『パリでメシを食う。』  書籍関係

昨日の「パリよ、永遠に」に続き
パリを舞台にした本を紹介。


〔書籍紹介〕

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「パリの国連で夢を食う。」を書いた
川内有緒の著作。
彼女の第1作に当たる。

パリの国連本部勤務中に
現地で生活する日本人にインタビューし、
それを出版のあてもなく書きためていたものを
人の紹介で幻冬社で出版。
営業サイドが「売れないだろう」と出版をしぶるのを、
編集者がねばって「では文庫本で」と折り合いをつけて出版に至ったことは、
「パリの国連で夢を食う。」に書かれている。

著者がパリで出会った日本人で
「メシを食えている人」、
つまり、職業として成立している
頑張った人、10人を選別して描いている。

10人とは、

@パリで一番小さな三つ星レストランで働く料理人
A「不法占拠」のアトリエで絵を描いている女性アーチスト
Bパリの路上での出来事を写真に切り取るカメラマン
Cオペラ座界隈に漫画喫茶を開いた男性
Dオートクチュール(高級仕立て服)のテーラーで服を縫う女性
Eファッション誌やパリコレで活躍するスタイリストの男性
Fショーやサーカス、フェスティバルが活躍するヨーヨー・アーチスト
GスタンフォードとMBA(ビジネススクール)を出た国連職員
Hパリで指圧と鍼を普及させる鍼灸師
Iアフリカに憧れる日本人フローリスト(花屋)

どの職業も重なることのない多彩な選択。
そして共通するのは、
全ての人が「自由人」だということ。
このブログの題名の「空飛ぶ自由人」が恥ずかしくなるくらい
本格的な自由人で、
かつ地に足を付け、
職業として成立させているところがすごい。

なんとなく外国を目指し、
現地で日本人同士でつるんで過ごし、
時を経ると志半ばで帰国し、
良い思い出として生きる
あまたの「海外在住経験者」とは一線を画する。

それだけに、その自由さにあきれ、
とても真似は出来ないと思いながらも、
そんな生き方が出来たらいいな、
と憧れる人々だ。

路上カメラマンはこのように言う。

パリは、人間の生々しい体臭を感じる街ですよね。
パリでは人間が路上で生活しているじゃないですか。
だから僕はパリに惹かれるんです。

最近は、ニューヨークもロンドンも東京も、
ショーウィンドー化してしまっていると思いませんか。
売っている商品も情報も
その街で作られたものではなく、
外から運ばれてきたもの。
街にあるのはショーウィンドーだけ。
でもパリは違う。
職人がいて、その人が作ったものがそこで売られている。
それが、この街を都市でありながら『村』のようなものに仕立てあげる。
そして人々は、
路上を生活の場にしているから、
人生のドラマが路上で起こっているんです。

スタイリストは、こう言う。

合っているかどうかなんて、
関係ないんじゃないすか?
何でも続けてみないとわからないじゃないですか。
いや、明らかに計算が苦手な人が
経理の仕事に就くとかは無理かもしれないけど。
でも、たまにいるじゃないすか、
ライターになりたいとか言って
ちょっと文章書いただけで、
俺ってセンスねえ、とか言うやつ。
いくら才能があっても、
ある程度続けてみないとわからないのに。
やめたら何でもそこで終わりなんですよ。
逆に才能がなくても、
続ければ形になってくるし。
ある程度続けないと、
何も見えてこない。

鍼灸師と著者との会話。

「そもそも、センセイは何でフランスに来たんですか?
フランスでの目標は?」
「それはね、南仏で楽しく暮らしてみたかったってことかな」
少し面食らった後に、
そうかと納得した。
そして雨上がりみたいに清々しい気持ちが広がった。
いい大人になって「楽しい生活をしたい」なんて日本で言ったら、
眉をひそめられそう。
でも本当は私だって、いつも思っている。
楽しく生きたいと。
でも恥ずかしくて、
つい目標や将来設計を語ってしまう。
生きるとは、実はとてもシンプルに考えてよいのかもしれない。
センセイの周りの空気は、透明だった。

フローリストは、こう言う。

アフリカの人に、僕が花を活けているという話をすると、
みんな何の話をしてるのか
全く理解できないんです。
何で花をわざわざ切って、家の中に飾るんだって。
窓を開けたら
いくらでも花なんかあるのにって言われます。
テーブルの上に、
世界や空間を凝縮することだ
って説明するんだけど、
みんな意味がわからないみたいですね。

「あとがき」で著者はこのように書く。

こんな本を書くと、
世の中の人は、
私はパリが大好きだと思うかもしれない。
どうだろうか。
たぶん、好きだとは思う。
でも、実際に生活していると
嫌いな部分もいっぱいあるのも本音だ。
地下鉄ストライキのせいで一時間も歩いたあと、
おしゃべり好きなスーパーのレジのおばさんがつくりだす行列に並ぶ時、
パリが好きなんてやはり言えない。
でも、気づけば全ては帳消しになっている。
セーヌ川にかかる橋でピクニックをする午後。
誰かが路上で弾くギターの音色が響く夕暮れ。
友人が金色のリンゴのタルトを持って家に遊びにくる週末。
一人でカフェに座って温かいカフェオレを飲む瞬間。
いやなことの全てを忘れている。
良いことも、悪いこともひっくるめてパリという街がある。

パリで六年近くを過ごした今は、
自分を無理に奮い立たせることがなくなった。
近所の公園の芝生に寝転び、
本だけ読んで一生を過ごしてもいいではないかと、
今は思う。
だって、人は本当にどう生きることもできる。
私は、もうすぐこの街から引っ越す予定だ。
もう充分に楽しんだし、
また別な場所で生活してみたいと思うようになった。
せっかく見つけた安定した仕事を辞め、
また知らない世界に飛び込もうとするのは、
パリで出会った人々の影響なのは間違いなさそうだ。

この先、パリに住むことはたぶんもうないと思う。
でも、ずっと忘れない。
友人たち、一緒に見た風景、飲んだお酒、太陽、
ただ話し続けた、たくさんの夜。
そして、がんばれない私を受け入れてくれた
懐深い自由の街を。

文章は一級品。
幻冬舎の編集者が
「文庫本でもいいから」と
出版したくなった気持ちが良く分かる。
おそらく今後、何か大きな著作をものにする人だ。

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