麻原の三女と四女  様々な話題

今日は地下鉄サリン事件から20年

その前日、
日本テレビの「NEWS ZERO」で、
麻原彰晃の三女に対するインタビューが放送された。

今回実名で顔を出してインタビューに応じたのは、
「止まった時計」という本を

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地下鉄サリン事件20周年の本日、
発行することになったためだ。
実名は松本麗華(まつもと・りか)さんという。
31歳

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三女と言えば、
当時、教団では「アーチャリー」と呼ばれて、

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麻原彰晃の寵愛を受け、
逮捕後、
麻原から教団トップに指名されたことで知られる。

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当時、マスコミのインタビューに
小生意気な態度で応じていたのを覚えている。

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インタビューの冒頭、
「どうして今回、取材に応じようと思ったのですか?」

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との問いに、次のように答えている。

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「びくびくおびえながら、
隠れながら生きるのではなく、
自分の父親として
麻原彰晃を受け入れて、
麻原彰晃の娘として生きていこうかなと
そういう気持ちになったからです。
家族もばらばらだし、
自分の心もぼろぼろだし、
今までの生き方じゃだめだと思って、
こうやって応じさせていただくことにしました」

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当時の教団内部の様子や
強制捜査の日のことや
14歳の時の心境などを述べ、
中には自殺未遂をしたことも。

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麻原彰晃に面会に行った時のことも語った。

「父と会って、
何があったのか、
父が本当に事件に関わったのか、
聞こうって。
父と会えば
全て変わるんじゃないかって
また生きる目的を見つけられるんじゃないかって
思っていたのは・・・」

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しかし、麻原は意味不明なことを言い、
意思の疎通は出来なかったという。
今でも毎月一度拘置所に面会を求めて行くが、
「呼びかけても部屋から出ない」として
面会できない状態が続いている。

そして、今回の出版のことについて触れる。

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「オウムも事件も父も飲み込みきれなくて、
ぐちゃぐちゃになったまま、
私の中にあった。
それが書いていくうちに、
時間がだんだん動き始めて、
今までごちゃごちゃだったものも整理されていって、
それぐらいにいろいろなことがあったんだなって」

現在の教団との関係について聞かれると、

「関係ないです。
属してもいないですし、
場所にも行かないですし、
アレフの教義を広めようなどとは
到底思いませんし、っていう状態ですね」

教団からいまお金を受け取っていないか、と聞かれると、

「ないですね」

ときっぱり。

父親についての質問は、次のようなやりとりだった。

「あなたの父親が事件を指示したことについて、
どう思いますか?」

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「指示をしたと裁判で言われていることは
分かっています。
もう裁判も終わってしまって、
指示を出したんだろうと、
おそらく日本中の方が
そう思っていると思うんですけど、
父が語るまでは
父の関与については
保留し続けようって思っています」

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「保留というのは?」
「『分からない』。
指示を出したかもしれないし、
出してないかもしれない」
「事件で苦しんでいる方々にとっては、
(あなたの主張は)受け入れられないと思いますけどねえ」
「・・・被害者の方々のことを考えると、
何と申し上げていいのか分からないんですけども・・・」
「一般的には受け入れられない話で」
「はい」
「あなたは事件に向き合っていないんじゃないか」
「はい」
「と思われると思いますね」

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「そうですね・・・そう思われると思っています」
「オウム事件の被害者のことを
考えることがありますか」

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「それは・・・考え・・・考えない方が難しいですよね。
被害者の・・・方が・・・
大変な思いをされてて・・・
こんなこと、なんでしたんだろうって・・・
分からないですよ。
それが・・・(歯を食いしばり、涙を流す)
私のことを大切にしてくれた人たちが起したんですから・・・」

ナレーションが続く。
「麗華さんは、
教団幹部が事件を起したことは認めながらも、
父の指示については、
あくまでも『分からない』と話した。
しかし、裁判では、
多くの教団幹部が
事件は松本死刑囚の指示だったと詳細に証言。
松本死刑囚の死刑判決は確定している」

ここからは、
紀藤正樹弁護士下川美奈日本テレビ社会部デスクが解説。

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紀藤弁護士:
「20年経って、実名と顔を出して、
自分の言葉で語りだしたというのは、
一歩だと思うんですけど、
彼女の言っていることというのは、
結局、自分の父親である松本智津夫死刑囚が
事件に関与したかどうか分からないところで止まっているんですね。
それというのは、
いわばアレフの言っていることを代弁しているような形になってまして、
自分の持っている言葉の影響力をもっと真剣に考えていただきたいなと思いますね」

下川デスク:
「彼女に9年ほど前にインタビューした時には、
顔を写すのも駄目で、
話す内容というのも、限られていたんですね。
今回、自ら顔や実名を出して、
何でも聞いて下さい、
というスタンスで取材に応じたということは、
一歩踏み出したのかな、という風な印象は受けました。
ただ、一方で、
彼女の妹が、
まあ、別に暮らしている妹ですけど、
今日、父親の罪の重みですとか、
被害者への謝罪をつづったFAXをメディア宛に送って来ているんですね。
そういうことと比べても、
麗華さんはまだ現実を見ていないところがあるというか、
特に父親の罪については
直視していないような印象は持ちました」

紀藤弁護士:
「被害者、遺族の方々の中には、
事件をずっと傍聴し続けている方もいらっしゃるんですね。
そういう方から見ると、
松本死刑囚の事件関与は裁判でも認定されているといい、
裁判官が13人も死刑囚を出してそこで認定している事実から見ると、
客観的にも動かしようがない事実なんですね。
そこについて、彼女が『分からない』といい続けている限りは、
やはり、もう少し遺族に対して、
『分からない』ではなくて、
少なくとも謝罪であるとか、
申し訳ない気持ちというものを
もう少し出していただきたいな、と思うし、
そうでない限りは、
今のアレフ、あるいは光の環とそれほど違いがない、
というか一種の分派活動のようにも見えてしまうんですよね。
だから、もう少し踏み出してもらいたいな、と思いますね」

下川デスク:
「彼女の話を聞いていると、
今回取材に応じたり、本を書いたりというのも、
結局、自分のためなんだな、
という感じがするんですね。
彼女は自分がどう思おうと、
当時あるいは今の信者たちにとっては、
麻原彰晃の寵愛を受けた特別な子どもという意味合いがどうしてもあるわけです。
だからこそ、逆に、彼女が
事件は父親の指示だったという現実を受け止めて、
被害者への償いの気持ちをはっきり示すことで、
信者にも影響を与える可能性もあるわけで、
是非、自分のため、以上のことを考えてほしいな、と思いました」

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最後にキャスターの一言:
「松本麗華さん。
確かに自分自身が事件に関わったわけではありませんけれども、
被害者の方へのお詫びの言葉がなかったのは、
残念に感じました」

本人が
「麻原彰晃を受け入れて、
麻原彰晃の娘として生きていこうかなと
そういう気持ちになったからです」
と言っているということは、
父親の罪も受けて立つということだろう。
実名と顔を出した以上、
非難にさらされることも覚悟の上だろう。
しかし、その覚悟の割には、
父親の確定した罪に対して
「父が語るまでは」
などと逃げを打っている。
父親がまともに口もきけない状態であることを知りながら。
これでは彼女の被害者への謝罪は永遠にあり得ない。

本にした動機も
「自分のため」
どうかメディアも周辺も
彼女を持ち上げたりしないでもらいたい。


そしたら、
地下鉄サリン事件20年の今日、
フジテレビのニュース番組に
松本死刑囚の四女が出演し、
松本聡香さんという仮名で、
すりガラスごしに話をした。
内容は下記のとおり。

(20日は、
地下鉄サリン事件の発生から、
ちょうど20年。
きょう、聡香さんが一番言いたいことは?)

ただ、被害者の方々、ご遺族の方々に
申し訳ないっていう気持ちで、
謝罪させていただきたいという気持ちです。

(きょうという日にあたって、
あらためて松本 智津夫死刑囚、
お父さんに、どんなことを言いたいか?)

本当は、被害者の方に、
父の声で、
ちゃんと謝罪をしてほしいなと思っています。

(謝罪というレベル以前に、
いったい、なぜあの事件を引き起こしたのか。
何をやろうとしていたのか。
一切、法廷で語っていないが、
それについて、どう思うか?)

自分がやったことから目をそらして、
情けない父親だなと思います。

(自分の父親が、
聡香さんが生きるにあたって、
相当、聡香さんの人生を苦しめているという側面もあると思うが、
それについて、どう感じるか?)

憎んだことがないといったら、
うそになりますけど、
わたしの分は、今は憎んではいません。
普段から、いろんなことを学ばせていただいたので、
ありがたいとも思っていますけど、
さすがに、人殺し、テロリストの娘という立場は、
つらいものです。

(何度か自殺も図ろうとしたようだが?)

100回以上自殺行為をしました。

(そうした中、聡香さんにとっては、
お姉さんにあたる三女のアーチャリーが、
本を出したり、
それからテレビに出演したりしているが、
それについてどう思うか?)

姉はまだ、被害者の方に対して謝罪をしていないですし、
本も少し読みましたけど、
よくここまで、うそがつけるなっていうぐらい、
でたらめというか、
わたしが知っている事実とは違うものでした。

(本の内容が、でたらめ。
真実は語られていない?)

はい。

(オウム真理教の跡を継いでいる
アレフという存在がありますね。
聡香さんは、アレフは危険だと思うか?)

はい。
オウム事件が起きるまでは、
オウムがテロ集団とはわからずに、
信者は、ポア、殺人という概念が、
本当に現実に行われているということは、
知らないでいた信者さんがほとんどだったわけですけど、
現在は、殺人を肯定した教義を、
そのまま変えずにやっているので、
すごく危険だと思います。

(次男を後継者にしようという動きがある。
これは、絶対にそうさせてはならないと思っているようだが?)

はい。

(どう働きかけていこうと思っているか?)

弟に限らず、ほかの信者もそうですけど、
何か、伝えようとしても、
自分たちに都合のいい情報以外には、
耳を傾けないので、
なかなかアプローチは難しいなと思っています。



小杉放菴展と帝劇の事故  耳より情報

今日は、午後から銀座(日比谷)に出て、
映画を1本観た後、

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ここ帝国劇場ビルの9階にある

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出光美術館

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小杉放菴展を鑑賞。

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小杉放菴(こすぎ・ほうあん)は、

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明治・大正・昭和に活躍した日本画家。

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パリに留学中、価値観の変化を遂げ、
西洋の伝統にとらわれずに、
東洋を新しい形で表現し続けた画家だと言われています。

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それでは、展示品のいくつかを紹介しましょう。

↓金時遊行

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↓日光東照宮

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↓日光東照宮/五百城文哉

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↓スペイングラナダ娘

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↓出関老子

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↓湧泉(いずみ)

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↓銀鶏

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↓田父酔帰

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↓天(あめ)のうづめの命

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この絵は
百田尚樹「海賊とよばれた男」にも出て来る、
出光石油のタンカー、日章丸の船長室に飾られたものです。
天岩戸(あまのいわと)に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)に出てもらうため、
面白い踊りを踊った神様の図。
モデルは笠置シズ子だそうです。

常設展示に陶片室もあり、

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ルオームンクの作品も何点か展示されています。

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休憩室からは、皇居がこのように見えます。

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表に出ると、

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消防車救急車で騒然。

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帝劇では、
KinKi Kidsの堂本光一主演の
ミュージカル「Endless SHOCK」を上演中。

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ショーの終盤、
高さ7メートル、幅3メートル、重さ800キロの
LEDパネルが倒れ、
出演者(ダンサー)5人とスタッフ1人、
20〜40人の男性が重軽傷を負ったとみられ、
うち1人が重症ですが、命に別条はないようです。

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観客の話によると、
パネルがゆっくりと手前に倒れ、
スタッフが床との間に駆け込み、
出演者とともにパネルを支えました。
すぐに音が消え、幕が下りたものの、
「誰かいないか。担架を」
と舞台から大きな声が聞こえ、
幕の隙間からは、
頭を抱えてうずくまったり
足を引きずったりする出演者の姿が見えたといいます。

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事故を目撃した人は「演出かと思った」と話しています。

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公演は中止。
夜の部も中止になりました。

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周辺は報道陣、
夜の部に来た観客などで
ごった返しました。

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一日も早くケガが回復し、
舞台が再開されることを祈ります。

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その後は、豊洲に移動、

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華味鳥で水炊き御膳食べた後、

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映画を1本観て、
帰宅しました。
昼間は暖かかったけれど、
夜は少し寒かった。
でも、一日一日と春が近づいていることを感じます。


『宇喜多の捨て嫁』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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斉藤道三、松永久秀、と並び戦国の三梟雄と称される
謀略家・宇喜多直家を扱った連作短編集。
  
梟雄(きょうゆう)・・・
残忍で強く荒々しいこと。また、その人。
悪者などの首領にいう。

宇喜多直家については、↓をクリック。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%96%9C%E5%A4%9A%E7%9B%B4%E5%AE%B6

四人の娘を人質として政略結婚させ、
その後、婚家を滅ぼしたことから
「捨て石」ならぬ「捨て嫁」と呼ばれた
宇喜多直家の娘たち。

表題作「宇喜多の捨て嫁」は、その一人、
末娘・於葉(およう)が
後藤勝基に嫁いだ後の顛末を描く。

続く「無想の抜刀術」は、
幼い時の直家が母と暮らし、
生まれつき会得していた抜刀術で
母を殺し、
その時受けた肩口の傷が化膿、
「尻はす」という奇病で一生苦しめられる発端となる事件を描く。

「貝あわせ」は、
主君の浦上宗景との確執の中で、
妻を主君の侍女として差し出し、
主君の繰り出す難題に対処して、
生き延びるには謀(はかりごと)をするしかないと
決意する宇喜多直家を描く。
島村貫阿弥の暗殺に際し、
直家は無意識のうちに無想の抜刀術を使う。

「ぐひんの鼻」は、
浦上宗景の計略で
直家は不利な作戦を担当させられるが、
見事に戦果を上げ、
宗景の心に疑念を生む。
宗景の本拠の城には、
ぐひん(天狗)と呼ばれる突き出た岩があり、
その先端まで行くように直家に強制する。

「松之丞の一太刀」は、
宗景の息子・松之丞の視点から観た直家を描く。
三女・小梅を松之丞に嫁がせ、
結果、松之丞が直家への刺客となるのだが、
松之丞が斬り付けた時、
とっさに発揮しようとした無想の抜刀術を
直家自身の左手が止める。

「五逆の鼓」は、
少々趣が異なり、
主人公は浦上家の重臣の家系の江見河原源五郎
鼓の名手で、
その観点から直家の行く末を見守る。
第1篇「宇喜多の捨て嫁」に出て来た、
直家の血膿のついた衣服を洗う山姥が再登場、
哀愁の終幕を迎える。

少しずつ登場人物を変え、視点を変え、
時間軸もずらしながら、
宇喜多直家という戦国武将の生き様を描く好短編集。
下克上の凄まじさと
戦国時代に生きた男の不幸が浮かび上がる。
これほど謀略の過酷さと
血なまぐささを表現した小説は初めてかもしれない。

これが新人
(「宇喜多の捨て嫁」で2012年に
「オール読物」新人賞を受賞)
の筆によるものかと驚かされる。
それほど文章力は強い。
「宇喜多の捨て嫁」と「無想の抜刀術」以外は書き下ろし。
初出版にして直木賞候補
まだ荒削りでバランスも悪いが、
修練すれば、いつの日か直木賞も夢ではない。

直木賞選考委員の評価は、次のとおり。

伊集院静
読んで面白いのは候補作中一番だろう。
粗削りなところも作品のテーマと合わさって
逆に迫力になっている。
まだ一作目でこれほどの構えができるのだから
筆力、才能は計りしれない。
ただ私は衣服に沁み付いた膿の匂いにいささか閉口した。

林真理子
とても新人とは思えない老練な筆さばきだ。
しかし私は、傍役が次の篇では主役となる
この構成が不満である。
「非情な上司に仕えるものの悲劇」というテーマに心奪われても、
次の篇でその上司の苦悩を見せつけられると、
読者は彼を憎んだ心の持っていき場がないのである。

北方謙三
評価に迷った。
下克上は、滑稽で悲惨な事実であり、
そこにある野望や疑心暗鬼を描いて、
世界は小説的にはなかなか成立しにくいものだろう。
そしてそこに、母と子の陰惨な情念を重ね合わせることで、
別のものにすり替っているような気がした。

宮城谷昌光
措辞に疎密があり、
安心して読めないという欠点がある。
しかしながら氏が中心にすえたのが、
権謀術数の人というべき宇喜多直家であるとなれば、
氏の意気込みをなおざりにはできなかった。
歴史小説は、現代小説では書きようがない
典雅な浪漫があってよく、
せちがらい人を書いて、
小説がせちがらくなってはいけない。

高村薫
戦国時代の下剋上を、
観念ではなく、
実体として描くことに成功した稀有な小説ではないかと思う。
候補作五作のなかでもっとも迫力のある小説だったので、
評者はこれを受賞作に推した。(引用者注:「鬼はもとより」と共に)
時代小説に詳しい選考委員から、
基礎知識の不足が厳しく指摘され、
なるほど時代小説とはそういうものなのかと、
評者のほうが勉強をさせていただく恰好になった。

宮部みゆき
プロテニスプレイヤーの錦織圭選手みたいですね。
シード選手を倒して、
あれよあれよという間にベスト4入り。
宇喜多直家なんて角の立った武将を選ぶ果断さ、
厚い描写、小道具を使う小技の巧さ。
大物ルーキー登場です。
難を言うならあと少し、
作者としての温情があってほしかった。


東野圭吾
面白いという点では候補作中随一だった。
時系列や視点人物を交錯させた構成が成功している。
この掘り出し物に、
一体どのようなケチがつけられるのだろうと思い選考会に臨んだが、
致命的な欠陥を指摘する声はなかった。
ただ、デビュー作だという点を心配する声が多かった。
私は仮に一発屋で終わったっていいじゃないかと思うのだが、
やはりそれではまずいようだ。

桐野夏生
新人とは思えない文章の切れ味と迫力に驚いた。
表題作だけでは物足りない、
と不満に思った途端、
輪舞のように展開していく
宇喜多の物語に昂奮した。
最後があざとい、という意見もあったが、
私はカタルシスに感じた。

浅田次郎
型に嵌まった時代小説からの脱却をめざす意欲が感じられた。
しかしまだ粗い。
小説という表現方法は具体を欠くが、
読後感は相当に具体的であるから、
作家は常に作品全体の美観を意識していなければならない。




映画サークル  映画関係

最近のこなつ
よく窓際でこのポーズを取ります。

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「外には何かあるんだろう。
こわいけど、見てみてみたい」
という心の中の声が聞こえるようです。

今日は夕方から銀座へ。

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雨の銀座も風情があります。

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ソニービルに出ていた
世界フィギュアの広告。

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我が家では、「羽生」と呼び捨てにすると叱られます。
「羽生様」とか「ゆづる様」とか
「羽生大明神」と言わなければなりません。

今日の夕食はここで、

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味噌ラーメンの大盛り。

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私はクーポンに弱く、
クーポンをもらうと、
使わないとならない強迫観念にとらわれます。
今日は「大盛無料」のクーポンを消化するために来たのですが、
帰りにまた同じクーポンをもらってしまいました。
これでは、無限に続きます。

しかし、日高屋の味噌ラーメン、
大変美味でした。
これでは外人が日本に来て
ラーメンを食べたがるはずです。

今日は映画鑑賞サークルCCS
月一回の会合に出席。
もう一カ月がたってしまいました。

今日は特別な行事で、
先のアカデミー賞の予想大会の表彰。
予想した中の的中部門数の多い人から順に賞品をもらいます。
私は14部門的中で第4位
それでも、これだけの賞品をいただきました。

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表彰式に時間がかかったため、
作品の感想は
「アニー」一作だけでした。
楽しい2時間半でした。


タグ: 映画

合気道部同期会  身辺雑記

今日は午後から秋葉原に出かけました。

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ヨドバシカメラに来たのではありません。
ここアトレにある

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この店で開かれた

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東大合気道部の同期会がに出席するためです。

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同期会というのは、
昭和41年に入学(49年前!)して、
合気道部に入ったメンバー12名の会。
いつもは1月に新年会として開催するのですが、
諸般の事情により、今日に。

というのは、
東大合気道部、昭和29年の創立で
本日、「創部60周年記念パーティー」が東大構内で行われ、
その流れで同期会も本日の開催となったものです。
パーティーは満員電車状態の盛会で、
上川陽子法務大臣が挨拶されたようです。

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上川さんは昭和48年入学ですから7年後輩。
4年間最後まで在部した初の女性部員だそうです。
知らなかった。
亀井静香さんも挨拶されたそうです。

まずは乾杯。

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創部60周年の記念行事として、
昨年9月、南米遠征を敢行しており、
その際、団長として参加した元部長から話を聞きました。
元部長は、
昨年、合気道部の師範に就任された
合気道を究めている方です。

日程は14日間で
演武(合気道は試合形式ではなく、
形を演ずるので、このように呼びます)
を各地の大学で開催する強行日程。
ブラジルサンパウロリオデジャネイロともう一カ所、
ペルーリマクスコ、それにマチュピチュ
「畳があったのですか」
と訊くと、
「あったところも。
あとはレスリングのマット、
あるところでは中庭の石畳」とのこと。

帰りの乗り継ぎのアトランタ空港で
飛行機が飛び立った途端に右エンジンから火を噴き
空港に戻る一幕も。
そして、代替機も車輪のブレーキの故障、
その上、パイロットの就業時間の関係で入れ替えになり、
要員を呼び寄せるため、
1晩泊まることに。
なかなか波瀾万丈の行程のようでした。
学生たちには、良い経験になりましたね。

昨年より1人少ないのは、
病気療養中の人がいるため。
この年齢の人が集まると、
「病気自慢」になりがちなのですが、
今まで数回の集まりで
あまり病気の話は出ませんでした。
今日は心臓の手術をした人の話や
睡眠時無呼吸症候群になった話や
アルツハイマーの初期症状の話や
少しだけ病気の話が増えたようです。
ただ、年齢的に見ると、みんな元気です。

環境の変わった人が二人。
長く赴任していたドイツから帰国後、退職した人。
会社の顧問を辞して、年金生活に入った人。
今だに仕事をしている人は4人。

リタイア者の生活はそれぞれで、
午後から夜にかけて8〜9合の酒を毎日飲んでいる方。
夜9時に寝て、朝4時に起きる生活の方。
江戸時代の筆の写筆(というのかどうか)で時間が足りない方。
鳥の観察にいそしんでいる方。
私は読書三昧、映画三昧そしてブログの毎日と報告しておきました。

話は特に定めがないので、
あちらに飛び、こちらに飛び。
みんな「超」の付く
一流有名企業の戦士。
(私を除く)
なぜか理科系が多いから、
3Dプリンターだのヘリコプターだの
理解不能の専門分野に話が及ぶ。
話を聞きながら、
ああ、このような人たちによって
日本の技術向上経済発展
支えられたのだな、
と納得した次第。

あっという間に4時間が経ち、
再会を約して別れました。
楽しい時間でした。

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いつも思うのですが、
この集まりに出ると、
何だか頭脳がクリアになった気がします。






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