ミャンマー旅行記E 旅行関係
メナンドゥ村を後にして、
再びパゴダ地区に。

名も無い

番号だけの

パゴダを眺めながら、

着いたのがダマヤンジー寺院。

バガンで最大のレンガによる構築物。

1170年、ナラトゥ王により建立されました。

ナラトゥ王は
王位に就くために、
父と兄と王妃を殺した残酷な王として知られています。

その贖罪のために寺院を建設しますが、
王自身も暗殺されてしまいます。

そのため、
建設途中の寺院がそのまま残されてしまい、

寝釈迦像がポツンと取り残されて置かれていたといいます。

夜には亡霊が出ると噂されています。

珍しい双子の仏陀像。

石工の技術は素晴らしく、
レンガの間にセメントがほとんど見られません。
きっちりと積み重ねてあって、
レンガとレンガの間には
針の入る隙間もありません。
遠くから見ると、
ピラミッドのようです。

ここは、スラマニ寺院。

構内で売られていた木彫りの像。

木には鳥の巣が。

ナラパテシツゥ王(1174〜1211)により建立。

レンガの代わりに
角の石柱が用いられています。

赤く塗られた仏像が東西南北に安置されています。




ここは奇跡的に残ったフレスコ画が有名。






ここは、僧院。

バガンでは珍しい

木造の建物。

チーク材が使われています。

木造なだけに、老朽化が激しい。

ノルウェーのスターヴ教会に似ています。




この方たちは、僧院に泊まる人々。




ターラバー門。

ピンビャ王により
849年に城が築城された時、
城壁には12の門がありましたが、
残っているのは、この門だけ。


雨期には、堀に水が貯まります。

門の左右には、

兄妹のナッツ神が祀られています。

宮殿の跡で残っているのは、ここだけ。

エーヤワディ川の川岸。

そこへ続く道。

エーヤワディ川は、
古くからミャンマーの中心的な輸送手段でした。

この舟に乗って、

サンセットクルーズ。


このようなモーターとプロペラで

いざ出発。

川で洗い物をする人たち。

大きな船や

小さな舟が

川に浮かびます。


岸には遠くパゴダが見えます。



サンセットが始まりました。









ライトアップされたパゴダ。

夕食は、ここで。


こんなものが上映されていて驚きました。

ラスベガスのセリーヌ・ディオンのショーのDVD。

著作権はどうなっているのか。
多分、無断上映でしょう。
食事の間、

人形劇が

上演されています。

続いてダンス。

象のダンス。

前奏がかかっただけで、
欧米の客がどよめきました。
曲は、サイの「カンナム・スタイル」
「上をむいて歩こう」の演奏に続いて、
↓のダンスでかかったのが、

何と「お座敷小唄」。
「富士の高値に降る雪も
京都先斗町に降る雪も〜」
というやつ。
50年も前の曲で、
もはや日本では誰も歌う人はいないのに、
ミャンマーで生き延びていたとは。
それにしても、
著作権はどうなっているのでしょう。
「お座敷小唄」を聴きたい方は、↓をクリック。
http://www.youtube.com/watch?v=Ww6ZnO545gU&feature=player_embedded

↓は、剣の舞い。

民族舞踊と言えるものは、これだけ。

女の子たちの踊りは低レベル。

ここうして、
「お座敷小唄」のメロディーと共に、
バガンの夜は更けて行きました。
再びパゴダ地区に。

名も無い

番号だけの

パゴダを眺めながら、

着いたのがダマヤンジー寺院。

バガンで最大のレンガによる構築物。

1170年、ナラトゥ王により建立されました。

ナラトゥ王は
王位に就くために、
父と兄と王妃を殺した残酷な王として知られています。

その贖罪のために寺院を建設しますが、
王自身も暗殺されてしまいます。

そのため、
建設途中の寺院がそのまま残されてしまい、

寝釈迦像がポツンと取り残されて置かれていたといいます。

夜には亡霊が出ると噂されています。

珍しい双子の仏陀像。

石工の技術は素晴らしく、
レンガの間にセメントがほとんど見られません。
きっちりと積み重ねてあって、
レンガとレンガの間には
針の入る隙間もありません。
遠くから見ると、
ピラミッドのようです。

ここは、スラマニ寺院。

構内で売られていた木彫りの像。

木には鳥の巣が。

ナラパテシツゥ王(1174〜1211)により建立。

レンガの代わりに
角の石柱が用いられています。

赤く塗られた仏像が東西南北に安置されています。




ここは奇跡的に残ったフレスコ画が有名。






ここは、僧院。

バガンでは珍しい

木造の建物。

チーク材が使われています。

木造なだけに、老朽化が激しい。

ノルウェーのスターヴ教会に似ています。




この方たちは、僧院に泊まる人々。




ターラバー門。

ピンビャ王により
849年に城が築城された時、
城壁には12の門がありましたが、
残っているのは、この門だけ。


雨期には、堀に水が貯まります。

門の左右には、

兄妹のナッツ神が祀られています。

宮殿の跡で残っているのは、ここだけ。

エーヤワディ川の川岸。

そこへ続く道。

エーヤワディ川は、
古くからミャンマーの中心的な輸送手段でした。

この舟に乗って、

サンセットクルーズ。


このようなモーターとプロペラで

いざ出発。

川で洗い物をする人たち。

大きな船や

小さな舟が

川に浮かびます。


岸には遠くパゴダが見えます。



サンセットが始まりました。









ライトアップされたパゴダ。

夕食は、ここで。


こんなものが上映されていて驚きました。

ラスベガスのセリーヌ・ディオンのショーのDVD。

著作権はどうなっているのか。
多分、無断上映でしょう。
食事の間、

人形劇が

上演されています。

続いてダンス。

象のダンス。

前奏がかかっただけで、
欧米の客がどよめきました。
曲は、サイの「カンナム・スタイル」
「上をむいて歩こう」の演奏に続いて、
↓のダンスでかかったのが、

何と「お座敷小唄」。
「富士の高値に降る雪も
京都先斗町に降る雪も〜」
というやつ。
50年も前の曲で、
もはや日本では誰も歌う人はいないのに、
ミャンマーで生き延びていたとは。
それにしても、
著作権はどうなっているのでしょう。
「お座敷小唄」を聴きたい方は、↓をクリック。
http://www.youtube.com/watch?v=Ww6ZnO545gU&feature=player_embedded

↓は、剣の舞い。

民族舞踊と言えるものは、これだけ。

女の子たちの踊りは低レベル。

ここうして、
「お座敷小唄」のメロディーと共に、
バガンの夜は更けて行きました。