『神去なあなあ日常』『神去なあなあ夜話』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「かむさりなあなあにちじょう」と読む。

映画「WOOD JOB!(ウッジョブ) 〜神去なあなあ日常〜」の原作本。
WOOD JOBは、GOOD JOBにかけており、
林業を描くからWOOD JOBとしゃれている。

題名の由来は、
神去村の住人の口癖の「なあなあ」
これは、「ゆっくりいこう」「まあ、落ち着け」などというニュアンス。
そこから更に拡大して、
「のどかで過ごしやすい、いい天気ですね」
という意味まで、
この一言で済ます。

横浜に住む平野勇気が高校卒業後、
フリーターでもして食っていくか
とのんびり構えていた時、
担任教師と母親の強制と策略で
神去村に林業研修で行った先での日常を描く。

神去村は三重県中西部、奈良との県境近くにある村で、
山深い奥地。
携帯電話の電波も届かない奥地だ。
交通手段がないから、逃げ出すことも出来ず、
中村林業の人と共に仕方なく山に繰り出す。
引き取り手は飯田与喜(よき)=ヨキという
林業をするために生まれて来たような男。
右も左も分からないまま、
チェーンソーを持たされ、
木に登らされ、枝を切り落とす。

そうした中で、時々逃げ出そうとしながら、
勇気はたくましい山の男に育っていく。

話の中で分かって来るのは、
林業が親から子へと引き継がれていく大事業だということだ。
今植えた苗が大きな幹に育つのには、
3、40年かかる。
100年後の山を考えながら、今木を植える。
気の遠くなるような話だが、
それが日本の山を生き生きとしたものにする素なのだ。

しかし、林業も高齢化を迎えている。
どのように後継者を育てるか。
深刻な話だが、
神去村の住民にとっては「なあなあ」の話だ。

神去村の背後には神去山があり、
村を見守っている。
住民は山に対して特別な尊敬の念を持ち、
48年に一度の大祭をする。
その光景は感動的だ。
                              
林業が衰退すれば、
木材が枯渇する。
そうなれば、都会で家も建たない。
そうした事情もありながら、
全く視野に入ってこない林業について
いろいろ学ばされる本だった。


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「かむさりなあなあよわ」と読む。
「神去なあなあ日常」の続編。

物語そのものに、
勇気の成長、という一本柱はなく、
すっかり神去村に定着してしまった勇気の
日常生活を描く。
その中で、
神去村に伝わる起源伝説に触れ、
神去村の20年前の悲惨な事故を知る。
ヨキの両親や中村林業の社長の清一の両親がいない理由が
初めて判明する。
ヨキと妻のみきとのなれそめも明かされる。

今、「一本柱」と書いたが、
貫くものは勇気と直紀との恋愛の進展か。
村で若い者は勇気と直紀しかおらず、
自然接近するものと決まっているようなものだが、
直紀は典型的なツンデレで、
勇気を翻弄する。
しかし、運転免許を取った勇気の運転する軽トラでのデートや
中村家でのクリスマスパーティーなどを通じて、
勇気の恋も実りそうな気配。
なんともほほえましく、温かい。

ヨキや中村清一、
ヨキの嫁のみきと祖母の繁ばあちゃん、
清一の息子の山太(さんた)、
中村班の50代の巌と
70半ばを超えて林業現役ばりばりの三郎など
すっかりキャラクターにもなじんでしまった。

三郎の述懐。

「弟が成人するころには、
林業に陰りが見えてきとったんや。
町で会社に入ったほうが、
将来もあるやろと思った。
弟も『力仕事はようせん』ちゅうとったしな」
「いまにして思えば、
弟の若いころは、
ばりばり働いて金もうけすることが
一番ええことやちゅう風潮に、
世間も俺も染まっとったのかもしれん」
「いまは、また状況がちがうで。
勇気みたいな若いもんが、
ようけ山に来てくれる」
「やる気のある若いもんのおかげで、林業は変わった。
俺は、林業の全盛期も衰退期も知っとるが、
いまの雰囲気が一番好きや。
この調子なら、
林業は時代に応じて生きのびていけるかもしれんと、
希望を持っとる」

それを受けての勇気の述懐。

百年後か。
目が覚めたらすぐに忘れてしまう夢みたいに、
遠い出来事に感じられる。
でも、俺が植えた木を、山太の息子が伐倒するかもしれないんだ。
そう考えると、
すごく身近で親しみの持てる出来事にも感じられてくるから不思議だ。

この村のひとたちは、
百年後を見据えて山に木を植えつづけ、
先祖が植えた木を切りつづけて、生きてきた。
それは、笑ったり怒ったりしながら暮らす毎日を、
自分たちと同じように、
百年前のひとたちも送っていたし、
百年後のひとたちもきっと送るにちがいないと、
信じてるからだ。
自分が死んでも、
あとを生きるひとが幸せでありますようにと祈って、
神去村のひとたちは山の手入れをしつづける。
その信頼こそが、
愛ってやつじゃないのかなあ。

たぶん俺たちには、
信頼と愛がインプットされてるんだ。
明日も明後日も百年後も、
きっと人々は幸せに暮らすにちがいないと、
楽天的な希望がすりこまれていて、
そこに向かって毎日を生きようとする力が備わっている。
だから、なにかの原因で
信頼や愛を見失ってしまったり、
自暴自棄になってしまったりしているひとを見ると、
胸が痛いような気持ちになる。

まさに日本初の(そして、多分、世界初の)林業小説の世界に
私もすっかりはまってしまった。






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