『奇跡の人』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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旧幕臣の娘である去場安(さりば・あん)は、
生まれつきの弱視で、やがて失明するだろうと言われていたが、
「目の見える間に世界を見せたい」という父親の方針で、
9歳の時、岩倉使節団の留学生として渡米した。
安はホイットニー家の一員となり、
当時の女子が受けられる最高級の教育を受け、
22歳の時、帰国、
日本にも女子教育を広めたいと理想に燃える。

その安のもとに、伊藤博文から手紙が届く。
青森県の弘前で暮らす、
介良(けら)貞彦男爵の娘・れん・6歳の教育係になってくれないかというのだ。
ただし、れんは、生後11ヶ月で生死をさまよい、
なんとか生きのびたものの、
盲目で、耳が聞こえず、口も利けなくなってしまったという。

明治二十年、教育係として招かれた安はその「三重苦」の少女、
介良れん(けら・れん)に出会った。
使用人たちに「けものの子」のように扱われ、
暗い蔵に閉じ込められていたれんの中に可能性を感じた安は、
れんを「人間」に取り戻すための授業を行う。
それは、ふたりの長い闘いの始まりだった・・・。
思い通りにいかないと物を投げる、大声を上げる。
安の顔をひっかき、指を噛む。
食べ物を手で食べるのを直すだけでも一苦労だった。
その上、介良家の人々は
そのような娘のいることを世間にひた隠しにしていた。

おやおや、題名からして、
ヘレン・ケラーの話みたいだな、
と思ったら図星で、
作者・原田マハが次のようにツイートしている。

ヘレン・ケラーと彼女の教師、アン・サリバンが、
もしも日本人だったら――というアイデアから、
この物語が始まりました。
時代は明治、舞台は青森の弘前。
三重苦の少女と女教師の苦闘、
彼女たちが起こした奇跡。

なるほど登場人物の名前が奇妙だな、と思った謎が解けた。
去場安=さりば・あん=アン・サリバン
介良れん=けら・れん=ヘレン・ケラー

しかし、こんな言葉遊びに何の意味があるというのか。

となると「原作」を紹介せざるを得ない。
原作は1959年のウィリアム・ギブソンの戯曲。
その初演でアン・サリバン(アニー・サリバンともいう)を演じたアン・バンクロフト
ヘレン・ケラーを演じたパティ・デュークの主演で
1962年にアーサー・ペン監督で映画化。
その年のアカデミー賞主演女優賞をアン・バンクロフトが
助演女優賞をパティ・デュークが史上最年少で受賞している。
後に1979年にテレビ映画化され、
その時にはパティ・デュークがアン・サリバン役を演じた。

日本の舞台でも1963年以来、
奈良岡朋子、有馬稲子、市原悦子、大竹しのぶなどの女優が
アニー・サリバン役に挑んでいる。
2003年版でヘレン・ケラー役だった鈴木杏が、
2009版ではアニー・サリバン役を演じたこともある。

つまり、この小説は
ヘレン・ケラーの物語を日本に移しかえた、
いわゆる翻案もので、
映画や舞台化の際に時代背景や土地を変えることはあっても、
小説としてはどうなのかと思う。

だが、その根本的疑問以外は、
上手に時代背景や土地も変換されていた。

しかし、作者の目が二人に寄り添い過ぎているのも疑問だ。
たとえば、このような描写。

れん、れん!
ごめんなさい、ごめんなさい。
私が、あなたを守らなくちゃいけないのに。
私しか、あなたを守ってあげられないのに。
私は、あなたに、私の名前すら、教えてはいなかった──。
ずっとこらえていた涙が、
とめどなく流れて落ちた。
安は、力の限りれんを抱きしめ、
声を殺して泣いた。
ああう、ああうと、れんも、声を放って泣いた。
まるで、安の涙に呼応するかのように。
血だらけの両手で、
安の首にすがりついて、
傷ついた子犬のように、
悲しい声を放って泣いた。
呆然と立ち尽くしていたハルの頬にも、
いつしか涙が伝っていた。
名もない、小さな、ふたつの魂。
傷つき、血を流し、涙を流して、近づいた。
ほんの一瞬、ひとつになるほどに。

「傷ついた子犬のように」などという表現が
臆面もなく飛び出して来る。

あの子は、樹木なのです。
樹木は、聞くことも、見ることもしない。
話すことも、もちろんかなわない。
けれど、太陽の光を受け、
風に枝をそよがせながら、
全身で表現しているのです。
──生きていることを。
生きる喜びを。

そうかもしれないが、
小説の中で
こんな陳腐な表現をしていいものだろうか。

手話としてローマ字を使っているが、
ローマ字を使う以上、
れんの中に「母音」と「子音」の構造が分かっていなければならず、
耳の聞こえない少女にそれが可能なのか?
という疑問は残る。

最後に井戸に連れて行って、
「水」の概念を理解し、「水」と口にするシーンがあるが、
これも戯曲の有名なシーンに無理矢理持ち込んだような乱暴さを感じる。
英語で「ウォーラー」と発声するのと、
「みず」と発声するのでは明白に違う。
登場人物の名前をはじめとして、
原典に作者がこだわり続けたことが作品の瑕疵となったような気がしてならない。

唯一、津軽地方の盲目の旅芸人の10歳の少女・キワと出会いと交流は
読者の胸を撃つものとなっている。
そして、最後の「津軽じょんがら節」の弾き手として
人間国宝になったキワとれんの再会は
ちょっと胸がつまった。

翻案の中で、
原典にはない唯一のオリジナルな部分が
最も胸撃つものになる──
ちょっとした皮肉である。
                                           なお、ヘレン・ケラー関係で
ネットに「奇跡の人」の意味、
「ウォーター」の理解の実際が書かれた
ユニークなものがあったので、
参考のために添付する。
関心のある方は、↓をクリック。                            

http://www.wakan3.sakura.ne.jp/Biography/HelenKeller.html






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