『名もなき毒』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「誰か」「名もなき毒」「ペテロの葬列」と続く
杉村三郎シリーズの第2作。

2005年、新聞各紙に連載された後、
2006年に単行本化され、
2007年には第41回吉川英治文学賞を受賞。

首都圏で青酸化合物を使った無差別殺人事件が4件連続する。
今多コンツェルンの社内報の副編集長である杉村三郎は
編集部を巡るトラブルをきっかけに、
無差別殺人の4番目の被害者の母子と関わるようになる。
編集部を巡るトラブルとは、
アシスタントとして雇った原田いずみという女性を解雇したことで
いずみからの執拗ないやがらせを受け、
前の勤め先でも同じ問題を起こしていたことから、
ある調査員を紹介され、
その調査員宅に相談に来ていた被害者の孫・古屋美知香と知り合ったのだ。

原田いずみの攻撃はエスカレートし、
今多コンツェルン会長の今多嘉親のもとにも抗議文が届く。
実は杉村は今多会長の娘婿で、
結婚の条件として、会社の経営にはかかわらないこと、
社内報の編集部に入ることだった。
今多から自力で解決するように勧められた杉村は
その関係で元警官の調査員を訪ねていたのだ。

原田いずみのいやがらせのエスカレートは進み、
編集部のミネラルウォーターに毒が混入するという事件さえ起こる。
そして、連続毒殺事件といやがらせの二つの事件が意外な方向に進展する・・・。

いつもながら宮部みゆきの背後には
「創作の神様」が付いているんだなあ、
とつくづく感じさせる。
物語の構成、意外な展開、
事件の背景、関わる人物像、
それら一つ一つが有機的につながり、
まさしく「長編小説」を読む味わい。
中でも今多嘉親の造型が見事で、
杉村の妻・菜穂子への愛情も麗しい。

物語の中に何種類かの毒が出て来る。
殺人に使われた毒。
シックハウス症候群で発生する毒。
住宅の土地が土壌汚染された毒。
そして、原田いずみの口から発せられる嘘という毒。

その中でも原田いずみの毒は、
聞いた者の内面に入り込み、
心を汚染する、たちの悪い毒だ。
編集部にお詫びのために訪ねて来た原田いずみの父親によって語られる
いずみの兄の結婚式で発せられる毒の話は衝撃的だ。
こんな人間がいるのだ、と背筋が寒くなる。

祖父を殺された古屋美知香のことを今大嘉親が触れる場面。

「その娘の無力感が、私には少しわかる」
「その娘に、
正義なんてものは
この世にないと思わせてはいけない。
それが大人の役目だ。
なのに果たせん。
我々がこしらえたはずの社会は、
いつからこんな無様な代物に堕ちてしまったんだろう」

土地汚染、シックハウスの毒についての記述。

喘息、偏頭痛、皮膚炎、低血圧、貧血、常習的なめまいも嘔吐感。
こうした症状の多くは、
昔は「虚弱体質」でひとくくりにされていたものだ。
「気の病」だと片付けられる場合もある。
目に見えない毒は、
具体的な愁訴になって初めて外に顕れるが、
主体は隠れたままだ。
それでも確実に生活をむしばみ、
不安を焦燥、周囲の無理解による心労などの
二次的被害も呼び込んでしまう。
派生する医療費や経済的損失だってバカにならないはずだ。
家が病み、土地が病み、人が病むことは
すなわ、国が病むことなのだ。

杉村と私的調査員・北見との会話。

「じゃ、普通の人間とはどういう人間です?」
「私やあなたが、普通の人間じゃないですか」
「違います」
「じゃ、優秀な人間だとでも?」
「立派な人間と言いましょうよ」
北見氏は疲れた顔で微笑んだ。
「こんなにも複雑で面倒な世の中を、
他人様に迷惑をかけることもなく、
時には人に親切にしたり、
一緒に暮らしている人を喜ばせたり、
小さくても世の中に役立つことをしたりして、
まっとうに生き抜いているんですからね。
立派ですよ。
そう思いませんか」
「私に言わせれば、それこそが『普通』です」
「今は違うんです。
それだけのことができるなら、
立派なんですよ。
『普通』というのは、
今の世の中では『生きにくく、他を生かしにくい』と同義語なんです。
『何もない』という意味でもある。
つまらなくて退屈で、空虚だということです」
だから怒るんですよと、呟いた。
「どこかの誰かさんが、
『自己実現』なんて厄介な言葉を考え出したばっかりにね」

こうした含蓄のある言葉を含みながら、
ストーリーは平易に進む。
そして、平易な中に
現代社会の病理や病巣を抉りだす。
その上読後感はきわめて爽やか。
まさに宮部ワールド全開。
文庫本で600ページにもなる長編だが、
一気に読ませる力がある。






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