊集院静
作品の導入部は作者の非凡な才能に引き込まれ
興味深く読み進めた。
ところが物語の中盤、
栄利子が窮地に立たされたあたりから
人物の個性が平板になり、
新鮮なものが失せた。

高村薫
極端なデフォルメのスイッチが、
自身の心理状態と区別できないところで入るのだとしたら、
この作者にバランス感覚を求めても詮ないが、
この過激さ、エキセントリックさを強みにするのも手かもしれない。

東野圭吾
主人公の設定に無理を感じた。
高校生の時に人間関係の瓦解を経験しているにもかかわらず、
三十歳で海外との取引を任せてもらえる
キャリアウーマンにまでなれたのは、
その間に様々な知恵や自分なりのルールを
身に着けたからではないのか。
それを崩壊させるほどの何かが生じたとするには、
翔子という女性との出会いは弱すぎる。

北方謙三
いくらか過剰すぎるのではないかと、私は感じた。
これは、負の情念の小説である。
それはそれでいいのだろうが、
読み手にまで負を背負わせるところが、
過剰というのである。
そして、人の造形や変貌が、類型と感じられた。

桐野夏生
ジャンクフード好き、
だらけた日常を送る人気主婦ブロガー、
という設定がリアルだ。
が、対する主人公、商事会社の女子社員の造型が納得できない。
ストーカーと間違われて空回りし、
やがて心が折れてゆくあたりに無理がある。
しかし、文章はうまいし、比喩にはキレがある。

宮城谷昌光
作中の要人は、他者にみえるが、
本質においてすべて同形である。
同形であると断定すると語弊があるのであれば、
相似形である。
相似形であるものは、
反発しやすいという原理めいたものがあるが、
この小説はその原理通りに内的な力が衝突し、
乖離する。
要するに、小説内のエネルギーが
外の読み手を撼かさない。
そもそも小説の構造に欠陥があるからである。

浅田次郎
悲しいことに、私はブログなるものを知らない。
したがって本作は、
「ブログという擬似社会の中で正常な人間関係を見失い、
変形していく人々」
などというものすごく保守的なテーマを仮設して、
一種のホラー小説のように読むほかはなかった。
ただし、人間的には相当に単純な
登場人物たちの内面や環境を、
あえて繁雑に書いている点については、
やはり賛同はできなかった。

宮部みゆき
筆力と情熱には感嘆しましたが、
作者が真摯であるあまりに、
ストーリーが進むうちに
どんどんテーマの方が前面に出てきて、
物語性が後退していってしまい、
物語としてのリアリティも消えてしまいました。


この柚木麻子という人、
以前直木賞候補になった
「伊藤くんAtoE」、
「本屋さんのダイアナ」
共に、これで直木賞候補?
と思うくらい、
私とは相性が悪い





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