ロンドン旅行記E ストラトフォード・アポン・エイヴォン  旅行関係

ロンドン4日目は、
またツァーに参加
ストラトフォード・アポン・エイヴォン、
コッツウォルズ、オックスフォードを回るツァーです。

ところが、この日、ツァー参加の日本人は私一人
国際色豊かなバスの中の個別イヤホン機能を使って、
日本人ガイドの説明を独占です。

ストーンヘンジの時もそうでしたが、
ガイドは英国在住の60歳がらみのご婦人。
英国では、この年代の日本人婦人の仕事として定着しているようです。

で、↓のような景色を見ながら、

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イヤホンでガイドの説明に耳を傾けるわけですが、
ストラトフォードへの3時間の間、
このガイドさん、しゃべりっぱなし
英国の歴史から風俗、自然、植物、王室の話題に至るまで、
ずっと説明してくれます。

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ここのところ東南アジアのおざなりのガイドに慣れていましたので、
ちょっと驚きました。
それだけ話す内容を持っているわけで、
博学、博識。
よくたった一人を相手に熱心に説明してくれたものです。

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ガイドさんの話を聞いている間に、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンに着きました。

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長い名前のこの町、
意味は「エイヴォン川のほとりのストラトフォード」。
なら「ストラトフォード」でいいのではないかと思いますが、
伝統的にそういう名称です。

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ここの町が世界的に有名なのは、
シェイクスピアが生まれ、没した町であるということ。
↓の垂れ幕には、
「シェイクスピア生誕の地」と書いてあります。

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その通りには、

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シェイクスピアの生まれた家があり、

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シェイクスピア・センターが隣設。

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家には、ここから入ります。

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ここでシェイクスピアの生涯と
その活躍した時代についての展示を見学します。

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私のために日本語版映像ショーをしてくれました。

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こんな展示の後、

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「ファースト・フォリオ」の展示。

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ファースト・フォリオ (First Folio) は、
シェイクスピアの戯曲をまとめて出版した最初の作品集
シェイクスピアの死から7年後の1623年、
同僚のジョン・ヘミングスとヘンリー・コンデルが、
当時知られていたシェイクスピアの戯曲37編のうち
「ペリクリーズ」を除く36篇をまとめて出版したもの。
フォリオとは二折り判、
つまり全紙に対して一度だけ折り、二葉で4頁とする判のことです。

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その後の研究で、
シェイクスピアの戯曲とされているのは、
合作を含め、
次の39篇とするのが定説のようです。(異説あり)

悲劇
ロミオとジュリエット マクベス リア王 ハムレット オセロー 
タイタス・アンドロニカス ジュリアス・シーザー
アントニーとクレオパトラ コリオレイナス
トロイラスとクレシダ アテネのタイモン

喜劇
夏の夜の夢 終わりよければ全てよし お気に召すまま シンベリン
恋の骨折り損 尺には尺を ヴェニスの商人 ウィンザーの陽気な女房たち
空騒ぎ ペリクリーズ じゃじゃ馬ならし 間違いの喜劇 テンペスト
十二夜 ヴェローナの二紳士 二人の貴公子 冬物語

史劇
エドワード三世 ジョン王 リチャード二世 ヘンリー四世 第1部
ヘンリー四世 第2部 ヘンリー五世 ヘンリー六世 第1部
ヘンリー六世 第2部 ヘンリー六世 第3部 リチャード三世 ヘンリー八世

↓は36篇のレリーフ。

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↓は39篇の壁画。

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ストラトフォード・アポン・エイヴォン市街。

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シェイクスピアの家系。
3人の子どもをもうけましたが、
既に家系は絶えています。

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奥さんの名前がアン・ハサウェイだとは知らなかった。
女優のアン・ハサウェイ↓とは、別人。

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結婚したのは、ウィリアム18歳、
アン26歳の時。
8歳年上の姉さん女房でした。

いよいよシェイクスピアの生家に入ります。

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わくわく、どきどき。

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家の透視図。

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居間。家族の触れ合いの場。

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織物のかかったベッドの複製は、
16世紀のオリジナルを再現したものです。

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食堂。

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壁にかけられているのは、
聖書にある「放蕩息子の帰還」を描いた
タペストリーの複製。

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父親の仕事場。

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父は、手袋職人でした。

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羊・鹿・子やぎなどの獣革から高級白革製品を作り、販売していました。

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そのため裕福で、
市長を務めるほどの人物でした。

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ボランティアの方で日本人の方がいたので、
「シェイクスピアが劇作で才能を発揮するのは、
親戚などにそういう素養のある人がいたのか。
あるいは、
影響を与える人物がいたのか」
と質問したのですが、
答えはいただけませんでした。

実際、そういう人物はいないようで、
シェイクスピアは
1585年までにロンドンに進出し、
1592年には新進の劇作家として活躍しました。
1613年頃に引退するまでの間に
39の戯曲とソネットを残しました。

結婚後、ロンドンの劇壇で名を現わすまでの
数年間に関するその他の記録はほとんど現存しておらず、
1585年から1592年までの7年間は、
どこで何をしていたのか、
なぜストラトフォードからロンドンへ移ったのか
などといった行状が一切不明となっているため、
「失われた年月」 (The Lost Years) と呼ばれています。

著作の背景になる歴史的素養をどこで身につけたか、
など謎が多く、
本当は別人が書いたのではないか、
との「シェイクスピア別人説」があります。
その一つがローランド・エメリッヒ 監督
「もうひとりのシェイクスピア」(2011)で、
ここでは、
第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアを
本当の作者としています。

この方はボランティアの役者さん。

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せっかくなので、
チップを払って、
「ハムレット」の独白、
「To be , or not to be」のくだりをやってもらいました。
まさかシェイクスピアの生家で
このセリフが聞けるとは。

ところでこのセリフ、
最初の日本語訳は、
「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」だったそうです。
その後、
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
が定着しますが、
最近では、
「このままでいいのか、いけないのか」
という訳も主流になりつつあります。
中には、大阪弁で、
「やったろか〜、あかんか〜、ほな〜、どないしょ〜」
というのもあるそうです。

2階の部屋は、主に寝室として使われていました。

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ここの窓ガラスには、

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19世紀の来訪者たちが
名前を刻んだ窓ガラスがあります。

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ここがシェイクスピア「誕生の間」

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1564年4月23日のことですから、
今年は生誕450年

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亡くなったのは
1616年4月23日ですから、
再来年、没後400年を迎えます。

なお、誕生日と死亡日が同じですが、
誕生の正確な記録はなく、
教会には、4月26日に幼児洗礼をほどこした記録があります。
当時、洗礼式は生誕後3日以内に行なうのが当時の通例であったため、
伝統的に誕生日は4月23日とされてきたわけで、
歴史的な証拠にもとづいているわけではありません。

引退してストラトフォードに帰って3年後に
シェイクスピアが亡くなったのは52歳の時でした。
死因は腐ったニシンから伝染した感染症であるといいます。
49歳での引退、
52歳の逝去は随分早いですね。
劇作家としては円熟を迎える時期に何があったのか、
興味は尽きません。

町を散策。

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エイヴォン川には、

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白鳥たちが遊んでいます。

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生存競争も。

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ここには、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー

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本拠地があります。

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考えてみれば、
私の人生で初めてシェイクスピアに触れたのは、
小学生の時、故郷の韮山高校の学園祭の
演劇部の公演。
「リア王」でした。
今考えれば、勝手に改作した内容だったのですが、
リア王の狂乱の場での照明効果に驚いた記憶があります。

それから東京に出て、
俳優座の「ハムレット」を観た記憶がありますが、
衝撃だったのは、
日生劇場で観た
蜷川幸雄演出による「リア王」
市川染五郎(当時)がリア王をやりました。
これは冒頭から終幕まで
暴力的なパワーあふれ、
狂乱の場でリアが前向きに倒れるや否や、
背景が左右に開く効果に息を飲んだものです。

それから後は蜷川演出の虜になり、
必然的にシェイクスピアにも取りつかれることになります。

そんなわけで、
一度は訪れたかったこの町、

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来てよかった。





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