集団的自衛権  政治関係

政府は1日午後、
首相官邸で臨時閣議を開き、
集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定した。

これでようやく
「保有すれども行使できず」
という、
外国から見れば不思議千万な状態を回避して、
「普通の国」に一歩近づいたといえよう。

もともと
国際法上も国連憲章上も認められている
集団的自衛権を
「保有すれども行使できず」
というのは、
内閣法制局「解釈」
国会で決議したわけでも
国民投票にかけられたわけでもない。
選挙の争点にさえなっていない。
政府の一部署の解釈が大手を振ってまかり通っていたのだ。

国際状況が変化する中、
このような解釈が通用する時代はとうに終わっている。

北朝鮮中国という、
危険きわまりない隣人がいる中、
日本がまだ平和を謳歌していられるのは、
日米安保条約の存在だ。
実際、アメリカがいなければ、
日本はどうなっているか分からない。
アメリカが動かないと分かれば、
中国は尖閣諸島の実効支配に乗り出すだろう。
その兆候は、
東シナ海でのフィリピンやベトナムとの軋轢を見れば明らかだ。
中国が経済的に力をつけ、
領土的野心を隠さなくなっている状況は危険だ。

政治・外交の最大の要件は、
戦争を起こさないことだという。
日米安保の強化こそが、
北朝鮮や中国の脅威から日本を守り、
戦争を起こさないことになることは
火を見るより明らかだ。

しかし、朝日新聞や東京新聞は
「戦争への道だ」と
別な解釈をし、
狂ったように反対キャンペーンを行っている。

1960年、
日本は日米安保の改訂で大荒れに荒れていた。
国会をデモ隊が取り巻き、
「革命前夜」にさえ見えた。
その時の新聞の論調も
「日米安保は戦争への一里塚」
というものだった。
それから50年以上経って、
日米安保の果たした平和への役割は明白だ。
今、朝日や東京の論調を見ると、
安保で荒れた1960年を思い出す。

この間、このブログでも集団的自衛権については触れなかった。
それは朝日や東京の「神学論争」にうんざりしていたからだ。
ああした感情的な
一昔前の、机上の空論の、
平和ボケのメンタリティーへのお付き合いはごめんこうむりたい。

日本はアメリカに守られて発展した。
今、アメリカが弱体化し、
日本の助力が必要となった際、
日本が「いやあ、いろいろ制約がありましてねえ」
と行動をしなかったら、
アメリカは失望するだろう。
その時、米国国民は日米安保の破棄に向かうかもしれない。

日米安保を堅持する以上、
集団的自衛権の強化は当然だ。
それが平和に繋がる。
それがいやだというなら、
次の選挙で頑張って議席を獲得し、
「解釈」を変更すればいい。

安倍晋三首相は閣議決定を受けて記者会見し、
集団的自衛権の行使容認の狙いについて
「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく」
と説明。
日米同盟が強化され、抑止力が高まるとして
「戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」
と述べた。
自衛権発動の要件緩和も、
「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」で、
国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある場合」は
自衛権を発動できるとした。
他に適当な手段がないことと、
必要最小限度の実力行使にとどめることとした要件は維持した。

随分制約が多いと思うが、
公明党の同意など、
様々な条件が重なったからだろう。
これが現時点の限界か。

中国はいろいろ言っているが、
日本が軍国主義になることなど有り得ない。
というより、
軍部の力が大きく、
防衛費の拡大の度合いが突出している国から言われたくない。

今まで歴代の内閣が手をつけられず、
先送りにしていた問題に着手した安倍さんは
本当に日本の先のことを考えていると思う。
これからの法整備においても
様々な「神学論争」に見舞われて、
うんざりすることもあるだろうが、
心を折らず、毅然として、
がんばってもらいたい。





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