『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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題名から察して、
いろいろな項目を挙げて日独を比較し、
住居はドイツの勝ち、
道路は日本の勝ち、
商店は・・・
とどちらがすぐれているかを採点して、
合計で8勝2敗で日本の勝ち、
というような本かと思ったら違った
いろいろな点でドイツと日本の相違を述べ、
総じて日本の方が良い国、というのが結論。

全体の章建てを挙げてみると、
内容が大体分かるだろう。

まえがき ドイツ人も驚く宅配便が走る国
第1章 日本の尖閣諸島、ドイツのアルザス地方
第2章 日本のフクシマ、ドイツの脱原発
第3章 休暇がストレスのドイツ人、有休を取らない日本人
第4章 ホームレスが岩波新書を読む日本、チャンスは二度だけのドイツ
第5章 不便を愛するドイツ、サービス大国の日本
終章  EUのドイツはアジアの反面教師
あとがき 自動販売機が並ぶ奇跡の国

第3章の中から、次のような記述を書き抜いてみよう。

アンケートによると、
ドイツで働いている人の3分の1が、
同じ時間内にこなさなければいけない仕事が
どんどん増えていると感じている。
たしかに、それはあるだろう。
ドイツ人の労働時間は短く、しかも賃金は高い。
おまけに、社会保障費も高い。
社会保障費の半分は雇用者が負担しなければいけないし、
労働保険は全額負担しなければならないから、
雇用者側は、当然、できるだけ従業員は増やさずに、
労働効率を上げようとする。
つまり、同じ時間内にこなさなければいけない仕事が
だんだんと増えていっても不思議ではないのだ。
ただ私の見るところ、
ドイツ人は、自分で自分の首を絞めているようなところも多い。
だいたい、働いている人が、
自分の労働時間をあまりにもシビアに見張り過ぎている。
たとえば、週38時間の雇用契約を結んでいる人は、
自分の労働時間がそれを一分でも超えると
損をしたと思い、
とても腹を立ててしまうのだ。
だから、何が何でも時間内に仕事をこなそうと
皆が常に焦っていて、
勤務中、極端に不機嫌だ。
終業の10分前にかかってきた電話には絶対に出ない。
すでに仕事を終えた人は、
終業時間と同時に飛び出せるよう
ウォーミングアップをしているし、
まだ終えていない人は、
あと10分で終わらせようと死にものぐるいだ。
これは、店でも同じである。
閉店間際に店に入ると、
店員が「なんでいまごろ来たんだ?」と言わんばかりに、
あからさまに嫌そうな顔をする。
こんな働き方では、
自分でストレスを育てているようなものだ。

出稼ぎ労働者の問題について、示唆が多い。

ドイツと日本は、
戦後の何もないところから
世界有数の経済大国にのしあがった点は
大変よく似ているが、
その過程に一つ、決定的な違いがあった。
日本がワーカーホリック(働き中毒)などと悪口を叩かれつつ、
自分たちで必死に働いて
奇跡の復興を成し遂げたのに比べて、
ドイツは人出不足が始まった早い段階で
外国人労働者を導入した点だ。
(中略)
このときにドイツに入ってきた労働者は、
技術を持たない単純労働者だった。
しかも、相手国の希望もあって、
もっとも貧しい地域から、労働者が導入された。
ドイツ語はもちろん、母国語も読めない人たちも多かった。
こうして1970年代、
出稼ぎ労働者の数は300万人に迫ることになる。
しかし、折しもその時代にドイツの経済成長は止まり、
失業者が溢れるようになった。
職がなくなれば帰るだろうとドイツ人たちが思っていた外国人労働者は、
自国に帰ろうとはしなかった。
とくに帰ろうとしなかったのは、
いちばん貧しい地域から来た労働者、
彼らには、祖国に帰れば
もっと惨めな生活が待っていることが分かっていたのだ。
多くの外国人労働者は
祖国に子供を置いてきていたが、
困り切ったドイツ政府は
苦肉の策として、
祖国にいる子供たちに支払っていた手当を減額した。
しかしそれは結果として、
その子供たちをドイツに呼び寄せることに繋がってしまう。
結局、社会保障費を補填してくれるはずだった外国人労働者たちは、
多くのケースで、
それを食い潰す存在になった。
今日、
(中略)ドイツで低賃金の仕事は
外国人のものと相場が決まっている。
たとえば、ゴミの収集人にドイツ人はいない。
ドイツ人は、失業しても、
生活保護をもらっていても、
ゴミの収集人にはならない。
工事現場の肉体労働者にもならないし、
農村の季節労働者にもならない。
ところが日本では、事情が違った。
経済成長の真っ盛り、
安い労働力として使える外国人がいなかったからこそ、
どんな仕事でも日本人が行うしかなかった。
貴重な労働力となる中卒は「金の卵」と呼ばれ、
いざ就職が決まると
企業が素晴らしい寮を提供して、
夜間高校へ通わせ、皆で育てた。
使い捨ての外国人相手なら、
こんなことはしなかっただろう。
(中略)
日本に帰ると、
元気そうなお年寄りが、
スーパーの駐車場の前で車の誘導をしている姿をよく見る。
リタイア後のアルバイトだろうが、
ドイツなら絶対にドイツ人のしない仕事だ。
こういった仕事を日本人がしているという事実が、
どんなに素晴らしいことかを、
日本人はもっと自覚すべきだ。
そのうえ日本の労働現場は、
幸いなことに、
合理化だけには縛られていない。
ホームに立って乗客の安全を確認する駅員とか、
駐車場へ出入りする車の交通整理をする係員とか、
工事現場の横で
歩行者が安全に通れるよう誘導する人など、
ドイツ人が聞いたら
びっくりするような仕事も多い。
ドイツなら、
こういう職は経費のせいで絶対に消えているはずだ。
(中略)
もちろん、派遣社員やパートなど、
労働条件を改善すべき職種も多いのだろうが、
少しくらいお給料が安くても、
なるべくたくさんの人が働ける日本の社会のほうが、
私は良いと思う。
ただし、外国人労働者は、
日本でもこれからどんどん増えていくことになるだろう。
移民や外国人労働力の導入は
国の活力にもなるが、
それは双方に長期的な利益があってのことだ。
単に賃金が安いからという近視眼的な理由で、
安易に外国人を入れ続けると、
いずれ労働市場は破綻する。
また、外国人労働者側の不平等感が募り、
社会不安をも招く可能性は高い。
ドイツは反面教師になるはずである。
日本はドイツと違って、
EUというしがらみがない。
もっと独自に、計画的に、冷静に、
外国人政策を考えるべきだろう。
それが、日本のためにも、
そして、相手国のためにもなるのだから。

人口減少の日本で、
移民受け入れの話が出ている中、
大変貴重な示唆であると思う。

第4章では、
日本の義務教育の優れた点についても
言及する。

私は、教育の最大の目標というのは、
国民の学力の最低線を上げることだと思っている。
つまり、義務教育の充実だ。
一握りのエリートと、
たくさんの蒙昧な国民がいる国は、
良い発展ができない。
よって、日本が良い発展をするチャンスは、
とても大きいはずだ。
日本に住んでいる人はあまり気付かないかもしれないが、
日本は、世界でも稀に見る格差のない社会である。
その第一の理由は、
義務教育が充実していることだろう。
初等教育の段階で不平等が起きると、
それがいずれ貧富の差を作り、
格差となり、
ゆくゆくは社会不安を引き起こす。
格差の有無は、実は義務教育の充実度で決まるのである。
(ホームレスが岩波新書を読みふける様に触れ)
本当の格差社会では、
こういうことは起こらない。
ホームレスになる人は、
たいてい、まず義務教育を受けるチャンスを逸しており、
教養どころか、
字もちゃんと読めず、
割り算や小数点以下の計算もできず、
そのため、子供のころから
そのあとの人生のすべてのチャンスが閉ざされてしまい、
社会から落ちこぼれ、
当然、職もお金もいまま漂い、
ホールレスになる、あるいは、
犯罪に走るという道を辿る。
せめて義務教育さえ受けていれば、
最低限、職を探すこともできるし、
また、いつか奮起したとき、
そのうえの学校に進学することもできる。
人間生活の基礎としての
義務教育を、侮ることはできない。

ヨーロッパのエリートである王侯貴族たちは、
恐ろしいばかりの豪奢に溺れ、
毎夜のように絢爛豪華な舞踏会を催し、
宝石の大きさと衣裳の豪華さを競い、
民衆が飢えていることは知らなかった。
それに比して日本の社会では、
武士という名のエリートが質実剛健を旨とし、
特別贅沢な物さえ食べていない。
しかも、お百姓の子も町人の子も、
寺子屋で読み書きそろばんを習っていた。
幕末の日本で階級闘争が起こらなかったのは、
当然のことだ。

第6章では、
ドイツの鉄道のサービスの悪さ
(想像を絶する)を強調した後、
日本の鉄道に言及する。

日本では、駅の構内も電車のなかも清潔で、
床に物などほとんど落ちていない。
私がいつも感動するのは、
電車のなかで食事したあと、
お弁当の殻やペットボトルを、
老いも若きも皆が全員、
ちゃんと持って降りることだ。
なぜ、日本の電車のなかが清潔なのかという問いに対する答えが、
ここに凝縮されている。
それは簡単。
乗客のモラルが高いのだ。
そして、皆、それが当たり前だと思っているところが、また凄い。
そのうえ日本の電車は遅れない。
駅でない場所で停車すれば、
たいてい二秒後にはその理由がわかる。
車掌は礼儀正しく、
デッキから客室に入ってくるときには、
お辞儀までしてくれる。
しかも、彼らは何でも知っている。
網の目のような東京の地下鉄では、
どういうふうに乗り継げば良いかがわからないときがある。
あるいは、特急、快速、快速特急、準急などが
入り交じっている路線で、
どれに乗って、どこで乗り換えるのがベストかわからないとき、
そんなときは、
駅員に訊けば、
すべてがあっという間に解決する。
とくに、彼らがあの複雑怪奇なダイヤグラムをポケットから取り出し、
すばやく目を走らせている姿などを見るとき、
魔法を見るように感動してしまう。
訊けばいつでも正しい答えが返って来るという安心感は、
何物にも代えがたいものがある。

これらのサービスの根底にあるものを、
このように指摘する。

これだけは自信を持って言うが、
日本ほど痒いところに手の届く
きめ細やかなサービスを享受できる国は、
世界中探してもどこにもない。
私にとって、日本の便利さは誇りだ。
日本人の商売における理念は、
消費者に対する思いやりが占めている部分が大きい。
より便利で、
より快適なものを作って、
あるいは売って、
お客に喜んでもらいたいという気持ちが、
お金を儲けるという商売の本来の目的と並行して、
常に存在する。
これまでの日本の発展の原動力は、
実はこの、便利さと快適さの追求、
つまり、品質の改良であり、
サービスの果てしなき拡大だったと、
私は思っている。
安全性の追求なら、ドイツ人だってやる。
しかし、便利さや快適さが安全性と異なる点は、
それらは付加価値であり、
なければないで済むということだ。
実際ドイツには、
日本の宅配業者のように、
時間を指定できる宅配便や、
5秒も違わず発着する電車など存在しない。
しかし、彼らはそんなものがあり得るということを知らないので、
まったく不便を感じないのだ。
夢のなかでさえ求めることはない。

あとがきで、このようにまとめている。

日本は良い国だ。
これだけの経済大国になったにもかかわらず、
まだまだ人の心がやさしく、
これだけ緻密なサービス業が発達しても、
深刻な貧富の差ができない。
人口の密集地である首都圏でさえ、
治安が悪くて入れないような地区はない。
駅や電車はまるで病院のように清潔で、
大ターミナルの駅裏に、
麻薬患者やアルコール依存症の人かちがたむろしているわけでもない。
もちろん、暴動も起きない。
──これは、まさに奇跡のようなことだ。
(中略)
一方、日本では、
深夜の人気(ひとけ)のない街角に
自動販売機が並んでいる。
こんなものは、他の国なら、
あっという間に壊されてしまうだろうなどとは、
日本人は想像さえしない。

筆者はシュトゥットガルト在住の作家。
外国に住む方の目を通して
日本の良さを学ぶ良書である。





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