迷惑な乗客  耳より情報

大韓航空副社長のご乱行は、
「ナッツ・リターン」とか「ナッツ姫」とか呼ばれて
世界中の笑い物になっていますが、
今度は中国人乗客による
「ラーメン・リターン事件」が発覚しました。

中国人の乗客は客室乗務員に熱湯を浴びせ、
「飛行機を爆破する」と脅し、
「自殺する」と叫んだ。

熱湯で攻撃し、
飛行機を爆破すると予告し、
「自殺する」と脅す――
このすべてが一度のフライトで発生した。
飛行機内でのトラブルはこれまでも数多くあるが、
乗客のバッドマナーの中でも最大級に異様な話として、
本件について書き留めておく。

タイ・バンコク発中国・南京行きの
マレーシア・エアアジア機の乗客たちは
中国・深センの衛星テレビ局に対して
「この事件は飲み物のサービスに関する口論から始まって、
あっという間に収拾がつかなくなった」
と証言した。

テレビ局の取材に応じた乗客によると、
乗客の女性1人が熱湯を乗務員に浴びせたという。

事件発生時に携帯電話で撮影されネット上に投稿された映像を見ると、
女性の恋人だという男性が「飛行機を爆破する」と脅している様子が写っている。
女性は謝罪を要求されると
窓を激しく叩きながら「自殺する」と言って周囲を脅したと伝えている。

こうしたトラブルが起きたため、
パイロットはバンコクの空港へ引き返した。
複数の報道によれば、
このトラブルメーカーたちは即刻、
身柄を拘束されたという。

中国の新華社通信によると、
この出来事は12月11日に発生したが、
携帯電話で撮影された映像と
目撃者による報告が次々と寄せられたため、
中国当局は13日夜に声明を発表し、
問題の乗客たちが「中国人全体のイメージに著しい損害を与えた」として、
彼らの地元の省の旅客者ブラックリストに名前を掲載したと発表した。

目撃者たちはテレビ局の取材に対し、
異様な出来事が次々と起こり、
ちょっとした苦情があっという間に
「大量殺人の脅迫」にまでエスカレートしたと話した。
問題のカップルは、まず座席の割り当てについて難癖をつけた。
事態が激化したのは1杯の熱湯をめぐってだという。

テレビ局の取材によると、
カップ麺を食べるために熱湯を注文した女性は、
熱湯は有料で、離陸中は提供できないことを伝えられた。
そして熱湯が提供されたあと、
通貨と領収書について口論が激しくなったという。
女性は乗務員が後ろを向いた時、
その背中に熱湯を浴びせたと乗客たちは証言した。

クリックすると元のサイズで表示します

ネット上に投稿された携帯電話の映像を見ると、
乗務員に謝罪を要求された男性が次の段階へと行動を進める様子が写っている。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=X8DzLEm4BjM

携帯電話の映像には、
身元不明の男性が
「俺は自分の金を使うこともできないのか?」
と叫ぶ様子が写っている。
「もし問題があるというなら、それは全部お前が原因だ!
…この飛行機を爆破してやる!」

目撃者のウー氏はテレビ局に対して、
男性も乗務員もお互いに謝罪を要求していたが
双方とも拒否したと語った。
飛行機が引き返すことがわかった時点で、
男性は事態を沈静化させようとしたが、
女性のほうはそれでも協力的でなかったという。

「男は謝るように恋人に言いましたが、
女性はもっとキレてしまいました」
とウー氏は語る。
「女性は自分の座席をまたいで後ろの列へ行こうとしました。
彼女は『もしあんたが彼らに謝ったら、
私はあんたの目の前で自殺してやる』
と言っていました。
そして窓と扉を激しく叩き始めたんです。
その時は、乗客みんなが恐怖を感じましたね」

新華社通信によると、
飛行機がバンコクのドンムアン空港に戻った時に、
問題のカップルと他の2人の乗客が身柄を拘束された。
彼らは乗務員 (深セン衛星テレビによると怪我のおそれがあり治療を受けた)
への賠償として
5万バーツ (約1500ドル) を支払った。
また「治安を乱した」として3ドルと6ドル相当の罰金を支払った。

新華社通信によると、エアアジアはこれ以上の法的措置をとるつもりはないという。

どういう教育を受けたら、
こういう行動を取れるのか。
「他人に迷惑をかけてはいけない」
という観念が骨の髄まで染み込んでいる
日本人には謎ですが、
その「教育」した本人の
中国当局の対応として
記事が続きます。

中国当局は自国民の飛行機利用者の
破壊的行動を防ぐ対策を行うと表明した。
航空会社の従業員に不当な扱いを受けたと感じた
一部の乗客たちによる私的制裁や、
国内空港が数多くの治安を乱す騒動の現場となっていることを
考慮してのことである。

中国人旅行者に関して、
世論は盛り上がりを見せ、
国際的な注目も集めている。
最近では、中国人の若者が
エジプトの遺跡に自分の名前を彫ったとされる件もある。
中国の政府や国民は、
こうした中国人旅行客のトラブルは恥ずべきことだと考えている。

さまざまな国籍の乗客による
バッドマナーについてはこれまでも多く報じられているが、
この問題は、中国の国民が、
自国の国際的立場について自信がないことを明るみにした。
所得水準は急上昇しているが、
多くの中国人は、
自分たちとこの国が外国から尊敬されていないと感じている。

いろいろな改善策が試されているが、
中国国営テレビ(CCTV)では物議を醸すCMがが作られた。
パンダの着ぐるみを着た俳優たちが公園のベンチで寝ていたり、
公衆の面前で排尿したり、
地元の人間に対して一緒に写真に写るようせがんでいる場面が流れる。
この広告は排尿の場面がカットされたが、
最後には全面的にテレビでの放映が中止になった。
このCMの最後はこのような「お願い」で締めくくられている。

「世界中が私たちを見ているということを忘れないで。
みんないいパンダになりましょう」

CMを見たい方は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=uhvpoXKwI2o&feature=player_embedded

空港で騒ぐ中国人の映像は、↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=wnRi6pK6xvU


また、こんな記事もありました。

マナー悪い中国人搭乗者、
なんと飛行機の救命胴衣持ち去る!


中国日報によると、
海外で中国人観光客のマナーの悪さが
波紋を呼んでいる問題で、
搭乗した旅客機の救命胴衣まで持ち去るケースが発生した。

ある女性客室乗務員によると、
中国・上海発米ロサンゼルス行きの便で、
ビジネスクラスに乗っていた中国人の家族連れ3人が
備え付けられていた3人分の救命胴衣、
ブランケット、枕をかばんに詰め込み、
黙って持ち去ろうとしたという。

3人が降りる際、
ぱんぱんにふくらんだかばんに気付いた乗務員が
「枕とブランケットは構いませんが、
救命胴衣は安全上問題があるためご遠慮ください」
と言うと、母親とみられる女性が
「高いお金を払ってビジネスクラスに乗ったのに、
なぜ持って出られないの」と反論。
そのまま無視して降りてしまったという。
乗務員は
「救命胴衣を持って行っても何の役にも立たないと思う。
それでも争えずそのままにしてしまった」と話している。


関連して、
次のような記事があるので掲載します。

ナッツ副社長だけじゃない!
CAが明かす「最も耐えがたい乗客」

客室乗務員(CA)にとって、
扱いにくい乗客に対する接客は、
避けては通れない「日々の修行」そのものだ。
では、CAにとって、
乗客のどのような振る舞いが、
最も耐えられないものなのだろうか?
米国のベテランCAであるサラ・ソステルさんは、
自身のブログで「最も耐えがたい乗客」を、
以下のタイプに分けてリストアップした。

1.「機内で威張り散らす」タイプ
  :理不尽な要求をしたり、電子機器の電源を切らない

ソステルさんによると、
以下のような振る舞いをする
「機内で威張り散らす」タイプの乗客は、
CAにとって全く迷惑な客だという。
・耳にイヤホンを装着したままCAに声をかけ、
 大声であれこれと要求し、
 周りの人への迷惑など一切考えない乗客
・搭乗直後に飲料水を求め、
 機内の基本的マナーを全く無視する乗客
・CAが離陸前に「安全デモ」を行っている最中に、
 大きな声で騒ぎ、安全に対する意識が全く無い乗客
・「友人と隣同士で座りたいので、
 別の乗客に席を替わってもらってほしい」と頼む、
 あるいはビジネスクラスに空席を目ざとく見つけ、
 その席に座りたいと頼むなど、
 CAに対して理不尽な要求をする乗客。

乗客との終わりのない「電子機器戦争」も、
CAの怒りの種となるが、
それでもやはり、笑顔で乗客をキャビンに迎えなければならない。
ソステルさんは、
「わがままな客は、いつも必ずいる。
どんなに注意しても、電子機器の電源を切ろうとしない。
また、のらりくらりと断る、
あるいは見つからないと思ってこっそり電源をオンにしている。
ソステルさんは、ただひたすら、
「お客様のiPadの電源がオフになっていないことは、
画面に文字が表示されていることから明らかです」
と繰り返す以外にない。

2.「他人など眼中にない」タイプ
   :あまりにも自己中心的、ゴミをやたらに放り投げる

あまりにも自己中心的で、
他の乗客への配慮に欠ける乗客には、
ベテランCAも二の句が告げない。

例えば、上部の荷物入れにスーツケースを入れるのを手伝って欲しい
とCAに頼む乗客がいる。
ソステルさんいわく、
「もちろん、スーツケースを荷物入れの中に押し込むお手伝いはするが、
その行為自体は、CAの業務ではない。
当然のごとく依頼する乗客は、
明らかに、他人の立場を考えることができない人種だ」。

乗り継ぎ客の中には、
接続便に乗り遅れないよう、
事前に電話をして乗継ぎの手配を万全にしておいて欲しいと
CAに依頼する人がいる。
だが、CAには、便の離発着時間を調整するよう求める権限は基本的にない。

また、他の乗客のことなどお構いなしに、
機内で爪を切る、糸ようじを使う、
席の下にゴミをポイ捨てする、
筋トレをやり始めて通路を塞ぐ、
キャビンの壁にシールをベタベタ貼る、
などの行為をする客がいる。
ソステルさんは、
「もちろん、乗客の方々には、
自宅でくつろぐようにキャビンでもリラックスしてほしいと思っている。
だが、乗客は決してキャビンの主人ではないし、
CAは乗客の召使ではない。
着陸して乗客を送り出したあと、
わずか10分間でキャビンを綺麗に清掃しなければならない
ことを知っておいてほしい」
と強調した。




『東大落城』  書籍関係

焼き肉店の客52人がノロウイルスによる食中毒
というニュースを目にしてびっくり。
14日に食べた焼肉店のチェーン店ではないか。
私が行ったのは渋谷店で、
食中毒が発生したのは、池袋東口駅前店。
記事は↓。

東京・豊島区の「焼肉風風亭 池袋東口駅前店」で、
今月5日から7日までの間に食事をした家族連れら52人が
相次いで吐き気や下痢などの症状を訴えました。
いずれも、焼肉やサラダ、デザートなどが食べ放題のコースを注文していました。
一部の客からノロウイルスが検出されたことから、
保健所は食中毒と断定し、
この店を3日間の営業停止処分にしています。

店は違っても、
仕入れは同じはず。
危なかったですね。

その日のブログは↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141214/archive


〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

「私を通りすぎた政治家たち」の関連で読んだ
佐々淳行元内閣安全保障室長の著作。
昭和44年(1969年)1月18・19日の
東大安田講堂事件を描く。

クリックすると元のサイズで表示します

安田講堂事件を報ずるテレビ番組は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3itnXEr7kLM

1960年代後半、
全国で大学紛争が燎原の火のごとく広がった。
学生側はこれを「大学闘争」と呼ぶが、
結果として何も変わらずに終わったのだから、
「大学紛争」でしかなかった。

東大紛争もその一つで、
発端は医学部。
1968年1月、
医学部学生大会は登録医制導入阻止や附属病院の研修内容改善などを掲げて
無期限ストライキ突入を決議。
6月中旬には、一部急進派学生が安田講堂を占拠。
これに対し、大河内総長は6月17日に警視庁機動隊を学内に導入し、
占拠学生を退去させた。
この機動隊導入は、学部を超えて多数の学生と教職員の反発を招き、
紛争を全学に拡大させる結果となった。
7月上旬には、急進的な一部の大学院生らにより安田講堂は再び占拠され、
これに新左翼セクトが加わり、
東大闘争全学共闘会議が結成された。

クリックすると元のサイズで表示します

秋に入ると全共闘が「東大解体」を主張し、
「全学バリケード封鎖」へと戦術を過激化させた。

クリックすると元のサイズで表示します

東大当局では11月1日に大河内総長以下学部長全員が辞任し、
後日加藤一郎を総長代行とする新執行部が構築され、
1969年1月10日、
全学集会で加藤代行と統一代表団は「確認書」を取り交わした。
全学集会に前後して各学部・院系のストは相次いで解除され、
東大生の多数派が当局を相手とする紛争から離脱した。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、少数派となった全共闘は闘争継続を主張して
安田講堂等校舎の占拠・封鎖を続けたため、
1月18日から19日にかけて、
当局の出動要請を受けた機動隊が
安田講堂等の封鎖解除と共闘派学生の大量検挙を行った。
これで全共闘は大きな打撃を受け、紛争は収拾された。
だが、1969年度の東大入試は
佐藤内閣が中止を決定。
全共闘は安田講堂事件以後急速に退潮し、
1969年中には東大紛争は完全に収束するに至った。
安田講堂事件を含めた東大紛争では797人が逮捕され、
616人が起訴された。
一審判決で133人に実刑判決、
400人超が執行猶予付き有罪判決、
無罪判決12人であった。

この東大安田講堂事件で
機動隊の陣頭指揮に当たったのが、
香港総領事館勤務を終えて帰国したばかりの佐々淳行警備第1課長だった。

本書は7つの章で構成され、
目次に各章の概要が書かれているので、
それを紹介しよう。

第1章 任命
学園紛争の嵐が最高潮に達した昭和43年11月、
香港から帰国したばかりの筆者に一枚の辞令が下りた。
「警備第1課長を命ズ」

第2章 出動
学園自治を原則に機動隊による封鎖解除を拒む大学当局。
一方、全共闘側の「東大解体」の執念は凄まじい。
加藤一郎学長代行の決断は?

第3章 包囲
昭和44年1月18日午前7時5分、
医学部の攻防から学園紛争天王山の戦いの火ぶたは切られた。
そして林健太郎監禁事件の真実

第4章 突入
火ダルマになった機動隊員、
黒煙につつまれる列品館、法学部研究室には
ガソリンがまかれる。
さらには神田地区でも不穏な動きが・・・

第5章 激闘
「本丸」安田講堂攻めが始まった。
学生側の抵抗は予想以上に激しく負傷者が続出。
夕暮れ迫る中、ついに作業中止命令がだされる


第6章 落城
早朝6時30分、攻撃再開。
次々と突入口から暗闇の講堂内へ飛び込む隊員たち。
石塊、火炎ビン攻めに耐え
一歩一歩前進していく

第7章 終息
敷石はがし作戦をもって72時間の死闘は幕を閉じる。
後日、奏上した秦野警視総監に対する
昭和天皇のお言葉は意外なものだった


というわけで、
機動隊導入の前から始めて、
実際の導入で、
現場にいた者にしか描けない迫真力で描写する。
建物の上から学生たちは石塊、火炎ビン、
果ては硫酸、塩酸まで投下する。

千葉小隊長の回想。
「北側一階から二、三階への階段のバリケードは、
ロッカー、机、本箱がセメントで固められたように頑強に積みあげられ、
これを排除する我々の頭上からは
人を殺す道具のすべてが落ちてきた。
敷石、スチール机、椅子、一升壜の火炎ビン、
一斗缶のガソリン、硫酸、塩酸、消火器のボンベ、
もったいない大理石の手すり、
落ちてこないものは学生自身だけだった。
この中での撤去作業が
一階から二階へのわずか5、6メートルの前進に
4時間も要したことを語るだけでおわかりと思う・・・」

石塊など頭に直撃したら確実に死ぬものを投げ落とすのだ。
そして、「ニトロも準備した」という情報におびえる。
さいわいニトロはなかったが、
学生が投下する火炎ビンで全身を炎に包まれた隊員が続出する。
機動隊が「生け捕り」も目標としていたのに対し、
学生側は「殺す」ことを目的としていたのだから、
よく機動隊に死者が出なかったものだと感心する。
(日大紛争の際は、
西条秀雄巡査部長(34)が殉職している。
学生が4階から投下した
人頭大の石塊を頭部に受け、
頭蓋骨骨折で亡くなった)
このことについて、佐々氏は、
こう書いている。

ゲバ学生たちの乱暴狼藉は明らかに人間として、
していいことの限界を超えている。
もしも戦後の日本警察の任務が
「こっちは殺される危険はあっても我慢して、
向こうは殺さず生け捕りにしろ」
というのなら、
政府はもっと真剣に対策を講じるべきだ。

クリックすると元のサイズで表示します

逮捕される時の学生たちの姿も滑稽だ。

みると屋上左側片隅に
ML派など全共闘の学生闘士約40名が、
いままであれほど激しい抵抗をしたとは思われないほど、
青白い顔をし、おびえた表情でちぢこまっている。
殴られはしないかとオドオド上目遣いで、
「乱暴するな」「我々は無抵抗がァ」などと叫ぶ。
ついさっきまで「毛沢東思想万歳」と書いた旗をふり、
乱暴狼藉のかぎりを尽くしておいて、
「乱暴するな」もないものだ・・・
と、機動隊員たちは怒るより先に
そのあまりな手前勝手さにあきれたという。

「検挙っ」という増山中隊長の号令をきいた籠城学生の間に、
一瞬いいようのない不安動揺が起こる。
「暴力はやめろっ」「勘弁して下さい」「乱暴するなっ」
と口々に叫ぶ。
リンチを受けるとでも思っているのだろうか。

次の「ジュネーブ条約」の下りは笑える。

屋上の学生指揮者が拡声器でなにかいっている。
午後1時に近い頃のことだ。
なんだろう?
列品館の下で耳を澄ますと、ヘンなことをいっている。
「・・・ジュネーブ条約に基づいてェ、
休戦を申し入れるゥ。
負傷者が出た。
ジュネーブ条約の負傷者としてェ、
戦時捕虜としてのォ、
扱いをすることをォ、
ここに強く要求するゥ・・」
なにいってるんだ。
ジュネーブ条約の戦時捕虜だと?
戦争している気なのか、彼らは。
さしずめ「東大人民共和国」と日本国の戦争のつもりなのか?
なに考えてんだ、一体。
「松浦君、『ジュネーブ条約』ってきこえたけど?・・
彼ら、戦争しているつもりかね」
「驚きましたね。
『ジュネーブ条約』っていいましたよ。たしかに・・・」

「東大解体」「大学解体」が彼らのスローガンだったが、
結果として、それは一部果たしたといえよう。
というのは、紛争を通じて、大学の権威も教授の権威を失墜したからだ。

「象牙の塔」「最高学府」としての大学の権威と、
「末は博士か、大臣か」と崇められた
最高教育機関としての社会的意義は、
音をたてて崩れ落ち、
大学教授の社会的地位は急速に低下した。
それは、学園紛争によって
はしなくも白日の下にさらされた
大学教授たちの無気力、無能ぶり、
恥なき保身と変節、驚くべき無智と非常識、
それでも男か、と問いかけたくなる
卑怯未練で無責任な言動が、
大学の権威と教授の名誉を
「自己破壊」したのであった。

ただ、私は教授には同情的だ。
教授は研究と教鞭に従事する人であって、
交渉事を駆け引きには馴れていない。
それが集団団交の場に放り出されて、
強圧的で無理矢理な学生の主張にさらされた時、
対処する術がなかったのだ。
人にはそれぞれの任があり、
働くべき場所がある。

そのような教授陣の中でも尊敬に値する人として、
佐々氏は、
林健太郎教授と加藤一郎教授を上げる。
林教授は173時間にわたる大衆団交という名の監禁に対しても
ついに節を曲げることなく学生に対応した。
そして、「大学の封鎖全体を解除するために警官を入れるのは結構だが、
私一人のために入れることはしないでくれ」
という姿勢を貫く。
もう一人の加藤教授に対しては、
その冷静沈着さを佐々氏は評価する。

佐々氏は法学部研究室の攻防の際、
文献や史料など
学問上貴重なものを
機動隊が守る姿勢だったことを強調する。

一方、親の脛かじりで
高額の学費を要する大学に入ったゲバ学生たちは、
まさに「焚書抗儒」、
貴重な原書などの書籍をバリケード封鎖に使い、
文献で焚火して暖をとるなど、
文化遺産の破壊を行い、
弱い者苛めで大学教授を監禁して吊るし上げた。
世の中にはしたり顔に
「大学に行けなかったコンプレックスから
機動隊は大学生に暴力をふるうのだ」
などと論評する知識人たちがいる。
日頃自分たちより知性や感性において
ずっと下の存在と見下している。機動隊員が、
法研で体を張って文化遺産を守った事実を
彼らにもぜひ知ってほしいと思う。

「焚書」に関しては、次のような記述もある。

「本気で東大をぶっつぶす」気の中核派など
「外人部隊」を主力とする籠城学生たちは、
完全に治外法権状態の安田講堂から
1月13日の白昼、
学生課の学籍簿、奨学資金受給学生名簿など
大学運営上欠かすことのできない重要書類や
簿冊、関係資料などを次から次へ大量に運び出し、
ヘル、鉄パイプなどで武装したゲバ部隊監視の下で、
講堂前広場にならべたドラム缶で
派手に「焚書」の焚火パーティーをやってのけた。
「抗儒」を恐れた東大教職員たちは、
制止することもできず、
遠くから眺めているばかりだった。
夜になると学生たちは本や書類、文献などを積んで焚火をし、
火にあたりながら談笑していたという。

それが「大学解体」の一つかと聞きたくなるが、
その彼らの論理。

東大闘争の目的は、
全共闘側の文献、手記、供述、証言などを読んでまとめてみると、
「安田講堂を占領することによって
東大を機能麻痺に追い込み、
保守反動・資本主義政府のためのエリートや
官僚群を養成してきた学閥・学歴優先の反動的教育制度、教育機関を崩壊させ、
反動派がめざす戦争への道、
すなわち日米安保条約の改訂を粉砕すること」
だった。

まさに長大な観念論だが、
このへ理屈には私などは全くついていけなかった。
なによりも、
「目的は手段を正当化する」
という論理が嫌いだったし、
そのための不法占拠は違法だし、
施設の損傷は国有財産の毀損であり、
なによりも他の学生の「学びたい権利」を奪うものだからだ。
自分が正しいから、人も従え、
という独善性もこの頃の学生運動の特徴で、
「他に違う考え方もある」という
基本的な「教養」がない。
そして、自分の主張に従わない者は排除するという姿勢が
駄々っ子のようだった。
要するに世間知らずの甘ちゃんだったのだ。
自分の学生時代のことを思うと、
そのやんちゃぶり、
世間知らずぶりには赤面するが、
学生運動に身を投じず、
他人に迷惑かけないで済んだだけ幸運だった。

消防署との闘いも特筆だ。
再三の要請にもかかわらず、
動かない消防隊に業をにやした佐々氏は、
署長を探し出し、消防車が出してくれるように要請する。

消防署長の返事をきいたとき、私は耳を疑った。
「消防はね、警察の警備に協力するわけにはいかんのですよ。
消防は警察に対しても過激派に対しても中立なんです。
もし警備に協力して過激派の恨みを買ったら、
ふつうの火事のとき
ホースを切られたり石投げられたり妨害されたら大変ですから・・」
一体何考えてんだ、この消防署長は。
昨日だってそうだ。
列品館が大火災を起こして協力要請したのに埒があかなかった。
怒りがこみあげてくるのを抑えてさらに懇請する。
「しかし火事や人命救助のために
たくさんこの辺にきておられるんでしょう?
現に安田の中で火事が起きて
機動隊員たちが人命救助のために放水してくれって要請してますが」
「ベニヤ板を破ってくれとおっしゃるが、
『破壊消防』となると、
はっきり火が見えないとできないですな」
「火が見えない? あんなに黒い煙が出てるじゃないですか。
火のない所に煙は立たないんだ。
中で火事が起きてるから煙がでるんでしょう」
「だが私には火が見えない。
この目で火をみないと放水命令は出せない」


とんでもない人が消防署長でいるものだ。

そんな大騒ぎの果てに排除した安田講堂だったが、
逮捕された377名のうち、
東大生は20名しかいなかった。
列品館や法研などで逮捕された256名の中にも
東大生は18名しか含まれていなかった。
何のことはない
ほとんどが「外人部隊」で、
他人の大学に入り込んで狼藉を働いただけのことだった。

佐々氏は、機動隊という特殊な組織についても言及する。
軍隊と一般市民警察の中間の組織。

「機動隊」の最大の特質は
その任務が「軍隊」と異なり、
「敵を殺すこと」にあるのではないということだ。
「汝殺スナカレ」を基本理念に、
「忍耐」が美徳であるという精神教育を施し、
騒擾や暴動を「規制」し、「排除」し、「解散」させ、
それでも従わないときは「生け捕り」にする・・・
これが「機動隊」の行動の基本原則である。
つまり「機動隊」とは、
日本の独創的な警察制度であり、
世界各国の趨勢を
半世紀前から先取りした
実にユニークな組織なのだ。
その意味で、日本はまさに「治安警備優先国」なのである。

イデオロギー的に偏向したマスコミは、
機動隊を目の敵にして批判し、
悪口をょわれることはあっても
誉められることはない・・・
というのが当時の社会風潮だった。
このような悪条件のなかでの驚くべき事実は、
この困難な時期を通じて
機動隊員の離職者がほとんどゼロだったことである。

後日、秦野警視総監が治安情勢内奏のため参内した時のこと。

秦野総監が帰庁した。
待ちかねていた私は、
「安田講堂事件について陛下、何ておっしゃられました?
お誉めのお言葉、ありましたか?」と訊ねた。
ところが、秦野総監は妙な表情を浮かべて首をかしげている。
「それがなあ、
天皇陛下ってえのは
オレかちとちょっと違うんだよなァ。
安田講堂のことを奏上したら、
『双方に死者は出たか?』
と御下問があった。
幸い双方に死者はございませんとお答えしたら、
大変お喜びでな、
『ああ、それはなによりであった』
とおおせなんだ。
機動隊と学生のやりあいを、
まるで自分の息子の兄弟喧嘩みたいな目で見てみられるんだな、ありゃあ・・」
私は感動した。
これぞまことの「同胞相撃タズ」のゲマインシャフト精神の発露。
日本民族統合の象徴である天皇は一視同仁、
お相撲好きの昭和天皇が終生誰が御贔屓力士かを口外されなかったように、
「機動隊、よくやった」
と御嘉賞されることは帝王学の道からははずれるのだ。
だが「汝殺スナカレ。怪我ヲ少ナク」という
警察の大警備方針をお誉めいただいたという意味で、
深遠な御嘉賞のお言葉と受けとっていいのだろう。
私たちの基本姿勢は正しかったのだ。
定例の機動隊隊長会議の席で、
早速私はこのことを披露した。
「・・・と陛下はおおせられた由です。
我々は十個隊四千五百名の機動隊員の命を預かっていると同時に、
親、兄弟、恋人もいるだろう
向こう側の一万の学生たちの命も預かっている『護民官』なんだな。
勤務条件もひどいし、
これだけ一生懸命やっているのに悪口ばかりいわれて
本当に口惜しいけれど、
天皇に誉められたんだ、
最高じゃないですか。
我々はプロであることを誇りを持って
我慢してやりましょうや。
いまの話の趣旨を隊員のみなさんに伝えてください」
・・・隊長たちは、
時々うなずきながら黙って耳を傾けていた。

この本が書かれた1993年は、
安田講堂事件から24年が経っていた。
随分歳月が必要だったのだな、
という気がする。
そして今は
安田講堂事件から45年。
既にはるか歴史の中の出来事になってしまっている。
「東大解体」を標榜しながら、
今も東大は残っている。

↓現在の安田講堂。

クリックすると元のサイズで表示します

その間に、ソ連の崩壊があり、
「目的は手段を正当化する」の
「目的」さえ間違っていたことが証明された。
今、マルクス・レーニンを信奉する人など、
よほどの化石人間だろう。
当時の活動家たちは、
社会に順応し、
高度成長経済を支え、
バブルの崩壊に耐え、
今、定年退職の年齢に達している。
あの45年前の出来事が何だったのか 
一度聞いてみたいものだ。

湾岸戦争のさなか、
ある民放テレビの徹夜の討論会の生中継をみたとき、
全共闘世代と平成世代の断絶の亀裂の深さを目のあたりにみて、
私は心がむなしくなった。
討論に参加した全共闘世代の出席者は、
口々に現代学生、青年のノンポリぶりや
「自分ひとり幸福主義」を批判し、こもごも
「湾岸戦争をみても何とも思わないのか」
「もっと情熱を燃やせ、行動しろ」
「自己の利益以上のことを考えられないのか」
「我々の世代は体を張って平和を守った」
などとハッパをかける。
(何十年たっても変わらぬ論調だね。
常に自分が正しく、
その世界観を強要する)
平成世代の若者は
さめた目で先輩たちを眺め、
熱弁を聞き流し、
鼻で笑って反論する。
「貴方かちをみていると、
全共闘時代はよかったなんていいながら、
居酒屋で酒をのみ
お互い傷をなめあってるオジンとしか見えませんよ」
「体制が確立されてボクらは身動きがとれない。
そういう体制をつくっておいて
ボクらに何しろっていうんですか」
「いまのボクにとって大切なことは、
アルバイトして、お金稼いで、いい車買って、
楽しくデートすることで、
デモなんか無意味ですよ」
と言い放つ。
心の傷にふれられた全共闘世代は
声を荒らげて反論する・・・
この互いに接点のない不毛の議論は
私を悲しくさせた。

2日間生中継されたテレビの映像に
日本中が釘付けになった安田講堂事件。
その背後でどんなことがあったのか、
事件の全容を語る一級の資料である。



『神は死んだのか』『天国はほんとうにある』  映画関係

先日、同じ劇場で
キリスト教関係の
対照的な2本の映画を続けて観たので、
紹介しよう。

〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

大学に入学したジョシュは
ラディソン教授の哲学の授業を選んだ。

クリックすると元のサイズで表示します

ジョシュの胸にぶら下がった十字架を見た大学職員は、
「やめた方がいい」と助言をする。
その授業初日、
ラディソン教授は
「GOD IS DEAD」(神はいない)という
宣言書を提出するよう全学生に求める。
ラディソン教授は過激な無神論者だったのだ。
単位を取るために学生たちは宣言書を提出するものの、
納得できないジョシュだけは拒否する。
すると教授は、20分のプレゼンの機会を3回与えるから
学生たちの前で神の存在を証明して見せろと迫る・・・。

クリックすると元のサイズで表示します

きけば、こういうことで
アメリカの大学で実際に訴訟が起こっているという。
そういう状況を背景に、
神を信じる学生と無神論者の教授と対決する様を描いたドラマ。
これは面白かろう、
と期待した私が馬鹿だった。

こんな宣言書の提出を迫る教授という存在が
そもそも教授失格だし、
無神論者に転じた理由が
亡き母の病気だというのだからなんとも情けない。
もっと世界的社会的な課題であってほしかった。

この教授対学生の論争に並行して、
イスラム教徒でありながらイエスに改宗して家を出される娘や
ガンを宣告されて余命いくばくもない女性記者、
認知症の母を持つ人、
宗教否定国家・中国から来た留学生などの様子が描かれる。
教授の妻との葛藤も織りこまれる。

学生の論証もごく観念的なもので、
そんな貧弱な論証に最後に学生たちが
「神は死んでいない」と次々と立ち上がる場面で
大きな違和感を覚えた。
そして、中国人学生は父親に「神はいるかもしれない」と連絡し、
認知症の母は突然聖書の言葉を述べ、
記者はロックバンドを訪問し、
祈りで癒してもらう。

クリックすると元のサイズで表示します

このバンドが「ニュースボーイズ」という伝道バンドで、
そのコンサートに登場人物が全員集まって、
神を讃える歌に酔いしれる。
あげくの果てに教授は昔母から受けとった手紙を読み、
このコンサートにやって来て事故に遭い、
その場にいあわせた牧師に死を見取ってもらい、
神の存在を認める。
そしてコンサート会場では
「この場で100人に
『GOD’S NOT DEAD』(神は死んでいない)
とメールしよう、と呼びかけ、
映画の最後に
「このムーブメントに参加しよう!
みんなにメールしよう!」
という言葉が画面に映し出される。

なんというキリスト教啓蒙映画
いや啓蒙どころか
キリスト教のプロパガンダ映画だ。
脚本もひどく、
ウィットに富んだ台詞など一つもなく、
全ては「神は死んでいない」という結論に持っていくための布石。
演技も「アメリカ映画でこんなにヘタな役者がいるのか」
と驚くくらい拙劣。

それにしても、
映画の主張に添うために
教授を突然事故に遇わせて死なせるなど、
映画として卑怯ではないか。

こんな映画は教会で伝道集会で上映するならわかるが、
劇場で金を取って見せるものではない

5段階評価の「2」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=HKahLFx5M90&feature=player_embedded


〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ネブラスカ州の小さな町で
牧師をしているトッド・パーボは、
生活が貧しいため、
小さな修理会社や市の消防隊員もしている。
ある日、3歳になる長男のコルトンが穿孔虫垂炎にかかり、
病院に緊急搬送され、生死の境をさまよう。
医師からはコルトンの為にできることは何もないと告げられ、
トッドは“神”に「あなたは、私の息子を奪う気か?」と叫ぶ。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、奇跡が起こり、コルトンは一命をとりとめた。
やがて、元気になったコルトンはトッドに
天国を旅してきた話を始める。
イエス・キリストに会い、
亡くなった親戚にも会ったと言う。
手術の最中に、
トッドが取った行動も知っていた。
しかも、コルトンの話には、知るはずのない、
生まれる前に起こった出来事も含まれていた。

クリックすると元のサイズで表示します

その臨死体験はマスコミにも取り上げられ、
波紋を呼んでいく・・・。

実話をつづったベストセラー↓の映画化。

クリックすると元のサイズで表示します

実際のトッドとコルトンに対するインタビューは↓こちら。

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=AnzEIenXbUM

ラストに登場人物のその後が
写真付きで紹介される。
トッドは今もその教会の牧師をしているという。

「神は死んだのか」と同様、
キリスト教を題材とした作品だが、
こちらは押しつけがましさはなく
良質な人間ドラマとして成立している。

生きたまま天国を垣間見てきた子供の証言を
信じるか、信じないか、という問題だが、
この映画では、その臨死体験が
周囲の人間の癒しに繋がっているのがミソ。
その癒しの様は感動さえ与える。

出演俳優もトッド役にグレッグ・キニアという
オスカー・ノミネート級の一流俳優を起用。
マーゴ・マーティンデイルらが脇を固める。
監督は、「ブレイブハート」で脚本を務めたランドール・ウォレス

毎週説教で天国を説く牧師が
息子の経験一つでそれを凌駕されてしまう、
というのは、皮肉だが、
子供の体験談を通じて、
天国の存在が
地上の人間にとって救いであることがよく分かる。

臨死体験というのは、
死の苦痛や恐怖を和らげるために
人間の脳の中に
あらかじめインプットされているのではないか、
というのが私の仮説だが、
そのようなイップットをした存在を考えると、
“神”のようなものに行き当たらざるを得ない。

5段階評価の「3.5」

予告編は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=7Kqw3W_il94&feature=player_embedded


タグ: 映画

ルーマニア・ブルガリアの旅・そのK ソフィア  旅行関係

最後のソフィア観光は、

クリックすると元のサイズで表示します

バスから降りて徒歩で。

クリックすると元のサイズで表示します

それで、こういうものや

クリックすると元のサイズで表示します

こういうものも目に入ります。

クリックすると元のサイズで表示します

タクシーはイエロー・キャブ。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、数々の建物や

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

記念碑も。

クリックすると元のサイズで表示します

これは旧共産党本部

クリックすると元のサイズで表示します

このモスクは、バーニャ・バシ・ジャーミヤ
1566年のオスマン朝時代に建立されたイスラム寺院です。

クリックすると元のサイズで表示します

バーニャとは、風呂の意味で、
すぐ近くに大きな温泉施設があることに由来します。
↓がその温泉施設。

クリックすると元のサイズで表示します

現在は別な用途に使われています。

クリックすると元のサイズで表示します

近くには飲用の温泉が湧き出ており、
ペットボトルを抱えて水をくみに来る市民でにぎわっています。

クリックすると元のサイズで表示します

ユダヤ教のシナゴーグ(会堂)。

クリックすると元のサイズで表示します

これはセントラル・ハリ
1910年に建てられたかつての中央市場。

クリックすると元のサイズで表示します

1989年の政変以来営業が途絶えていましたが、

クリックすると元のサイズで表示します

2000年にショッピングセンターとして復活。

クリックすると元のサイズで表示します

こんな順路案内も面白い。

クリックすると元のサイズで表示します

ソフィアのマクドナルド。

クリックすると元のサイズで表示します

遺跡もまだ発掘されています。

クリックすると元のサイズで表示します

聖ペトカ地下教会

クリックすると元のサイズで表示します

教会が建てられたのは、
オスマン朝の治世下にあった14世紀。

クリックすると元のサイズで表示します

イスラム全盛の世にあったので、
このような半地下の形にならざるをえなかった、という説と

クリックすると元のサイズで表示します

第2次世界大戦後の都市計画で
教会の両横に高架の大通りを建設したためにこのようになった
という説が二つ書かれていました。
どちらが正しいのでしょうか。

クリックすると元のサイズで表示します

聖ネデリャ教会
ブルガリヤ正教の教会。

クリックすると元のサイズで表示します

聖ゲオルグ教会

クリックすると元のサイズで表示します

4世紀にローマ帝国によって建設された

クリックすると元のサイズで表示します

現存するソフィア最古の建物と言われています。

クリックすると元のサイズで表示します

内部の壁や天井には
10〜14世紀に描かれた宗教画が見られるそうです。

クリックすると元のサイズで表示します

↓写真集から。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

その脇には、ローマ時代の浴場跡が。

クリックすると元のサイズで表示します

大統領府

クリックすると元のサイズで表示します

衛兵の交代がされています。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

国立考古学博物館

クリックすると元のサイズで表示します

元は1494年に建立されたイスラム寺院でした。

クリックすると元のサイズで表示します

ローマ時代の発掘品や

クリックすると元のサイズで表示します

ブルガリア教会文化を中心としたコレクションがあります。

クリックすると元のサイズで表示します

考古学博物館の前の子どもたち。

クリックすると元のサイズで表示します

国立銀行

クリックすると元のサイズで表示します

国立劇場

クリックすると元のサイズで表示します

1907年に完成。

クリックすると元のサイズで表示します

聖ニコライ教会。ロシア教会。

クリックすると元のサイズで表示します

解放者記念像
ロシア皇帝アレクサンダル2世の騎馬像です。
露土戦争の勝利によって
ブルガリアをオスマン朝支配から解放した英雄てす。

クリックすると元のサイズで表示します

アレクサンダル・ネフスキー教会

クリックすると元のサイズで表示します

ブルガリア最大で最も美しいと言われる寺院。

クリックすると元のサイズで表示します

高さ60mの金色のドームをはじめ、
12のドームからなる
ネオ・ビザンツ様式の建物。

クリックすると元のサイズで表示します

ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦死した
約20万人のロシア人兵士を慰霊する目的で建立されました。
1882年に着工してから40年の歳月を経て完成。

クリックすると元のサイズで表示します

正面にあるのは、
聖アレクサンダル・ネフスキーのモザイク画。

クリックすると元のサイズで表示します

内部は例の如く撮影禁止。
そこで、拝借した写真を掲載。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

聖ソフィア教会

クリックすると元のサイズで表示します

6世紀にユスティニアヌス帝が建てた教会。

クリックすると元のサイズで表示します

首都ソフィアの名はここに由来します。
↓は無名兵士の石碑。

クリックすると元のサイズで表示します

丸い青銅製の祭壇には、永遠の炎が燃えています。

クリックすると元のサイズで表示します

その横には、
約80年前に作られたライオンの彫刻。

クリックすると元のサイズで表示します

もう一度アレクサンダル・ネフスキー教会を目に焼き付けて、

クリックすると元のサイズで表示します

ソフィア観光は終わりです。

クリックすると元のサイズで表示します

その後はショッピングセンターで買い物。

クリックすると元のサイズで表示します

残ったレフで買い尽くし。

バラの商品が沢山ありました。

クリックすると元のサイズで表示します

夕食は各自。このフードコートで、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

中華料理。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

ソフィアの空港。

クリックすると元のサイズで表示します

イスタンブールへ飛び、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

イスタンブール空港。今夜の10時半で、このにぎわい。

クリックすると元のサイズで表示します

いよいよ成田へ。

クリックすると元のサイズで表示します

2回の機内食。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

やっと日本に

クリックすると元のサイズで表示します

着きました。

クリックすると元のサイズで表示します

長らく続いたルーマニア・ブルガリアの旅もこれでおしまいです。

クリックすると元のサイズで表示します

過去のブログを見たい方は、それぞれ↓をクリック。

@ブカレスト
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141022/archive

Aブラショフ
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141025/archive

Bシギショアラ
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141029/archive

Cビェルタン
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141102/archive

D要塞教会
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141106/archive

Eブラン城
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141110/archive

Fシナイア
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141116/archive

Gイヴァノヴォ
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141122/archive

Hヴェリコ・タルノヴォ
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141126/archive

Iリラの僧院
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141201/archive

Jボヤナ教会
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141208/archive



『ゴールデンボーイ』(『ショーシャンクの空に』原作本)  書籍関係

〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

スティーヴン・キングによる
作品集「恐怖の四季」の中の2編を収録。
この作品集は、題名通り
春夏秋冬を背景とする4つの中編を収めたものだが、
とても一冊には収まりきらないため、
二分冊で刊行。
前半の春夏編は
「刑務所のリタ・ヘイワース」
「ゴールデンボーイ」
後半の秋冬編は
「スタンド・バイ・ミー」
「マンハッタンの奇譚クラブ」
の2編ずつを収録。

12月12日のブログ↓に掲載した

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20141212/archive

「ショーシャンクの空に」の原作に当たるのが、
「刑務所のリタ・ヘイワース」
原題は『Rita Hayworth and Shawshank Redemption』
(リタ・ヘイワースとショーシャンクの贖い)で、
映画の「ショーシャンクの空に」は、日本で付けた題名。
日本で本が出た頃はまだ映画化されていなかったので、
この「刑務所のリタ・ヘイワース」が
刊を重ねても踏襲されている。

妻と愛人を殺したという冤罪で
ショーシャンク刑務所に服役した銀行家のアンディー・デュフレーンが
その才覚で刑務所を変え、
絶望的な状況の中で脱獄を成功させるまでの顛末を
同じ終身刑で刑務所内の調達屋のレッドの口を通じて語られる。

脱獄ものといえば、
書き古されたジャンルだが、
スティーヴン・キングらしい語り口で
人物も生き生きと描かれる。
そして、その脱獄の手口にこめられた
アンディーの執拗な希望追究の姿に
読者は感心すると共に快哉を叫ぶ。
読後感がすこぶるいい作品

映画化作品、舞台化作品共に
多少の改変は加えられているものの、
ストーリーそのものは原作通りで、
ストーリー・テラーとしてのキングの面目躍如の作品。


「ゴールデンボーイ」は、
原題は『Apt Pupil 』(かしこい生徒、飲み込みの早い教え子等の意味)で、
「ゴールデンボーイ」は日本で付けた題名。
映画化作品にも「ゴールデンボーイ」の邦題が付けられた。

こちらは三人称で語られる。

ナチによる強制収容所の所業に異常に関心を寄せる少年トッドは、
バスの中で一人の老人の姿に旧ナチの残党を発見する。
アーサー・デンカーと名前を変えたその男は、
アウシュヴィッツの副所長で、
その後、パティンの強制収容所の所長をつとめて
「吸血鬼」と呼ばれ、
戦後、ドイツを脱出し、アルゼンチンやメキシコを転々とし、
今はカリフォルニアの片田舎の町にひっそりと暮らす
クルト・ドゥサンダーだった。
イスラエル発行の指名手配書にあった指紋と照合したトッドは
ドゥサンダーであることを確信し、
ある日、ドゥサンダーの家の呼び鈴を鳴らす。
最初別人だと言っていたドゥサンダーは
トッドの脅迫に、ついに認め、
要求は何だと言うと、
トッドの要求は、
真相をばらさない代わりに、
強制収容所の出来事を全て話してくれ、
というものだった。
実際に何があったのか、
虐殺はどのようにして行われたのか、
ガス室の様子はどうだったのか、と。

こうして、トッドの求めに応じて
収容所での悲惨な実態を説明すると、
ドゥサンダーの中で封印された過去が蘇って来る。
そして、それはトッドにとっても同様の悪夢の始まりだった・・・。

ナチの悪行に異常な関心を持つ少年にとって
その現場にいた人物の詳細な描写が
甘美な喜びを見出す、
という点で、異常心理の話なのだが、
誰の心の深いところにもある秘めた願望が表れて震撼とさせる。

始めトッドがドゥサンダーを脅迫していたのが、
ある一点からドゥサンダーがトッドを脅迫する逆転も面白い。
衣裳屋から調達したSS将校の服をドゥサンダーに着せて
行進させると、
次第にドゥサンダーの姿が鬼気を帯びて来るあたりはゾッとさせる。
成績が落ちたトッドに対して対応するカウンセラーとのくだり、
心臓発作のドゥサンダーが
そのままでは病院に連絡できず、
トッドの力を借りなければならない事情など、
サスペンスも働く。
そして、いつドゥサンダーの正体がばれるかという緊張感。

聞けば、スティーヴン・キングはこの小説を2週間で書いたという。
本当にキングの上には
「創作の神様」が宿っているのがよく分かる。

ラストはちょっと納得しかねるが、
長丁場を飽きさせずに
最後まで引っ張る、やはりストーリー・テラーの力業である。


〔旧作を観る〕

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

上の小説「ゴールデン・ボーイ」を
ブライアン・シンガー監督で映画化したのがこの作品。
1998年。
邦題は小説を踏襲。
トッドにブラッド・レンフロー

クリックすると元のサイズで表示します

ドゥサンダーにイアン・マッケラン(適役)。

クリックすると元のサイズで表示します

短い時間に完結しなければならないので、
展開はやや駆け足。
特に、封印した過去を話すことで
ドゥサンダーに起こった変化が
悪夢の描写もなくスルーされているのが不満。

クリックすると元のサイズで表示します

後半の浮浪者殺しもちゃんと理由づけがなされ、
トッドの連続殺人や銃での殺傷もなくなり、
まともな展開。
特にラストの改変は論議を呼ぶところだが、
原作はやや主人公を異常者として追い込んでいく感があり、
映画の描き方の方が
普通の一人の高校生の抱いた心の闇として納得性がある。






AutoPage最新お知らせ