『日本人はいつ日本が好きになったのか』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「なぜ日本は世界でいちばん人気があるのか」(3日前のブログ参照)
に続く、竹田恒泰氏の著作。

冒頭「この本を手に取った方へ」という
手書きのまえがきで、著者はこのように書いている。

いまは「日本が好き」き言える時代ですが、
すこし前まで、
たったそれだけのことを、
言うことができませでした。
もし口に出すと、
すぐに「右翼」と叩かれました。
それって何かおかしいと思いませんか?
日本人が日本のことを好きで、
いったい何がいけないのでしょう。

この本の構成は、次のとおり。

第1章 「普通の国」へ進化してきた日本
第2章 GHQが日本人を骨抜きにした
第3章 「戦後教育マニュアル」の正体
第4章 「国体の護持」を達成した日本国憲法
第5章 9条改正と謝罪外交の終焉
第6章 中国は敬して遠ざけよ
第7章 前近代的国家・韓国の厄介さ
終 章 国を愛すれば未来は輝きわたる

英国のBBCの調査で、
自国に対する好感度があるが、
日本人の自国に対する評価の低さの異常ぶりを紹介している。
2012年の調査で、
自分の国を好意的に評価した日本人は41%
50%を下回るのは日本とパキスタンだけだったという。
この評価を受けて、著者はこのように書く。

もしわが国が、戦争の最中にあり、
治安が悪く、物資が不測し、
インフラが未整備で、
学校や病院も不足していて、
文化程度が低い国ならば、
国民が自国のことを低く評価しても致し方ない。
だが、実際の日本はそれとはまったく正反対で、
平和で、治安もよく、物資に溢れ、
インフラも、学校や病院も整備され、
文化の香り高い豊かな社会である。
しかし、そのような豊かな社会に暮らしていながら、
たった41%の人しか
日本のことを肯定的に捉えていないのは、
極めて異常ではあるまいか。

しかし、次第に日本のことを好きな日本人が増えているという。
その原因として筆者は3つのものをあげる。
一つは東日本大震災
あの未曾有の災害を通じて、
日本人が日本を愛することを目覚めたのだという。
そして、二つ目は外患
竹島、尖閣を通じて、
日本人は国土のことを意識するようになった。
そして、三つ目は内憂
3年半続いた民主党政権のもとで、
日本人は政治の重要性を思い知ったのだという。

では、なぜ日本人が日本を好きでなかったのか。
その原因は戦後日本を占領したGHQの方針にあったという。

連合国が日本を占領した最終的な目的は何であっただろう。
それは、日本を精神的に武装解除させること。
すなわち、日本人を精神的に骨抜きにすることである。

そのために「報道」「教育」を使い、
WGIPが実行されたのだという。
WGIPとは、War Guilt Information Program の略で、
意味は、
日本人の潜在意識に
戦争についての罪の意識を植え付ける宣伝計画
である。

そういえば心当たりがあるだろう。
戦前の日本軍国主義の悪を徹底的に教え込み、
その結果、「国」は悪である、という意識を植え付けたのである。
「国」が悪なのだから、
「愛国心」も芽生えるはずがない。
戦後の謝罪外交も
全部その根はWGIPにある。
朝日新聞をはじめとする
日本を貶める論調はその残滓と言えよう。

WGIPの方針の一つに神話の封印がある、と筆者は言う。

同一民族の条件は、
「歴史と神話を共有すること」
にほかならない。
ゆえに、
世界のどの国でも、
歴史と神話を懇切丁寧に教えるのである。

日本の教育から神話が消え失せた。
その結果、日本の若者は、
この国がいつ建国されたかを知らない。

GHQは、
次の5点を検閲内容として挙げ、
教科書から徹底的にこれらを排除した。
@天皇に関する用語
A国家的拡張に関する用語
B愛国心につながる用語
C日本の神話の起源や、
 楠木正成のような英雄及び道義的人物としての皇族
D神道や祭祀、神社に関する言及、等々
国を興隆させることや
国を愛することは、
子どもたちに教えてはいけないこととされ、
教科書に国家的拡張と愛国心につながる用語を使うことすら、
厳禁とされていたことがわかる。

最近、愛知県一宮市の私立中学の校長
学校のホームページ上の
2月11日の建国記念日についてのブログに、
神武天皇の即位の日のことや
仁徳天皇の善政、
それにマッカーサーと天皇陛下が面会した時、
「今回の戦争の責任は全て自分になるのであるから、
私を罰してほしい」
と言ったことにマッカーサーが感激した、
などのことを書いた。
それが市の教育委員会に「偏向教育だ」と匿名の手紙が寄せられ、
校長は「迷惑をかけたくないから」と
ブログの掲載を取りやめたという事件があった。
まさにこれなど、
GHQによって刷り込まれたものの残り滓と言えよう。
なお、この校長のブログは、
中学社会科の学習指導要領に明記されている
「神話・伝承などの学習を通して、
当時の人々の信仰や
ものの見方などに気付かせるよう留意すること」
に従ったもので、
何ら問題がないのである。

こうして、GHQの方針は今だに呪縛として日本を支配している。

尖閣や竹島に対する中国、韓国の横暴が
日本人としての愛国心を高めたとすれば、
中国、韓国は功績があると言えるかもしれないが、
中国、韓国にしてみれば
誤算と言えるだろう。

筆者は中国は大国であり、
影響は大きいので、
次のように提案する。

日中問題を考えるうえで、
中国とは適切な距離を保ちつつ、
とにかく戦争が起きないように
上手に振る舞うことが最も重要なことではないだろうか。

韓国については、
法治国家ではない前近代国家であることを踏まえ、
面積は日本の約4分の1、
人口も日本の半分の約5千万人、
経済もGDPで日本の5分の1に過ぎない国家であることを見定めて、
付き合わない方がいい、と言うのである。

中国とは細心の注意を払いながら
「近所付き合い程度」の距離を保つことが肝要であり、
また韓国とは
よほどの理由がないかぎり
付き合わない方針を立てるのが
日本の国益に適うと思う。
それと同時に、
日本は中韓北を除く
アジア諸国との友好を深めるべきであろう。
これを「アジアマイナス3構想」と名付けておきたい。

最後に、「カルタゴの歴史に学べ」とした部分を挙げる。
カルタゴは2千年以上前に
現在のチュニジアにあった都市国家で、

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第2次ポエニ戦争でローマに敗れ、
紀元前201年に
ローマから一方的に突き付けられた次の条件の講和を承認した。

@完全武装解除
Aカルタゴの独立は認めるが、
 本国以外の全ての領土の放棄
Bカルタゴの安全はローマが保証し、
 カルタゴは専守防衛の目的に限り、
 自衛軍の存在を認められるが、
 海外での戦争行為は絶対許されない。
C本条約がローマ元老院の承認を得るまで、
 カルタゴに駐留するローマ軍の給与、食糧、その他、
 一切の費用はカルタゴが支払うこと。
D脱走兵、逃亡奴隷、捕虜を無償でローマに引き渡すこと。
E賠償金として1万タレントを
 ローマに支弁すること。
 ただし50年賦の支払いを認める。
F10歳以上、30歳以下の男子百人を
 総司令官スキピオの人選によって
 ローマに送ること。

この講和条件を読むと、
先の大戦の終結に当たり
日本が受諾した「ポツダム宣言」と共通点が多いことに
気付くはずだ。
なんとか国としての独立は認められたものの、
戦争が禁止され、
軍の保持が制限されたことは、
日本国憲法の第9条を彷彿とさせるものがある。

そして、その後のカルタゴが
戦後の日本とよく似ている。

戦後のカルタゴは経済活動に専念し、
持ち前の商才を発揮して、
奇跡の復興の末、
経済大国に復帰したのだった。
終戦からわずか10年後の前191年には、
カルタゴは賠償金の残額をまとめて支払いたいと申し出たほどである。

その結果、再びローマにとっての脅威となり、
口実をみつけて第3次ポエニ戦争が勃発、
紀元前146年に
カルタゴはついに滅亡してしまうのである。
20万人の人口のうち残ったのは5万人、
彼らはことごとく奴隷となり、
都市は破壊され、
土地は作物がならないように
塩をまいたとされます。
まさに戦争の結果、
カルタゴは完全消滅してしまったのだ。

私たちはカルタゴの興亡の歴史に学ぶところが多い。
カルタゴが滅んだ最大の原因は、
戦後の縛りのなかで経済一辺倒に傾いたところにあると思う。
カルタゴ人はとにかく商売には長けていたが、
教育と外交と軍事を疎かにした。

カルタゴが教育と外交と軍事を疎かにしてしまったことは、
国を滅亡させる三大要素になった。
戦後の日本も、
この三つを疎かにしたのではあるまいか。

最後に著者は次のようにまとめる。

近年、日本人が日本のことに興味を持った。
日本で日本ブームが起きたのは、
戦後初めてである。
日本人が日本を好きになったのは、
東日本大震災からではなかったかと思う。
これだけ大きな災害を経験しないと気付かなかったのかと思うと、
日本人として反省至極である。

私たちは震災で、
大切なものはカネだけではないということに気付かされた。
これまで意識もしていなかったもの、
たとえば家族や地域の絆や、
日本人の精神、
そういったものに本当に価値があることを知った。
私たち日本人が原点に立ち返り、
美しい日本の精神を取り戻し、
その光のなかで立ち上がって
本物の復興を遂げたときに、
もしかしたら震災で亡くなった方々に
報いることができるのかもしれない。


『博士と彼女のセオリー』  映画関係

〔映画紹介〕

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ケンブリッジ大学大学院物理学科に在籍するスティーヴンは、

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語学専攻のジェーンと出会い、恋に落ちる。

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しかし、体調を崩して昏倒したスティーヴンは、
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、
余命2年だと宣告される。
それでもジェーンはスティーヴンを見放さずに結婚し、
難病に二人で立ち向かっていく。

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とだけ紹介すると、
普通の難病モノかつ夫婦愛の物語だが、
これが実話で、
スティーヴンとは
あの天才的宇宙物理学者スティーヴン・ホーキングだとすると、
話は変わって来る。

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肢体の自由が奪われ、
最後は声まで失いながら、
頭脳は人一倍明晰で、
宇宙創生の謎の解明に取り組む存在、
それを支える妻の物語だからだ。

その映画化となると、
ホーキングの人間像がどれだけ描かれているかだが、
スティーヴンを演ずるエディ・レッドメインは見事にこの難役をこなして
アカデミー賞主演男優賞を受賞

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ホーキングが乗り移ったかのような名演技を見せる。
とにかく似ている。
ジェーンを演ずるフェリシティ・ジョーンズも好演で、
主演女優賞にノミネートされた。

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3人の子宝に恵まれ、
そんな理想的な家族も
破綻を迎えるが、
そこまできっちり描いて、
単なる美談で終わっていないところが
監督の厳しい視点として好感を持てる。

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事実として知られているから、書いてもいいと思うが、
ジェーンは教会の音楽指導者ジョナサンと恋に落ちて、
スティーヴンが49歳の時離婚。
53歳で看護師のエレイン・メイソンと再婚し、
2011年、69歳で離婚。
2年の余命との宣告に反して、
72歳の現在も研究生活に励んでいる。
天才の生涯も大変だ。

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宇宙が物質を生み、生命を誕生させ、
精神を形成して
ホーキング博士のような高度な頭脳が
宇宙の謎に挑戦する。
しかし、一人の人間としては
まことに人間味あふれる姿であることが描かれる感動作
ラストで「見よ、我らが創造物を」と
3人の子どもを見つめる目に
宇宙物理学も
家族の創生以上の成果のないことを示している。

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ヨハン・ヨハンソンの音楽がものすごくきれいだ。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=mw_YOjM2DbQ&feature=player_embedded


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キム・ジュンス・アジア・ツアー  身辺雑記

今日は夕方から
カミさんと共に原宿に出かけ、

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ここへ。

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国立代々木競技場です。

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今日は、キム・ジュンスアジア・ツアー
東京公演初日です。

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新アルバム「FLOWER」をひっさげてのツアー、

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すでに大阪、ソウル、上海、バンコクを終え、
今日から東京へ。

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会場には、ファンからの花が。

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こんなのに混じって、

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ホリプロの社長から。

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ホリプロに入る話でも進んでいるのでしょうか。

会場はご覧のとおり、

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満員の盛況です。

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私とカミさんと娘は3人並んで観ました。
私たちの席からはこんな感じ。
なにしろ2階席ですから。

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始まると会場は赤いペンライトで染まります。

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もちろん撮影禁止なので、
この程度にします。

ジュンスはダンス曲もバラードもいけるので、
ステージはバラエティに富みます。
歌唱力は折り紙付きですから、
ファンの要望で何曲かをアカペラで歌うと、
会場とシーンと静まり返ります。

ダンスは一級品。
振付もいい。

特にメイン曲の「FLOWER」の振付は最高。

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観たい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=az0Xkx_xd-0

素材はソウル公演
主催会社公式映像です。

今回は宙乗りにも挑戦。
蝶々の羽を付けて、宙に舞います。

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この会場、こんなことも出来るんですね。

クライマックスを少し撮影。

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あっという間の2時間半。

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うまい歌を聞いて、
ダイナミックなダンスを観て、
ホクホクした気分で帰路につきました。


『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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最近、「日本が好きだ」「日本はすごい」
という本や番組が流行りだそうだ。
この本は、そのはしりとも言える本。
2011年1月の発行だから、4年前。
そういえば、今ほど
自分の国に好意的な論調はなかった気がする。

冒頭、手書きの「この本を手に取った方へ」で、このように書く。

アメリカ人はアメリカを愛しています。
韓国人は韓国人を愛しています。
でも、日本人は、なんだかそうではない。
自分の国を愛せなくなっている人、
または自分の国をよく知らない人が増えている気がします。
僕はそれが悲しくて、
日本人に「日本はこんなに誇れる国だ」と
分かってほしくて、
だからこの本を書きました。

まさに、そのとおりで、
「日本を愛する」とか
「愛国心」とか言うと
なぜか罪悪感、
よくても気恥ずかしいものがあった。

「外国に行くと、日本の良さが分かる」
とよく言うが、
私もそのとおりだと思う。
日本ほど美しく、豊かで、便利で、
そして国民は礼儀正しく、真面目な国はない。
日本ほど幸福にあふれた国はないというのに、
住んでいる人々がそれを実感していない。
それはいろいろな理由があるが、
一つには、日本人が日本のことをあまり知らない、
ということがあげられる。
日本の良さが住んでいる人間には
当たり前すぎて、
実感できないこともある。
そこで、この本をお奨めする次第。

構成は、次のとおり。

序 章 世界でいちばん人気がある国「日本」
第1章 頂きます(いただきます)
     ──「ミシェランガイド」が東京を絶賛する理由
第2章 匠(たくみ)
     ──世界が愛する日本のモノづくり
第3章 勿体無い(もったいない)
     ──日本語には原始日本から継承されてきた『和の心』が宿る
第4章 和み(なごみ)
     ──実はすごい日本の一流外交
第5章 八百万(やおよろず)
     ──大自然と調和する日本人
第6章 天皇(すめらぎ)
     ──なぜ京都御所にはお堀がないのか
終 章 ジャパン・ルネッサンス
     ──日本文明復興
巻末対談 日本は生活そのものが「芸術」だ
     ──天皇から派生する枝葉のなかに我が国の文化はすべてある!
            (北野武×竹田恒泰)

序章では、冒頭、
2006年の英国のBBC放送局が
33カ国で約4万人を対象に行った世論調査
「世界に良い影響を与えている国」の結果が提示される。
最も高く評価された国(1位)は日本だった。
その後も3年連続で日本は1位を維持し、
2009年の調査では4位に落ちたが、
翌2010年の調査では2位に評価された。

国別に見ると、日本に対する評価で
否定が肯定を上回ったのは2カ国のみ。
もちろん中国と韓国である。
この2カ国が足を引っ張っているにもかかわらず、
高い順位を確保しているのだから、
その他の国での日本の評価がいかに高いかが分かろうというものだ。

第1章では、
ミシェランガイドの評価を提示する。
2008年の評価が発表されると、
衝撃を受けたのはパリの美食家だったという。
星付きの総軒数がパリ74軒に対して
東京は150軒と上回り、
総星数もパリ107個に対して東京191個。
2010年版では三つ星の店数も
パリ10軒に対して東京11軒と上回ってしまった。

東京がパリを上回る美食都市であることは、
私の目にはむしろ当然に思える。
東京が世界一の美食都市に「なった」のではなく、
欧州人がようやくその事実に「気付いた」と表現するのが正しいのではないか、と筆者は述べる。
東京が美食都市であることは、
ミシェランの星の数だけではなく、
飲食店そのものの数からも窺える。
都市にある飲食店の数は、
パリが1万3000軒、
ニューヨークが2万5千軒であるのに対して、
東京は16万軒に上る。

そして、星が付いた197軒のうち、
132軒が日本料理店であることから、
日本食が高く評価された結果だとし、
その日本食は、
専門店に細分化されていると指摘し、
その原因は日本の食材、
特に魚の種類の豊富さ
が関係していると指摘する。

食材の種類が少ないと料理の種類もおのずと限定されるからだ。
英国料理、ドイツ料理、オランダ料理、スイス料理などは
種類が少なく、
日本人だったら数日で飽きてしまうに違いない。
まして米国には料理文化はないといっても差し支えなかろう。
しかし、それらはまだ良い方だ。
アラブの料理の少なさは、
米国人ですら驚くほどだ。
ドバイのような特殊の都市は例外としても、
およそアラブの世界では
地元の料理しか口にできない地域が多い。
しかも、気候条件が厳しく
野菜が高価なため、
おのずと料理の種類は限定されてくる。
筆者はイラク滞在中に毎日、
地元の名士に食事に招待されたが、
どこに食べに行っても
種類の少ない同じ料理しか出てこなかった。
イエメンはさらにひどく、
豆を煮込んだものを食べる他に選択肢はなかった。

これは、かなりの旅行をしている私も実感する。
アラブではないが、
モロッコでは毎食同じ印象だったし、
ヨルダンでもオランダでも食事はおそろしく限定されていた。

その料理の専門性の原因として、
筆者は日本人の「こだわり」をあげる。

日本人は何にでもこだわりを持つ性質があるようだ。
物事を徹底的に突き詰め、
道を究めようとする姿は、
料理の世界でも同じで、
料理人たちが料理を突き詰めるほど、
日本料理は料理ごとに専門化してきた。
異邦人が16万軒の専門店が並ぶ
東京の景色を見たら、
驚いて当然だろう。

料理を究めるためには、
一朝一夕でできるわけではなく、
日本人の長い料理の歴史がある。
筆者が指摘する
人類最初の調理の起源は興味深い。
すなわち、煮る、炊く、蒸すといった料理の基本は
土器があって初めて可能で、
その世界最古級の土器は青森県で出土しているのだ。
日本における調理の歴史はフランスや中国のそれより数千年長いのである。
世界四大文明が発生する何千年も前のことである。

日本人が料理を究めたことと、
日本人の先祖が人類で最初に料理したことは
無関係でないように私には思える。

そして、米に対するこだわりも、
日本人が料理を究めてきた一つの要素だという。
稲作文化と共に神道が発展し、
それが料理の深い根底にあるのだという。

古来、日本人にとって
食事をすること自体が神事だった。
食事は神からの賜り物で、
料理はいったん神に供え、
祈りを捧げてから、
お下がりとして頂くものだった。
料理そのものがすでに神なのである。
したがって食事をすることで、
神と人が一体になると考えられてきた。

神社では二拝二拍手一拝の作法で参拝するのが通例だが、
食前と食後に、
食事に向かって一拝一拍手するのが
日本における食事への感謝の作法である。

なるほど、そういう意味があったのか。

「給食の時間に、
うちの子には『いただきます』といわせないでほしい。
給食費をちゃんと払っているんだから、
いわなくていいではないか」
と学校に申し入れた母親がいたそうだが、
こんな親に育てられる子どもがかわいそうだ。

食前感謝と食後感謝は、
人が人として生きるうえで、
神々、大自然、食材、生産者、料理人などに
感謝する美しい日本人の作法である。
宗教色だの代金だのとやかくいう前に、
日本人としての最低限の振る舞いをすべきではないか。

以下、匠み、勿体無い、和み、八百万、天皇と
日本の素晴らしさを示す記述が続く。
そうした日本の大自然に根ざした素晴らしさを
近年、異邦人が気づき始めた
と著者は強調するのである。

そして、日本が世界最古の国であることにも言及する。

言われてみれば、確かにそうである。
国家が興亡した欧州や
王朝が入れ替わったアジアやイスラムと比べ、
日本は大和朝廷以来、
一貫して国家として保ってきた。
明治維新を乗り越えて外国の植民地にもならず、
敗戦によっても国家を維持してきた
その世界最古の国の存在価値が
欧米の人々にもようやく認識されてきたのだ。

そして、戦後の経済発展を通じて、
世界第2位の経済大国にのぼりつめ、
人口の多い中国に抜かれたものの、
今もGDP世界第3位に位置する。
物作りに励み、
日本製と言えば、
高品質の代名詞のようになり、
日本料理が世界を席巻しつつある。
そして、アニメやファッションで発信する
日本の文化が世界に受け入れられている。

テレビ番組の「Youは何しにニッポンへ」を観ると、
おびただしい外国人が
日本の良さを求めて来日する姿が見られる。
彼らは日本人以上に日本の良さを知っている。

自然と融和し、
和の精神を尊み、
勤勉さに富み、
高い美意識に満ちた日本の価値を
ようやく世界が認めたのだ。

ようやく分かった。
中国や韓国がなんとか日本を貶めようとするのは、
嫉妬から来ているのだと。
東アジアの三兄弟の末弟が
世界で尊敬され、好かれているのが我慢ならないのだ。
そして、戦後の日本は非の打ちどころがないことから、
70年以上前のことを持ち出して
日本を非難するしかないということを。

しかし、そういう日本人の良さが
段々失われつつあることに
筆者は警鐘を鳴らす。

かつての日本人は
貧しくとも楽しく、
貧しくとも清潔に、
貧しくとも礼儀を重んじ、
そして貧しいからこそ勤勉に働きよく学ぶ、
そんな集団だった。
よく「衣食足りて礼節を知る」というが、
そのころの日本人は
「衣食足りずとも礼節を知る」人たちだったのである。

世界最古の国家を担う日本人の一人一人が
この稀有の国を支える心構えが必要とされている。



お彼岸と『妻への家路』  映画関係

今日は、お彼岸の中日。
そこで殊勝に家族でお墓参りに。

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どのお墓にも花が活けられています。
普段はガラガラの駐車場は、
臨時駐車場が出る騒ぎ。
気の早い桜が一本花開いていました。

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その前に市内の寿司屋に。

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ここは、回転寿司ランキング1位になったこともある店です。

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ここには「こぼれウニ」「こぼれイクラ」というものがあります。

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これが普通のウニ。

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こぼれウニとウニの値段の違いは100円。
つまり、こぼれた分は100円というわけ。

これは「一本穴子」といいます。

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〔映画紹介〕

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「紅いコーリャン」「秋菊の物語」などの
チャン・イーモウ監督と女優コン・リーのコンビの作品。

文化大革命の中国。
右派として労働教化のさ中、
脱走したルー・イエンシーは、
妻のもとを密かに訪れる。
共産党委員から会うなと言われていた妻のフォン・ワンイーは
居留守を使うが、
駅の階段で待つという伝言を受け取り、
衣服と食べ物を持って駅へ向かう。
しかし、娘のタンタンの通報により
イエンシーは逮捕され、夫婦はまた引き裂かれてしまう。

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それから数年。
文化大革命が終わり、
名誉回復がなって20年ぶりに
自由の身となったイエンシーは
喜び勇んで自宅に戻るが、

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妻のワンイーは、
夫を長年待ち続けた疲れが原因で記憶障害となり、
イエンシーを夫だと思わず、
世話をしている共産党委員だと思い込んでしまう。

向かいの家で生活を始めたイエンシーは
収容所で書き続けてきたワンイーへの
膨大な量の手紙を読んで聞かせるが、
ワンイーは夫を「手紙を読んでくれる人」としか認識しない。

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「5日に帰る」というイエンシーからの手紙を受けとっていたため、
ワンイーは、毎月5日になると、
駅で名前を書いたプラカードを持って待つが、

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イエンシーが姿を見せても夫とは思わない。
何とか思い出してもらおうと
様々な努力をするイエンシーだったが、
妻の記憶障害は重く、治らなかった・・・

これに娘のタンタンの話がからむ。

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舞踊団で優秀な踊り手だったタンタンだったが、
父親が脱走者ということで
主役を他の人に奪われてしまう。
父親に恨みを抱いたタンタンは、
母親のアルバムにある父の写真をくり抜いてしまう。
それが母親の記憶障害の遠因になるとも知らず・・・

妻のワン・イーをコン・リーが
夫のイエンシーをチェン・ダオミン
切ない夫婦を演ずる。
妻の記憶を呼び覚まそうと、
収容所で紙の端に書き記した手紙を読み聞かせる夫の姿が切ない。

記憶喪失の夫婦の話は、
名作「旅路の果て」(1942年 マーヴィン・ルロイ監督)や
「かくも長き不在」(1960年)等
多々あって新味はないが、
その背景に文化大革命という歴史が横たわっているのが特徴。
毛沢東の権力闘争に巻き込まれた
庶民が普通の幸福が奪われた出来事だった。
そういう意味で、
最後の駅の金属製の扉が閉じた向こうの夫婦の姿は
文化大革命という牢獄に閉じ込められた夫婦のように見えた。

泣ける題材だが、
無理に泣かそうとしないだけに胸にずしりと残る。
そして、安易なハッピーエンドではなく、
あのような終わり方が
歴史に翻弄された夫婦の形として
印象的だ。
コン・リーは老けたが、
老けただけの年輪を感じさせる演技を見せる。

5段階評価の「4」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=ObM5o8fkkwg&feature=player_embedded

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