『マレフィセント』  映画関係

〔映画紹介〕

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ディズニー唯一の70ミリ映画「眠れる森の美女」を実写版リメイク。
ただし、オーロラ姫に呪いをかける
妖精マレフィセントの側から描くのがミソ。

maleficentとは、
「有害な、犯罪的な、悪事を犯す」
などの意味。
まさに悪役の命名だが、
この映画では、
悪と善が交錯し、
オリジナルをひねりにひねってみせる。

初め3分の1は、
マレフィセントの存在証明。
平和な妖精の国で育った
若く美しく心清らかなマレフィセントが、
どうして石のような心を持つようになり、
生まれたばかりの王女オーロラに呪いをかけるに至ったか。

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次の3分の1は、
役立たずの妖精3人に育てられたオーロラ姫を
見守るマレフィセント。
おやおや、そういう方向に話が展開するのかい、と瞠目。
自分のかけた呪いを晴らそうとして
晴らせないマレフィセントの苦悩が興味深い。

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そして、最後の3分の1が、
16歳の誕生日を迎える前に
糸車の針に刺されて
眠りについてしまったオーロラ姫の救出劇。

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隣国の王子も登場し、
原作通りの展開になるかと思いきゃ、
ここでも再びひねり技が物語を変えていく。

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鉄に弱いというマレフィセントの弱点を使った
捕縛道具が面白い。

というわけで、オリジナルアニメを尊重する方には、
とんでもない改変だ、となるが、
以前、「47Ronin」の批評で
「赤穂浪士のパラレルワールドでの話と思えば腹も立たない」
と述べたとおり、
これも「眠れる森の美女」のパラレル・ワールドと思えば受け入れられる。
というより、
オリジナルをぐるりと回転させる
本作は別な意味で面白い。
呪いを解く「真実の愛のキス」も
なるほどそういう別解釈かと納得する。

全編CGのオンパレードだが、
もうこういう映画は
それを楽しむ、という視点が必要。
その点で、CGの造型力は見事。

荒唐無稽な話だが、
それを納得させるのが
アンジェリーナ・ジョリーの魅力
眼差し一つ、表情の変化一つで
マレフィセントの気持ちを表してしまう、
さすがの演技力
羽根をつけてすっくと立つ姿がたまらなくカッコいい。

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5段階評価の「3.5」

予告編は、↓をクリック。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=GTu5piG9Leg


タグ: 映画

ワールドカップ帰国の出迎え方  耳より情報

先週のことですが、
サッカーワールドカップから
帰国した韓国チームをファンが攻撃、
アメが投げられたといいます。
↓選手たちの足元に投げられたアメが転がっています。

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そして、「韓国サッカーは死んだ」との横断幕が掲げられました。

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一方、日本では、
代表チームの帰国に
ファンが大勢集まり、
「お疲れ様ー!」
と出迎えたといいます。

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この違いは何なのか。
まあ、国民性の違い
と言えば、それまでですが。

スポーツの世界では、
闘いが済めば、ノーサイド。
互いの姿勢を讃えあうもの。

これは応援する側も同じ。
努力した者は慰労されるべき。
闘いが終わった後は、
健闘を讃えるというのが礼儀でしょう。

「そんなことだから日本は強くなれないんだ」
という声もあり、
「プロは結果が全て」
とも言いますが、
応援する側には
応援する側としての矜持があります。
勝てば賞賛し、
負ければ罵倒する
では、それは応援とは言えません。
悔しい思いは本人が一番感じているはず
それを鞭打っても仕方ないと分かっているから
「ご苦労さん」が適切な言葉でしょう。

期待を裏切られた、
という怒りはもっともですが、
それがアメを投げるという
侮辱的行為や
「韓国サッカーは死んだ」
という全面否定になってはいけません。

いやなら出迎えしなければいい。
実際、イタリアでは代表チームの出迎えは0人、
イングランドは1人だったといいます。

日本には武士道の伝統があり、
その精神を表すものの一つに
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」
という言葉があります。
追い詰められて逃げ場を失った人が
救いを求めてきたときは、
どんな事情があっても助けてやるのが人の道である
という意味で、
敗北の責任の重さを背負って帰国した人を
温かさで迎える、
というのもその一つでしょう。

70年も前の隣人の過ちを
いつまでもいつまでも
ネチネチと言い募る
韓国の国民性には理解できないでしょうけれども。


ワールドカップといえば、
敗戦後の日本人サポーターが
会場のゴミ拾いをした、
ということが世界の賞賛になっています。

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これも韓国では、
「試合後のゴミ拾いは日本人が韓国人に学んだもの」
ということになるようです。

在日本大韓民国民団が発行する
機関紙・民団新聞(電子版)は、
試合後のごみ拾いの起源は韓国人サポーターにあると伝えたといいます。
記事によると、
86年メキシコW杯の出場権をかけ、
国立競技場で行われたアジア最終予選の日韓戦で、
1−2で敗れた日本のサポーターが試合後に、
バックスタンドで応援していた在日韓国人の応援席に
ごみを投げ飛ばした。
韓国サポーターが周囲のごみを集めて清掃するのを見ていたのが、
後の「ウルトラスニッポン」の代表であり、
彼は12年後の日韓戦で、
青のビニール袋を持参するようサポーター仲間に呼びかけたといいます。

この民団の主張を紹介した記事は、
「韓国人はいつも他国の偉大な発明や発明者、
伝統文化などを自国が起源と主張する」
とし、
これまでに中国の端午節や、
世界で最初に中国で発明されたとされる地震感知器のほか、
李白といった詩人にいたるまで「韓国のものと主張している」と指摘。

続けて中国のネット上では
「宇宙すら韓国人が創造した」
と揶揄(やゆ)の声があると紹介し、
「日本人サポーターのゴミ拾いは
韓国から学んだものという新たな主張に、
中国人ネットユーザーらは抱腹絶倒のようだ」
と論じました。

記事は中国ネット上の声として、
「世界すべてが韓国のものなのに、
いまさらゴミ拾いが何だって言うんだ?」
という意見を紹介。
さらに
「韓国ははやくゴミ拾いも世界文化遺産への登録に申請すべき」
という声があると伝えました。

実際、中国版ツィッターは
「試合後のごみ拾い」韓国起源説に大ブーイングで、
下のような書き込みがあふれています。

「日本の美徳パクるな」
「ごみまで自分たちのものかよ」
「韓国にも日本にも行ったことがあるけど、
韓国の街はごみが多く、日本はとてもきれいだった。
他人の良い点を自分のことのように言うのはやめたほうがいい。
誇張好きな民族だ」
「国は小さいのに、面の皮は厚いな」
「こんなことで張り合って、何の意味があるんだ?」
「韓国はほんと、特別な国だよ」
「ここまで恥知らずだとは」
「韓国人は何でも自分のものにする。奇妙な隣国だよ」

しかし、韓国人の体質を最も強く指摘するのが
中国ネットというのも興味深い。


『スクリプターはストリッパーではありません』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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日活映画の黄金時代、
斎藤武市監督の渡り鳥シリーズなどで
スクリプターを務め、
日活がロマンポルノに転換した時も留まって、
神代辰巳藤田敏八根岸吉太郎池田敏春監督らの映画の
現場でスクリプターとして参加した
白鳥あかねさんの聞き書き。

インタビューした高橋俊夫さんの書く

「白鳥あかねさんは、
日活撮影所がもっとも輝いていた時代を体験し、
なおかつ、
世間からは、当初、白眼視されていた
日活ロマンポルノの世界で、
若い、傑出した才能が
一挙に開花していく生々しい現場を
共闘者として目撃した
数少ない映画人である。
そこで私は、
夢の工場であった撮影所の栄枯盛衰の歴史、
そして撮影所システムが崩壊して以後の
日本映画の過酷な現場を知っている
白鳥あかねさんの証言は、
血の通ったアクチュアルな
戦後映画史になるという確信を深め、
あらためてロング・インタビューの形で
本書をまとめたいと思ったのである。
もうひとつは、
つねに映画撮影の現場で
監督の傍らに付き隋い、
すべてのデータを記録、
撮影終了後も、
編集、ダビングを経て、
作品が完成するまでの全行程に関わる
スクリプターという仕事が
等閑視されているのではないかという思いもあった。
白鳥あかねさんが本書に語っているように、
最近まで、スクリプターは
映画のクレジットにも載らないことすらあったのである。
(中略)
本書をきっかけに
映画づくりの過程における、
スクリプターという仕事の重要性に
あらためてスポットが当たることを願っている」

という企画意図が充分に現れた本だ。

じつは、私の映画遍歴の始まりは、
東映のチャンバラ映画
小学生でそれは卒業し、
次は日活のアクション映画
それは中学で卒業し、
以降、洋画の世界にひたることになる。
そういう日活が石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治らの「ダイヤモンドライン」のローテーション興業をしていた時期を知っている者としては、
大変興味深く読んだ。
ただし、私は裕次郎派で、
主に舛田利雄中平康らの監督作品を観ており、
小林旭を毛嫌いしていたから、
「渡り鳥シリーズ」の斎藤武市監督に付いていた
白鳥さんのスクリプター作品はあまり観ていない。
増して、日活ロマンポルノとは没交渉だったから、
益々白鳥さんの作品に触れる機会は少なかった。

それはさておき、
スクリプターという仕事、
現場の物の置き場所、衣裳、髪形などを
つながりよく記録するだけの仕事かと思っていたら、
編集、ダビングまで関わる重要な仕事だということを
改めて知らされた。
時には監督の相談役にもなるという。
斎藤監督に白鳥さんが言われた言葉として、
「シナリオの分かるスクリプターにならなきゃダメ。
大切なのは監督の片腕になること」
と書かれているが、
なるほど、そういうものか、と得心した。

こういう書物は
構えて書いても駄目なので、
聞き書きという形が最もふさわしいが、
対談相手の高崎さんが大変聞き上手で、
うまく白鳥さんから話を引き出している。
各監督の人となり、
役者の個性など
ほーっ、そうだったのか、
という話が満載だ。

ロマンポルノとそれまでの日活の一般作品との違いは、
と聞かれて、

「一番違うのは
ロマンポルノはオール・アフレコ、
つまり現場での録音がなかったことですよ。
それまでの日活映画はシンクロで
必ずカメラと一緒にマイクがあるわけだけど、
音があるとその分、
時間がかかるんです。
ロマンポルノでは
録音部の人件費、機材、時間をカットして、
絵だけを撮る。
そして後から音をつける。
そこが大きかったですね」


という答も興味深い。

日活を退社後、
フリーランスのスクリプターとして、
様々な新人監督と一緒に仕事をし、
「こんな撮影方法もあるのか」
と驚くところも面白い。
やがて、異業種交流が起こり、
撮影所も助監督の経験もない人が監督に進出し、
そこで起こる様々な事件も興味を引く。

しかし、最近の映画の現場では、
予算不足のためにスクリプターがいないことが多いという。

「スクリプターが『贅沢品』がという考え方になってょるということ。
昔の、撮影と録音が別々の映画の現場では、
スクリプターは絶対にいなければならないと思われていたのに、
今はビデオの発達で、
映像も音も同時に入ってしまう。
それから何か心配なことがあれば、
すぐに再生してその場で見られるということが大きいですね。
フィルムの場合は
現像しない限り、ぜったいに見られない。
だからそこに責任のもてるスクリプターが必要だったんです。
でも、どうしてもお金がない場合、
節約のためにスクリプターをつけないケースもあるわけです」

白鳥さんはスクリプターを引退後、
スクリプター協会を設立し、
いくつかの映画祭の創設に参加しているが、
KAWASAKIしんゆり映画祭を始めて何回目かの時、
駅前に出来たシネコンのワーナー・マイカルに交渉した時のことも興味深い。

「そこで、駄目だろうと思いながら、
映画祭に会場を使わせてくれないか
とお願いしたら、
二つ返事で、
どうぞどうぞと言ってくれたんです。
ワーナー・マイカルの人は、
『われわれは本社から
市民の役にたつことは
なんでもしなさいと
命令を受けていますから』と言うんです。
これにはびっくりしましたね。
日本のようなセクト主義がまったくなくて、
社会に開かれた映画館なんですね」

なお、題名は
「スクリプター」と「ストリッパー」が似ているから
間違えられた、
という話かと思ったら、違った。
片桐夕子主演の「濡れた欲情 特出し21人」の撮影で
信州の上山田温泉のロック座の支店を借りた際、
ストリッパーのお姐さんたちのお世話になり、
撮影終了後の打ち上げの際、
感謝のしるしにと、
スタッフが裸踊りをしてストリッパーのお姐さんたちが
涙を流して喜んでいるのを見て、
白鳥さんが上半身裸になって踊り、
全部脱いじゃおうかと思ったら、
スタッフに止められた。
意気揚々と撮影所に帰ったら、
師匠の秋山みよさんに呼ばれて、
「あかねさん、
スクリプターはストリッパーではありません」
と叱られた挿話による。
撮影所に白鳥さんが脱いだという噂が
パーッと伝わっていたらしい。

その秋山みよさんについて、
白鳥さんは「あとがき」で次のように書く。

「映画人生をスタートさせた
新藤兼人監督の『狼』から
今年はおよそ60年目になります。
その年右も左もわからず日活撮影所にとび込んだ私でしたが、
師匠の秋山みよさんから
『スクリプターは、
ただの書き屋になってはいけません。
演出を理解しなければ、
立派なスクリプターにはなれません』と、
書く事よりも、
先ず演出を理解する事を
徹底的に叩き込まれた経験が、
その後の私の映画人生の源流となっているのは、
紛れもない事実です」

日本の映画史を
現場の目から描いた貴重な本である。


『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』  映画関係

〔映画紹介〕

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これはこれは、の拾い物。
1963年11月22日の
ダラスでのケネディ大統領銃撃事件を追う、
この事件にかかわった何人かの人に焦点を当てて描く群像ドラマ

たとえば、
ケネデイの体が運び込まれ、

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治療に当たることになった 
題名の由来パークランド病院(テキサス大学医学部付属病院)の
ジム・カリコ医師とドリス・ネルソン看護婦

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頭を撃たれている絶望的な状況ながら
心臓が動いているというだけで施される
誰の目にも甲斐のない治療。
ケネディの主治医は一目見て治療室を後にする。
心臓マッサージを続けるカリコ医師に
「もういい」と声をかける大統領側近。
ジャクリーヌ夫人が事件現場で拾い集めた
ケネディの脳味噌と頭蓋骨のかけらを渡される看護婦。

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ここでの病院の描写は迫真力があふれる。
犯人とされるオズワルドが銃撃された後、
運び込まれた病院がパークランド病院で、
同じ医師、看護婦が治療に当たるのも皮肉が効いている。

8ミリカメラで大統領のパレードを撮影中、事件に遭遇、
その貴重な記録フィルム「ザプルーダー・フィルム」で
歴史に名前を残すことになった
エイブラハム・ ザプルーダー

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事件後、シークレット・サービスからフィルムの提供を求められ、
急遽現像。
その映像を初めて観た時のザプルーダーの驚き。
この時の描写はザプルーターの眼鏡に映る映像で示すなど
演出も優れる。
この際、シークレット・サービスはフィルムを召し上げるのではなく、
あくまで所有者としてのザプルーターの立場を尊重する。
「LIFE」に映像の公開を許すザプルーダーは、
狙撃された瞬間の掲載に難色を示す。
「これは大統領の尊厳に関わる問題だ」と。
しかし、あんなに早く現像が行われていたことは驚きだ。

今まで誰一人として死者を出したことのないのが誇りだったのに、
大統領の暗殺という
取り返しのつかない汚点を残してしまったことに苦しむ
シークレット・ サービスのフォレスト・ ソレルズ警護官

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オズワルドが10日前に訪れていたことが明らかになり、
「暗殺は阻止できたはずだ」と
上司からこっぴどい叱責を受けるFBIの職員

リー・ ハーヴェイ・ オズワルド逮捕の放送を会社で聞き、
驚くハーヴェイの兄、ロバート・ エドワード・ リー・ オズワルドJr.
あの時期に兄弟の面会が実現していたとは。

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「名前を変えて生きろ」と示唆されるが、
ついに名前を変えずに生きたという。
「息子はアメリカの秘密工作員だった。
ケネディと同じアーリントン墓地に埋葬させよ」
と求めるオズワルドの母も興味津々の人物。

事件から4日後、
ケネディの葬儀が行われている同じ時間に
オズワルドの埋葬が行われる。
全ての教会から断られ、
棺の運搬を新聞記者らに頼まなければならないような状況下での埋葬。
そして、一方では、
FBIは不祥事を隠すため、
担当者にオズワルド関係の書類の焼却を命ずる。

次期大統領になるジョンソンが
頭を押さえられて
病院の資料室のような所に閉じ込められたことや
ケネディの遺体を運び出そうとした時、
テキサス州の監察官との間で一悶着あったことや
エアフォースワンに遺体を置く場所がなく、
座席を取り外したり、
壁をノコギリで切ったりといったことがあったことは、
初めて知った。

20世紀最大の事件の一つケネディ暗殺を
複数の視点で描こうとするこの作品、
歴史秘録が好きな人にはたまらない一篇。

5段階評価の「4」

予告編は、↓をクリック

http://www.youtube.com/watch?v=oKxD2eRvtZA&feature=player _embedded

ザプルーダー・フィルムは、↓をクリック。

http://www.youtube.com/watch?v=gGq7ryguHVM&feature=player _embedded         

私がこの暗殺現場を訪れた時のブログは、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20120925/archive

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集団的自衛権  政治関係

政府は1日午後、
首相官邸で臨時閣議を開き、
集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定した。

これでようやく
「保有すれども行使できず」
という、
外国から見れば不思議千万な状態を回避して、
「普通の国」に一歩近づいたといえよう。

もともと
国際法上も国連憲章上も認められている
集団的自衛権を
「保有すれども行使できず」
というのは、
内閣法制局「解釈」
国会で決議したわけでも
国民投票にかけられたわけでもない。
選挙の争点にさえなっていない。
政府の一部署の解釈が大手を振ってまかり通っていたのだ。

国際状況が変化する中、
このような解釈が通用する時代はとうに終わっている。

北朝鮮中国という、
危険きわまりない隣人がいる中、
日本がまだ平和を謳歌していられるのは、
日米安保条約の存在だ。
実際、アメリカがいなければ、
日本はどうなっているか分からない。
アメリカが動かないと分かれば、
中国は尖閣諸島の実効支配に乗り出すだろう。
その兆候は、
東シナ海でのフィリピンやベトナムとの軋轢を見れば明らかだ。
中国が経済的に力をつけ、
領土的野心を隠さなくなっている状況は危険だ。

政治・外交の最大の要件は、
戦争を起こさないことだという。
日米安保の強化こそが、
北朝鮮や中国の脅威から日本を守り、
戦争を起こさないことになることは
火を見るより明らかだ。

しかし、朝日新聞や東京新聞は
「戦争への道だ」と
別な解釈をし、
狂ったように反対キャンペーンを行っている。

1960年、
日本は日米安保の改訂で大荒れに荒れていた。
国会をデモ隊が取り巻き、
「革命前夜」にさえ見えた。
その時の新聞の論調も
「日米安保は戦争への一里塚」
というものだった。
それから50年以上経って、
日米安保の果たした平和への役割は明白だ。
今、朝日や東京の論調を見ると、
安保で荒れた1960年を思い出す。

この間、このブログでも集団的自衛権については触れなかった。
それは朝日や東京の「神学論争」にうんざりしていたからだ。
ああした感情的な
一昔前の、机上の空論の、
平和ボケのメンタリティーへのお付き合いはごめんこうむりたい。

日本はアメリカに守られて発展した。
今、アメリカが弱体化し、
日本の助力が必要となった際、
日本が「いやあ、いろいろ制約がありましてねえ」
と行動をしなかったら、
アメリカは失望するだろう。
その時、米国国民は日米安保の破棄に向かうかもしれない。

日米安保を堅持する以上、
集団的自衛権の強化は当然だ。
それが平和に繋がる。
それがいやだというなら、
次の選挙で頑張って議席を獲得し、
「解釈」を変更すればいい。

安倍晋三首相は閣議決定を受けて記者会見し、
集団的自衛権の行使容認の狙いについて
「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく」
と説明。
日米同盟が強化され、抑止力が高まるとして
「戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」
と述べた。
自衛権発動の要件緩和も、
「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」で、
国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある場合」は
自衛権を発動できるとした。
他に適当な手段がないことと、
必要最小限度の実力行使にとどめることとした要件は維持した。

随分制約が多いと思うが、
公明党の同意など、
様々な条件が重なったからだろう。
これが現時点の限界か。

中国はいろいろ言っているが、
日本が軍国主義になることなど有り得ない。
というより、
軍部の力が大きく、
防衛費の拡大の度合いが突出している国から言われたくない。

今まで歴代の内閣が手をつけられず、
先送りにしていた問題に着手した安倍さんは
本当に日本の先のことを考えていると思う。
これからの法整備においても
様々な「神学論争」に見舞われて、
うんざりすることもあるだろうが、
心を折らず、毅然として、
がんばってもらいたい。





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