軍艦島上陸!  旅行関係

さて、軍艦島クルーズは、
この事務所で手続きし、
あらかじめ書いておいた「誓約書」を提出し、
タグをもらって、

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各自すぐそばの港に行き、
列に並びます。

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船はこれ。
「ブラック・ダイヤモンド」とは、
「黒いダイヤ」=石炭のこと。

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前回は風のため、
上陸ツアーは中止。
今回は羽田でスマホで運航することを確認してあります。

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乗船。

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定員は200人。
軍艦島クルーズでは2番目に大きい船です。

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現在軍艦島クルーズは4社で運航しており、
名前と乗客数をあげると、
やまさ海運225人、
軍艦島クルーズ200人、
軍艦島コンシェルジェ130人、
シーマン商会45人。
もう1社ありますが、
小型船のチャーターです。

料金はやまさ4200円、
シーマン3900円、
コンシェルジェ3600円、
クルーズ3100円。
上陸料300円がそれぞれ加算されます。

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操舵室の

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船長さん。

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1階客室。

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1階デッキ。

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2階デッキ。

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日に当たりますが、
運航中は風があるので、涼しいです。

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途中、「明治日本の産業革命遺産」を構成する
ハンマーヘッド型起重機

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「そろばんドック」(小菅修船場跡)などを見ることが出来ます。

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これは三菱造船所

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大きなクルーズ船を建造中です。

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途中、伊王島に寄り、
客を2人ほど乗せました。

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伊王島とは炭坑の島からリゾートの島に変身した島で、
九州本土とは、
この橋でつながっています。

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クルーズ4社のうち、
軍艦島クルーズだけが、
少し手前の高島に上陸します。

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高島炭鉱も世界遺産に登録。

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ここに何があるかというと、

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石炭資料館

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ここに軍艦島の模型があって、

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事前学習。

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軍艦島は俗称で、正式には端島(はしま)といいます。

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元々は無人の岩礁でしたが、
1810年頃に石炭が発見され、
佐賀藩が小規模な採炭を行っていましたが、
1890年に三菱合資会社の経営となり、
埋め立てて島を拡大、

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本格的な海底炭坑として操業するようになりました。

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島の大きさは、
縦480m×横160m
周囲1.2q。

島の建物。

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緑色は社宅など生活施設が約70。
青色は炭坑施設。
真ん中の岩礁を境にして島は二分されています。

島の南東南部分は炭坑施設。

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島の北西部分が住居施設。

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相当密集して建てられています。

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最高時、島の住人は5259人(昭和34年)。

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人口密度は1平方キロ当たり約8万3600人
実際はそんなに人はいませんでしたが、
計算上はそうなります。
2013年の東京の人口密度は約1万4500人。
マカオの半島部分が6万人、
モルディブの首都マリが3万5000人、
ムンバイで約2万7000人ですから、
いかに超過密都市であったかが分かります。

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更に言えば、
軍艦島の内海側の埋立地は工業用地でしたから、
その面積である5分の2を除くと、
住居地域だけの人口密度は14万人近くなります。

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緑がない島ですので、
屋上には植樹がされました。

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資料館の展示。

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この像は、

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三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎

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そうです。
軍艦島は土地も設備も全て三菱のものでした。

噴煙のような雲を見ながら更に進むと、

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これは中ノ島

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この島のかげから軍艦島が姿を現します。

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軍艦島という名前は、
その外観が軍艦土佐に見えたことから
ある新聞社が形容し、
その名前が広がりました。

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島の知名度が高まった要因は、
やはり「軍艦島」という通称があったからに違いありません。
もし本来の名称である「端島」または「端島炭鉱」という名前のままだったら、
こんなにも人を惹きつけることにはならなかったでしょう。

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これは島の南東方向から見た景色で、
島の北西方面から見た方が
軍艦の形に近いのですが、

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この軍艦島クルーズ、高島に寄るのはいいですが、
島を周遊しないのです。
他のクルーズ3社は上陸後、
島をぐるりと回って帰るのですが。
北西部に回れば
住居部分の廃墟も見ることが出来たのに、
残念でなりません。

これは端島神社の祠。
風雨にさらされながらも、
よく残ったものです。

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端島小中学校
7階建ての高層学校。
この右側に運動場があります。

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幹部用の職員社宅。
唯一内風呂付きでした。

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職員独身寮。要塞のようです。

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護岸は、石積み。
石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を用いています。

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ドルフィン桟橋。
水位の高さに対応出来るようになっています。

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この桟橋に接岸出来るかどうかが、
上陸出来るかどうかの分かれ目で、
桟橋の利用を禁止する場合の基準は、
1.風速が秒速5メートルを超えるとき
2.波高が0.5メートルを超えるとき
3.視程が500メートル以下のとき
の3つ。
この範囲内においても、
見学者が安全に下船出来ないと船長が判断するときは、
桟橋を利用しません。
天候基準をクリアする日数は
年間100日と想定されています。

本日は基準をクリア。
船員の皆さんが接岸作業にかかります。

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上陸者はハイヒールとサンダルは禁止。

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鉄網状のものを設置するため、
ハイヒールがひっかかったり、
非常時の避難の際の妨げになったりするのを予防するため。

なお、傘も禁止。
従って雨の時は雨ガッパを着用しなければなりません。
持っていない人には船会社が200円で売ってくれます。

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桟橋に乗り移る時はカメラも禁止。
これは、揺れに対応して両手を使えるようにするため。

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見学コースが作られており、

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3箇所で止まって、ガイドの説明を聞きます。

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ガイドは船会社によって違い、
長崎県のボランティアガイドや
元島民の方のガイド、
自社育成による専属ガイドが
それぞれ説明をします。

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重ならないように、
船の運航会社は上陸時間に時間差をつけています。

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台風によって破壊された岩壁。

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ベルトコンベアー跡

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精炭(精選された石炭)は、
このベルトコンベアーによって
貯炭場に蓄えられ、
石炭運搬船に積み込まれました。

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今は、その支柱だけが残っています。

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見学コースに沿って奥に進みます。

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これが

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1916年(大正5年)に建てられた
日本初の鉄筋コンクリートの建物。

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建物には番号がついており、
これは30号アパート。

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鉱員社宅で、

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140戸が入っていました。
間取りは建物によって違い、
6畳1間の1Kから
6畳・2畳の2K、
6畳・4畳半の2Kなど様々。

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隣の31号ビルは
地下共同風呂、郵便局、鉱員社宅。

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この建物の向こうが住民の生活空間でしたが、

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今は立ち入ることが出来ません。

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しかし、昔の写真を見ると、
生き生きとした市民生活が営まれていたことが分かります。

↓は、行商人による青空市。

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↓は、「端島銀座」と言われた通りの賑わい。

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↓今の現状。

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ここには何でもありました。
商店も病院も公民館も映画館も
ビリヤード場やパチンコ屋さえありました。

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映画館は座席数400の立派なもので、
封切り館。

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天候不順で物資が運べない時でも
映画のフィルムだけは特別に運送されたそうです。
しかし、テレビの普及と共に観客が減り、
卓球場や倉庫になっていきました。

そして独身者用に遊廓さえあったといいます。

特徴は高い電化率で、
テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機は普及率100パーセント

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この「3種の神器」の日本全国での普及率が数パーセントだった時に
なぜ100パーセントが達成されたかというと、
高い給料の上に
家賃は会社所有でタダ。
光熱費は10円。
余剰資金が家電に向かったものと思われます。

また、密集住宅での情報伝達力が強く、
どこの家でテレビを入れた、
などという情報が
午前中には全戸が知っていたといいます。
共同受信などない時代ですから、
アンテナが林立しました。

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なお、住民は仲が良く、
外出時も部屋の鍵はかけず、
不在時に不足した醤油を借りに隣家に入る、
などということも日常茶飯事だったようです。

何でもあったこの島に、無いものが3つ

一つは高校
だから、中学卒業時、進学希望者は他の町に移る。
まあ、これは離島にはよくある話ですね。

一つはお墓
住民でこの島が故郷、という人はいないので、
遺骨をそれぞれの田舎に引き取られて埋葬されたわけです。
無縁仏は軍艦島唯一の寺である泉福寺に納骨されました。

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もう一つは火葬場
この狭い島で火葬する場所はありませんので、
火葬は隣の無人島、中ノ島でされたそうです。

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ここには、プールがありました。

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25メートルのちゃんとしたプールです。

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昭和33年完成。
それまでは小学校の前にありましたが、
台風で大破したため、
ここに移されました。

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使用したのは海水でした。

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ライフラインはどうしていたかというと、
まず電力は、
明治35年に島内に発電所を建設。
消費電力の肥大化に伴って、
大正6年、
高島炭鉱の発電所からの送電海底電線ケーブルが敷設され、
翌年から送電が開始されました。

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次に
湧き水が一切ないこの島では、
水の確保は重要な課題で、
明治24年に製塩工場を建設して蒸留水を製造し、配給する体制が出来ました。
ただ、絶対量が少なかったため、
生活雑用水には海水や雨水が使用されました。
配給量は家族の人数によって決まる「水券」が発行され、
水券がヤミで売買されたり、
賞罰にも使われたりました。

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昭和7年に給水船による1日1回の給水が開始されました。
対応して、昭和10年に製塩事業が廃止され、
真水の確保が給水船だけに頼るようになると、
水不足は変わらず、
水券の発行による給水の制限は続きます。
戦後には給水船も3往復するようになりましたが、
輸送費が莫大にかかりました。

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昭和32年に、
日本初の海底水道が完成。

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パイプラインは陸で繋ぎ合わされ、
船で牽引されて軍艦島まで敷かれました。

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水券は廃止。
軍艦島における水問題に終止符が打たれます。

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ガスは、プロパンガスを用いていました。

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これが、ガイドさんの説明で最も重要なもの。

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竪坑への桟橋への昇降階段

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この階段を毎日毎日鉱夫が登り、
検査を受け(火種を持っていないかの検査)
その後、ケージと呼ばれるエレベーターで竪坑を降りていったといいます。

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630m80秒で降下。
ほとんど自然落下に近い状態で、
鉄骨の柵だけのケージに乗って、
真っ暗な竪坑を降りるのは、
相当恐怖感があったはずで、
下に降りた時には、
気を失っている者もいたようです。

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下に降りた後、
更に1000m斜坑を下って行く現場は
気温30度、湿度95度の世界。

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地上に戻って来た時には石炭まみれで、
この階段を降りました。

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今だに階段には
黒い石炭の痕が残っています。

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それでも家に戻れば、家族が待っており、
家族だけが苦しい労働の支えだったといいます。

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それだけに若い独身者には耐えきれない者もいたようです。

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奇跡的に残ったこの階段が伝えるものは何か。
いつの日か倒壊するのかもしれません。

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島の建物の倒壊が進む原因の一つに高波があります。
台風のたびに、
島全体を包み込むような波が襲いました。

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30号棟の屋上から高見の見物をしているご婦人たちの姿。
島民にとっては慣れたものだったのかもしれません。

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天川工法で作られた護岸は、
今でも島を守っています。

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最盛期には5千人以上の島民を抱え、
「海上の不夜城」と呼ばれた軍艦島も

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石炭から石油への世の中の流れを受けて、
閉山を余儀なくされました。

昭和47年に採掘終了、
昭和49年、全て掘堀り尽くした「終掘」の状態で閉山。
国内の炭鉱としては
極めて珍しい労使和解の黒字閉山で
約100年の歴史に幕を下ろしました。
4月20日に最後の住民が退去して、
島は無人島になりました。

閉山と同時に
炭鉱施設は解体。
住居部分は放置したまま、
自然の倒壊に任されています。

軍艦島は売りに出されましたが、
買い手がつかず、
2001年に行政へ無償譲渡されます。
これはあらかじめ
一定の期間が経過した後売却できなかった場合の措置として、
取り決められていたことでした。

島内は立ち入り禁止で、
周遊観光では船で周囲を回るのみでしたが、
2009年に島内に一般見学ルートが完成し、
上陸観光も始まりました。

軍艦島から見た海。

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昔の桟橋跡。

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再び船へ。

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立ち入ることの出来なかった場所は、
拝借した写真でご覧下さい。

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映画『007/スカイフォール』には、
軍艦島が登場します。

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エンドクレジットに「軍艦島」と漢字で出ることから、

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軍艦島でロケしたのだと思っていましたが、
今回島を訪ねてみると、
そんなことは出来そうもありません。
実際は、端島でのロケハンで撮影された写真をもとに
ロンドン郊外にセットを建造し、
そこで撮影がなされたそうです。
納得。

その時の宣伝ビデオ↓。

https://www.youtube.com/watch?v=LJ65k-lGzQw&feature=player_detailpage

帰りは中ノ島に隠れるように

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軍艦島は姿を消します。

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今、消えました。

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さよなら、軍艦島。
さようなら。

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↓は、「軍艦島1975年〜模型の国〜」
というドキュメンタリー。

https://www.youtube.com/watch?v=tUXM72JXWns&feature=player_detailpage

島民が去って1年後の島の様子です。
廃墟化が進んでいない軍艦島か見られます。







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