『狼・さそり・大地の牙』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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門田隆将「狼の牙を折れ」と同様、
昭和49年(1974年)に起きた
連続企業爆破事件に関するドキュメント。
「狼の牙を抜け」が総合的な立場で描いているのに対し、
報道側からの記録。
筆者は当時の産経新聞社会部次長兼警視庁キャップだった
福井惇(ふくい・あつし)氏。

当時、この事件の報道では、
産経新聞が一頭抜けていたのを思い出す。
そして、最後に
早朝の逮捕の事前報道、
逮捕現場の写真撮影成功へとつながる。

そこに至るまでの記者の地道な取材、
捜査陣との信頼関係の構築には
本当に頭が下がる。
その結果、
逮捕決行日の確実な情報がもたらされる。

私たちはやきもきして時間を過ごした。
私は、斎藤の情報源にかなりの信頼を置いていた。
だからこそ、斎藤の引き出してくる情報に、
このスクープを賭けるつもりでいたのだ。
しかし、その肝腎の斎藤とディープ・スロートとが、
連絡をとれているのかいないのかが分からない。
何時間も待機していたという気がするのだが、
実はたかだか一時間ほどだった。
斎藤から電話が入った。
別の経路からディープ・スロートと連絡がとれたという。
「明日、決行ということです」
他の記者にも連絡をとった。
すると、山崎征二、広瀬勝弘の夜回り先でも、
三人の刑事が帰宅していないという。
「これで決まりだな、明日、間違いなし!」

他紙を出し抜いて報道はしたものの、
逮捕が実施されなければ、
「世紀の誤報」になってしまう。
なにより、犯人の逃走を許し、
それどころか自爆して市民に被害が及びかねない
ぎりぎりのところでの報道の決断であるだけに、
慎重が慎重を呼ぶ。

なお、「ディープ・スロート」とは、
ニクソンのウォーター・ゲート事件(1972〜74年)の際、
ワシントン・ポストの記者に情報を流した
政府高官のことで、
タイムスの記者はこの人物を「ディープ・スロート」と呼んだ。
元々は当時ヒットしていた
ポルノ映画の題名で、
後々、この名称は転じて、
「活動先の組織において要職に就き重要情報を漏洩させる人物」を意味する、
「内部情報提供者」の代名詞となった。
「ディープ・スロート」は謎の人物とされていたが、
その正体は、当時FBI副長官であった
マーク・フェルトだったことが、
2005年、本人によって明らかにされた。

門田隆将の「狼の牙を折れ」の方が臨場感があるが、
この本は、後半、犯人たちの軌跡を追うことに力点を置く。
当時の過激派が「ごく普通の、真面目な人間」であったのが、
論理的に自分を追いつめ、
無差別に死傷者が出てもよい
爆弾闘争に収斂していく過程が描かれている。
特に、当時の過激派の浮世離れした論理が目に付く。
たとえば、犯人の一人、黒川芳正の書いた論文は、
次のとおり。

この論文は数多くの思想書、哲学書を引用しつつ、
「敵」について論述している。
彼のいう「敵」とは
「見えざる死臭に満ちている社会」であり、
その「敵」を撃つための「動機」とは
「骨肉化した思想性であり、
心の奥のわだかまった怨みつらみなのだ」と綴る。
そして、自分の闘争は
「新旧既成左翼の思考様式を拒否することからはじめる」とし、
連合赤軍や朝霞駐屯地の自衛官殺しの黒幕とも言われ、
「京大パルチザン」を結成した滝田修や
中核派などの新左翼のセクトを激しく批判している。
「マルクス・レーニンのいう
資本主義から社会主義への移行は
歴史的必然などというのは観念論だ」と。

ほとんど寝言である。
しかし、当時の過激派の持つ思考方法は、
多少の懐かしさも含んで伝わって来る。

片岡利明の獄中からの声明文。

「私たち日本の人民は、
帝国主義と闘う武装闘争によってのみ、
その加害者性を克服することが出来る。(中略)
当時の我々が、
このように、
自分たちの加害者性を自覚したのは
正しいことであったが、
その自覚から一直線に武装闘争につき進んだのは、
あまりにも短絡的であった。
なぜなら、
表現の自由など
基本的人権がまがりなりにも保障された
現在の日本で武装闘争を行うことは、
加害者性の克服になるどころか、
日本の人民に対する意識的な加害者となることにほかならないからである。(中略)
よくよく考えてみれば、
このような結果になることは
初めから判りきっていたのに、
なぜ我々はそのことに気がつかなかったのか?(中略)
逮捕後の我々は
思想的に分極し、
私自身は結局共産主義と決別した。
現在の私は民主社会主義者であり、
合法的で非暴力の手段によって
社会の進歩を追求する
斬進的改良主義者である」

これも寝言だが、
一般市民を巻き添えにしたことに対する反省が滲み出ているだけ許せる。
この声明発表時、片岡は47歳。
犯行当時は26歳。
このような反省を述べるまでに
21年の歳月が必要だったのである。

本書は、統一公判を求めての出廷拒否など、
法廷闘争にも触れる。
人定質問に対して、
各自はこう答える。
「東アジア反日武装戦線兵士、以下は答えません。
我々は刑事被告人ではない。
日本国に裁判する権利はない」
裁判に至っても寝言を繰り返して迷惑をかけ、
しかもそれを支援するグループがいる。

東京地裁の荒れる法廷の片隅で、
新聞記者が
娘を亡くした遺族の一人を取り囲んだときのことだ。
その男性は、こう言った。
「記者さん、これ以上、
私に聞くのはやめてくれ。
奴らが死刑になっても
娘は永遠に我が家には帰ってこないんだ」
また、最高裁判決の日、
「死刑反対」を叫んで群がる支援者たちを
遠巻きに見つめる遺族たちの一人、
爆発によって亡くなった三菱重工社員の弟が、
産経の記者にこう語っている。
「毎月の墓参りと供養は欠かしません。
兄を弔うことが人生の大きな部分を
占めるようになった。
あれほど悲しんでいた母親も
十三年前に死んだ。
なぜ死刑囚が生き続け、
被害者の遺族が先に死ななければいけないのか」
被害者、遺族らは
被告側からの補償金を一切受け取っていない。

土田邸爆破事件で夫人を亡くした
土田國保警視総監について、
次のような挿話も紹介されている。
事件後、2年3カ月後のこと、
土田氏は部下の佐々淳行氏らと香港に立ち寄った。

土田は警察に入ってから
ずっと東京での勤務だったが、
唯一、東京を離れたのが
この香港領事を務めた3年間であった。
それは、まだ30代のころ、
若き民子夫人との思い出の地でもあった。
領事館近くを通りかかったとき、
土田が佐々たちに
「君ら、少し遠慮してくれ」と告げる。
佐々らが離れていくと、
土田は突然に泣きはじめたのだという。
号泣であった。
夫人の葬儀でも涙を見せなかった男が、
異国の想い出の地で
万感の思いを溢れさせたのだろう。
遺族の抱える痛みは、
いつまでも消えることがない。

最後に、本書は、記者の心意気について触れる。
当時、産経新聞の待遇はテレビ局や他紙に比べて悪かった。

それでも愚痴一つ言わず、
取材に明け暮れていたのは、
当時の記者が「特ダネ」という、
本当にささやかな栄誉を目指していたからだろう。
私のいう特ダネとは、
何も他社より早く報道できたという時間の差だけではない。
小さな事件、誰もが見知っている事件の中に潜む
「時代の病巣」を捉えられるかどうかにもかかっている。
だからこそ、
警察の捜査を追うだけでなく、
自ら捜査を目と足でチェックしていかねばならないのだ。
自分が現場を歩き、
被害者や遺族の悲痛な声を聞き、
卑劣な犯人を警察より先に追い込んでみせるという
気迫や執念がなければ
特ダネを物にすることはできない。
しかし、スクープを勝ちとったからといって、
記者としての暮らしが変わるわけではない。
昨日と同じように今日も歩き回り、
今日と同じように明日も走り回る。
それだけである。
大先輩、司馬遼太郎が称えた
「無償の功名主義」
とは言い得て妙である。


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http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20140203/archive






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