銀座でランチと『心にナイフをしのばせて』  書籍関係

今日は、昼前に銀座に出掛け、

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映画の席を確保してから、
先日見つけた安い焼肉バイキングの店に。

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何と、本日ランチは貸し切りですと。

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最大座席数420で、
貸し切りは350名からだといいます。
350名以上の貸し切り。
どんな壮観か見てみたかったですね。

で、代わりに↓の店に。

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落ち着いた感じで、

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個室を取ってくれました。

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ご覧のようなランチを食べました。

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かに酢、かに茶碗蒸し、かにグラタン、

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かに天ぷら、かに釜飯のかにづくし
香の物と吸物、コーヒーが付きます。

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釜飯は座席で。

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25分ほどかかります。

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炊きあがり。

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この「ホジホジ」という竹ヘラで

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カニの身をほぐし、

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まぜて出来上がり。

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カニのだしが効いて、美味でした。

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お茶漬けにすることも出来ます。

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外に出ると、さすが銀座は外人さんが多い。

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それと、中国人の団体。

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この免税店は中国人だらけでした。

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〔書籍紹介〕

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1997年に神戸で起きた「酒鬼薔薇」事件の際、
過去の中から似た事件が取り沙汰された。
それがその28年前(1969年)、
川崎市の私立高校で
入学したばかりの加賀美洋君が
友人に滅多刺しにされ、
更に首を切断された事件だった。

犯人のAは当時15歳
当然少年法の適用を受け、
少年院に送られた。
事件の内容は秘匿され、
被害者遺族には詳細は知らされなかった。

遺族は父母と3歳年下の妹。
その遺族たちの37年に及ぶ苦しみを綴ったのがこの著作だ。

口を閉ざす母親からの聞き取り、
代わりに語る妹からの聞き取りを元に
一人称の記述となっている。
それが、やや創作臭く
リアリティをそこなう。
それについては、

大半はみゆきさん(妹)のモルローグで占めるが、
すべてみゆきさんが語ったわけではない。
みゆきさんの記憶には、
いわゆるミッシングリングがたくさんある。
それを、みゆきさんの了解を得た上で、
私が取材したデータや関係者の証言で補足しながら構成した。
従来にないこの手法が読者に受け入れ容れられるかどうかは別にして、
このテーマにはこの手法しかなかったことを記しておきたい。


と弁明しているが、
まとめた内容が
理論的過ぎる点は筆者の責任だろう。

身内の人間の死というのは、
最大のストレスだが、
その上、人に殺されたとなれば、
そのストレスは倍加するに違いない。
重圧に負けて母親は寝込む。
妹は反抗する。
その中で寡黙な父親だけが、
人前で涙を見せず、耐えている姿が印象的だ。

被害者家族の悩みとしては、
実感できないにせよ、想像の範囲。
起こる問題は当人の個性ゆえではないかと思われるのは損だ。

ただ、終盤になって、にわかに緊張する。
犯人Aのその後を追跡する中、
ひょんなことからAの消息が判明する。
少年院を出た後、
養子縁組で姓を変えたAは、
大学に行き、司法試験に受かって弁護士になり、
ある地方都市の名士になっていたのだ。
筆者が電話をかけ、接触する。
母親もそのことを知り、電話をかけた。
しかし、Aからは謝罪の一言もなく、
金に困っているなら50万は貸すと、
印鑑証明と実印を用意して待て、と言うのだ。
しかし、金を用意してやって来たAと母親の間では
電話でこのような会話を交わされる。

「一度でいいから謝罪にきてください。
一度も来てくれなてないじゃないですか。
全然、音沙汰もないじゃないですか。
なんで謝りに来ないんですか。
謝罪に来てくださいよ。
謝ってくださいよ」
「なんでおれが謝るんだ」
「あれだけのことをしたんですよ、当然でしょ?
こっちが悪いというんですか。
謝りにきてくださいよ」

そこで電話は切れてしまった。
筆者はこう書く。

現在のAは名誉も地位もある身である。
優雅な趣味を持ち、恵まれた生活を送っているとも聞く。
もちろん累犯歴もない。
彼にすれば、あの事件はすでに過去の出来事なのかもしれない。
たしかに少年法の趣旨からいえば、
彼は間違いなく「更生」したといえる。
だがその一方で、
彼の「狂気」によって奈落に突き落とされた家族は、
四半世紀以上も前の悲しみを、
いまだに癒されず背負い続けている。
「更生」などといわれても、
寒々しく響くだけにちがいない。
なんと不公平なことだろう。
「更生」は、
彼ら被害者が少年Aを許す気持ちになったときに
いえる言葉なのだ、と思う。
少年法を免罪符に、
加害者もその親も責任を免れるとしたら、
やはり少年法のどこかが間違っているのである。

そして、「あとがき」でもこのように書く。

ごく単純なことだが、
Aが「更生した」といえるのは、
少なくとも彼が加賀美君の遺族に
「心から詫びた」ときだと思う。
「更生」とは、
そのとき遺族が
加害者のAを許す気持ちになったときにいえる言葉ではないだろうか。

この本の出版後、
Aから著者に接触があり、
「なんとか謝罪したい。
そのためにお金を用意した。
具体的には1千万円で、
これを奥野さんから加賀美さんに渡してほしい」
との申し出があった。
しかし、実行はされなかった。

この経過で特異なのは、
犯人Aが、その後の「更生」プログラムが「成功」して、
弁護士になったという点だろう。
友人を滅多刺しにし、
最後は首を切り落とすという異常な犯罪を犯した人間が
少年法に守られて前科もつかず、
その上、弁護士になったというのだ。

筆者は、こう書く。

弁護士が社会的に高い地位を保証されているのは、
<基本的人権を擁護し、
社会正義を実現することを使命とする>(弁護士法第1条)
職業だからだ。
殺人を犯した少年Aが
弁護士として社会復帰するというのは、
ある意味で、
少年法の精神である更生プログラムのもっとも成功した例がといえる。
それなのに、
Aには謝罪する気持ちもなく、
結果的に、くに子さん(母親)が受けた心の傷に
塩をすり込んで消え去った。
これをどう理解できるというのだろう。

Aはその後もしばらく弁護士を続けていたが、
2008年6月の時点で調べたところ、
前年、登録を抹消していることが分かったという。

「酒鬼薔薇」事件の少年も
既に社会復帰しているはずだ。
被害者家族との問題は
どのようにしたのだろうか。






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