『だからこそ、自分にフェアでなければならない』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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プロ登山家・竹内洋岳(たけうち・ひろたか)氏に

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写真家の小林紀晴(こばやし・きせい)氏が
10時間もに及ぶインタビューした内容。
語った内容に並行して、
竹内氏と小林氏が一緒に天狗岳に登った旅程が描写される。

竹内氏は、
日本人で唯一、
地球上に存在する標高8000メートル以上の14座全ての
登頂に成功した人。
いわゆる14サミッター

私は登山には門外漢で、
関連したものでも
夢枕貘「神々の山嶺」くらいしか読んでいないが、
やはり14サミッターの語る言葉には含蓄があった。

「神々の山嶺」について書いたブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20101226/archive

運というのは
こんなことかと思います。
何かのせいにしたいだけなのかも、と。
運のせいにするなら運だし、
誰かのせいにするなら誰かのせい、
天気が悪かったのであれば天気のせいみたいな。
そういうふうに何かのせいにするだけのことだと思うんですよ、結局。
私は自分のせいでしかないと思うので、
山では人のせいとか天気のせいとか運のせいにはしません。
運は存在しないというのが私の山登りです。
運で片付けてしまうと、
その先考えようがなくなっちゃうわけです。
そこで思考が停止してしまいます。
「ああ、運がよかった、
運が悪かった」となると、
そこでお終いですからね。
それではやはり想像が続かないわけです。
私たちは想像するために山に行ってるわけですから。

ゴミを持ち帰る人とそうでない人の差は、
また来るか来ないかの意識の違いだと思います。
山をやってる人は、山にまた来ますから。
また来るところにゴミを捨てる理由はないんですよね。
でも観光地に観光客がゴミを捨てていく理由っていうのは、
何よりもそこに愛着がないから汚してもいいし、
落書きしてってもいいと思うからなんですね。

だから、山に自分のものを置いてきてしまうというのは、
どうしても気が引けますね。
それは帰ってきてないからだと思います。
自分の持ち込んだものっていうのは、
自分の身体の一部のようなものですから。
それが、自分と一緒に下りてきてないっていうのは、
非常に気持ちが悪い。

8000メートルを超えると、
経験は役に立ちません。
むしろ、余計がという気もするのです。
経験を持ち込んでしまうっていうのは、
非常に危ないと思います。
何故ならば、
同じ山は二つとないからです。

エベレストに登った経験をK2で使えるのかっていうと、
山が違うから、何の役にも立たない。
ただ経験っていうのは、
持ち込んで積み上げると楽になるんです。
前回こうだったから、
今回もそうなるはずだっていうことを
考えなくてよくなるので、
楽になるのです。
人はそうしたくなるのです。
だけどそれをするのはとても危険です。
経験を積んだ分だけ想像しなくなるからです。
何より、正直いってつまらない。
ゼロからスタートすればいっぱい想像できるし、
いっぱい知らないことが見えるだろうし。

小林氏は竹内氏と天狗岳に登って、
ある時、自分の靴が泥まみれなのに、
竹内氏の靴が全く汚れていないことに気づく。

とっさに浮かんだ言葉がある。
それは「仕事がきれい」という言葉だ。
どんな分野でも、一流の人の仕事はきれいだ。
例えば料理人。
私はカウンターに座って
料理人が厨房で働いている姿を見るのが好きだ。
無駄のない動きを見られるからだ。
ほれぼれする。
それを美しいと感じる。

竹内氏は2005年、34歳のときに登ったエベレスト山中で
脳血栓により突然、倒れた。
そのときのことをこう語る。

私はラルフに
「死んでいくことを記録しろ」
と告げました。
記録しろというのは、迷惑がかかるからです。
自分の最期を残しておきたいという気持ちからではありません。
家族のためでもない。
要するに、死に方をはっきりしておかないと、
もしかしたら助けられたのに助けなかったんじゃないか、
見殺しにしたんじゃないかと、
憶測が生まれるのが嫌だからです。
こういうふうに死んだんだっていうことを
ちゃんと記録に残しておかないと、
彼らに迷惑がかかる。

エベレストというのは、人の名前だということを初めて知った。
竹内さんによると、
元々地元の人はチョモランマと呼んでいたのを、
イギリス人が
インド測量局の局長エベレストさんの名前を付けてしまったのだという。
この局長は大変人望のあった人で、
退官時、その活躍を賞されてSirの称号を得た。
その記念に、測量局の公認の方々が
敬意を表してエベレストと名付けた。
エベレストさんは、
地球で最も高い山に自分の名前をつけるべきじゃない、
地元の名前を尊重しなさい、
と断ったが、
当時の大英帝国の力で
エベレストという名前がそのまま世界に広がってしまった、
と、珍しい話を聞いた。

最後に、題名の由来となった部分。

山の中に立ち入れば、
自ずとフェアな世界なんですよ。
だからこそ登山をスポーツとして考えるとき、
フェアにやるしかないんです。
ルールがあるから相手や審判にバレないようにしたりすることもあると思います。
いってみれば、
登山はルールを自己申請制で決めているのです。
登る前に
こういうスタイルで、
こういう方法で、
このルートで、
こういうふうに登りますっていうことを、
人にではなく、
自分で宣言するようなものです。
そして、その通りの登山ができるか。
さらに、それ以上のものができたらなおいいということだと思うんです。
それに山の頂上に審判が待ち構えていて、
登頂を果たしたかジャッジしているわけでもありません。
そこには誰もいません。
だからこそ自分にフェアでなければ、
成立しないのです。


自分にフェア
いい言葉だ。
人生を豊かにするのに対して大切なルールだと思う。





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