『キリング・フィールド』  映画関係

〔旧作を観る〕

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「消えた画 クメール・ルージュの真実」を観た後、
「キリング・フィールド」を借り、
再見した。
30年前に観た時の強烈な記憶が蘇った。

「消えた画 クメール・ルージュの真実」については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20140712/archive


1984年制作の英国映画。
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、
後にピューリッツァー賞を受賞した
シドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化
1984年のアカデミー賞において、
助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞
監督は長編初監督のローランド・ジョフィ
脚本はブルース・ロビンソン
製作はデヴィッド・パットナム
シドニーをサム・ウォーターストンが演ずる。

カンボジア人助手のプランを演じたハイン・S・ニョールについては、
少し詳しく述べると、
カンボジアで産婦人科医、また軍医として働いていたニョールは、
1975年にクメール・ルージュに捕らえられ、
4年余りの間、強制労働と拷問に耐える生活を強いられた。
処刑を逃れるため、
医者であることと教育を受けたことを隠さなければならなかった。
またその間に、
妻と子供を早産で亡くしている(処刑された可能性もあり)。
1979年にタイに脱出、
1980年に難民としてアメリカ合衆国に移住する。
その後、カンボジア内戦に関する映画を制作中の
キャスティング・ディレクターに見出され、
「キリング・フィールド」に出演。
それまで演技経験がなかったにもかかわらず
アカデミー助演男優賞を受賞した。
その後も映画に出演したり、
人権活動などに携わっていたが、
1996年にロサンゼルスの自宅近くで強盗により射殺され、
55歳の生涯を閉じた。
射殺事件の真相は今だに謎である。


あらすじ(Wikipedia による) :

アメリカ人ジャーナリストのシドニーと、
現地の新聞記者であり通訳でもあるカンボジア人のプランは
カンボジア内戦を取材している。

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ポル・ポト率いるクメール・ルージュが優勢となり、
アメリカ軍が撤退を開始する。
シドニーはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、
プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、
自分はカンボジアに残ることを決意する。

クメール・ルージュのプノンペンへの進軍、
それを迎える民衆、
すぐに始まった虐殺、
都市住民の農村への強制移住、
ヘリコプターで逃走する米国大使館員、
延々と鉄道を移住する難民など、
描写はリアルで
本物ではないかと疑うほどの臨場感に満ちる。
特に、銃を持った言葉の違う兵士の描写が不気味。

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やがて、カンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、
シドニーたちはフランス大使館に避難する。
シドニーや他社の記者は、
外国人であるから帰国により逃れることができるが、
カンボジア人であるプランはその道は閉ざされている。
タイに逃れる道もあったが、
シドニーらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。
ところが、粗悪な印画紙に焼き付けたために、
偽造パスポートの写真の画像が消えてしまい、
プランを逃すことに失敗する。
そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、
クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまう。

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二人の別れのシーンは
ワンカットで撮影され、
監督の意欲がうかがえる。

ニューヨークに戻ったシドニーは
プランの行方を
赤十字の難民キャンプに写真を送って探すが
行方は知れない。

このニューヨークの描写から
フランコ・コレッリの歌う
プッチーニ「トゥーランドット」の中の
「誰も寝てはならぬ」のアリアで
一挙に
カンボジアの情景に映る演出の手順は見事。

プランは集団農場で労働についている。
機械を否定し、文明を否定する
原始共産制の社会で
全ては人力で行われる。
集団農場では、人は特別な理由もなく銃殺されていく。
農場への往復の際に荷馬車に乗っていただけで銃殺され、
作業が緩慢という理由だけで殺される。
また身分を隠していた元教師、元医師たちは、
「クメール・ルージュは君たちを許す」という嘘にだまされて、
身分を明かしてしまい、
その結果、銃殺されていく。

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プランは集団農場から脱走を図る。
その途中、プランが目にしたのはおびただしい人の白骨だった。
まさにカンボジア全土が
同民族同士で殺し合う、キリング・フィールドとなっていたのである。

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プランは脱走に力尽き行き倒れてしまうが、
別の集団農場の幹部に助けられ、
その幹部の身の回りの世話をすることになる。

シドニーはピューリッツァー賞を受賞した際に、
カンボジアで取材仲間だった記者に
プランを見捨てたと非難され、
自責の念に駆られていく。
この記者を演ずるのが、ジョン・マルコビッチ

プランは、拾われた幹部に親身に扱われるが、
元新聞記者であった経歴を隠そうとする。
身分が明らかになると、
元教師、元医師たちのように殺されてしまうかもしれないからだ。
しかし、
BBC放送を隠れて聞いているところをその幹部に見つかってしまい、
インテリであったことがばれてしまう。
ところが、幹部はプランを銃殺せず、
プランに自分の信条を話し出す。
その幹部は、
「カンボジアを愛しているが、
クメール・ルージュのやり方は間違っている」と言う。
そして「自分に万一のことがあったときは、
自分の子供をつれて外国に逃亡してほしい」
と地図と金を渡す。
しばらくして、虐殺をやめさせようとしたためにその幹部は殺されてしまう。

立派な人物、
時代が別ならば、
良い為政者にもなったと思われる人物が
あっけなく殺されてしまう、衝撃的シーンだ。

プランは幹部の子供を連れて他の仲間たちと国外への逃亡を図る。
ベトナム戦闘機の空爆、
クメール・ルージュの目を逃れての道、
幹部の子供は途中で地雷によって死亡してしまう。
山を越え、谷を過ぎ、
プランはたった一人でタイ国境の難民キャンプにたどり着く。
その知らせを聞いたシドニーは現地に向かい、
二人は再会する。
「許してくれ」と言うシドニーに
プランは「許すことなど、何もありません」と答え、
抱擁しあうのだった。

今観ても迫真力に満ちた立派な作品である。

この映画が公開された直後、
本多勝一は政治的で差別的な内容であるとして、
映画への批判を行ない、
「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」
という記事を書いた。
本多はかつて、ポル・ポト派寄りの記事を書いたことがあり、
虐殺行為についても懐疑的であった。
本田勝一は本当にいやな奴だと思う。

このDVDは、
ローランド・ジョフィ監督自身による音声解説がついている。
2時間21分の間、
監督はじゃべりまくる。
「ここは、タイの学校で撮った」
「このヘリコプターはサンディエゴだ」
「このシーンはワン・カットで撮りたかったんだ」
などと解説し、
当時短編しか経験のなかった監督が
製作者デヴィッド・パットナムと出会い、
監督を委嘱される経緯など、
興味深い話も聞ける。

偶然この仕事の話が舞い込んだ。
「炎のランナー」の原作者コリン・ウェランドの紹介で
デヴィッド・パットナムと出会った。
私と仕事をしたことをコリンが話したらしく、
デヴィッドから連絡が来た。
私に読ませたい脚本があるという。
「雑誌の記事をもとにした脚本だ。
悩んでる。
目を通してくれ。意見を聞きたい」
届いた脚本は300ページもあり、ものすごい厚さだ。
それを家へ持ち帰り、さっそく読んでみた。
読み始めたら、途中でやめられなくなった。
現実とは思えない話に
引き込まれたんだ。
ベトナム戦争については聞いていた。
その当時、反戦運動もしていた。
だが戦争の実情を理解していなかった。
脚本を夢中で読んだ。
単なる戦争物語ではない。
人生が描かれていた。
読み終わってからも、離せなかった。
映像が浮かび、眠れなかった。
翌日、手紙を書いた。
「デヴィッド、これは戦争の話でなく、愛の物語だ。
脚本が長すぎるとは思うが・・・
これだけは覚えておいてくれ。
この作品は、友情についての物語だ。
そして深い愛情をテーマにしている。
ただの戦争映画にしてしまっては、
作品の核となる部分が伝わらない」
手紙を出してから、もう一度考えた。
自分にはこの作品を映画化できるはずがない。
経験がなかった。
それから1年、音沙汰なしだった。
あれは年末だったと思う。
当時私が製作したテレビ映画が
英国アカデミー賞にノミネートされて、
授賞式に出席した。
デヴィッドもそこに来ていて、
にこやかに挨拶を交わした。
彼に来年の予定を聞かれ、
書いている脚本の話をした。
アンゴラで戦う英国人の映画を作る予定だった。
だが彼は「多分無理でろう」と言った。
映画は念願だったから、落ち込んだよ。
すると「会いに来い」と言う。
翌日オフィスに来るように言われて、
ロンドンにいる彼を訪ねて行った。
入ると彼は暖炉のそばにいた。
立ち上がると、机に向かって歩き、こう聞く。
「『キリング・フィールド』を読んだか?」とね。
「大勢が監督に立候補している」とも言う。
彼は一流監督の名前を挙げた。
それは、私にとって憧れの監督たちだった。
そして私にこう言った。
「彼らとはやりたくない」
そう聞いて胸が高鳴った。
「皆この作品をよく理解していないんだ」
私が「残念だ」と言うと、
「ふさわしい監督を一人見つけてある。
彼と撮りたい」
と言って、
手紙を出して見せた。
私が出した手紙だった。
手紙の内容を尋ねられ、こう答えた。
「この作品のテーマは、愛であり、
人間の心を描いた作品だ。
互いを思う気持ちを伝える映画だ。
決して戦争映画ではない。
それではいい作品にならない」
デヴィッドは私に、
この映画を撮れと言った。
きう言われて一瞬呆然とした。
長編映画もメジャー作品も撮ったことがなかった。
デヴィッドは言った。
「経験ではなく、
やる気があるか聞いている」
さすがに一瞬考えたが、私はこう答えた。
「ぜひ撮らせてほしい」
私たちは握手し、
それから5日後、タイにいた。

最後に監督はハイン・S・ニョールについて触れる。

最後にハインのことを話しておきたい。
彼はこの映画の数年後に亡くなった。
ある日事件が起きた。
彼が帰宅する時だった。
通りで男に撃たれた。
事件の真相は今だに不明のままだ。
葬式の弔辞で言っていた。
「彼を思うことで
彼の魂が
新たな美しい命に生まれ変わる」
私はこう思う──
ハインはあんな風に死なねばならなかった。
なぜなら、
愛する人を戦禍で失い、
自分は生き残った。
ベッドで死ぬのは耐えられないので、
彼は自分の最期を選んだのだと。
ハインはこの映画に愛を注いだ。
愛を経験した
愛にあふれた人だった。

ローランド・ジョフィ監督は
この2年後、
あの「ミッション」を撮っている。



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