『大嫌韓時代』 書籍関係
〔書籍紹介〕

筆者の桜井誠氏は、
「在日特権を許さない市民の会」(略称:在特会)の元会長。
昨年11月に突然の辞任。
この本は、
彼が会長であった当時の著作。
「はじめに」で、
書店に嫌韓本が並べられている現状に触れ、
こう書く。
「日本を罵り続ける韓国が嫌い」
という日本人なら誰もが当たり前に持つ感情を、
当たり前に言挙げできる「大嫌韓時代」を迎えましたが、
ここに至るまでの道のりは
大変厳しいものでした。
今でこそ多くの識者が
韓国という国家の異常反日を指摘するようになりましたが、
つい最近まで韓国問題(在日問題)に
声を上げる者などほとんど誰もいませんでした。
特に在日への批判はタブーであるとされ、
「朝鮮人」という単語ひとつ使っただけで、
差別主義者呼ばわりされるような時代が続いていたのです。
そんな中、日本で最初に、
そして唯一韓国に対して抗議の声を上げ
在日問題を世に問うてきたのが、
世情その名を聞かぬ人なしとまでいわれるようになった
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)でした。
確かに、在日の問題は、
妙だな、と思うことはあっても、
詳しく知ろうとすること自体がタブーという雰囲気があった。
同和問題と同じように、
触れたくない、触れたらえらいことになる、
という、
日本の暗部のような雰囲気であった。
それが取り沙汰されるようになったのは、
在特会の方々の努力もさることながら、
李明博韓国前大統領の竹島上陸と天皇陛下に対する侮辱的発言という背景がある。
あの事件を契機に、
大人しく温和だった日本人の
堪忍袋の緒が切れたような状態になった。
そして、それに続く朴現大統領の
「告げ口外交」が拍車をかけた。
時代はそういう方向に流れていったのである。
ところで、桜井誠氏はいえば、
橋下大阪市長との怒鳴り合いの記憶が生々しい。
「ヘイトスピーチ」で非難もされている。
さぞこの本も激しい韓国非難に満ちているだろう、
と思って読んだら、
終始冷静に事実を紡いでいくので驚いた。
第1章 異常反日が吹き荒れる韓国
第2章 竹島問題の新たな局面
第3章 在日という異常反日集団
第4章 新時代を拓く「行動する保守運動」
第5章 アジア主義との決別
という構成で、
文体も「〜だ」「〜である」調ではなく、
「〜です」「〜ます」調である。
たとえば、こんな調子。
韓国が主張している
朝鮮人慰安婦20万人説ですが、
実際に韓国まで赴いて吉田証言の検証など
従軍慰安婦について調査を行った秦郁彦氏(元日本大学法学部教授)によると、
当時の資料などから類推して
慰安婦全体の総数は約2万人と見積もられています。
言うまでもなく慰安婦の大半は日本人女性であり、
朝鮮人慰安婦は4千人程度だったと考えられています。
そもそも大東亜戦争中に外地に赴いた日本軍兵士は
最大で3百万人でした。
傷病兵はもちろん通常最前線に立たない
後方支援部隊など全てを含んだ数です。
常識で考えれば
この人数に対し
朝鮮人慰安婦20万人という数は
いくらなんでも多すぎるのです。
このような供給過剰な状態で
慰安所経営が成り立っていたとしたら、
それこそ日本軍兵士は
戦争もせずに
毎日慰安所に通わなければならず、
「戦争などやっている暇がない」
世界一平和な軍隊ということになってしまうのです。
そして、慰安婦の証言の矛盾を次々と指摘してみせる。
こういう数字的検証を見ると、
慰安婦像に刻まれた
「20万人を強制連行し〜」
という文字が恥ずかしくないかと思われて来る。
在日特権の根拠となる「強制連行」も同じで、
次のような数字を上げる。
1910年から1945年の35年間に
渡日した朝鮮人は269万5千人。
その75%以上にあたる202万8千人が自由渡航
(就労、留学、結婚など個人的な理由による渡航)
で日本にやって来た人たち。
1938年に定められた「国家総動員法」は
日本本土で発令したものの、
朝鮮半島には適用されず、
朝鮮半島で徴用令が発令されたのは
1944年9月から
関釜連絡船が運行を停止する翌年3月までの実質7カ月のみ。
この間の徴用令によって日本に渡航してきた朝鮮人の総数がおよそ22万人。
この22万人については
確かに国家の強制力の下で徴用された朝鮮人であることは
間違いないのですが、
国家が法によって自国民の徴用を定め、
それに従って動員されたものを
「強制連行」とは断じて呼ばないのです。
現在の韓国で施行されている徴兵制度を
「強制徴兵」と呼ばないのと同じです。
そして、1959年の外務省調査では、
徴用された朝鮮人のうち
現時点で日本に在留する人は
245人に過ぎない、
と報告されている。
つまり、1959年の時点で
徴用朝鮮人のほとんどが朝鮮半島に帰っていたのだ。
これはあの朝日新聞の記事にもなっているから確かなことなのだろう。
しかし、在日特権の根拠は、
その強制連行にあるのだ。
特権を主張する時の在日の主張。
「自分たち在日朝鮮人は
日帝による植民地被害を受けて
強制連行されてきた特別な存在だから」云々。
この根拠が実はなかったことには驚かされた。
では、その在日特権とはどのようなものか。
一つは「特別永住資格」という特権。
このため、どんな犯罪者でも、
国外退去されない。
しかも、韓国人による犯罪は多い。
年間5千人で、
うち150から160名ほどが重犯罪(殺人・強盗・強姦・放火など)。
この5千人の犯罪検挙者数を人口比で比較すると、
日本国民の3倍以上になるという。
(2005年の人口調査を基準に計算すると、
日本の刑務所に収監されている収容犯罪者の
人口1万人あたりの割合は、
日本人が5.4人に対して
韓国・朝鮮人が31人、
中国人に至っては何と76人にのぼる)
通常の外国人が日本で犯罪を犯せば、
国外退去という厳しい処罰があるのに、
在日の「特別永住資格」を持っているために、
国外退去されず、
犯罪者に日本国内に留まることになる。
次は年金特権。
年金の納付を1円もしていないのに、
年金を受けとれるというのだ。
これは、
「1982年に日本政府が国民年金制度を外国人に開放するまで
在日は年金制度に入りたくても入れなかった」
「これは日本政府による差別政策であり、
在日が無年金となったのは日本政府の責任だ」
「よって日本政府は無年金在日に対して
年金を支給しなければならない。
日本政府が無年金在日の救済を行うまで、
つなぎとして自治体が代わって救済を行ってほしい」
という理屈だ。
年金保険料を1円も納めていない在日に
年金を満額で支給しろ
というのだから、目茶苦茶である。
しかし、これに従い「外国人福祉給付金」を自治体が支給している。
もちろん原資は税金だ。
これに関しては訴訟があり、
全て敗訴している。
京都地裁の判決には
「外国人の社会保障は
その外国人の所属する国家が第一義的に責任を負う」
と書かれている。
しかも、更に驚いたことには、
自治体によっては、
在日特権で「住民税減額措置」をしているところがあるという。
たとえば三重県伊賀市では
数十年前から半額の減額措置をしていた。
これは担当者がその納めたお金を着服していて
刑事事件に発展したから発覚したことで、
表に現れない減額措置は
調べれば続々出て来るだろう。
その他、特定地域への不法居住や
朝鮮学校の隣接公園の不法使用、
朝鮮学校への補助金など、
在日特権は数多い。
最近では外国人の「地方参政権」で、
共産党や公明党が後押ししている。
この問題に対しても既に司法の最終判断が下されている。
1990年9月に大阪市在住の在日韓国人が
「公職選挙法に基づく選挙人名簿に、
在日の名前が登記されていないのは、
地方公共団体の住民の選挙権を保障した
憲法93条違反だ」
と訴えたのに対し、
1995年2月28日、
最高裁第3小法廷は
「憲法の示す住民とは
『地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するもの』であり、
我が国に在留する外国人に対して
選挙の権利を保障したものではない」
との判断を下し、
在日側の訴えを退けている。
共産党、公明党はこの判決を知らないのか。
このように在日の特権に対してようやく立ち上がったのが
在特会をはじめとする様々な団体。
彼らは自分たちを「行動する保守運動」と呼ぶ。
既成の保守運動が「行動しない」ことに対するアンチテーゼである。
在特会は街頭活動をするが、
やはり最初は抵抗があったようだ。
在特会が本格的に街頭活動を始めた当時は、
既存の保守運動が
保守層の中で強い影響力を持っていました。
既存保守は外での活動を忌避する傾向があり、
「街頭に立って訴えかけるなど保守らしからぬ」
「抗議活動は下品だ」
「保守たるものデモなど左翼のようなことをするべきではない」
「デモをやるにしても
日の丸を持ち込むのは
右翼と間違えられるのでやめるべき」
などと在特会の活動を批判していました。
今であればこのような輩は
鼻で笑われて誰からも相手にされなかったでしょうが、
当時は自縄自縛としか言い様がない
「何もしないことが美しい保守」
とされる状況だったのです。
新大久保などでなされたデモ行進は
マスコミの耳目を集めた。
過激なプラカードを持ったりしたことから
反発も多かった。
それについては、こう書く。
世界的に影響力を持つようになった
「行動する保守運動」を恐れた反日勢力によって、
「ヘイトスピーチ」なるレッテル貼りが横行し、
騒がしい状況が続いています。
しかし、何もしないことを美徳とする
既存保守のアンチテーゼとして生まれた「行動する保守運動」なのですから、
批判や中傷は覚悟の上であり、
「差別」のレッテルを貼られたくらいで
動じる必要は微塵もないのです。
「ネトウヨ」や「ヘイトスピーチ」といった罵声を
反日左翼や在日韓国・朝鮮人から浴びせられるということは、
我々の運動が彼らに影響を与えているという証左であり、
むしろ喜ぶべき状況なのかもしれません。
日本の社会には、
同和問題と在日問題という
二つの地下水脈が存在する。
在日問題は、
日本人の戦争に対する「原罪意識」が深く関わる。
そして、それを後押しする
朝日新聞のような反日メディア。
それに切り口を入れる意味で、
在特会は貴重な存在だ。
ただ、主張は紳士的にすべきであって、
「朝鮮人は日本から出ていけ」
などのプラカードは紳士的とは言えまい。
ただ、韓国でも中国でも
反日デモは紳士的ではない。
中には日の丸を焼いたり、
時の総理の人形に火をつけたりする。
こちらの方がよほど「ヘイトスピーチ」だと思うのだが。
歴代韓国大統領は任期切れ直前になると
「反日カード」を切って、
その支持率を上げることをした。
今の朴大統領は
就任早々に「反日カード」を切ってしまったから、
支持率30%以下まで下がっても
今さら「反日カード」の切りようがないのだという。
それでも任期回復のために、
強硬な反日を始めるのではないかと心配される。
前にも書いたが、
私は韓国に親しみを感じていた一人だ。
若い頃は韓国の女性と結婚しようか、と考えたこともあったし、
娘を韓国に留学させ、
韓国映画が優れていると言い、
「韓国のミュージカルはレベルが高い」
とことあるごとに宣伝していた。
そういう親韓派でさえも、
李前大統領、朴現大統領のしていることは、
嫌韓派に転換させてしまうほどのことなのだ。
二人の大統領には
大いに反省してもらいたいところだが、
反省はしないだろうな。
それにしても、
自分から始めた在特会をどうして桜井誠氏は抜けたのか。
桜井氏に何があったのか。
今後の動向を注目したい。

筆者の桜井誠氏は、
「在日特権を許さない市民の会」(略称:在特会)の元会長。
昨年11月に突然の辞任。
この本は、
彼が会長であった当時の著作。
「はじめに」で、
書店に嫌韓本が並べられている現状に触れ、
こう書く。
「日本を罵り続ける韓国が嫌い」
という日本人なら誰もが当たり前に持つ感情を、
当たり前に言挙げできる「大嫌韓時代」を迎えましたが、
ここに至るまでの道のりは
大変厳しいものでした。
今でこそ多くの識者が
韓国という国家の異常反日を指摘するようになりましたが、
つい最近まで韓国問題(在日問題)に
声を上げる者などほとんど誰もいませんでした。
特に在日への批判はタブーであるとされ、
「朝鮮人」という単語ひとつ使っただけで、
差別主義者呼ばわりされるような時代が続いていたのです。
そんな中、日本で最初に、
そして唯一韓国に対して抗議の声を上げ
在日問題を世に問うてきたのが、
世情その名を聞かぬ人なしとまでいわれるようになった
「在日特権を許さない市民の会」(在特会)でした。
確かに、在日の問題は、
妙だな、と思うことはあっても、
詳しく知ろうとすること自体がタブーという雰囲気があった。
同和問題と同じように、
触れたくない、触れたらえらいことになる、
という、
日本の暗部のような雰囲気であった。
それが取り沙汰されるようになったのは、
在特会の方々の努力もさることながら、
李明博韓国前大統領の竹島上陸と天皇陛下に対する侮辱的発言という背景がある。
あの事件を契機に、
大人しく温和だった日本人の
堪忍袋の緒が切れたような状態になった。
そして、それに続く朴現大統領の
「告げ口外交」が拍車をかけた。
時代はそういう方向に流れていったのである。
ところで、桜井誠氏はいえば、
橋下大阪市長との怒鳴り合いの記憶が生々しい。
「ヘイトスピーチ」で非難もされている。
さぞこの本も激しい韓国非難に満ちているだろう、
と思って読んだら、
終始冷静に事実を紡いでいくので驚いた。
第1章 異常反日が吹き荒れる韓国
第2章 竹島問題の新たな局面
第3章 在日という異常反日集団
第4章 新時代を拓く「行動する保守運動」
第5章 アジア主義との決別
という構成で、
文体も「〜だ」「〜である」調ではなく、
「〜です」「〜ます」調である。
たとえば、こんな調子。
韓国が主張している
朝鮮人慰安婦20万人説ですが、
実際に韓国まで赴いて吉田証言の検証など
従軍慰安婦について調査を行った秦郁彦氏(元日本大学法学部教授)によると、
当時の資料などから類推して
慰安婦全体の総数は約2万人と見積もられています。
言うまでもなく慰安婦の大半は日本人女性であり、
朝鮮人慰安婦は4千人程度だったと考えられています。
そもそも大東亜戦争中に外地に赴いた日本軍兵士は
最大で3百万人でした。
傷病兵はもちろん通常最前線に立たない
後方支援部隊など全てを含んだ数です。
常識で考えれば
この人数に対し
朝鮮人慰安婦20万人という数は
いくらなんでも多すぎるのです。
このような供給過剰な状態で
慰安所経営が成り立っていたとしたら、
それこそ日本軍兵士は
戦争もせずに
毎日慰安所に通わなければならず、
「戦争などやっている暇がない」
世界一平和な軍隊ということになってしまうのです。
そして、慰安婦の証言の矛盾を次々と指摘してみせる。
こういう数字的検証を見ると、
慰安婦像に刻まれた
「20万人を強制連行し〜」
という文字が恥ずかしくないかと思われて来る。
在日特権の根拠となる「強制連行」も同じで、
次のような数字を上げる。
1910年から1945年の35年間に
渡日した朝鮮人は269万5千人。
その75%以上にあたる202万8千人が自由渡航
(就労、留学、結婚など個人的な理由による渡航)
で日本にやって来た人たち。
1938年に定められた「国家総動員法」は
日本本土で発令したものの、
朝鮮半島には適用されず、
朝鮮半島で徴用令が発令されたのは
1944年9月から
関釜連絡船が運行を停止する翌年3月までの実質7カ月のみ。
この間の徴用令によって日本に渡航してきた朝鮮人の総数がおよそ22万人。
この22万人については
確かに国家の強制力の下で徴用された朝鮮人であることは
間違いないのですが、
国家が法によって自国民の徴用を定め、
それに従って動員されたものを
「強制連行」とは断じて呼ばないのです。
現在の韓国で施行されている徴兵制度を
「強制徴兵」と呼ばないのと同じです。
そして、1959年の外務省調査では、
徴用された朝鮮人のうち
現時点で日本に在留する人は
245人に過ぎない、
と報告されている。
つまり、1959年の時点で
徴用朝鮮人のほとんどが朝鮮半島に帰っていたのだ。
これはあの朝日新聞の記事にもなっているから確かなことなのだろう。
しかし、在日特権の根拠は、
その強制連行にあるのだ。
特権を主張する時の在日の主張。
「自分たち在日朝鮮人は
日帝による植民地被害を受けて
強制連行されてきた特別な存在だから」云々。
この根拠が実はなかったことには驚かされた。
では、その在日特権とはどのようなものか。
一つは「特別永住資格」という特権。
このため、どんな犯罪者でも、
国外退去されない。
しかも、韓国人による犯罪は多い。
年間5千人で、
うち150から160名ほどが重犯罪(殺人・強盗・強姦・放火など)。
この5千人の犯罪検挙者数を人口比で比較すると、
日本国民の3倍以上になるという。
(2005年の人口調査を基準に計算すると、
日本の刑務所に収監されている収容犯罪者の
人口1万人あたりの割合は、
日本人が5.4人に対して
韓国・朝鮮人が31人、
中国人に至っては何と76人にのぼる)
通常の外国人が日本で犯罪を犯せば、
国外退去という厳しい処罰があるのに、
在日の「特別永住資格」を持っているために、
国外退去されず、
犯罪者に日本国内に留まることになる。
次は年金特権。
年金の納付を1円もしていないのに、
年金を受けとれるというのだ。
これは、
「1982年に日本政府が国民年金制度を外国人に開放するまで
在日は年金制度に入りたくても入れなかった」
「これは日本政府による差別政策であり、
在日が無年金となったのは日本政府の責任だ」
「よって日本政府は無年金在日に対して
年金を支給しなければならない。
日本政府が無年金在日の救済を行うまで、
つなぎとして自治体が代わって救済を行ってほしい」
という理屈だ。
年金保険料を1円も納めていない在日に
年金を満額で支給しろ
というのだから、目茶苦茶である。
しかし、これに従い「外国人福祉給付金」を自治体が支給している。
もちろん原資は税金だ。
これに関しては訴訟があり、
全て敗訴している。
京都地裁の判決には
「外国人の社会保障は
その外国人の所属する国家が第一義的に責任を負う」
と書かれている。
しかも、更に驚いたことには、
自治体によっては、
在日特権で「住民税減額措置」をしているところがあるという。
たとえば三重県伊賀市では
数十年前から半額の減額措置をしていた。
これは担当者がその納めたお金を着服していて
刑事事件に発展したから発覚したことで、
表に現れない減額措置は
調べれば続々出て来るだろう。
その他、特定地域への不法居住や
朝鮮学校の隣接公園の不法使用、
朝鮮学校への補助金など、
在日特権は数多い。
最近では外国人の「地方参政権」で、
共産党や公明党が後押ししている。
この問題に対しても既に司法の最終判断が下されている。
1990年9月に大阪市在住の在日韓国人が
「公職選挙法に基づく選挙人名簿に、
在日の名前が登記されていないのは、
地方公共団体の住民の選挙権を保障した
憲法93条違反だ」
と訴えたのに対し、
1995年2月28日、
最高裁第3小法廷は
「憲法の示す住民とは
『地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するもの』であり、
我が国に在留する外国人に対して
選挙の権利を保障したものではない」
との判断を下し、
在日側の訴えを退けている。
共産党、公明党はこの判決を知らないのか。
このように在日の特権に対してようやく立ち上がったのが
在特会をはじめとする様々な団体。
彼らは自分たちを「行動する保守運動」と呼ぶ。
既成の保守運動が「行動しない」ことに対するアンチテーゼである。
在特会は街頭活動をするが、
やはり最初は抵抗があったようだ。
在特会が本格的に街頭活動を始めた当時は、
既存の保守運動が
保守層の中で強い影響力を持っていました。
既存保守は外での活動を忌避する傾向があり、
「街頭に立って訴えかけるなど保守らしからぬ」
「抗議活動は下品だ」
「保守たるものデモなど左翼のようなことをするべきではない」
「デモをやるにしても
日の丸を持ち込むのは
右翼と間違えられるのでやめるべき」
などと在特会の活動を批判していました。
今であればこのような輩は
鼻で笑われて誰からも相手にされなかったでしょうが、
当時は自縄自縛としか言い様がない
「何もしないことが美しい保守」
とされる状況だったのです。
新大久保などでなされたデモ行進は
マスコミの耳目を集めた。
過激なプラカードを持ったりしたことから
反発も多かった。
それについては、こう書く。
世界的に影響力を持つようになった
「行動する保守運動」を恐れた反日勢力によって、
「ヘイトスピーチ」なるレッテル貼りが横行し、
騒がしい状況が続いています。
しかし、何もしないことを美徳とする
既存保守のアンチテーゼとして生まれた「行動する保守運動」なのですから、
批判や中傷は覚悟の上であり、
「差別」のレッテルを貼られたくらいで
動じる必要は微塵もないのです。
「ネトウヨ」や「ヘイトスピーチ」といった罵声を
反日左翼や在日韓国・朝鮮人から浴びせられるということは、
我々の運動が彼らに影響を与えているという証左であり、
むしろ喜ぶべき状況なのかもしれません。
日本の社会には、
同和問題と在日問題という
二つの地下水脈が存在する。
在日問題は、
日本人の戦争に対する「原罪意識」が深く関わる。
そして、それを後押しする
朝日新聞のような反日メディア。
それに切り口を入れる意味で、
在特会は貴重な存在だ。
ただ、主張は紳士的にすべきであって、
「朝鮮人は日本から出ていけ」
などのプラカードは紳士的とは言えまい。
ただ、韓国でも中国でも
反日デモは紳士的ではない。
中には日の丸を焼いたり、
時の総理の人形に火をつけたりする。
こちらの方がよほど「ヘイトスピーチ」だと思うのだが。
歴代韓国大統領は任期切れ直前になると
「反日カード」を切って、
その支持率を上げることをした。
今の朴大統領は
就任早々に「反日カード」を切ってしまったから、
支持率30%以下まで下がっても
今さら「反日カード」の切りようがないのだという。
それでも任期回復のために、
強硬な反日を始めるのではないかと心配される。
前にも書いたが、
私は韓国に親しみを感じていた一人だ。
若い頃は韓国の女性と結婚しようか、と考えたこともあったし、
娘を韓国に留学させ、
韓国映画が優れていると言い、
「韓国のミュージカルはレベルが高い」
とことあるごとに宣伝していた。
そういう親韓派でさえも、
李前大統領、朴現大統領のしていることは、
嫌韓派に転換させてしまうほどのことなのだ。
二人の大統領には
大いに反省してもらいたいところだが、
反省はしないだろうな。
それにしても、
自分から始めた在特会をどうして桜井誠氏は抜けたのか。
桜井氏に何があったのか。
今後の動向を注目したい。
『ミルカ』 映画関係
〔映画紹介〕

1960年のローマ・オリンピックで、
インド人選手ミルカ・シンは、
決勝で首位を走っていながら、
ゴールを目前にして
後ろを振り返ってしまい、
4位という不本意な結果に終わる。
なぜ彼は重要な場面で
そんな失敗をしたのか。
後ろを振り返る行為とは何だったのか。
その後、ランナーとして成功を納めたミルカは、
隣国パキスタンとのスポーツ大会の団長に選ばれたが、
辞退すると言ってきかない。
なぜ彼はパキスタン入国をそんなにもかたくなに拒むのか。
その2点の謎にからんでドラマは進む。
まあ、映画観巧者には、
その謎もじきに見当がつくし、
予告編でも分かってしまうのだが、
ミルカには子ども時代のトラウマがあったのだ。
それも我々はよく知らない
1947年のインドのパキスタンとの国土分断にからむ事件だ。
生まれ故郷で異教徒とみなされたミルカの家族たちは
イスラム教徒の襲撃を受け、
一家は惨殺。
その時、父親は「ミルカ、逃げろ」とミルカを走らせる。
原題の「BHAAG MILKHA BHAAG」は
その叫びから取っている。
その経験がミルカにとってトラウマになって残っていたのだ。
そのことは、チラシで、
上に大人のミルカ、
下に鏡に映るかのように子どものミルカを配した図柄にも表れている。

子ども時代のミルカの半生も
十分に描かれている。

ミルカが頭の上に束ねてお団子状にした髪の毛を
ターバンで巻いているのは
シク教への帰依の証で、
最後にはミルカは“空飛ぶシク教徒”の称号を獲得する。
そのようにかなり深刻な内容を内包しているのだが、
映画そのものは軽快に運ぶ。
特にメルボルンオリンピックを
不摂生で失敗したミルカが
心を入れ換えて
コーチの訓練に従って
山で川で鍛練するシーンは、
インド映画独特の歌が流れて、心がはずむ。

そして、インド映画界の高名な監督でもある
ファルハーン・アクタルの肉体の美がそれを裏打ちする。
体脂肪率を5パーセントにまで落として
この役に臨んだという。

説得されてパキスタンに行ったミルカは
記者会見をすっぽかして
ある場所に出かける。
そこで見たものは・・・。
ラストシーンも印象的。
ミルカの人生が反映されて心地よい。
インドのアカデミー賞と言われる映画賞で
作品賞や監督賞、主演男優賞など計14部門を総なめにしたという。
それも納得できる国民的映画。
国際競技でのレースシーンが
ていねいに作られている。
撮影は大変だったろう。

無名時代の武井壮が
たまたま撮影に参加した陸上大会場面で
日本選手役で走っているが、

知らないと武井だとは気付かないだろう。

なお、劇中に登場する
1958年の東京でのアジア大会の映像は、
市川昆の「東京オリンピック」(1965)の映像が使用されていた。
それにしても、
ローマオリッピックでの
選手が後ろを振り返るという珍事から
このようなストーリーを編み出した
監督の着想に感心した。
5段階評価の「4」。
予告編は↓をクリック。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=URnsJ3lgHh8

1960年のローマ・オリンピックで、
インド人選手ミルカ・シンは、
決勝で首位を走っていながら、
ゴールを目前にして
後ろを振り返ってしまい、
4位という不本意な結果に終わる。
なぜ彼は重要な場面で
そんな失敗をしたのか。
後ろを振り返る行為とは何だったのか。
その後、ランナーとして成功を納めたミルカは、
隣国パキスタンとのスポーツ大会の団長に選ばれたが、
辞退すると言ってきかない。
なぜ彼はパキスタン入国をそんなにもかたくなに拒むのか。
その2点の謎にからんでドラマは進む。
まあ、映画観巧者には、
その謎もじきに見当がつくし、
予告編でも分かってしまうのだが、
ミルカには子ども時代のトラウマがあったのだ。
それも我々はよく知らない
1947年のインドのパキスタンとの国土分断にからむ事件だ。
生まれ故郷で異教徒とみなされたミルカの家族たちは
イスラム教徒の襲撃を受け、
一家は惨殺。
その時、父親は「ミルカ、逃げろ」とミルカを走らせる。
原題の「BHAAG MILKHA BHAAG」は
その叫びから取っている。
その経験がミルカにとってトラウマになって残っていたのだ。
そのことは、チラシで、
上に大人のミルカ、
下に鏡に映るかのように子どものミルカを配した図柄にも表れている。

子ども時代のミルカの半生も
十分に描かれている。

ミルカが頭の上に束ねてお団子状にした髪の毛を
ターバンで巻いているのは
シク教への帰依の証で、
最後にはミルカは“空飛ぶシク教徒”の称号を獲得する。
そのようにかなり深刻な内容を内包しているのだが、
映画そのものは軽快に運ぶ。
特にメルボルンオリンピックを
不摂生で失敗したミルカが
心を入れ換えて
コーチの訓練に従って
山で川で鍛練するシーンは、
インド映画独特の歌が流れて、心がはずむ。

そして、インド映画界の高名な監督でもある
ファルハーン・アクタルの肉体の美がそれを裏打ちする。
体脂肪率を5パーセントにまで落として
この役に臨んだという。

説得されてパキスタンに行ったミルカは
記者会見をすっぽかして
ある場所に出かける。
そこで見たものは・・・。
ラストシーンも印象的。
ミルカの人生が反映されて心地よい。
インドのアカデミー賞と言われる映画賞で
作品賞や監督賞、主演男優賞など計14部門を総なめにしたという。
それも納得できる国民的映画。
国際競技でのレースシーンが
ていねいに作られている。
撮影は大変だったろう。

無名時代の武井壮が
たまたま撮影に参加した陸上大会場面で
日本選手役で走っているが、

知らないと武井だとは気付かないだろう。

なお、劇中に登場する
1958年の東京でのアジア大会の映像は、
市川昆の「東京オリンピック」(1965)の映像が使用されていた。
それにしても、
ローマオリッピックでの
選手が後ろを振り返るという珍事から
このようなストーリーを編み出した
監督の着想に感心した。
5段階評価の「4」。
予告編は↓をクリック。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=URnsJ3lgHh8
タグ: 映画
セブ島旅行記C無人島へ 旅行関係
3日目の朝のホテルの海岸。
もう人が出ています。

朝っぱらからバトミントンをしている人。

さすがにプールで泳いでいる人はいません。

ロビーには、外人さんの姿も。

朝の出発が早く、
ゆっくり朝食バイキングを食べる時間がないので、
朝は昨日買い求めたカップ麺を。
33.75ペソ。(101円)。

中にフォークが入っているところが
日本と違います。

朝のホテルのバイキングは715ペソ。(2145円)
節約になりました。

今日は無人島ツアーへ。
この旅行は正式名称を
「無人島をEnjoy! 直行便で行くセブ島!
セブ島と言えば!の人気リゾート
マリバゴブルーウォーター滞在5日間」
という長い名前で、
無人島ツアーは日程に組み込まれています。
バスで港まで送られ、

出迎えの小舟がやって来ました。

まずこの小舟に乗って、

次の大きな船へ。

ひもで引っ張られます。

この船がそれ。

落ちないように乗船。

快適な空間。

ところが、エンジンがかかりません。
「シュルルル」という音をたてて止まってしまいます。
仕方なく、隣の船(!)からバッテリーを拝借。

船の持ち主が同じ人なのでしょうか。

現在修理中。

しかし、直らないので、

また小舟に乗って、

別な船に。

このトイレ、下が隠れればいいという発想のようです。

無事エンジンがかかって、
遠くの無人島、ソルパアイランドへ出発。

少し手前で止まって、

海水浴とシュノーケルを実施。
シュノーケルの借り賃は200ペソ。(600円)

泳いでいる間の写真はありません。
その間に、ランチの準備。

シーフードのようです。

浅くて大きな船では近づけないので、

再び小舟に乗って島へ。

水が透き通っています。

ついに上陸!



周辺2〜300メートルの小さな島。


これがトイレ兼

着替え場所。

便座がありません。

島は共同所有らしい。

上陸するため、旅行会社は料金を払っているそうです。





端まで行ってみました。



ここから先は行かないように、と言われました。

ゆったりと時間が流れます。








さて、昼食の時間が来て、

食事の支度。

意外と豪華。

グループごとにテーブルを囲みます。

これがバーベキューランチ。

500ペソ。(1500円)
飲み物は50ペソ。(150円)
実は、ものすごく美味しかった。

隣の人がカニを食べずに放置。
「それいただけますか」
と言いたかったくらい。
恥を知るから言いませんでしたが。
フルーツも付きます。

同じグループの方。

お腹が一杯になったら、
後は時間まで自由散策。



いいですね、無人島生活。




このグループ、
日本の年配の人たちですが、
常に笑い声が絶えず、楽しそう。

仲間に入れてもらいたいくらい。

さて、再び小舟に乗って、


さらば、無人島。

大きな船に移って、

港に向かいます。

見えるものは、海、海、海。

パラセーリングも飛んでいます。

船は港に戻りました。

また小舟に乗り、

楽しい無人島ツアーもおしまいです。

ホテルに戻ったら、ビーチとプールで

ご覧の通り。

夕食は、前日目をつけておいた、この店に。

このあたりで有名な店です。

なかなか雰囲気がいい。

メニューも立派。

足元には蚊とり線香。

猫もやってきて、くれるのを待ちます。
いつもうまいものを食べているのか、
舌の肥えた猫でした。

しかし、注文してから
全然料理が出てきません。
後から注文した隣のテーブルの料理はとっくに出ているのに。
どうやら注文受付→調理→配膳のシステムのどこかが
うまくいっていないらしく、
飲み物さえ出てこない。
ようやく料理が運ばれて来た時には、
料理が冷めていました。
↓はイカリングフライ。

↓エビを煮たもの。

↓チャーハン。分量は3人分くらいあります。

↓野菜の炒め物。

チップ込みで900ペソほど。(2700円)
支払いの段階になって、
カードを渡すと、
しばらくして戻って来て、
カード会社と連絡がつかないから現金で支払ってくれとのこと。
ペソを持っていたからいいですが、
持っていなかったら、
両替屋もホテルの両替も閉まった状態でどうなったのでしょうか。
ホテルに戻り、
それからマッサージへ。
今夜はフットマッサージ。
1時間で300ペソ。(900円)
いよいよ明日はパラセーリングです。
もう人が出ています。

朝っぱらからバトミントンをしている人。

さすがにプールで泳いでいる人はいません。

ロビーには、外人さんの姿も。

朝の出発が早く、
ゆっくり朝食バイキングを食べる時間がないので、
朝は昨日買い求めたカップ麺を。
33.75ペソ。(101円)。

中にフォークが入っているところが
日本と違います。

朝のホテルのバイキングは715ペソ。(2145円)
節約になりました。

今日は無人島ツアーへ。
この旅行は正式名称を
「無人島をEnjoy! 直行便で行くセブ島!
セブ島と言えば!の人気リゾート
マリバゴブルーウォーター滞在5日間」
という長い名前で、
無人島ツアーは日程に組み込まれています。
バスで港まで送られ、

出迎えの小舟がやって来ました。

まずこの小舟に乗って、

次の大きな船へ。

ひもで引っ張られます。

この船がそれ。

落ちないように乗船。

快適な空間。

ところが、エンジンがかかりません。
「シュルルル」という音をたてて止まってしまいます。
仕方なく、隣の船(!)からバッテリーを拝借。

船の持ち主が同じ人なのでしょうか。

現在修理中。

しかし、直らないので、

また小舟に乗って、

別な船に。

このトイレ、下が隠れればいいという発想のようです。

無事エンジンがかかって、
遠くの無人島、ソルパアイランドへ出発。

少し手前で止まって、

海水浴とシュノーケルを実施。
シュノーケルの借り賃は200ペソ。(600円)

泳いでいる間の写真はありません。
その間に、ランチの準備。

シーフードのようです。

浅くて大きな船では近づけないので、

再び小舟に乗って島へ。

水が透き通っています。

ついに上陸!



周辺2〜300メートルの小さな島。


これがトイレ兼

着替え場所。

便座がありません。

島は共同所有らしい。

上陸するため、旅行会社は料金を払っているそうです。





端まで行ってみました。



ここから先は行かないように、と言われました。

ゆったりと時間が流れます。








さて、昼食の時間が来て、

食事の支度。

意外と豪華。

グループごとにテーブルを囲みます。

これがバーベキューランチ。

500ペソ。(1500円)
飲み物は50ペソ。(150円)
実は、ものすごく美味しかった。

隣の人がカニを食べずに放置。
「それいただけますか」
と言いたかったくらい。
恥を知るから言いませんでしたが。
フルーツも付きます。

同じグループの方。

お腹が一杯になったら、
後は時間まで自由散策。



いいですね、無人島生活。




このグループ、
日本の年配の人たちですが、
常に笑い声が絶えず、楽しそう。

仲間に入れてもらいたいくらい。

さて、再び小舟に乗って、


さらば、無人島。

大きな船に移って、

港に向かいます。

見えるものは、海、海、海。

パラセーリングも飛んでいます。

船は港に戻りました。

また小舟に乗り、

楽しい無人島ツアーもおしまいです。

ホテルに戻ったら、ビーチとプールで

ご覧の通り。

夕食は、前日目をつけておいた、この店に。

このあたりで有名な店です。

なかなか雰囲気がいい。

メニューも立派。

足元には蚊とり線香。

猫もやってきて、くれるのを待ちます。
いつもうまいものを食べているのか、
舌の肥えた猫でした。

しかし、注文してから
全然料理が出てきません。
後から注文した隣のテーブルの料理はとっくに出ているのに。
どうやら注文受付→調理→配膳のシステムのどこかが
うまくいっていないらしく、
飲み物さえ出てこない。
ようやく料理が運ばれて来た時には、
料理が冷めていました。
↓はイカリングフライ。

↓エビを煮たもの。

↓チャーハン。分量は3人分くらいあります。

↓野菜の炒め物。

チップ込みで900ペソほど。(2700円)
支払いの段階になって、
カードを渡すと、
しばらくして戻って来て、
カード会社と連絡がつかないから現金で支払ってくれとのこと。
ペソを持っていたからいいですが、
持っていなかったら、
両替屋もホテルの両替も閉まった状態でどうなったのでしょうか。
ホテルに戻り、
それからマッサージへ。
今夜はフットマッサージ。
1時間で300ペソ。(900円)
いよいよ明日はパラセーリングです。
『メリー・ウィドウ』 オペラ関係
今日は昼前に銀座に出かけ、

数寄屋橋交番の脇で友人と待ち合わせして、

ここに行きました。

前から気になっていた

「高級寿司食べ放題」をやってみたいと。

食べ放題注文した人には、
まずあわびの寿司が出ます。

その後は、紙に書いて注文すると、

握って持って来てくれます。

他に味噌汁と茶碗蒸しが付きます。

一人だとすぐお腹が一杯になってしまいますが、
話をしながらだと
いくらでも入って、

全部で各自38貫食べました。
回転寿司なら19皿分。
随分食べましたね。
残念だったのは、
期待したほど「高級」ではなかったことでしょうか。
まあ、税込み4309円なら、満足というところです。
その後、友人と共に東劇へ。

METライブビューイング、今日の作品は
レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」。

オペレッタはオペラの一種で、
字義的には「小さいオペラ」。
「軽歌劇」などと訳します。
喜劇的な内容で、
対話体のセリフを持ち、
時には舞踊を取入れた大衆的な作品が多い。

まずパリで始まり、
1858年、 オッフェンバックの「天国と地獄」で全盛期を迎え、
ウィーン・オペレッタに影響を与えて
ミハン・ シュトラウスの「ジプシー男爵」、
レハールの「メリー・ウィドウ」などの名曲を生みました。

その後、アメリカに渡って、
ミュージカルの礎になったとされています。

今回は、そのブロードウェイ・ミュージカルの巨匠、
「コンタクト」「プロデューサーズ」でトニー賞を受賞した
スーザン・ストローマンを演出に迎え、
豪華絢爛、ダイナミックな作品に生まれ変わりました。
観客の受けもよく、
終演時には、
スタンディング・オベーションでした。

主役を演ずるのは、
ルネ・フレミング。

興味深かったのは、
幕間インタビューで、
歌手がこぞって「セリフに苦労した」
と言っていたこと。
オペレッタはオペラより格段にセリフで語る部分が多く、
確かに、歌でメトロポリタンの最後席まで歌声を届かせることは出来ても、
発声訓練のされていないセリフ回しで
劇場に響かせることは難しいでしょう。
「音響の世話になった」
と言っているところを見ると、
マイクやスピーカーでフォローしているのかもしれません。
予告編を観たい方は↓をクリック。ダンスシーンが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=LOsfRbMZII0&feature=player_embedded
リハーサルから↓「グリセットの歌」
https://www.youtube.com/watch?v=c5ENROn5X-w&feature=player_embedded
リハーサルから↓「女、女、女のマーチ」
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=EX7OSq5chSg

数寄屋橋交番の脇で友人と待ち合わせして、

ここに行きました。

前から気になっていた

「高級寿司食べ放題」をやってみたいと。

食べ放題注文した人には、
まずあわびの寿司が出ます。

その後は、紙に書いて注文すると、

握って持って来てくれます。

他に味噌汁と茶碗蒸しが付きます。

一人だとすぐお腹が一杯になってしまいますが、
話をしながらだと
いくらでも入って、

全部で各自38貫食べました。
回転寿司なら19皿分。
随分食べましたね。
残念だったのは、
期待したほど「高級」ではなかったことでしょうか。
まあ、税込み4309円なら、満足というところです。
その後、友人と共に東劇へ。

METライブビューイング、今日の作品は
レハールのオペレッタ「メリー・ウィドウ」。

オペレッタはオペラの一種で、
字義的には「小さいオペラ」。
「軽歌劇」などと訳します。
喜劇的な内容で、
対話体のセリフを持ち、
時には舞踊を取入れた大衆的な作品が多い。

まずパリで始まり、
1858年、 オッフェンバックの「天国と地獄」で全盛期を迎え、
ウィーン・オペレッタに影響を与えて
ミハン・ シュトラウスの「ジプシー男爵」、
レハールの「メリー・ウィドウ」などの名曲を生みました。

その後、アメリカに渡って、
ミュージカルの礎になったとされています。

今回は、そのブロードウェイ・ミュージカルの巨匠、
「コンタクト」「プロデューサーズ」でトニー賞を受賞した
スーザン・ストローマンを演出に迎え、
豪華絢爛、ダイナミックな作品に生まれ変わりました。
観客の受けもよく、
終演時には、
スタンディング・オベーションでした。

主役を演ずるのは、
ルネ・フレミング。

興味深かったのは、
幕間インタビューで、
歌手がこぞって「セリフに苦労した」
と言っていたこと。
オペレッタはオペラより格段にセリフで語る部分が多く、
確かに、歌でメトロポリタンの最後席まで歌声を届かせることは出来ても、
発声訓練のされていないセリフ回しで
劇場に響かせることは難しいでしょう。
「音響の世話になった」
と言っているところを見ると、
マイクやスピーカーでフォローしているのかもしれません。
予告編を観たい方は↓をクリック。ダンスシーンが多い。
https://www.youtube.com/watch?v=LOsfRbMZII0&feature=player_embedded
リハーサルから↓「グリセットの歌」
https://www.youtube.com/watch?v=c5ENROn5X-w&feature=player_embedded
リハーサルから↓「女、女、女のマーチ」
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=EX7OSq5chSg
アカデミー賞授賞式 映画関係
待ちに待ったアカデミー賞授賞式が
本日(アメリカ時間2月22日)ありました。

会場はハリウッドにあるドルビーシアター。

司会はこれが初のニール・パトリック・ハリス。

この人、トニー賞の最強の司会者と言われ、
歌もダンスも出来るので、
さっそくパフォーマンス。

「Moving Pictures」という映画讃歌。
おや、これは・・・

グラミー賞でケイティ・ペリーがやっていたのと同じ趣向。

今更変えられなかったか。

ちょっと手がこんでいます。

マリリン・モンローと踊り、

「ARGO」(アルゴ)が「FARGO」(ファーゴ)に変わったり、

こんなになったり、

「オズの魔法使い」の世界に入ったり、

「スター・ウォーズ」の世界に入ったり。

靴を拾ったら、

「イントゥ・ザ・ウッズ」でシンデレラを演じた
アナ・ケンドリックが登場。

二人でデュエットしていると、

ジャック・ブラックが割り込んで来て、

最近のハリウッド映画に対する悪口を。

アナに靴を投げつけられて退散。
パフォーマンスは大喝采のうち終了。

今回、一つの趣向として、
ニールが受賞者を予想し、
この会計事務所の人が持っている鞄の中に入れ、

このケースに入れて、

鍵を預かります。

この人、「マット・デイモンに似てるね」
なんて言われていました。

そして、ケースの監視役に
オクタビア・スペンサーを指名。

近所にいたロバート・デュヴァルに
オクタビアが眠ってしまったら起してくれるように頼み、
更に、近くにいたエディ・レッドメインに
ロバート・デュヴァルが眠ったら
5分ごとに起してくれるよう頼みます。

さて、授賞式を開始。
グランド・プタペスト・ホテルから
ベルボーイがドアを開けてプレゼンターが登場。

最初は助演男優賞に「セッション」のJ・K・シモンズを選出。

「父母に電話してやってくれ」とシモンズ。
助演女優賞プレゼンターのジャレッド・レトは、

「候補者は全員が実力派で
パワフルな存在です。
4人の女性と
カリフォルニア州の法律によって
メリル・ストリープも選ばれました」
と発言。
これはメリルが毎回ノミネートされていることに対して言ったこと。
もっともジャレットは、
「今のジョークは緊張した」
と言っていましたが。
その助演女優賞は、
「6才のボクが、大人になるまで。」の
パトリシア・アークエットが受賞。
このあたりは順当。

長編アニメにノミネートされた「かぐや姫の物語」
短編アニメにノミネートされた「ダム・キーパー」という
日本人の作品は
残念ながら受賞を逃しました。

主題歌賞の候補作のパフォーマンス。
まず、「はじまりのうた」から「Lost Star」。
アダム・レヴィーン(マリーン5)が歌います。

次は、「LEGO(R)ムービー」から
「Everything is Awesome」。
ティーガン&サラとザ・ロンリー・アイランドの歌。

派手派手しいダンス・パフォーマンス。

LEGOで作ったオスカー像が配られました。

「Glen Cambell:I'll Be Me」から「I'm Not Gonna Miss You」。
歌うのは、ティム・マックグロウ。

「Beyond the Light」から「Grateful」。
リタ・オラの歌声。

そして、圧巻だったのは、

「Selma」から「Glory」。

歌うのはジョン・レジェンドとコモン。

グラミー賞のエンディングでも歌われたこの曲が素晴らしく、

この映画でキング牧師を演じた
デビッド・オイエロウォが涙を流していました。

主題歌賞のプレゼンターは
昨年「アナと雪の女王」の「Let It Go」を歌った
イディナ・メンゼル。

おや、前年の主題歌賞の受賞歌手が
翌年のプレゼンターに起用されるルールでも出来たのかな、
と思っていて、
変わった名前の友人↓を紹介すると、

ジョン・トラボルタが出て来て、
何やらわけありな風情。

というのは、
昨年の主題歌賞のプレゼンターとして登場したトラボルタ。
「それでは、アデル・ダジームさんです。どうぞ」
と間違った名前で紹介したのです。
この事件を受けて、
ネット上ではアデル・ダジームというTwitterアカウントが出現し、
入力した名前を全く違うものに変える
「アデル・ダジーム・ネームジェネレーター」が作られたりしました。
今年はどうかというと、




昨年の失態を挽回する
イディナとトラボルタ、和解の巻。
で、主題歌賞は予想通り「Glory」。
スピーチでコモンがこのように述べました。
「50年前、
キング牧師らが行進した橋で
先日ジョンと『Glory』を歌いました。
分断された国家の象徴だった橋が
今や『変化』のシンボルです。
この橋の精神は
人種、性別、宗教、性的嗜好、社会的地位をも越えます。
その精神は
貧困に苦しむシカゴの少年と世界をつなぎます。
表現の自由を訴えるフランス、
民主主義を求める香港、
この橋は希望と慈愛と
全人類への愛で出来ています」
ニールが紹介しているのは、「席埋め役」。

実は、スターが舞台に出かけたり、
トイレに行ったりした時、
空席が目立たないように、
不在の間だけ席を埋める係がいるのです。

ニールが名前を訊いて、
この3人、ハイディ、ローラ、スティーヴというのだそうです。

この有様は、

CM明けに「ニールの出番なのに、いない」
とカメラが楽屋に向かうと、
バスローブがドアに挟まって鍵がかかってしまい、
仕方なしに白ブリーフのまま舞台に出た、という趣向。
これは、有力候補作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で
劇場から締め出された主人公が
白ブリーフ姿で町を走るシーンを再現したもの。
しかし、女性陣は目のやり場に困ったことでしょう。
その後には、ちゃっとしたタキシードで登場。

1年間に亡くなった物故者の追悼での
メリル・ストリープのスピーチがよかった。

「『悲しみ』を表現した
ジョーン・ディディオンの言葉です。
『一人の大切な友人を失うと
世界の全てが空虚になる』
今年、多くの才能豊かな人々が亡くなりました。
『空虚』な気持ちです。
彼らから多くの喜びをもらいました。
彼らが作ってきた作品の数々に
私たちは笑い考え泣きました。
人生を見つめ直しました。
彼らの作品は勇気をくれ、
私かちに挑み、
自己満足を揺さぶりました。
魂を共有してくれたのです。
だから親友を亡くした時のように
虚しい気持ちです。
彼らの作品を通して
同じ時代に生きた幸運を感じます。
でも彼らと同じ存在は
一人としていないのです」

そして、亡くなった人々のが映し出されます。

ジェニファー・ハドソンの追悼の歌
「I Can't Let Go」もよかった。

ハイライトはスカーレット・ヨハンソンが
「サウンド・オブ・ミュージック」の50周年を紹介。

かなり長い映像が流れ、


登場したレディ・ガガ様が

「サウンド・オブ・ミュージック」メドレーを歌唱。

サウンド・オブ・ミュージック〜私の好きなもの〜
エーデルワイス〜全ての山に登れ
と続き、

二の腕の入れ墨も出して熱唱。

歌い終えると

スタンディング・オベーションの中、

ジュリー・アンドリュースが登場。

これはサプライズ。

新旧の歌姫のハグに
胸が熱くなりました。

ジュリーは作曲賞のプレゼンターをし、

「音楽は物語を盛り上げるだけでなく、
観客の記憶に映画を刻みつけます」
という良いスピーチを。
監督賞のプレセンターはベン・アフレック。

前年の監督賞受賞者ではありませんが、
一昨年、「アルゴ」で監督賞にノミネートさえされなかったことへの
謝罪の意味でしょうか。
監督賞として読み上げた名前は、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の
アレハンドロ・G・イニャリトゥ。

主演男優賞は、「博士と彼女のセオリー」で
ホーキング博士を演じたエディ・レッドメイン。
この喜びようをご覧下さい。

主演女優賞は、「アリスのままで」で
アルツハイマーにかかった女性を演じたジュリアン・ムーア。
なんだかとっくに取っていたような常連です。
「オスカーを受賞すると
寿命が5年延びる
という記事を読みました」
と言っていました。

ここでニールが

ケースの鍵を開け、

予想を書いた紙を取り出します。

中には受賞者の名前が書かれ、的中。
それだけでなく、
受賞者のスピーチにまつわることも書いてあります。
たとえば、
「J・K・シモンズのスピーチの後、
故郷にかける電話が増えた」
とか。

「イディナ・メンゼルの顔に触り過ぎた
トラボルタは来年謝りに来る」
なんてことも書いてあります。

いつすり替えたんでしょうね。

さて、作品賞の発表は

ショーン・ペン。

たっぷり間を持たせて、
読み上げたのは、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」!

登壇したイニャリトゥ監督が
「来年はアカデミーが
移民制限を導入するかも。
メキシコ人にはもう賞をやらんぞ、って」
と冗談を飛ばしていました。
主演のマイケル・キートンを
「巨匠中の巨匠」と呼び、
「君こそ功労者だ」
とスピーチさせる気配りも。

というわけで、
ニールの軽快な司会のもと、
3時間40分、
たっぷり楽しませてもらいました。

結果としては、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が9部門候補で4部門獲得。
「グランド・ブタペスト・ホテル」が同じく9部門候補で4部門獲得。
「セッション」が5部門候補で3部門獲得。
「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」が8部門候補で1部門獲得。
「アメリカン・スナイパー」が6部門候補で1部門獲得。
「6才のボクが、大人になるまで。」が6部門候補で1部門獲得。
「博士と彼女のセオリー」が5部門候補で1部門獲得。
「Selma」が2部門候補で1部門獲得。
というのが、
作品賞候補8作品の候補と獲得数でした。
全体としてばらけた印象で、
予想は難しかったかもしれません。
私の予想の成績は、昨年より落ちました。
というのも、
現場に詳しいある消息筋の予想を参考にしていたのですか、
その消息筋、3日前にそれまでの予想をいくつか変更してきたのです。
迷った末、現場に詳しい人の言うことに従ったところ、
それがことごとく裏目に出て、
3つほど後退。
俳優4部門は手堅く取りましたが、
例年必ず当てている脚本賞、脚色賞を両方とも外すなど、
まあ、誉められたものではありません。
2年連続で外していた作品賞を
今回は取れたことが慰めでしょうか。
本日(アメリカ時間2月22日)ありました。

会場はハリウッドにあるドルビーシアター。

司会はこれが初のニール・パトリック・ハリス。

この人、トニー賞の最強の司会者と言われ、
歌もダンスも出来るので、
さっそくパフォーマンス。

「Moving Pictures」という映画讃歌。
おや、これは・・・

グラミー賞でケイティ・ペリーがやっていたのと同じ趣向。

今更変えられなかったか。

ちょっと手がこんでいます。

マリリン・モンローと踊り、

「ARGO」(アルゴ)が「FARGO」(ファーゴ)に変わったり、

こんなになったり、

「オズの魔法使い」の世界に入ったり、

「スター・ウォーズ」の世界に入ったり。

靴を拾ったら、

「イントゥ・ザ・ウッズ」でシンデレラを演じた
アナ・ケンドリックが登場。

二人でデュエットしていると、

ジャック・ブラックが割り込んで来て、

最近のハリウッド映画に対する悪口を。

アナに靴を投げつけられて退散。
パフォーマンスは大喝采のうち終了。

今回、一つの趣向として、
ニールが受賞者を予想し、
この会計事務所の人が持っている鞄の中に入れ、

このケースに入れて、

鍵を預かります。

この人、「マット・デイモンに似てるね」
なんて言われていました。

そして、ケースの監視役に
オクタビア・スペンサーを指名。

近所にいたロバート・デュヴァルに
オクタビアが眠ってしまったら起してくれるように頼み、
更に、近くにいたエディ・レッドメインに
ロバート・デュヴァルが眠ったら
5分ごとに起してくれるよう頼みます。

さて、授賞式を開始。
グランド・プタペスト・ホテルから
ベルボーイがドアを開けてプレゼンターが登場。

最初は助演男優賞に「セッション」のJ・K・シモンズを選出。

「父母に電話してやってくれ」とシモンズ。
助演女優賞プレゼンターのジャレッド・レトは、

「候補者は全員が実力派で
パワフルな存在です。
4人の女性と
カリフォルニア州の法律によって
メリル・ストリープも選ばれました」
と発言。
これはメリルが毎回ノミネートされていることに対して言ったこと。
もっともジャレットは、
「今のジョークは緊張した」
と言っていましたが。
その助演女優賞は、
「6才のボクが、大人になるまで。」の
パトリシア・アークエットが受賞。
このあたりは順当。

長編アニメにノミネートされた「かぐや姫の物語」
短編アニメにノミネートされた「ダム・キーパー」という
日本人の作品は
残念ながら受賞を逃しました。

主題歌賞の候補作のパフォーマンス。
まず、「はじまりのうた」から「Lost Star」。
アダム・レヴィーン(マリーン5)が歌います。

次は、「LEGO(R)ムービー」から
「Everything is Awesome」。
ティーガン&サラとザ・ロンリー・アイランドの歌。

派手派手しいダンス・パフォーマンス。

LEGOで作ったオスカー像が配られました。

「Glen Cambell:I'll Be Me」から「I'm Not Gonna Miss You」。
歌うのは、ティム・マックグロウ。

「Beyond the Light」から「Grateful」。
リタ・オラの歌声。

そして、圧巻だったのは、

「Selma」から「Glory」。

歌うのはジョン・レジェンドとコモン。

グラミー賞のエンディングでも歌われたこの曲が素晴らしく、

この映画でキング牧師を演じた
デビッド・オイエロウォが涙を流していました。

主題歌賞のプレゼンターは
昨年「アナと雪の女王」の「Let It Go」を歌った
イディナ・メンゼル。

おや、前年の主題歌賞の受賞歌手が
翌年のプレゼンターに起用されるルールでも出来たのかな、
と思っていて、
変わった名前の友人↓を紹介すると、

ジョン・トラボルタが出て来て、
何やらわけありな風情。

というのは、
昨年の主題歌賞のプレゼンターとして登場したトラボルタ。
「それでは、アデル・ダジームさんです。どうぞ」
と間違った名前で紹介したのです。
この事件を受けて、
ネット上ではアデル・ダジームというTwitterアカウントが出現し、
入力した名前を全く違うものに変える
「アデル・ダジーム・ネームジェネレーター」が作られたりしました。
今年はどうかというと、




昨年の失態を挽回する
イディナとトラボルタ、和解の巻。
で、主題歌賞は予想通り「Glory」。
スピーチでコモンがこのように述べました。
「50年前、
キング牧師らが行進した橋で
先日ジョンと『Glory』を歌いました。
分断された国家の象徴だった橋が
今や『変化』のシンボルです。
この橋の精神は
人種、性別、宗教、性的嗜好、社会的地位をも越えます。
その精神は
貧困に苦しむシカゴの少年と世界をつなぎます。
表現の自由を訴えるフランス、
民主主義を求める香港、
この橋は希望と慈愛と
全人類への愛で出来ています」
ニールが紹介しているのは、「席埋め役」。

実は、スターが舞台に出かけたり、
トイレに行ったりした時、
空席が目立たないように、
不在の間だけ席を埋める係がいるのです。

ニールが名前を訊いて、
この3人、ハイディ、ローラ、スティーヴというのだそうです。

この有様は、

CM明けに「ニールの出番なのに、いない」
とカメラが楽屋に向かうと、
バスローブがドアに挟まって鍵がかかってしまい、
仕方なしに白ブリーフのまま舞台に出た、という趣向。
これは、有力候補作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で
劇場から締め出された主人公が
白ブリーフ姿で町を走るシーンを再現したもの。
しかし、女性陣は目のやり場に困ったことでしょう。
その後には、ちゃっとしたタキシードで登場。

1年間に亡くなった物故者の追悼での
メリル・ストリープのスピーチがよかった。

「『悲しみ』を表現した
ジョーン・ディディオンの言葉です。
『一人の大切な友人を失うと
世界の全てが空虚になる』
今年、多くの才能豊かな人々が亡くなりました。
『空虚』な気持ちです。
彼らから多くの喜びをもらいました。
彼らが作ってきた作品の数々に
私たちは笑い考え泣きました。
人生を見つめ直しました。
彼らの作品は勇気をくれ、
私かちに挑み、
自己満足を揺さぶりました。
魂を共有してくれたのです。
だから親友を亡くした時のように
虚しい気持ちです。
彼らの作品を通して
同じ時代に生きた幸運を感じます。
でも彼らと同じ存在は
一人としていないのです」

そして、亡くなった人々のが映し出されます。

ジェニファー・ハドソンの追悼の歌
「I Can't Let Go」もよかった。

ハイライトはスカーレット・ヨハンソンが
「サウンド・オブ・ミュージック」の50周年を紹介。

かなり長い映像が流れ、


登場したレディ・ガガ様が

「サウンド・オブ・ミュージック」メドレーを歌唱。

サウンド・オブ・ミュージック〜私の好きなもの〜
エーデルワイス〜全ての山に登れ
と続き、

二の腕の入れ墨も出して熱唱。

歌い終えると

スタンディング・オベーションの中、

ジュリー・アンドリュースが登場。

これはサプライズ。

新旧の歌姫のハグに
胸が熱くなりました。

ジュリーは作曲賞のプレゼンターをし、

「音楽は物語を盛り上げるだけでなく、
観客の記憶に映画を刻みつけます」
という良いスピーチを。
監督賞のプレセンターはベン・アフレック。

前年の監督賞受賞者ではありませんが、
一昨年、「アルゴ」で監督賞にノミネートさえされなかったことへの
謝罪の意味でしょうか。
監督賞として読み上げた名前は、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の
アレハンドロ・G・イニャリトゥ。

主演男優賞は、「博士と彼女のセオリー」で
ホーキング博士を演じたエディ・レッドメイン。
この喜びようをご覧下さい。

主演女優賞は、「アリスのままで」で
アルツハイマーにかかった女性を演じたジュリアン・ムーア。
なんだかとっくに取っていたような常連です。
「オスカーを受賞すると
寿命が5年延びる
という記事を読みました」
と言っていました。

ここでニールが

ケースの鍵を開け、

予想を書いた紙を取り出します。

中には受賞者の名前が書かれ、的中。
それだけでなく、
受賞者のスピーチにまつわることも書いてあります。
たとえば、
「J・K・シモンズのスピーチの後、
故郷にかける電話が増えた」
とか。

「イディナ・メンゼルの顔に触り過ぎた
トラボルタは来年謝りに来る」
なんてことも書いてあります。

いつすり替えたんでしょうね。

さて、作品賞の発表は

ショーン・ペン。

たっぷり間を持たせて、
読み上げたのは、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」!

登壇したイニャリトゥ監督が
「来年はアカデミーが
移民制限を導入するかも。
メキシコ人にはもう賞をやらんぞ、って」
と冗談を飛ばしていました。
主演のマイケル・キートンを
「巨匠中の巨匠」と呼び、
「君こそ功労者だ」
とスピーチさせる気配りも。

というわけで、
ニールの軽快な司会のもと、
3時間40分、
たっぷり楽しませてもらいました。

結果としては、
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が9部門候補で4部門獲得。
「グランド・ブタペスト・ホテル」が同じく9部門候補で4部門獲得。
「セッション」が5部門候補で3部門獲得。
「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」が8部門候補で1部門獲得。
「アメリカン・スナイパー」が6部門候補で1部門獲得。
「6才のボクが、大人になるまで。」が6部門候補で1部門獲得。
「博士と彼女のセオリー」が5部門候補で1部門獲得。
「Selma」が2部門候補で1部門獲得。
というのが、
作品賞候補8作品の候補と獲得数でした。
全体としてばらけた印象で、
予想は難しかったかもしれません。
私の予想の成績は、昨年より落ちました。
というのも、
現場に詳しいある消息筋の予想を参考にしていたのですか、
その消息筋、3日前にそれまでの予想をいくつか変更してきたのです。
迷った末、現場に詳しい人の言うことに従ったところ、
それがことごとく裏目に出て、
3つほど後退。
俳優4部門は手堅く取りましたが、
例年必ず当てている脚本賞、脚色賞を両方とも外すなど、
まあ、誉められたものではありません。
2年連続で外していた作品賞を
今回は取れたことが慰めでしょうか。
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