『日本語は天才である』  書籍関係

〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

著者は翻訳家
だから、日本語の天才ぶりは
国語学者のように日本語の研究から導き出したのではなく、
翻訳という現場作業で
「日本語は天才である」
ということに気づいたのだという。

それだけに
日本語の天才ぶりを
ここで説明するのは
少々やっかいだ。
翻訳という経過を通じてのことだから。

従って、ここではその天才ぶりに触れない。

興味を惹かれたのは、
それまで文字を持たなかった日本人が
漢字に接した
時のこと。
自分たちが日常話している言葉が
文字として定着し、
伝達可能であることを知った時の驚愕はいかばかりだったろうか。

次のような文字列を見て、
何のことか分かる人がいるだろうか。

田児之浦従打出而見者真白衣不尽能高嶺※雪波零家留(※は文字がパソコンで見つからず)

これは万葉集4千5百首の中でも
最も知られている歌の一つ、

たごのうらゆ
うちいでてみれば
ましろにそ
ふじのたかねに
ゆきはふりける

(現代語訳 
  田子の浦に出かけて、
  遙かにふり仰いで見ると、
  白い布をかぶったように
  真っ白い富士の高い嶺が見え、
  そこに雪が降り積もっている。
          山部赤人)

の原文漢字表記。
この音が
こういう文字(漢字)に書き留められた時の
驚き、感動はどんなものだっただろうか。

文字を持たない文明として
インカ文明が有名だが、
ついに彼らは文字を持たず、
意志の伝達は
ひもの結び方で伝達した。
その結果、その文明は謎に包まれている。
逆にエジプト人は文字を持ったがゆえに
おびただしい記録を残した。

で、文字(漢字)に接した時、
日本人は素晴らしい発明を付け加えた。
カタカナひらがなの発明である。
どちらも漢字の一部を使ったり、
くずして表音文字を作った。
その結果、日本語が漢字文化に吸収されることなく、
残ったのである。

しかし、普及はさぞ大変だっただろう。
その普及に役立ったのが、
当時既に確立していた官僚制度だった、
というのも面白い。

この本の中に
「言葉というのは、
ほとんどの場合、
正確な出生届が残っていません」
と書いてあるが、
平安時代のある時期に
漢字が中国から導入されたのは間違いない。

漢字は、
日本語にとって
上代に保有することになった
初めての、組織的な、社会的な文字であった。
文字というべきものを方法として持たなかった日本語にとって、
漢字とのめぐりあいは
運命的な事件であったといえよう。
(角川大字源)

そして、そこから仮名が登場する。

漢字との「運命的な」出会いから始まった万葉仮名の誕生を、
ぼくは一種の翻訳という営みとして考えます。
つまり、日本語は、
漢字を無文字言語である自分に翻訳し
──たとえば、雪をゆきと翻訳した──
かつまたそれと並行して、
無文字言語の自分を漢字に翻訳していった───
たとえば、あらなくにを不有國と翻訳したわけです。
その「運命的な」出会いの
最初がいつであったかは特定されていませんが、
万葉集が完成した8世紀末まで、
少なくとも半世紀にわたって、
厖大な量の翻訳が行われた。
日本語は、
無文字の自分をまるごと漢字に翻訳していったのです。
壮大な話です。
今では無名の天才的な翻訳者たちが
どれだけ活躍したことか。
渡来人もいれば日本人もいて、
幾世代にもまたがって
翻訳者たちが活躍した。
無一文ならぬ無一文字だった日本語は、
漢字を手に入れて、
今度は独自の片仮名と平仮名を作りました。
9世紀には定着した独特の文字です。
これ自体は日本語の独創として
自慢できるのではないでしょうか。
いわば自習時間に自分でこしらえた。
お金だってかかったでしょうが、
全て自費でまかなった。

こうして
漢字と平仮名、片仮名が混在し、
さらにアルファベットも混在し、
横書きにも縦書きにも出来る
日本語が誕生する。

新聞を見ても
人目で内容が分かるのは、
漢字と仮名がまざっているから。

戦後のある時期、
日本語を全部かな表記にしようとか、
ローマ字で表記しようか、
というアホな学者たちがいたようだが、
そんなことが導入されたら、
と思うと背筋が寒くなる。

なんといっても漢字仮名混じりが、
日本語という天才が
長い歴史の中で選び取った
かけがえのない書き言葉だと思います。

隣国のことで恐縮だが、
韓国はハングル一本にしてしまったのは、
本当に愚かなことだと思っている。

とにかく日本語は表意文字と表音文字の二つが混在している。
アルファベットは表音文字で
わずか26文字と表記文字だけで
あれだけの言語を駆使するのも見事だが、
日本語は表意文字も持っている関係で、
次々と新しい言葉が発生するのもすごい。

その上、日本語にはルビというのもある。
あれも世界に類を見ない発明。

敬語、謙譲語なども交えて
日本語は世界一複雑な言語の一つだとされているが、
それをやすやすと習得する外人もすごい。
テレビ東京の「YOUは何しに日本へ」を見ていると、
日本語を話す外人が沢山登場するが、
本当にすごいと思う。
特に、独特の同音異議語を
漢字を通過せずに
ちゃんと理解しているところがすごい。

その日本語の特長である
「同音異義語」について。
ワープロを開発した時の難題が
この同音異義語だが、
それもクリアして、
ワープロが開発された。
ワープロなくて、
今のパソコンもアイフォンも成り立たないほとのすごい発明だった。
その同音異義語、
日本国語大辞典に収録されている
同音異義語上位30傑が掲載されている。

こうしょう 107 交渉、考証、高尚など
こうこう  101 高校、孝行、航行など
こうし    87 講師、公私、行使など
こうか    76 効果、高価、校歌など
しょうし   71 少子、笑止、焼死など
こうかん   69 好感、高官、交換など
しこう    68 思考、志向、施行など
こうそう   67 高層、構想、抗争など
せいし    65 生死、制止、静止など
せいこう   63 成功、精巧、性向など

しょうか   62 商家、消火、商科など
かんこう   62 観光、刊行、慣行など
かしょう   62 仮称、過少、歌唱など
こうとう   60 高等、高騰、口頭など
こうき    60 高貴、後期、好機など
しし     59 獅子、志士、四肢など
きこう    59 紀行、気候、寄稿など
かこう    59 加工、下降、河口など
しんこう   58 親交、進行、信仰など
ししょう   58 師匠、支障、死傷など

しんし    57 紳士、真摯、信士など
こうしん   57 行進、交信、更新など
かんしょう  57 鑑賞、干渉、感傷など
こうえん   56 公園、後援、講演など
しょうこう  55 将校、焼香、昇降など
こうせい   55 構成、厚生、公正など
こうせん   54 交戦、鉱泉、公選など
せんこう   53 先行、選考、専攻など
せんせい   53 先生、宣誓、先制など
かんし    51 監視、冠詞、漢詩など

こうして見ると、
カ行、サ行に同音異議語の素があることが分かる。

美しく、繊細で、
きれいな響きを持つ
日本語
を持つ国に生まれて
本当に良かったと思います。


『ナショナル・ギャラリー』と『ヴァチカン美術館』  映画関係

外国の美術館についてのドキュメンタリーが、
期せずして同時期に公開されているので、
2本まとめて紹介します。

〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

ナショナル・ギャラリーは、
ロンドンのトラガルファー広場に面して建てられた
絵画中心の美術館。

クリックすると元のサイズで表示します

所蔵作品は2千300点余りと
それほど多くはないが、

ダ・ヴィンチ、

クリックすると元のサイズで表示します

ミケランジェロ、

クリックすると元のサイズで表示します

ラファエロ、

クリックすると元のサイズで表示します

ルーベンス、

クリックすると元のサイズで表示します

レンブラント、

クリックすると元のサイズで表示します

ベラスケス、

クリックすると元のサイズで表示します

フェルメール、

クリックすると元のサイズで表示します

ゴッホ、

クリックすると元のサイズで表示します

ルノワール、

クリックすると元のサイズで表示します

セザンヌ

クリックすると元のサイズで表示します

などの
選りすぐりの傑作が多く、
13世紀から20世紀初頭の
西洋美術の流れをつかむことができ、
年間500万人が訪れる
世界有数の人気美術館だ。

この映画は記録映画の巨匠フレデリック・ワイズマン監督が、
この美術館の内部に迫るドキュメンタリー。

美術館の床を掃除する人の映像から始まり、
様々な絵画が画面を飾る。
特にルネッサンス以降、印象派の前までの
写実的な肖像画は
その人の人生が反映されたかのような
魂までも切り取られたかのような筆致が驚嘆を呼ぶ。

ナレーションは一切なく、
代わりに学芸員のギャラリートーク

クリックすると元のサイズで表示します

スライド上映付きの講演会の様子などで
作品に対する解説をする。
修復作業の様子や

クリックすると元のサイズで表示します

X線分析によって、
レンブラントやダ・ヴィンチの絵画の下から
別の絵が浮かび上がる秘密も描く。
会議室ではイベントとのタイアップの是非など
スタッフの議論する様子まで描かれる。
ラストを飾るのは、
ロンドン・オリンピックの記念に行われた
英国ロイヤル・バレエ団とのコラボで、
ティツィアーノの巨大絵画の前で、
二人のプリンシパルが幻想的な踊りを繰り広げる。

クリックすると元のサイズで表示します

学芸員の説明はほとんど覚えていないが、
ルーベンスの「サムソンとデリラ」

クリックすると元のサイズで表示します

最初に掲出された市長宅の暖炉の上に置いたところ、
その場での光の加減で
一層絵の構図が効果的になり、
画家がその場での光の入り方を考えて描いていた、
という点などうならせるものがあった。

3時間1分という長い作品だが、
それほど長いとは感じなかった。

5段階評価の「3」

予告編は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=kV1RDFpn4Qk

昨年ロンドンを訪れた際の
ナショナル・ギャラリーをはじめとする
美術館、博物館巡りのブログは、
↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20140624/archive


〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

カトリックの総本山であるローマのヴァチカンには、

クリックすると元のサイズで表示します

500年の間、歴代の教皇たちが収集してきた
芸術作品が収められたヴァチカン美術館がある。
英語では「THE VATICAN MUSEUMS 」と複数形で、
なぜ複数形かという説明を
「歴代の教皇が人間の芸術性をあますところなく残したいと望み、
それぞれに築き上げた美術館の複合体だからです」
と、
館長のアントニオ・パオルッチ教授がする。
この館長がしばしば現れるが、少々うざい。

そのヴァチカン美術館の数々の美術品を
4K(Ultra HD)の3Dカメラで描くのがこの作品。
題名に「4K3D」とうたってあるから、
2Dでの公開はない。
しかし、3Dメガネの宿命で画面は暗くなる
美術品の鑑賞としては少々困る。
美術館の回廊の奥行き、
彫刻の立体像は3Dの威力を発揮するが、
絵画まで加工して3D化するのはいかがなものか。
それにしても
3Dで描く「ラオコーン」は素晴らしい。

クリックすると元のサイズで表示します

紹介される作品は有名なものばかりで、
ダ・ヴィンチ、ジオット、カラヴァッジオら
ルネサンス期の巨匠たちに加え、
ゴッホ、シャガールら近現代の芸術家の作品も見られる。
ダリが信仰の問題で悩んでいたとは初めて知った。

後半は特にラファエロとミケランジェロという
ルネサンスが生んだ二人の巨人に時間が割かれる。
ラファエロの「アテネの学堂」

クリックすると元のサイズで表示します

「キリストの変容」

クリックすると元のサイズで表示します

も素晴らしいが、
特にシスティーナ礼拝堂
天井画と祭壇画のミケランジェロが圧巻。

クリックすると元のサイズで表示します

アップにされた絵が迫って来る。
この時ばかりは3Dメガネで暗いことも
立体加工のことも忘れて見入った。
やはり偉大な芸術作品は、
どんな映画的歪曲をも超越するようだ。

天井画を巡る
ミケランジェロと教皇ユリウス2世との確執は、
キャロル・リードの映画「華麗なる激情」(1965)に詳しいが、

クリックすると元のサイズで表示します

私もシスティーナ礼拝堂で魂を奪われた一人。
旅行でここを訪れた時、
側で見ていた人から
「好きな恋人に会っているような顔をしてたぞ」
と言われた。

クリックすると元のサイズで表示します

もし神様が
「世界中の芸術作品を一度塵芥に帰することにした。
ただ、一枚だけ残してやるとすれば、
何を望む」
と訊いたら、
私は迷うことなく
「『アダムの創造』だけは残して下さい」
とお願いするだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

それほど天才ミケランジェロの描く
神と人との出会いの瞬間は素晴らしい。

「華麗なる激情」の中でユリウス2世はこう言う。

クリックすると元のサイズで表示します

「私は戦争に強い。
しかし、戦争に強い教皇などいくらでもいる。
私の名前が残るとしたら、
お前(ミケランジェロ)に
この天井画を描かせたということによるだろう」
まさに、そのとおりになった。

クリックすると元のサイズで表示します

映画全体を通して、
ナレーションが過剰
そして、水滴や砂塵や葉っぱなど、
不要な付け足し画像が頻繁に挿入される。

芸術作品を描くなら、
最小限の説明で、
後は作品そのものを映し出せばいい。
そういう意味で「ナショナル・ギャラリー」も
「ヴァチカン美術館」も
ちょっと足を踏み外したようだ。

「ナショナル・ギャラリー」181分に対して、
こちらは66分と極端に短いが、
短くは感じなかった。

5段階評価の「3」

予告編は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Fn4aO6yFnww





タグ: 映画

セブ島旅行記Eラプラプとマゼラン  旅行関係

マクタン島での庶民の足は、
このジプニーと呼ばれる乗合バス。

クリックすると元のサイズで表示します

6ペソ(18円)くらいで気軽に乗れます。
停留所はなく、
適当なところで乗って、
適当なところで降ります。

もう一つの庶民の足が
トライシルク

クリックすると元のサイズで表示します

100cc程度のオートバイの横に
手製の乗客用サイドカーを付けたもの。
トライはtri、つまり「3」。
シクルはcycleで、
三輪バイク、または三輪タクシー。

三輪タクシーは東南アジアから南アジアにかけて普及している軽便な交通機関。
国によって呼び名は異なり、
インドやパキスタンでは「オート・リクシャー」、
バングラデシュでは「ベイビータクシー」、
ネパールでは「テンプー」、
スリランカでは「スリーホイーラー」、
インドネシアでは「バジャイ」、
フィリピンでは「トライシクル」、
タイやラオスで「サムロー(トゥクトゥク)」と呼ばれています。

フィリピンではのトライシクルは、
定員は運転手を含め4〜7人程度。
乗合料金は8ペソ(24円)位。
行き先を告げての貸し切りタイプは60ペソ(180円)位。

午後は、マクタン島の北へ行きたいので、
トライシクルを利用しました。

前夜、トライシクルのたまり場に行って、
「ラプラプ像までいくら?」と訊くと、
「200ペソ」と言います。
「往復で300ペソ」とも。
今日も「ラプラプ像まで」と言うと、
「200ペソ」の返事。
「高い」と言うと、
「150ペソ」
それでも「高い」と言うと、
「じゃあ、いくらならいいんだ」。
だ、「100ペソ」と言うと「OK」。
「帰り待っているから、あと50ペソ」とも。
つまり往復150ペソで、前夜の半額です。
で、車上の人に。

クリックすると元のサイズで表示します

客引きが勝手に乗り込んで来て、
「マッサージどうだ」「女、どうだ」
とうるさいこと。

クリックすると元のサイズで表示します

無事に目的地に着いたので、
100ペソ渡してサヨウナラ。

この公園に

クリックすると元のサイズで表示します

ラプラプ像があるというのですが、

クリックすると元のサイズで表示します

勝手にガイドが着いて来て、
あれこれ説明します。

クリックすると元のサイズで表示します

「ガイドはいらない」
と言っても、しつこく着いて来ます。

クリックすると元のサイズで表示します

土着の人形。

クリックすると元のサイズで表示します

これがラプラプ像

クリックすると元のサイズで表示します

マクタン島にいた大酋長の一人です。

クリックすると元のサイズで表示します

その向こうにあるのが

クリックすると元のサイズで表示します

マゼラン廟

クリックすると元のサイズで表示します

殺した者と殺された者の記念碑が
同じ敷地内、というのも妙ですが、
そのいきさつが、ここに。

クリックすると元のサイズで表示します

1521年4月27日、
この地での戦いでマゼランが命を落としたと書いてあります。

クリックすると元のサイズで表示します

マゼラン率いるスペイン艦隊が
西方向にインドを目指し、
アメリカ大陸を南下、
マゼラン海峡を通って西に向かう途中、
フィリピンに立ち寄り、
ここでマゼランは死にます。
その後、スペイン艦隊は西に進み、
アフリカ大陸南端の喜望峰を通過してから北上、
1522年、帰国を果たして「世界一周」が初めて達成されるのです。

クリックすると元のサイズで表示します

マゼラン自身は果たせなかったですが、
マゼランの功績とされています。

クリックすると元のサイズで表示します

フィリピンの地を踏んだマゼラン一行は、
リマサワ島の王コランプの紹介でセブ島を訪れます。

クリックすると元のサイズで表示します

1521年4月7日セブ島に達したマゼランは
まずは大砲を撃ってセブ島民を驚かせ、
上陸したマゼランはセブ王が
付近の王(首長)たちの中でも有力であることを見て
熱心に布教を始めます。

クリックすると元のサイズで表示します

マゼランが熱心に説くキリスト教の教えに
セブ王をはじめ500人が洗礼を受けました。

クリックすると元のサイズで表示します

気を良くしたマゼランはセブ島周辺の王(首長)たちにも
キリスト教への改宗とセブ王への服従を要求するようになります。
次第に強硬になったマゼランは
布教に当たって武力をちらつかせるようになります。
マクタン島では町を焼くこともしています。

クリックすると元のサイズで表示します

従わなかったマクタン島の王ラプラプに対して
4月27日、マゼランは軍隊を派遣します。

クリックすると元のサイズで表示します

3隻の小艇に60名の兵を乗せて乗り込みますが、
ラプラプ王は既にこれを察知しており、
60名の内11名を小艇の警護に残して上陸した
マゼランの49人に対して
1500人の軍勢を配置していました。

クリックすると元のサイズで表示します

圧倒的に多数の敵を前にして
マゼランは部下に
「諸君、われらの敵であるこれらの住民たちの数に
恐れをなしてはならない。
神が我らを助け給うであろうから。
諸君、思い出すがよい、
あのエルナン・コルテス隊長がユカタン地方で、
200人のエスパニャ人でもって、
しばしば20万、30万の住民たちを打ち破ったということを
我々が耳にしたのはつい最近のことではないか」
と演説します。
このことはスペイン艦隊の記録係ピガフェッタという人が記録しています。

クリックすると元のサイズで表示します

島の地理と潮汐を知り尽くしたラプラプは、
綿密な情報収集と周到な計画の上で
このマクタン島の遠浅の海岸を決戦地に選んでいました。
干潮のため、船で岸に近づけなかったマゼランとその部隊は
艦砲射撃をあきらめ、上陸。

クリックすると元のサイズで表示します

戦闘に突入後、
30倍の数の敵に対し
マゼランの兵はやがて敗走、
マゼランの周りには6人から8人ほどが踏みとどまって
戦うだけになります。
ラプラプ王の兵の竹槍は
マゼランたちの甲冑に通じず
戦いは1時間に及びますが、
ラプラプ勢は
防具をつけていない足に攻撃を集中し始め、
遂にマゼランは戦死します。

クリックすると元のサイズで表示します

この時、
ラプラプはマゼランとラプラプは一騎討ちでとどめを刺した、
という話がありますが、

クリックすると元のサイズで表示します

ピガフェッタの記録にはありませんので、
後世に作られた伝説のようです。

クリックすると元のサイズで表示します

その後、後継者によって率いられたスペイン艦隊は
帰国の途に付き、
壊血病と栄養失調で多くの死者を出しながらも
1522年9月6日スペインに帰国します。
スペイン帰国時の乗組員は21名、
内3人は途中で乗せたインディオなので、
出発時約270人の乗組員のうち世界周航を達成できたのは18名。
ほぼ3年にわたる航海でした。

ここで面白い話を。
先に書いたピガフェッタは
出航以来毎日欠かさず日記を付けていましたが、
世界一周達成を目前に
アフリカの西にあるヴェルデ岬諸島に立ち寄ったとき、
ピガフェッタの日記では水曜日であるはずが
ヴェルデ岬諸島では木曜日であることを知り大変驚いています。
世界一周すれば、
時差を食いつぶして、
日付が1日ずれるのです。
ジュール・ヴェルヌの「80日間世界一周」では
それが賭けに勝つポイントとなっています。
人類初の世界一周の記録者ピガフェッタは
地球一周による日付のずれを実感した
最初の人になったのです。

クリックすると元のサイズで表示します

ラプラプは
現地人から見れば侵略者であるマゼランの要求を初めて拒否した勇気ある人でした。
ラプラプはヨーロッパ人のアジア侵略に対して立ち上がった
最初の東南アジア人であるとされ、
フィリピンでは
民族の誇りを守った国民的英雄とみなされており、
市の名前に残っています。

敷地内には、土産物屋が並びます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

フィリピンのギターは有名ですが、
そのほとんどが
ここマクタン島で作られています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

公園の隣にあるのが
マクタン・シュライン・フィッシュ・マーケット

クリックすると元のサイズで表示します

魚市場というほどの規模ではありませんが、

クリックすると元のサイズで表示します

魚介類が並んでいます。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

その中からこうして選び、

クリックすると元のサイズで表示します

奥のレストランで調理してもらいます。

クリックすると元のサイズで表示します

ここまで勝手にガイドしてきた人が「チップを」というので、
仕方ない、ガイドを頼んだつもりはないけれど、
生活がかかっているんだろうからと、
50ペソ(150円)差し上げました。

クリックすると元のサイズで表示します

フィリピンの平均年収は48万円。
月収4万円ですが、
このあたりはもっと少ないはず。

クリックすると元のサイズで表示します

月収2万円として、
1日の稼ぎは600円ほどなければなりませんから、
まあ、寄付のつもりで。

クリックすると元のサイズで表示します

客席は海に面して作られています。

クリックすると元のサイズで表示します

泥の海です。

クリックすると元のサイズで表示します

ここでまた伏兵が。

クリックすると元のサイズで表示します

水の中に立って、
少年が物乞いの動作を。

クリックすると元のサイズで表示します

顔をそむけて、また見ると、まだいます。
へんな方を向いていて、また見ると、まだいます。
仕方なくペソをあげましたが、
それが後で困ったことになろうとは。

クリックすると元のサイズで表示します

料理が来ました。

クリックすると元のサイズで表示します

ただ、魚代金に加算される料理代が分かりません。
不安になって聞きに行くと、
全部で850ペソ(2550円)ですと。
昨夜のマルバゴ・グリルと比べても高い。
ポケットを探ると849ペソしかありません。
まさかさっきのガイドや子どものところに行って、
「少し返してよ」
と言うわけにもいきません。
さいわいコーラがまだ開けていなかったので、
これをキャンセル。
ここはカードも使えないし、
危ないところでした。

テレビは、ここもブラウン管式。

クリックすると元のサイズで表示します

プロレスもあるんですね。

クリックすると元のサイズで表示します

帰りは、ホテルまでぶらりぶらり。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

こんなオブジェを見たり、

クリックすると元のサイズで表示します

教会の建物を見たり。

クリックすると元のサイズで表示します

これは民家です。

クリックすると元のサイズで表示します

ホテルに戻って、
夜の予定のために
またここでのんびり。

クリックすると元のサイズで表示します

夜はニュー・ハーフのショーを観に行きます。



『鬼はもとより』  書籍関係

キム・ジュンスのアジア・ツアーが始まり、
娘は昨日、大阪公演を観に行きました。

当夜のジュンスの歌とダンスは、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=QOW3a5Z0kPY&feature=player_embedded

この曲、ジュンス自身の作曲によるものです。

https://www.youtube.com/watch?v=noQeXzZZew8&feature=player_embedded

行きは成田から関空へ、
ピーチ・エアで3千円(!)。
帰りは深夜バスで大阪から
東京ディズニーランドまで8時間半で、6千円。
ふかふかの椅子で
左右に境目があり、
顔の部分にフードがかかり、
男性と女性の座席を分けてあるといいます。
昔の夜行バスは眠れないものでしたが、
今は随分設備も良くなっているようです。
新宿経由で降りたのは一人。
後の二十数人は
東京ディズニーランドに行く客だったそうです。
帰りも夜行バスで帰るのでしょうか。


〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

藩札を題材として時代経済小説。
これは珍しい。

藩札(はんさつ)・・・

クリックすると元のサイズで表示します

江戸時代に各藩が独自に領内に発行した紙幣
藩札発行の目的は、
自領内の貨幣(幕府発行の通貨)の不足を補い、
通貨量の調整機能を担わせることであった。
それには十分な正貨準備が不可欠であったが、
実際には、藩札発行で得られる実通貨の納庫を目論み、
これによって藩の財政難の解消を試みる場合がしばしばあった。
藩札は表書きの金銀などの兌換保証が前提であったが、
実際には、藩にそれだけの正貨が用意できたところは少なく、
藩札の運用が行き詰った場合に、
兌換を巡る取り付け騒ぎや一揆、打ちこわしも発生した。
藩札は藩の取り潰しがあれば紙くずになるリスクも存在し、
藩の財政状況が悪化すれば藩札の信用力も落ちる結果につながる。
藩札は、和紙に木版刷りが基本であったが、
手書き墨書の札も少なくない。
藩札用紙は流通上の利便性のため、
耐用年数を上げるために小型で丈夫な厚手の和紙であるケースが多い。
すかしや着色紙、隠し文字などの偽造防止を取り入れたものもあった。

という基礎知識があると、
この小説の内容も理解しやすい。

奥脇抄一郎の所属する貧乏藩で藩札を発行することになり、
藩札頭の佐島兵右衛門のもとに5人の若者が参集される。
藩札発行は兵右衛門の献策で始まり、
兵右衛門の命懸けの姿勢に抄一郎は打たれる。
藩札の発行は成功し、
若者たちは「佐島五人衆」などと呼ばれてもてはやされる。
兵右衛門の死後、藩札頭には抄一郎が就任した。
やがて飢饉が始まり、
家老から藩札の増刷を命令された抄一郎は 
それでは藩札の信用が下落すると反対し、
ついに藩札の版木を持って逐電する。
藩は新しい版木を作って藩札を増刷し、
その結果、取付騒ぎから一揆へと発展し、
藩は改易され、国は亡びる。

江戸に逃れた抄一郎と盟友・助松との会話。

「あの光景(一揆の光景)を目の当たりにするとな。
武家もまた、
藩札のようなものであることが躯で分かる。
ま、藩札は真面目にやりさえすれば
まだ備え金があるがな。
武家のほうは、
自らはなにも作らずに、
ただ威張りくさっているだけで、
その裏付けはなにもない。
国を担っているのは百姓で、
武家はただ間借りをしているだけなのが、
はっきりと見えるのだ。
情けないものだぞ、抄一郎。
自分たちが、
ただの穀潰しだと突き付けられるのは。
ああして国を失ってみると、
もう一度禄を得ようなどとは
さらさら思わん。
もう、まっぴらだ」

助松の肩に手を掛けて、抄一郎は言った。
「助松、俺はな、最後の最後まで、
ほんとうに国が壊れると思っていなかったのだ」
上がった助松の顔を見て、続けた。
「江戸にいて改易の噂を聞いても、
噂に過ぎんと聞き流していた。
むろん、無傷でいられるはずもないが、
改易で消えてなくなるとは
夢想だにしなかった。
いや、なくなってみてはじめて、
国はほんとうに壊れるのだと気づいたほどだ」

江戸に出て、万年青(おもと)作りで生計をたてていた抄一郎のところに
「佐島五人衆」の噂を聞いて、
各藩が藩札についての教授を請うて来る。
抄一郎自身も飢饉の時にも対応できる藩札の仕組みを模索しており、
ついにその腹案が出来た時、
実験に最適な規模を持つ藩から
藩札発行の指導をしてほしいとの要請を受ける。

北の海に臨む島村藩1万7千石が
藩札を導入して建て直したいという注文である。
現地に乗り込んで確認したいと望む抄一郎に対して
江戸家老は色好い返事をしない。
経費のことで躊躇するほど藩の財政は窮乏していたのだ。
日当の返上を申し出て現地に臨んだ抄一郎は
執政兼藩札掛の梶原清明と面談し、
清明が藩札発行に対して命を賭けているのを感じる。
清明が最初に手を付けたのは、
前の執政であり、父親でもある梶原佐内に切腹を命ずることだった。
しかも、大手門前の広小路で
衆人監視のもとで行うというのだ。
それは10年前の藩を上げての釣術大会の時、
天候の急変で世継ぎを死なせた責任を取らせることだった。
それは貧しい藩ゆえの優しさでの責任回避を正すと共に、
藩札発行による藩の改革を藩全体に知らしめるものだった。
そのために父子は相談し、
10年前の咎の責任を明らかにしたのだ。

抄一郎と清明との会話。

「今日より、世間は、梶原殿を鬼と見るでしょう」
「もとより、鬼になるつもりでおります」
即座に、清明は受けた。
「これよりは、
もっともっと鬼にならねばならない。
そうでなければ、
このみすぼらしい国が、
初めから全ての仕組みを揃えて、
跳び出すことなど到底できはしません」

「鬼はもとより」という題名は、この部分から取っている。

抄一郎の様々な献策を清明は受け入れ、
鰯漁で生ずる魚油と〆粕と大豆を藩が買い上げ、
それを藩札で支払い、
浦賀を拠点として売りさばく販路を作り、
そのための船を買い上げ、
地元の商人が江戸に所有していた土地を召し上げ・・・
と改革に手をつけていく。
そして・・・

これに抄一郎の若い頃の女出入り、
剣道の友で「佐島五人衆」の一人である甚八との友情、
甚八と張り合った珠絵との三角関係などがからむ。

ことが成った後、
抄一郎のところに届いた清明の手紙は衝撃だ。
亡びようとする国を再興するには、
このような命懸けの覚悟が必要だったこと、
だからこそ、武士というものの存在価値が
発揮されることを感じさせてくれる。
その清明の手紙の下りでは涙が出た。

先の直木賞候補
まだ不都合な部分が多く、
宮部みゆきを除いて推す人は少なかったが、
この人もいつの日か必ず直木賞を取るだろう。


川崎中一生殺人事件  

また、いたましい事件が起きた。
世に「川崎中一生殺人事件」と言う。
おかしな命名だ。
「上村君殺害事件」ではなぜいけないのか。
個人名を出してはいけないというルールでもあるのか。

暴力的傾向のある18歳の無職青年(少年とは、あえて呼ばない)が
多摩川河川敷で
中学1年の上村遼太君を殺害した、
というのが事件の概要のようだ。
上村君を裸にして川で泳がせた上、
イスラム国のように膝まづかせて
首をカッターで切った、
と推測され、
その残虐性、凶悪性が明らかにされつつある。
つるんでいた二人の17歳青年の関係性は、
3人の供述に食い違いがあり、
今後の解明が待たれる。

いずれにせよ、
人間は嘘をつく動物であって、
特にこのような人物の言うことは信用できない。
主犯格の18歳青年も
当初否認していた。
「現場のことは、今はまだ話せない」
というのは自供したも同然だが、
ようやく刑事の追究に口を開き始めたようだ。

青年が警察に出頭した後、
青年の父親は、
代理人の弁護士を通じて新聞に
次のようにコメントした。 

上村君の事件につきましてはあってはならないことであり、
ご遺族の気持ちはいかばかりかと察してあまりあります。
また、犯人には事件相応の罪を受けてほしいと思っております。
これを前提に、
息子は上村君の殺害とは無関係です。
ただ、上村君と息子とは面識がなかったわけではないので、
事件の真相解明に協力できることがあれば
協力したいと思っております。

このコメントは、
息子の無実を信じてのことだが、
もし息子が犯行を認めたら
どんなことを言うかと関心を持っていた。

また、青年の父親は、
逮捕前に、テレビの取材で、
亡くなった上村君が、
自宅に遊びに来た時の様子などを次ぎのように語っている。

うちにね、1回来てるね。
(妻が)「君いくつ?」って聞いて、
「中学生です」って。
「この時間だったら、あんた学校でしょ」って言ったら、
「いや、行ってないんだよね」って聞いた。
(上村君をご家族が見たことがあると聞いて、嫌だった?)
それはあるよ。
接点があれば、誰だって嫌じゃない。
ましてさ、(上村君本人を)見ていれば余計でしょ。
俺なんて見てないからまだいいだろうけど、
うちのやつは、ショックじゃない?
あの子が...っていう感じでさ。
もちろん、俺は息子と話をして、
もしあれだったら、
警察の方に行って、
全部話させるつもりではいる。

「ひとごと」みたいだ。

そして、殺害を認める供述を始めた
との報道に、
父親は代理人を通じて
次のようにコメントしている。

今回息子が殺人容疑で逮捕されたこと。
そして、そのことについて息子が認めているという報道を聞いて、
大変ショックを受けており、
今はまだ言葉が見つかりません。
自分の知っていることは全て話をして、
真摯に捜査に協力してほしいと伝えたいです。
皆さんにはご迷惑をおかけし、
本当に申し訳ありません。

これも、「ひとごと」のようだ。

つまり、家で
「お前がやったのか」と問い詰めて、
「やってない」と聞いて、信じた。
だが裏切られた、
ということだろう。
無実であれば、
「父親として息子を信じた」
ということで美談なのかもしれないが、
実際に犯行をしていたのなら、
お話にならない。
息子にだまされた間抜けな父親というだけだ。
しかし、犯行について、どれだけ、
それこそ「真摯に」問い詰めたのか。
日頃、息子の行状を知っていたはず。
その観点から見て、
「本当か、本当にやってないか」
と命懸けでの追究はしたのか。

こういう事件が起こるたびに、
周囲の大人たちは
どうして事前に察知しなかったか、
というのが問題になる。
母親もいじめられていたのを気づかなかったのか、
という当然の疑問もわく。

それについては、
通夜の際、
母親が弁護士を通じて次のようなコメントを発表した。

本日、遼太の通夜を執り行うことができました。
優しい顔で寝ている遼太の姿を見ると、
本当に遼太が死んでしまったのか分からなくなります。
今にも起き上がって
「母さん、母さん、お腹すいた」
と言うのではないだろうか。
台所にいると、
「ただいま」と元気な声が聞こえ、
帰ってくるのではないかと思ってしまいます。
寝ている遼太に声をかけても、
遼太が私を「母さん」と呼ぶことも、
話すこともできなくなってしまったことが悲しくてたまりません。
遼太は、本当に明るくて優しい子で、
友達が多く、
まわりの大人たちにもとても大事にされてきました。
中学校1年生で、
まだまだあどけなく、
甘えてくることもありましたが、
仕事が忙しかった私に代わって、
進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました。
私自身、仕事や家事に疲れた時、
何度も何度も遼太の姿に励まされることがありました。
学校を休みがちになってからも、
長い間休んでいると、
きっかけがないと学校に行きづらくなるから、
早く登校するように話してきました。
ただ、遼太が学校に行くよりも前に
私が出勤しなければならず、
また、遅い時間に帰宅するので、
遼太が日中、
何をしているのか十分に把握することができていませんでした。
家の中ではいたって元気であったため、
私も学校に行かない理由を十分な時間をとって
話し合うことができませんでした。
今思えば、遼太は、
私や家族に心配や迷惑をかけまいと、
必死に平静を装っていたのだと思います。
事件の日の夜、
一度は外に出かけようとするのを止めることができたのだから、
あの時、もっともっと強く止めていれば、
こんなことにはならなかったとずっと考えています。
顔や体のひどい傷を見て、
どれほど怖かっただろうか、
どれほど痛かったかと思うと涙が止まりません。
小さな遼太に、このようにむごく、
残忍なことを行える人間が存在することが信じられません。
犯人が逮捕されましたが、
遼太が帰ってくるわけではなく、
犯人に対して何も考えることはできません。

まさに、涙なしには読めない内容だが、
離婚して5人の子どもを引き取り、
生活のために仕事に追われていて、
子どものことに手が回らなかった、
ということのようだ。

すると、次の疑問がわく。
父親はどうしたのか。
離婚して5人の子どもを全部母親に押しつけるとは、
どういうことか。

まあ、それぞれ事情があるのだろうから、
疑問を持っても仕方がないが、
疑問は疑問だ。

今回の犯人が18歳ということで、
またも「少年法」に守られて、
名前も顔も出ない。
ネットの世界では
実名も顔もさらされているのに。
公表した人の意図は分からないが、
野次馬根性だけでなく、
怒りがその背景にあると思いたい。

これだけ残忍に人の命を奪いながら、
死刑にはならない。
そして、正式な裁判にもかけられず、
少年審判で秘密裡に処分される。
少年院で何年か過ぎれば、
知らない間に社会に復帰する。

あえて極論を言うが、
18歳で5歳も年下の13歳の少年を
いじめていた人間だ。
「弱い者いじめしてはいけない」
ということさえ
親から教えられていないのだ。
そして、残虐非道な手口で
人の命を奪う。
こういう人間は
どこか歯車が一本狂っているので、
「矯正」の余地はない、と考える。

死刑に出来ないのなら、
一生刑務所に閉じ込めておいてもらいたいものだ。

残された遺族の苦しみと悲しみを思えば、
犯人がどれだけ悲惨な状態におかれても償えない。
また、犯人の家族も
とことん地獄を味わってもらいたい。
しかし、あの父親のコメントを読むと、
どこか「ひとごと」の気配があってならない。
それが間違いであることを望みたい。





AutoPage最新お知らせ