日本の展望スポット  旅行関係

4月10日のブログで、
「外国人に人気の日本の観光スポット」25選を紹介したが、
同じトリップアドバイザーによる
「日本の展望スポット」20選

日本全国の絶景タワーや
高層ビルなどの展望施設を
口コミの評価でランキング。
トリップアドバイザーに2013年1月から12月の1年間に
投稿された展望スポット
(地上より高い建物に設置された展望を楽しめる施設とし、
山頂や岬の先端などにある展望ポイントは除外)
に対する日本語の口コミを、
星評価(5段階)の平均、
口コミの投稿数などをもとに、集計したもの。


1位 清水寺(京都府)

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口コミ:
「夜間拝観時期に行ってきました。
紅葉が清水寺一面にライトアップされていたり、
京都タワーが見えたりとても幻想的でした」

2位 大倉山ジャンプ競技場(北海道 札幌市)

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「11月の夜のリフトはとにかく寒い。
しかしジャンプ台上から、
遠くに大通公園やTV塔を見下ろす眺望は抜群。
そして展望台に立つと、
選手の勇気と凄さを身をもって体感できる」

3位 東京タワー(東京都)

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「東京といえば、『東京タワー』。
昭和時代からレトロな赤い光がせわしなく変化していく
東京の風景の中でも唯一変わらない。
近代的なイメージのスカイツリーと比較しても
なんだか懐かしい気持ちにさせてくれる」

4位 東京シティビュー(六本木ヒルズ展望台)(東京都)

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「渋谷、新宿、丸の内、皇居、お台場…
様々なランドマークが東西南北に見渡せる。
このジオラマのような景色の中で、
何万人という人が
いろんな感情を持って暮らしているのだと思うと
とても不思議な気分になる」

5位 千光寺(広島県 尾道市)

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「ロープウェイで登り、
帰りは歩くのがお勧めです。
千光寺公園からの風景は、
しまなみ海道が見え、絶景です。
坂道はそれぞれに表情があり、
どの道を下っても飽きません」

6位 出雲日御碕灯台(島根県 出雲市)

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7位 横浜ランドマークタワー 展望台 スカイガーデン(神奈川県)

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8位 東京スカイツリー(東京都)

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9位 徳島県立渦の道(徳島県 鳴門市)

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10位 神戸市役所 展望ロビー(兵庫県)

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11位 梅田スカイビル・空中庭園展望台(大阪府)

12位 札幌JRタワー展望室(北海道)

13位 天保山大観覧車(大阪府)

14位 東京都庁舎(東京都)

15位 羽田空港 第二ターミナル 展望デッキ(東京都)

16位 マリンタワー(神奈川県 横浜市)

17位 五稜郭タワー(北海道 函館市)

18位 なごみの塔(沖縄県 竹富島)

19位 神戸ポートタワー(兵庫県)

20位 福岡タワー(福岡県)



『村上海賊の娘』  

今日は午後、
クレジットカードの会社に次々電話をかけて、
解約を申し出。
使わないカードで年会費だけ支払っていたものの整理をした次第。

「当社のカードに何か不都合がありましたでしょうか」
と訊かれたのが2社。
「ああ、そんなことはありません。
ただ、使わないので。
老い先も短いので、
そろそろ整理しようかと思いまして」
と安心させてやります。

結局、マイルを貯めているユナイテッドのカード、
もう20年以上使っている信用度抜群のカード、
旅行代金の支払いで3%割引になるカード、
舞浜のイクスピアリのカード(駐車料金が2時間無料に)、
TOHOシネマズのマイレージ兼用カード、
それに青山のカードで年会費分クーポンが付いて来るカード
の5社だけが残りました。

数年前に銀行口座も整理して、
今は4行を残すのみ。
徐々に終末に向かいつつあります。


〔書籍紹介〕

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天正4年(1576年)の木津川合戦(第1次)を題材とした歴史小説。
木津川合戦とは、
織田信長軍の攻囲を受けた本願寺への
兵糧搬入を目的とした
毛利水軍・小早川水軍・村上水軍を中心とする
瀬戸内の水軍戦力と、
それを阻止せんとする織田方の水軍戦力が
大阪湾木津川河口で激突した戦のこと。
毛利方の水軍の使用する焙烙玉、
雑賀衆の使用する焙烙火矢の前に
織田方の水軍は壊滅的な打撃を受け、
本願寺への兵糧搬入という当初の目的を
毛利方が果たす結果となった。
交戦勢力は約1000隻程度と言われる。

主人公は村上景(むらかみ・きょう)。
瀬戸内の大半を勢力下におさめ、
村上海賊を最盛期に導いた村上武吉の娘。
20歳だが、嫁のもらい手がない。
というのは、醜女だったから。
と言っても、
目鼻立ちがはっきりして彫りが深い、欧米人的な顔で、
当時の美女はおたふくなので、
醜女とみなされていた。
まあ、ローラみたいな顔だちの女性が
戦国時代にいたら、
醜女に見えたと思えばいい。

嫁のもらい手がない、もう一つの理由は、
男よりも男まさりな性格。
父の配下の男達に混じって海に出て
船を襲うという海賊働きも行い、
その体躯で誰よりも強い。
本人は海賊(できれば美男の)に嫁いで、
夫と一緒に戦に出ることを夢見ている。

本願寺から兵糧入れの依頼をされた毛利家は、
村上海賊に力を貸してくれるよう依頼する。
村上武吉への使者に立つのは、
小早川隆景の海賊衆(警固衆)を束ねる乃美宗勝(のみ・むねかつ)。
もう1人は、毛利輝元直属の警固衆(水軍)の長・児玉就英(こだま・なりひで)。
武吉は児玉就英が景を嫁にもらってくれるなら協力しても良いと答え、
就英は怒って帰るが、
後で、就英は毛利家のために
景を妻とすることを承知させられてしまう。

本願寺へ船で兵糧を運ぼうとする一向宗の信者達が
他の海賊に船を乗っ取られてしまう。
景は海賊を倒し、信者の源爺留吉少年に出会う。
源爺から自分たちを本願寺まで送ってほしいと頼まれた景は、
信者達を廻船に乗せて、
大坂本願寺へ向けて出航する。

源爺たちを本願寺方の木津砦に送り届けた後、
景は、織田方の天王寺砦に入り、
真鍋海賊の首領、真鍋七五三兵衛(まなべ・しめのひょうえ)に出会い、
泉州侍達に同行して、織田軍vs本願寺の戦を観戦する。

木津川砦の責任者である一向宗の下間頼龍(しもつま・らいりゅう)が、
信者達をもっと戦わせるために
「進めば極楽往生、退かば無間地獄」
という旗を立てる。
信者達を騙していると、景は怒り、
留吉を救おうと木津砦に向かう。
しかし、留吉に
「自分達は脅されて戦っているのではない。
既に成仏を約束され、
そのお礼に御仏の敵と戦うために来たのだ」
と罵られる。
景は七五三兵衛から、
男達は皆、家の存続のため非情となって戦っているのに、
ただ戦に憧れているだけの甘っちょろい女だ、と断定される。
傷心を抱えて、島に戻った景は、
「もう戦はいやだ」と
女中達と遊び暮らす生活を送る。

村上水軍は10万石の米を積んで、
本願寺に立てこもる信徒を救うために大阪に向かう。
しかし、武吉は上杉謙信が参戦しない限り、
戦端を開かないつもりで、
淡路島近辺で待機するのみ。
そのことを知った景は、
留吉を救いたいという強い意志に突き動かされ、
再び戦場に向かう。
兄・元吉が率いる村上海賊達が
引き返すことを決めた夜、
景は一人で抜け出し
雑賀孫市の助けを借りて、
七五三兵衛が率いる真鍋海賊に戦いを挑む。

しかし、島に帰る途中、
「村上海賊でただ一人、
真鍋海賊に戦を仕掛けた者がいる。
それが、景姫である!」
と聞いた村上海賊達は、
一人残らず咆哮をあげ、
命令に反して船の向きを変えて
大阪へ向かう。

その後は、村上海賊と真鍋海賊の死闘が延々と描かれる。

登場人物は、
顕如(けんにょ)
下間頼龍
村上吉継(むらかみ・よしつぐ)
村上吉充(よしみつ)
村上景親(かげちか)
乃美宗勝
児玉就英
眞鍋七五三兵衛
眞鍋道夢斎(まなべ・どうむさい)
雑賀(鈴木)孫市
など、実在の人物。
その背後に織田信長が控える。

その信長登場のシーンが印象的だ。

騎馬が、大将の着る陣羽織を身にまとっていたからではない。
面を伏せているゆえ、
その容貌も知れなかった。
にもかかわらず、
鳴りを潜めたのは、
この武者の発する猛気が尋常一様のものではなかったからだ。
景にもそれが分かった。
男の猛気で、
その周囲だけ空気が歪んだかと思うほどである。
自らの正面で男が馬を止めたのを認めると、
景は思わず息を止めた。
この勝気な女が戦慄していた。
なぜなのか、景自身にも分からない。
どうしようもないほどに身が竦み、
肌は粟立ち、
総身のうぶ毛までが逆立った。
横にいる景親にも男の異様さが伝わっているのだろう、
これも傍目にも分かるほどに身を震わせていた。
すでに景は、騎馬武者の正体に気付いている。
「あれが──」
絞り出すように言ったが、
二の句が継げない。
あれほど気を揉んでいた
源爺たちのことさえ頭から離れ、
恐れだけが心を占めていた。
「──織田信長か」
やっと口を開いた。

登場人物が、みんな男前、というのが特色で、
海賊のメンタリティがよく表れている。
男前だから、
意気に感ずる
だから、景が一人で戦いに向かったことを聞くと、
船を反転して戦場に向かう、
などということが起こるのだ。

当時は人間の命が今よりもずっと軽んじられていたことが分かる。
というか、「如何に生きるか」よりも「如何に死ぬか」が重要だったのだ。
だから、怖じ気づいて戦線を離脱して、
その後、後悔と慙愧の念で生きるよりは
潔く戦って死ぬ方を選ぶ。
そして、一向宗の信者たちにとっては、
それが極楽浄土での成仏だった。

血湧き肉躍る、という表現がぴったりな部分が2度ある。

一度は、
戦の現実に打ちのめされて、
島に戻って嫁入りの支度をしていた景が
父親の口から
出陣はしたが、上杉謙信が軍を動かすまでは戦端を開かない、
多分上杉は出陣しないだろう、
という話を聞いて、
それでは本願寺の信徒が犬死にになる、
と奮起して船を出し、
大阪に向かうところ。

「誰も彼ものか自分のためだ。
七五三兵衛も、雑賀の孫市もそうだった。
兄上もそうだ。
皆、自分のためにしか戦っておらなんだ」
「戦や武家とはそういうものだ。
自らに利がなければ戦う者などおらぬ」
「オレが馬鹿だった。
難波に行ってそのことがよく分かった。
でもな父上」
景はきっと顔を上げた。
「留吉は違う。
源も違った。
門徒の奴らだけが違うんだ。
あいつらだけは他人のために戦おうとしているんだ」
「それは違う」
武吉は娘と同じ巨眼を剥いた。
「門徒どもは後生のために戦うしおるに過ぎぬ。
自らのためにしておることじゃ」
「そうじゃない」
景は激しくかぶりを振った。
「瀬戸内を出たとき、
あいつらは極楽往生がすでに決まっていると信じていた。
それでも弥陀の御恩に報いるために、
行かぬでもいい戦いに行って命を捧げたんだ。
戦場では退けば地獄だと脅され、
話が違うと知っても、
あいつらは仏の恩義を忘れようとはしなかった。
オレは見事だと思った。
立派だと思った。
オレはそういう立派な奴らを助けてやりたい。
オレはあいつらのために戦ってやりたい」

そして結局武吉は景を送り出し、
「俺の子だなあ」と笑うのである。

そしてもう一つは、
帰国のために西に向かって船を進める船団が
景が戦場に向かったと知って
方向転換する場面。

「しおらしく女子が戦うに、
これを見捨てる男など、
村上海賊には
一人たりともおりはせぬ」
「貴様、何をする気じゃ」
「兄上、覚悟なされよ。
戦に参りまする」
言うや、景親は全軍に届けとばかりに、
「者ども聞け」と
大音声に叫んだ。
「我が能島村上の者が一人、
敵の軍勢に戦を仕掛けた。
知らぬとあれば心して聞け。
その者こそ、
能島の主、
村上武吉の娘にして我が姉、
景姫である」
船団は静まり返っている。
船の舳先は水を切り続け、
波音だけが聞こえていた。
(なぜだ)
と景親が辺りを見渡したときである。
突如、兵どもが獣と化した。
正気を失ったとしか思えない。
関船に従う小早の上で、
能島の兵は卒然として立ち上がり、
夜空に向かって一斉に咆哮を上げ始めた。
耳を聾する甲高い咆哮だ。
まるで狼の群れが上げる遠吠えのごとき叫び声であった。

上下2巻で、千ページ近い。
「週刊新潮」に2011年5月5日、12日合併号から
2013年3月7日号まで
1年10カ月に渡って連載。
2014年本屋大賞を受賞。

巻末に主要参考文献として、
84冊にのぼる本が記されている。
その中には「信長公記」「石山軍記」「フロイス日本史」などの有名どころから
各市歴史、水軍史などがあり、
戦いの描写はごく精密。
まさに「講釈師、見てきたような嘘を言い」の世界。
史実に裏打ちされながら、
和田竜が想像の翼を広げた労作である。

サイトでは、
勝手に映画化の話を進め、
勝手に配役したりしている。
景を演ずる女優として、
杏、綾瀬はるか、宮崎あおい、
能年玲奈、満島ひかり
などがあげられている。
いっそのこと外人を起用して、
シャーロット・ケイト・フォックスや
ユマ・サーマンの名前をあげる人もいる。
まさかねえ。



バンドン会議と謝罪と桜を見る会  政治関係

22日、ジャカルタで開幕した
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念会議に際してした、
安倍晋三首相の演説
『Unity in diversity〜共に平和と繁栄を築く』
の全文は次の通り。

バンドン会議60年の集まりを実現された、
ジョコ・ウィドド大統領閣下、
ならびにインドネシアの皆さまに、
心からお祝いを申し上げます。
アジア・アフリカ諸国の一員として、
この場に立つことを、
私は誇りに思います。

【共に生きる】

共に生きる。
スカルノ大統領が語ったこの言葉は
60年を経た今でも、
バンドンの精神として、
私たちが共有するものであります。
古来、アジア・アフリカから、
多くの思想や宗教が生まれ、
世界へと伝播していきました。
多様性を認め合う、
寛容の精神は、
私たちが誇るべき共有財産であります。
その精神の下、戦後、
日本の国際社会への復帰を後押ししてくれたのも、
アジア、アフリカの友人たちでありました。
この場を借りて、心から感謝します。
60年前、そうした国々がこの地に集まり、
強い結束を示したのも、
歴史の必然であったかもしれません。
先人たちは、
「平和への願い」を共有していたからです

【共に立ち向かう】

そして今、この地に再び集まった私たちは、
60年前より、はるかに多くの「リスク」を共有しています。
強い者が、弱い者を力で振り回すことは、
断じてあってはなりません。
バンドンの先人たちの知恵は、
法の支配が、
大小に関係なく、
国家の尊厳を守るということでした。
卑劣なテロリズムが、
世界へ蔓延しつつあります。
テロリストたちに、
世界のどこにも、
安住の地を与えてはなりません。
感染症や自然災害の前で、
国境など意味を持ちません。
気候変動は、
脆弱な島国を消滅リスクにさらしています。
どの国も、一国だけでは解決できない課題です。
共に立ち向かう。
私たちは、今また、
世界に向かって、
強い結束を示さなければなりません。

【日本の誓い】

その中で、日本は、これからも、
できる限りの努力を惜しまないつもりです。
“侵略または侵略の脅威、武力行使によって、
他国の領土保全や政治的独立を侵さない”
“国際紛争は平和的手段によって解決する”
バンドンで確認されたこの原則を、
日本は、先の大戦の深い反省とともに、
いかなる時でも守り抜く国であろう、
と誓いました。
そして、この原則の下に
平和と繁栄を目指すアジア・アフリカ諸国の中にあって、
その先頭に立ちたい、
と決意したのです。
60年前、インドの農家とともに汗を流し、
農機具の使い方を伝え、
スリランカの畜産者たちを悩ませる流行病とともに闘うことから、
私たちはスタートしました。
そして、アジアからアフリカへ。
日本が誇るものづくりの現場の知恵や
職業倫理を共有してきました。
エチオピアでは、
「カイゼン」のトレーニングプログラムにより、
生産性が大幅に向上しています。
1993年には、
アフリカの首脳たちを日本に招き、
互いの未来を語り合う、
TICAD(アフリカ開発会議)をスタートしました。
暦はめぐり、世界の風景は一変しました。
最もダイナミックで、最も成長の息吹にあふれる大地。
それこそが、アジアであり、アフリカであります。
アジア・アフリカはもはや、
日本にとって「援助」の対象ではありません。
「成長のパートナー」であります。
来年のTICADは、初めて、
躍動感あふれるアフリカの大地で開催する予定です。
人材の育成も、インフラの整備も、
すべては、未来への「投資」であります。

【共に豊かになる】

アジア・アフリカには、無限のフロンティアが広がっています。
オープンで、ダイナミックな市場をつくりあげ、
そのフロンティアを、
子や孫にまで、
繁栄を約束する大地へと変えていかねばなりません。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、
RCEP(東アジア地域包括的経済連携)、
FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)は、
さらにアフリカに向かって進んでいく。
私は、そう考えます。
成長を牽引するのは、人材です。
それぞれの国の多様性を生かすことは、
むしろ力強いエンジンとなるはずです。
日本は、女性のエンパワメントを応援します。
手と手をとりあって、
アジアやアフリカの意欲あふれる若者たちを、
産業発展を担う人材へと育てていきます。
アジア・アフリカの成長を、
一過性のものに終わらせることなく、
永続的なものにしていく。
その決意のもとに、
日本は、これらの分野で、
今後5年で35万人を対象に、
技能の向上、知識習得のお手伝いをする考えです。

【むすび】

私たちの国々は、
政治体制も、経済発展レベルも、
文化や社会のありようも、多様です。
しかし、60年前、
スカルノ大統領は、
各国の代表団に、こう呼び掛けました。
私たちが結束している限り、
多様性はなんらの障害にもならないはずだ、と。
私たちが共有しているさまざまなリスクを再確認すれば、
多様性のもとでも、結束することなど簡単でしょう。
直面するさまざまな課題を解決するために、
私たち、アジア人、アフリカ人は、
結束しなければなりません。
この素晴らしい多様性を大切にしながら、
私たちの子や孫のために、
共に、平和と繁栄を築き上げようではありませんか。
ありがとうございました。


立派な演説である。
この演説に、韓国がさっそく噛みついてきた。
戦後70年で
過去の「おわび」に言及がなかった点を批判してきたのだ。

韓国外交省の当局者は22日、
安倍氏の演説について
「深い遺憾の意を表す」とコメント。
安倍氏が村山談話など
歴代内閣の談話や歴史認識を継承するとの立場を
公言してきたにもかかわらず、
「植民地支配と侵略」に対する謝罪と反省という
「核心的な表現」を落としたというのだ。

やれやれ。またですか。
この会議はそういう場ではないでしょうに。

一方、東南アジア諸国には
問題視する空気は薄かったという。

マレーシアのチーク通信マルチメディア相:
「(おわびがなかったことに)大きな意味は見いだしていない。
日本による占領という暗い時代、
残酷な時代を多くのアジア人は心のなかに覚えている。
しかし、今は前進すべき時だ。
貧困のない、正義ある社会をどうつくるか。
協力し合う必要がある」


ミャンマーのワナマウンルウィン外相:
「アジアとアフリカの途上国と協力を深めていく姿勢が示されて、
いい演説だった」と評価。
「侵略」や「おわび」については、
「特に我々が言うべきことはない」


カンボジアのホー・ナムホン外相:
「(おわびなどの言及は)安倍首相が判断すること」

インドネシアの外務次官は
「演説で触れられていない言葉についてコメントはない」
と話し
主な関心は日本によるアジア・アフリカ地域への
積極的な経済関与だとした。

実際、首相の演説は「未来志向」の色合いが前面に出たもので、
戦後日本が平和国家として
アジアやアフリカで果たしてきた貢献の実績をアピール。
注目を集めた「侵略」という言葉は
「バンドン10原則」を引用する形で触れたが、
日本の行為としての文脈では使わなかった。

代わりに首相は
「バンドンの先人たちの知恵は、
法の支配が大小に関係なく、
国家の尊厳を守るということだった」
と指摘。
南シナ海などで力による現状変更を試みる中国を牽制したとみられる。

首相はまた、アジア、アフリカに対する
新たな人材育成支援策を表明した。
AIIBを活用した「ハコモノ」開発を画策する中国との差を
鮮明に打ち出した形だ。


ところで、
この「謝罪」について、
村上春樹氏がインタビューで、
戦争被害国と日本との関係について、
「歴史認識の問題はすごく大事なことで、
ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。
相手国が
『すっきりしたわけじゃないけれど、
それだけ謝ってくれたから、
わかりました、もういいでしょう』
と言うまで謝るしかないんじゃないかな。
謝ることは恥ずかしいことではありません。
細かい事実はともかく、
他国に侵略したという大筋は事実なんだから」
と発言し、記事になった。

このインタビューに、
百田尚樹氏(59)が噛みついた。
百田氏は
「小説家なら、相手が『もういい』と言う人間かどうか、
見抜けそうなもんだが...」
と、謝罪には否定的だ。

これは、百田氏の意見の方が現実的。
中国にも韓国にも公式に何度となく謝罪している。
本当に国民がいやになるほど
機会あるたびに謝罪をしている。
それでも戦略的に「反省が足りない」というのが
中韓の立場なのだ。

賢人・曽野綾子さんは、
「謝るということは、金銭の賠償を伴う」
と指摘しているが、
それも日本は既に果たしている。
1965年の日韓基本条約締結時、
当時の韓国の国家予算の数倍に相当するお金を支払っている。

中国は蒋介石の
「恨みに報いるに徳をもってせよ」
という人格的な言葉で賠償は放棄。
その後出来た共産党政権とは
1972年の日中共同声明
1978年の日中平和友好条約を締結。
賠償的色彩の強いODA(政府開発援助)を支払い、
今だにやっている。
世界第2位の経済大国に援助しようというのだから、
不思議極まりない。

しかも、中韓両国とも、
日本からの援助について
国民に正しく広報しているとはいいがたい。

普通、戦争が終わって、
講和が成立すれば、
過去のことは問わない、
とするのが国際常識。
その証拠に東南アジア諸国は
日本の戦争中のことは問題にしない。
いつまでも問題にしているのは中韓両国だけだ。

それは「反日」を国内政治に活用している両国の内部事情によるのだ。

反日の材料がないので、
70年も前の戦争中のことを持ち出してくるのは、
前記のとおり
国際マナー違反なのだ。

このことをしっかり押さえないと、
村上春樹氏のような理想論
もっと言えばきれいごとを言うようになる。
国際間の問題はきれいごとで済まないのは現実で、
特に中韓両国の特異性に気付くべきだろう。

それにしても、
村上氏は
「それだけ謝ってくれたから、もういいでしょう」
と言うまで延々と謝り続ける
自分の国の首相の姿を見続ける国民のことを
考えたことはあるのだろうか。
そう思うと、百田氏のように、
「村上春樹もそこまで言うなら、
自分が韓国に言って謝ってきたらいいのに」
と言いたくもなるというものだ。

村上春樹を見損なった
ナイーブさと言えば聞こえはいいが、
高校生並の世界認識だと言わざるを得ない。
さっそく韓国マスコミに利用されている。
影響力のある人は
もう少し気をつけて発言してもらいたいものだ。


ところで、
お笑いコンビ、爆笑問題
18日に東京・新宿御苑で行われた
安倍晋三首相主宰の「桜を見る会」に出席したことについて
「バカ発言」と関連づけて一部から批判の声が寄せられている。

「バカ発言」については、↓のブログを参照。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20150407/archive

ニュース番組の映像に映っていたのは、
声をかけられた3人が首相と楽しそうに会話する姿。
太田さんのはじける笑顔が印象的で、
写真撮影時には首相の隣でおどけてみせる場面もあった。

しかしラジオ番組での
首相に対する「バカ発言」とのギャップに、
戸惑った人も少なくなかったようで、
インターネット上には、

「結局本人を前にした何も言えず・・・
おちゃらけでごまかすだけか・・・」
「爆笑問題の太田が
安倍首相の隣で破顔一笑しててなんだかがっかり」

と残念がる声や、
太田さんの態度を「手のひら返し」と受け止め、

「爆笑太田はどの面下げて行ってるんだ」
「官邸主催の花見会にノコノコ出席するわ、
近づいてきた総理に何も物申せないわで
太田さんダサいですね」


などという書き込みがあふれた。

これについて、
夫人の太田光代氏は、
「首相主催の花見に行っては、いけませんでしたの。
自分で交通費負担して、花見をしただけです」
と反論。
「夫は首相に、番組への再度の出演をお願いし、
首相も、呼んでくださいと仰いました。
普通の会話です」
「もちろん、私は戦争反対です。
今までと変わらず。
花見に行ったら人格変わりますか。
桜にそんな作用があったなら、
是非とも研究の対象にしたいです」
「なんで、桜を見に行っただけで、
皆さんに、なんだかんだを言われる意味が分かりません」
と不快感をあらわにした。

なお、写真撮影は首相の方から声をかけたといい、
首相は太田発言を承知していたようだ。
また、昭恵夫人から
「あまり安倍政権を批判しないでください」
と声をかけられたという。
首相の家でも話題に上ったのがうかがえる。

太田夫人の発言だが、
「桜を身にいっただけ」という主張は不当だ。
だって、桜を見たいなら、
自分で上野でも新宿御苑にでも行けばいい話で、
「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前の招待状を受け取って
のこのこ出掛ける理由にはならない。

招待状が来たのは「バカ発言」の前だというが、
自分がバカ呼ばわりした相手から招待を受けたら、
私なら行きませんけどね。
相手にも失礼だし。
そもそも「バカ」と全人格的に否定した人とは
断行するという覚悟がなければ
そういう発言してはいけない。

これについては、
ラジオ番組の太田光との対談で
言った大橋巨泉の発言が正しい。

大橋巨泉:俺にしてみれば、
見ず知らずの人に呼ばれて、
葉っぱの出た桜を見に行く。
意味がないですよ。

大橋巨泉:俺のところにも寄越したんだもん。
それで、ウチの女房が、
「安倍晋三って人から招待状が来てるけど。
アンタ知ってるの?」
って言うから、
「知らないよ」
「行くの?」
「行かないよ」
で終わりだけど。

太田光:でも、行かなきゃ。
大橋巨泉:だって、利用されるのイヤだもん。
太田光:利用されるって、どうして思うの?
利用すれば良いじゃん。
大橋巨泉:利用したくない。俺は闘いたい。
太田光:闘えばいいじゃん。
安倍さんと会って、
「お前のやってること、間違ってるぞ」って言えば良いじゃん。
大橋巨泉:待って。そういう席か?
そういう席じゃないから、
行っても無駄なんだよ。
そういう席なら行きますよ。
1対1で、こういうスタジオで話すっていうんなら、
喜んで行きますよ。

「桜を見る会」は、私も当時の小泉さんの招待で行ったことがあるが、
何てことない、つまらない行事。
そんなイベント、
バカ呼ばわりした相手に会う可能性がある場所に
のこのこ出掛けた
太田光の負け


『セッション』  映画関係

〔映画紹介〕

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アンドリュー・ニーマンは、19歳のジャズ・ドラマー
名門音楽学校に入学し、
前途洋々の未来を夢見ていた。
しかし、そんな彼を待っていたのは、
スタジオ・ジャズバンドの鬼教師テレンス・フレッチャーだった。

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完璧主義者であるフレッチャーは、
チューニングが合わないメンバーを追い出すなど、
度を越した苛烈な指導をする。
ドラムのニーマンに対しては
テンポがずれているからと椅子を投げつけられ、
屈辱的な言葉を浴びせられ、頬を殴られる。
メイン・ドラマーの席を巡って3人を競わせ、
他の楽器のメンバーを夜中まで待機させて、
極端にテンポの早い曲を入れ代わり立ち代わり演奏させる。
ニーマンの指は皮がめくれて血を出し、
ドラムは血まみれになる。

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ニーマンは恋人とも別れ、

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フレッチャーを見返してやろうと、音楽に没頭する。
しかし、コンペティションに遅れそうになったニーマンは・・・。

とにかく全編、フレッチャー対ニーマンのバトルが展開する。
と言っても、フレッチャーの方が圧倒的に強い立場だ。
弱い立場である学生のニーマンに対してひたすら罵声を浴びせ、
屈辱感に満たさせる。
おののきながらも、必死に食らい付いていくニーマン。

フレッチャーを演ずるJ・K・シモンズは、
迫真の演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞。
しかし、フレッチャーの指導は
軍隊の鬼軍曹並で、
ニーマンの家庭問題や人種問題を罵倒するなど、
音楽と何の関係もない。
そうした罵詈雑言では
伸びる者も伸びないだろう。
事実、フレッチャーの過酷な指導に負け、
自殺する生徒も出て来る。

指揮者と演奏家の話の映画では、
「マエストロ!」があるが、
「セッション」に比べると、
この日本映画が
如何に優しく、甘く、人情的だと分かる。
「セッション」の場合は
はるかに乾いていて、冷静で、大人だ。
それは日米の国民性の違いか、
それとも監督の目の厳しさか。
映画としては後者ということになり、
人間的葛藤がドラマを盛り上げる。
アカデミー賞編集賞録音賞受賞もうなずけるし、
新人監督、撮影時弱冠28歳のデミアン・チャゼルの力量も確か。
なにしろ大半は学内スタジオの練習シーンで
これだけの緊迫感を持たせるのだから。

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終盤、フレッチャーとニーマンは再会し、
初めてフレッチャーの真意が語られる。
音楽にとって最悪のものは、
「良くやった」と生ぬるく褒めそやすこと。
「かつて、ヘマをやらかしたチャーリー・パーカーに、
ジョー・ジョーンズはシンバルを投げつけた。
しかし、それがパーカーの克己心に火をつけ、
彼を偉大にした」
なるほど、そういう意図だったか、
とちょっとほろりとさせられたが、
その直後、それが見事に裏切られる。

この終盤の下りはどうにも納得できなかった。
密告で学校をやめさせられた意趣返し
観客を前にしたステージの上でするとは何事か。
音合わせさえさせず、
予備のドラマーのスタンバイもなく、
ニーマンを公衆の面前で恥をかかせようとする。
フレッチャーの人間性が破綻していること、
決して音楽を愛しているわけではないことが露呈してしまう。
それに反抗してドラムソロを続けるニーマンは
果たして天才の領域に入ったのか。

映画的技術、特に監督の演出力には感服したが、
最後の部分で、
結局はモンスター映画であったと思わせては損だと思うが。

「セッション」は日本で付けた題名で、
原題「Whiplash」

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バンドで演奏されるハンク・レヴィの曲で、
意味は「むちうち」

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mZjUEIV2Ru4


タグ: 映画

映画サークル  映画関係

今日は昼前から日比谷に出掛け、

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映画を1本観た後、
お昼はいつものここで、

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ステーキのランチ。300グラム。

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時間が半端になってしまったので、
日比谷公園で時間を過ごしました。

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隣のベンチにはホームレス。
反対側には、
営業で疲れたようなサラリーマン。
私はどう見えたでしょうか。
時間を持て余した年金生活者とでも。

ロシア人らしい家族連れがいて、
噴水を背景に
兄妹仲良く写真を。

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その父親から「インペリアル・パレスはどこ?」
と訊かれ、
一瞬、ラスベガスのホテルを思い浮かべましたが、
そうか、皇居のことか、と分かり、
教えてあげました。
父親が「アリガトウ」と。

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続けて映画を1本観た後、
場所を東銀座に移して、
月に一度の映画鑑賞サークルCCSの集まりに。

近況で、私は、
ミュージカル「デスノート」鑑賞の件、
TOHOシネマズ新宿の件、
4DX体験の件
を報告しました。
その後、

「アメリカン・スナイパー」
「イントゥ・ザ・ウッズ」
「博士と彼女のセオリー」
「フォックスキャッチャー」
「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」 
「おみおくりの作法」

という、いつもより多い6作品について、
感想を延べ合い、
楽しいひとときを過ごしました。


タグ: 映画




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