『川あかり』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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葉室麟(はむろりん)の時代小説。
直木賞を取った「蜩ノ記」(ひぐらしのき)と同年の刊行。
松本清張賞の「銀漢の賦」(2007)で作風を確立し、
直木賞作家になったにしては、軽い作品。
「蜩の記」が映画的とたとえるなら、
「川あかり」はテレビドラマ風とでも言おうか。

主人公は伊東七十郎という18歳の侍。
大雨による増水で川止めになった
巨勢川(こせがわ)のほとりの木賃宿に泊まっている。
同宿の者は、ぼろぼろの半纏の侍、
旅の僧、猿回し、遊び人、鳥追い、
それに老人と二人の孫。

終始この木賃宿と周辺で物語が展開するのがユニーク
その中で、七十郎が川明けを待っている理由が明らかになって来る。
というのは、藩の内紛に巻き込まれ、
江戸から戻って来る家老を討つ刺客として派遣されて来たのだ。
しかし、七十郎は藩で一番の臆病者。
その自他共に認める臆病者が刺客として指名されたのは何故なのか。
そして、腕の立つ家老を討つことが出来るのか。
情報では、七十郎を討つために新たな刺客も送られたという。
そうした二重の危機を七十郎は切り抜けることが出来るのか。

こうして、物語が家老が川を渡って来る
川明けに向かって進む中に緊張感が生まれる。
うまい作劇法だ。
そして、川止めが長引いている間に、
木賃宿の泊まり客たちとの交流が生まれ、
客たちの正体も明らかになって来る。

軽い小説、と思って読んでいたが、
刺客を返り討ちにするあたりから面白くなった
それまでの藩のいろいろな事情が
木賃宿の状況の中で解かれて来る手順はあざやかだ。
そして、七十郎の成長の物語だったのだと気づかされる。

元庄屋の老人の孫・おさととの会話。

「七十郎さん、川明かりって知っていますか」
「川明かり? 知りません」
「もうじき川明かりが見えます。
日が暮れて、あたりが暗くなっても
川は白く輝いているんです。
ほら──」
おさとの言葉通りだった。
空は菫色で雲はまだ薄紫に染まっているが、
山裾から川岸にかけては薄闇に覆われていた。
だが、墨を塗ったかのような景色の中に、
蛇行する川だけが
ほのかに白く浮き出ている。
小波(さざなみ)が銀色に輝き、
生きているようにゆったりと流れていた。
川そのものが光を放っているかのようである。
(まるで、黄泉の国を流れるいのちの川だ)
七十郎はそんなことを思いながら、
茫然として見つめていた。
なぜか、心が温まるような眺めだった。
「お祖父ちゃんがよく言うのです。
日が落ちてあたりが暗くなっても、
川面だけが白く輝いているのを見ると、
元気になれる。
なんにもいいことがなくっても、
ひとの心には光が残っていると思えるからって」

これが表題の「川あかり」の意味である。
装丁を参照。
そして、川はもう一つの意味が最後に出て来る。

(生きていくうえで、
誰もが大きな川を渡ろうとしている。
しかし、渡ることができない者や、
渡ることさえ許されないひとが大勢いるのだ)
自分はどうであろう。
刺客となって川を渡ることができたのだろうか。
それとも、まだ渡れずに川岸に立ったままなのだろうか。
不意に涙が込みあげてきた。
佐野又四郎、甘利典膳と、
ふたりの男を手にかけてしまったうえに、
まだ川を渡ることさえできていないとしたら、
自分は何とも情けない男ではないか。
そう思った時、文左衛門が言い残した言葉が
胸に重く響いていた。
(わたしは川を渡らなかったかもしれないが、
友を得ることができた)
七十郎が斬られそうになった時、
豪右衛門たちは
白刃の前に恐れることなく立ちはだかってくれた。
自分も豪右衛門たちを守るために、
命を捨てることに少しのためらいもなかったではないか。
(川を渡るというのはそういうことだったのだ)

葉室麟は今では堂々たる直木賞作家
その作家が受賞前に気軽に書いた作品として、
気軽に楽しめる





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