『東大落城』  書籍関係

焼き肉店の客52人がノロウイルスによる食中毒
というニュースを目にしてびっくり。
14日に食べた焼肉店のチェーン店ではないか。
私が行ったのは渋谷店で、
食中毒が発生したのは、池袋東口駅前店。
記事は↓。

東京・豊島区の「焼肉風風亭 池袋東口駅前店」で、
今月5日から7日までの間に食事をした家族連れら52人が
相次いで吐き気や下痢などの症状を訴えました。
いずれも、焼肉やサラダ、デザートなどが食べ放題のコースを注文していました。
一部の客からノロウイルスが検出されたことから、
保健所は食中毒と断定し、
この店を3日間の営業停止処分にしています。

店は違っても、
仕入れは同じはず。
危なかったですね。

その日のブログは↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141214/archive


〔書籍紹介〕

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「私を通りすぎた政治家たち」の関連で読んだ
佐々淳行元内閣安全保障室長の著作。
昭和44年(1969年)1月18・19日の
東大安田講堂事件を描く。

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安田講堂事件を報ずるテレビ番組は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3itnXEr7kLM

1960年代後半、
全国で大学紛争が燎原の火のごとく広がった。
学生側はこれを「大学闘争」と呼ぶが、
結果として何も変わらずに終わったのだから、
「大学紛争」でしかなかった。

東大紛争もその一つで、
発端は医学部。
1968年1月、
医学部学生大会は登録医制導入阻止や附属病院の研修内容改善などを掲げて
無期限ストライキ突入を決議。
6月中旬には、一部急進派学生が安田講堂を占拠。
これに対し、大河内総長は6月17日に警視庁機動隊を学内に導入し、
占拠学生を退去させた。
この機動隊導入は、学部を超えて多数の学生と教職員の反発を招き、
紛争を全学に拡大させる結果となった。
7月上旬には、急進的な一部の大学院生らにより安田講堂は再び占拠され、
これに新左翼セクトが加わり、
東大闘争全学共闘会議が結成された。

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秋に入ると全共闘が「東大解体」を主張し、
「全学バリケード封鎖」へと戦術を過激化させた。

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東大当局では11月1日に大河内総長以下学部長全員が辞任し、
後日加藤一郎を総長代行とする新執行部が構築され、
1969年1月10日、
全学集会で加藤代行と統一代表団は「確認書」を取り交わした。
全学集会に前後して各学部・院系のストは相次いで解除され、
東大生の多数派が当局を相手とする紛争から離脱した。

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しかし、少数派となった全共闘は闘争継続を主張して
安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けたため、
1月18日から19日にかけて、
当局の出動要請を受けた機動隊が
安田講堂等の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った。
これで全共闘は大きな打撃を受け、紛争は収拾された。
だが、1969年度の東大入試は
佐藤内閣が中止を決定。
全共闘は安田講堂事件以後急速に退潮し、
1969年中には東大紛争は完全に収束するに至った。
安田講堂事件を含めた東大紛争では797人が逮捕され、
616人が起訴された。
一審判決で133人に実刑判決、
400人超が執行猶予付き有罪判決、
無罪判決12人であった。

この東大安田講堂事件で
機動隊の陣頭指揮に当たったのが、
香港総領事館勤務を終えて帰国したばかりの佐々淳行警備第1課長だった。

本書は7つの章で構成され、
目次に各章の概要が書かれているので、
それを紹介しよう。

第1章 任命
学園紛争の嵐が最高潮に達した昭和43年11月、
香港から帰国したばかりの筆者に一枚の辞令が下りた。
「警備第1課長を命ズ」

第2章 出動
学園自治を原則に機動隊による封鎖解除を拒む大学当局。
一方、全共闘側の「東大解体」の執念は凄まじい。
加藤一郎学長代行の決断は?

第3章 包囲
昭和44年1月18日午前7時5分、
医学部の攻防から学園紛争天王山の戦いの火ぶたは切られた。
そして林健太郎監禁事件の真実

第4章 突入
火ダルマになった機動隊員、
黒煙につつまれる列品館、法学部研究室には
ガソリンがまかれる。
さらには神田地区でも不穏な動きが・・・

第5章 激闘
「本丸」安田講堂攻めが始まった。
学生側の抵抗は予想以上に激しく負傷者が続出。
夕暮れ迫る中、ついに作業中止命令がだされる


第6章 落城
早朝6時30分、攻撃再開。
次々と突入口から暗闇の講堂内へ飛び込む隊員たち。
石塊、火炎ビン攻めに耐え
一歩一歩前進していく

第7章 終息
敷石はがし作戦をもって72時間の死闘は幕を閉じる。
後日、奏上した秦野警視総監に対する
昭和天皇のお言葉は意外なものだった


というわけで、
機動隊導入の前から始めて、
実際の導入で、
現場にいた者にしか描けない迫真力で描写する。
建物の上から学生たちは石塊、火炎ビン、
果ては硫酸、塩酸まで投下する。

千葉小隊長の回想。
「北側一階から二、三階への階段のバリケードは、
ロッカー、机、本箱がセメントで固められたように頑強に積みあげられ、
これを排除する我々の頭上からは
人を殺す道具のすべてが落ちてきた。
敷石、スチール机、椅子、一升壜の火炎ビン、
一斗缶のガソリン、硫酸、塩酸、消火器のボンベ、
もったいない大理石の手すり、
落ちてこないものは学生自身だけだった。
この中での撤去作業が
一階から二階へのわずか5、6メートルの前進に
4時間も要したことを語るだけでおわかりと思う・・・」

石塊など頭に直撃したら確実に死ぬものを投げ落とすのだ。
そして、「ニトロも準備した」という情報におびえる。
さいわいニトロはなかったが、
学生が投下する火炎ビンで全身を炎に包まれた隊員が続出する。
機動隊が「生け捕り」も目標としていたのに対し、
学生側は「殺す」ことを目的としていたのだから、
よく機動隊に死者が出なかったものだと感心する。
(日大紛争の際は、
西条秀雄巡査部長(34)が殉職している。
学生が4階から投下した
人頭大の石塊を頭部に受け、
頭蓋骨骨折で亡くなった)
このことについて、佐々氏は、
こう書いている。

ゲバ学生たちの乱暴狼藉は明らかに人間として、
していいことの限界を超えている。
もしも戦後の日本警察の任務が
「こっちは殺される危険はあっても我慢して、
向こうは殺さず生け捕りにしろ」
というのなら、
政府はもっと真剣に対策を講じるべきだ。

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逮捕される時の学生たちの姿も滑稽だ。

みると屋上左側片隅に
ML派など全共闘の学生闘士約40名が、
いままであれほど激しい抵抗をしたとは思われないほど、
青白い顔をし、おびえた表情でちぢこまっている。
殴られはしないかとオドオド上目遣いで、
「乱暴するな」「我々は無抵抗がァ」などと叫ぶ。
ついさっきまで「毛沢東思想万歳」と書いた旗をふり、
乱暴狼藉のかぎりを尽くしておいて、
「乱暴するな」もないものだ・・・
と、機動隊員たちは怒るより先に
そのあまりな手前勝手さにあきれたという。

「検挙っ」という増山中隊長の号令をきいた籠城学生の間に、
一瞬いいようのない不安動揺が起こる。
「暴力はやめろっ」「勘弁して下さい」「乱暴するなっ」
と口々に叫ぶ。
リンチを受けるとでも思っているのだろうか。

次の「ジュネーブ条約」の下りは笑える。

屋上の学生指揮者が拡声器でなにかいっている。
午後1時に近い頃のことだ。
なんだろう?
列品館の下で耳を澄ますと、ヘンなことをいっている。
「・・・ジュネーブ条約に基づいてェ、
休戦を申し入れるゥ。
負傷者が出た。
ジュネーブ条約の負傷者としてェ、
戦時捕虜としてのォ、
扱いをすることをォ、
ここに強く要求するゥ・・」
なにいってるんだ。
ジュネーブ条約の戦時捕虜だと?
戦争している気なのか、彼らは。
さしずめ「東大人民共和国」と日本国の戦争のつもりなのか?
なに考えてんだ、一体。
「松浦君、『ジュネーブ条約』ってきこえたけど?・・
彼ら、戦争しているつもりかね」
「驚きましたね。
『ジュネーブ条約』っていいましたよ。たしかに・・・」

「東大解体」「大学解体」が彼らのスローガンだったが、
結果として、それは一部果たしたといえよう。
というのは、紛争を通じて、大学の権威も教授の権威を失墜したからだ。

「象牙の塔」「最高学府」としての大学の権威と、
「末は博士か、大臣か」と崇められた
最高教育機関としての社会的意義は、
音をたてて崩れ落ち、
大学教授の社会的地位は急速に低下した。
それは、学園紛争によって
はしなくも白日の下にさらされた
大学教授たちの無気力、無能ぶり、
恥なき保身と変節、驚くべき無智と非常識、
それでも男か、と問いかけたくなる
卑怯未練で無責任な言動が、
大学の権威と教授の名誉を
「自己破壊」したのであった。

ただ、私は教授には同情的だ。
教授は研究と教鞭に従事する人であって、
交渉事を駆け引きには馴れていない。
それが集団団交の場に放り出されて、
強圧的で無理矢理な学生の主張にさらされた時、
対処する術がなかったのだ。
人にはそれぞれの任があり、
働くべき場所がある。

そのような教授陣の中でも尊敬に値する人として、
佐々氏は、
林健太郎教授と加藤一郎教授を上げる。
林教授は173時間にわたる大衆団交という名の監禁に対しても
ついに節を曲げることなく学生に対応した。
そして、「大学の封鎖全体を解除するために警官を入れるのは結構だが、
私一人のために入れることはしないでくれ」
という姿勢を貫く。
もう一人の加藤教授に対しては、
その冷静沈着さを佐々氏は評価する。

佐々氏は法学部研究室の攻防の際、
文献や史料など
学問上貴重なものを
機動隊が守る姿勢だったことを強調する。

一方、親の脛かじりで
高額の学費を要する大学に入ったゲバ学生たちは、
まさに「焚書抗儒」、
貴重な原書などの書籍をバリケード封鎖に使い、
文献で焚火して暖をとるなど、
文化遺産の破壊を行い、
弱い者苛めで大学教授を監禁して吊るし上げた。
世の中にはしたり顔に
「大学に行けなかったコンプレックスから
機動隊は大学生に暴力をふるうのだ」
などと論評する知識人たちがいる。
日頃自分たちより知性や感性において
ずっと下の存在と見下している。機動隊員が、
法研で体を張って文化遺産を守った事実を
彼らにもぜひ知ってほしいと思う。

「焚書」に関しては、次のような記述もある。

「本気で東大をぶっつぶす」気の中核派など
「外人部隊」を主力とする籠城学生たちは、
完全に治外法権状態の安田講堂から
1月13日の白昼、
学生課の学籍簿、奨学資金受給学生名簿など
大学運営上欠かすことのできない重要書類や
簿冊、関係資料などを次から次へ大量に運び出し、
ヘル、鉄パイプなどで武装したゲバ部隊監視の下で、
講堂前広場にならべたドラム缶で
派手に「焚書」の焚火パーティーをやってのけた。
「抗儒」を恐れた東大教職員たちは、
制止することもできず、
遠くから眺めているばかりだった。
夜になると学生たちは本や書類、文献などを積んで焚火をし、
火にあたりながら談笑していたという。

それが「大学解体」の一つかと聞きたくなるが、
その彼らの論理。

東大闘争の目的は、
全共闘側の文献、手記、供述、証言などを読んでまとめてみると、
「安田講堂を占領することによって
東大を機能麻痺に追い込み、
保守反動・資本主義政府のためのエリートや
官僚群を養成してきた学閥・学歴優先の反動的教育制度、教育機関を崩壊させ、
反動派がめざす戦争への道、
すなわち日米安保条約の改訂を粉砕すること」
だった。

まさに長大な観念論だが、
このへ理屈には私などは全くついていけなかった。
なによりも、
「目的は手段を正当化する」
という論理が嫌いだったし、
そのための不法占拠は違法だし、
施設の損傷は国有財産の毀損であり、
なによりも他の学生の「学びたい権利」を奪うものだからだ。
自分が正しいから、人も従え、
という独善性もこの頃の学生運動の特徴で、
「他に違う考え方もある」という
基本的な「教養」がない。
そして、自分の主張に従わない者は排除するという姿勢が
駄々っ子のようだった。
要するに世間知らずの甘ちゃんだったのだ。
自分の学生時代のことを思うと、
そのやんちゃぶり、
世間知らずぶりには赤面するが、
学生運動に身を投じず、
他人に迷惑かけないで済んだだけ幸運だった。

消防署との闘いも特筆だ。
再三の要請にもかかわらず、
動かない消防隊に業をにやした佐々氏は、
署長を探し出し、消防車が出してくれるように要請する。

消防署長の返事をきいたとき、私は耳を疑った。
「消防はね、警察の警備に協力するわけにはいかんのですよ。
消防は警察に対しても過激派に対しても中立なんです。
もし警備に協力して過激派の恨みを買ったら、
ふつうの火事のとき
ホースを切られたり石投げられたり妨害されたら大変ですから・・」
一体何考えてんだ、この消防署長は。
昨日だってそうだ。
列品館が大火災を起こして協力要請したのに埒があかなかった。
怒りがこみあげてくるのを抑えてさらに懇請する。
「しかし火事や人命救助のために
たくさんこの辺にきておられるんでしょう?
現に安田の中で火事が起きて
機動隊員たちが人命救助のために放水してくれって要請してますが」
「ベニヤ板を破ってくれとおっしゃるが、
『破壊消防』となると、
はっきり火が見えないとできないですな」
「火が見えない? あんなに黒い煙が出てるじゃないですか。
火のない所に煙は立たないんだ。
中で火事が起きてるから煙がでるんでしょう」
「だが私には火が見えない。
この目で火をみないと放水命令は出せない」


とんでもない人が消防署長でいるものだ。

そんな大騒ぎの果てに排除した安田講堂だったが、
逮捕された377名のうち、
東大生は20名しかいなかった。
列品館や法研などで逮捕された256名の中にも
東大生は18名しか含まれていなかった。
何のことはない
ほとんどが「外人部隊」で、
他人の大学に入り込んで狼藉を働いただけのことだった。

佐々氏は、機動隊という特殊な組織についても言及する。
軍隊と一般市民警察の中間の組織。

「機動隊」の最大の特質は
その任務が「軍隊」と異なり、
「敵を殺すこと」にあるのではないということだ。
「汝殺スナカレ」を基本理念に、
「忍耐」が美徳であるという精神教育を施し、
騒擾や暴動を「規制」し、「排除」し、「解散」させ、
それでも従わないときは「生け捕り」にする・・・
これが「機動隊」の行動の基本原則である。
つまり「機動隊」とは、
日本の独創的な警察制度であり、
世界各国の趨勢を
半世紀前から先取りした
実にユニークな組織なのだ。
その意味で、日本はまさに「治安警備優先国」なのである。

イデオロギー的に偏向したマスコミは、
機動隊を目の敵にして批判し、
悪口をょわれることはあっても
誉められることはない・・・
というのが当時の社会風潮だった。
このような悪条件のなかでの驚くべき事実は、
この困難な時期を通じて
機動隊員の離職者がほとんどゼロだったことである。

後日、秦野警視総監が治安情勢内奏のため参内した時のこと。

秦野総監が帰庁した。
待ちかねていた私は、
「安田講堂事件について陛下、何ておっしゃられました?
お誉めのお言葉、ありましたか?」と訊ねた。
ところが、秦野総監は妙な表情を浮かべて首をかしげている。
「それがなあ、
天皇陛下ってえのは
オレかちとちょっと違うんだよなァ。
安田講堂のことを奏上したら、
『双方に死者は出たか?』
と御下問があった。
幸い双方に死者はございませんとお答えしたら、
大変お喜びでな、
『ああ、それはなによりであった』
とおおせなんだ。
機動隊と学生のやりあいを、
まるで自分の息子の兄弟喧嘩みたいな目で見てみられるんだな、ありゃあ・・」
私は感動した。
これぞまことの「同胞相撃タズ」のゲマインシャフト精神の発露。
日本民族統合の象徴である天皇は一視同仁、
お相撲好きの昭和天皇が終生誰が御贔屓力士かを口外されなかったように、
「機動隊、よくやった」
と御嘉賞されることは帝王学の道からははずれるのだ。
だが「汝殺スナカレ。怪我ヲ少ナク」という
警察の大警備方針をお誉めいただいたという意味で、
深遠な御嘉賞のお言葉と受けとっていいのだろう。
私たちの基本姿勢は正しかったのだ。
定例の機動隊隊長会議の席で、
早速私はこのことを披露した。
「・・・と陛下はおおせられた由です。
我々は十個隊四千五百名の機動隊員の命を預かっていると同時に、
親、兄弟、恋人もいるだろう
向こう側の一万の学生たちの命も預かっている『護民官』なんだな。
勤務条件もひどいし、
これだけ一生懸命やっているのに悪口ばかりいわれて
本当に口惜しいけれど、
天皇に誉められたんだ、
最高じゃないですか。
我々はプロであることを誇りを持って
我慢してやりましょうや。
いまの話の趣旨を隊員のみなさんに伝えてください」
・・・隊長たちは、
時々うなずきながら黙って耳を傾けていた。

この本が書かれた1993年は、
安田講堂事件から24年が経っていた。
随分歳月が必要だったのだな、
という気がする。
そして今は
安田講堂事件から45年。
既にはるか歴史の中の出来事になってしまっている。
「東大解体」を標榜しながら、
今も東大は残っている。

↓現在の安田講堂。

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その間に、ソ連の崩壊があり、
「目的は手段を正当化する」の
「目的」さえ間違っていたことが証明された。
今、マルクス・レーニンを信奉する人など、
よほどの化石人間だろう。
当時の活動家たちは、
社会に順応し、
高度成長経済を支え、
バブルの崩壊に耐え、
今、定年退職の年齢に達している。
あの45年前の出来事が何だったのか 
一度聞いてみたいものだ。

湾岸戦争のさなか、
ある民放テレビの徹夜の討論会の生中継をみたとき、
全共闘世代と平成世代の断絶の亀裂の深さを目のあたりにみて、
私は心がむなしくなった。
討論に参加した全共闘世代の出席者は、
口々に現代学生、青年のノンポリぶりや
「自分ひとり幸福主義」を批判し、こもごも
「湾岸戦争をみても何とも思わないのか」
「もっと情熱を燃やせ、行動しろ」
「自己の利益以上のことを考えられないのか」
「我々の世代は体を張って平和を守った」
などとハッパをかける。
(何十年たっても変わらぬ論調だね。
常に自分が正しく、
その世界観を強要する)
平成世代の若者は
さめた目で先輩たちを眺め、
熱弁を聞き流し、
鼻で笑って反論する。
「貴方かちをみていると、
全共闘時代はよかったなんていいながら、
居酒屋で酒をのみ
お互い傷をなめあってるオジンとしか見えませんよ」
「体制が確立されてボクらは身動きがとれない。
そういう体制をつくっておいて
ボクらに何しろっていうんですか」
「いまのボクにとって大切なことは、
アルバイトして、お金稼いで、いい車買って、
楽しくデートすることで、
デモなんか無意味ですよ」
と言い放つ。
心の傷にふれられた全共闘世代は
声を荒らげて反論する・・・
この互いに接点のない不毛の議論は
私を悲しくさせた。

2日間生中継されたテレビの映像に
日本中が釘付けになった安田講堂事件。
その背後でどんなことがあったのか、
事件の全容を語る一級の資料である。






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