取り違え事件と『ニッチを探して』  書籍関係

昨日、一斉に報道された、
取り違え事件

クリックすると元のサイズで表示します

「そして父になる」や
「もうひとりの息子」が公開されている中、
まさに「事実は小説より奇なり」
地で行く話です。
片方が裕福で、
片方が母子家庭で苦労した、
という対照的な家族であったことが
ひときわ劇的要素を加えています。

私は子供時代、
自分は実はこの家の子供じゃなくて、
いつか本当の親が現れるのではないかと
夢想したことがあります。
ある日、高級車がお迎えに来て、
連れて行かれた所はものすごい豪邸。
事情があって
赤ん坊の時に預けられていたのを
改めてこの家の遺産相続者として迎えたいといます。

その想像の中で、
私は、そのまま受け入れていいものだろうか、と悩みました。
今まで育ててくれた父母をあっさり捨てていいのだろうか。
金持ちとしての生活を断って、
貧しくても暖かい元の家庭を選ぶべきではないか。

悩むだけ無駄で、
現実にはそんなことは起こりませんでした。(笑)

私は父母に似ておらず、
3人いる姉とも似ていない。
子供の頃、
近所の悪いおじさんたちに、
「あんたは反射炉に行く途中の橋の下で拾われたんだよ」
などとからかわれました。
そのおじさんたちによると、
三姉は横須賀の海で、
ワカメにくるまって流れて来たのだそうです。
全く悪いおじさんたちで、
子供心にどれだけ傷ついたことか。

そんなことやあんなことが
実は自分には別な人生があった、と
そんな想像をさせたのかもしれませんが、
長じるに従い、
父と母から性格的なものは
しっかり両方から受け継ぎ、
老年になってから
昔の父の写真に段々似て来たことから、
間違いなく父母の子だと認識しました。

ちなみに、
私の娘は私にも妻にも似ていません。
しかし、最近、電話の声が妻の声に似てきたこと、
そして、ミュージカルを観に、
海外に一人で行ってしまうところなど、
私とそっくりな行動形式をすることなどで、
間違いなく私たち夫婦の子供であると認識しています。

報道では、
取り違えられて、
貧乏な暮らしを強いられた人の方にばかり注目が集まっていますが、
興味深いのは、
間違えて、裕福な暮らしをしてしまった人の方。
弟三人が「兄とは血が違うのではないか」
と結束して調査に走ったという、
その背景にどんなドラマがあったのか。
60年育った家族から
放逐された長兄の心理はどんなものか。
そちらに興味が湧きます。


〔書籍紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

「ニッチ」(Niche)については、次のような説明がある。

地球上には
生物の多様な生息環境があり、
それぞれの生息に適した場所を占める。
その場所もしくは条件を「ニッチ」と呼ぶ。


本の表紙に犬の姿が描かれているのは、
主人公の飼っていた犬の名前が「ニッチ」であったから。

銀行員の藤原道長が突然失踪する。
ある日、何の前触れもなく帰宅しなかったのだ。
翌朝、妻が会社に電話しても「出勤していない」という。
午後になって支店長から電話があり、
融資資金の振り込み予定が実施されず、
道長が持ち逃げしたおそれがあるという。
その額5億6千万円。
実際はその後の調べで、
決済されていない融資があり、
不明の資金は1億円と分かった。
銀行は返済すれば穏便に終わらせるというが、
警察には届けざるを得ないという。

警察が来て、事情聴取をしていく。
パソコンも押収されそうになった。

パソコンの掲示板には、

妻へ。娘へ。
リセットボタンを押してしまった。
もう後戻りはできない。
いつになるかはわからないが、
必ず戻ってくる。
単身赴任に出かけたと思ってくれ。
追われる身になるかもしれないが、
間違ったことはしていない。
互いに信頼し合わなければ、
家族でいることの意味はない。

という書き込みがあった。

こうして、藤原道長の世間からの「離脱」後の生活を追う。
所持金10万円はすぐになくなり、
まず赤羽に行き、飲み屋を巡る。

何か仕事がしたいという思いが込み上げてくるのが不思議だった。
これは離脱をした者が最初に味わう試練なのかもしれない。
オフィスやデスクのような自分の定位置を失うと、
軽いパニックが起きる。
指先がキーボードを打ちたくて、むずむずする。
何か利潤を生みだす算段をしないと不安になり、
おどおどしてしまう。

お決まりの上野公園に数日留まり、
ホームレスのための炊き出しの列に並ぶ。
馬券も買ってみる。
西の方に向かい、中野の公園に泊まり、更に吉祥寺の先に行く。
つまり、自分のニッチを探して歩くわけで、
なかなか自分の生息地はみつからない。

近頃、町の図書館は老人のニッチになっていると聞く。
雑誌コーナーでは新聞各紙、
週刊誌各誌を読み、
仕切りのあるデスクでは時代小説を読みふけり、
医学書を紐解き、
おのが持病の見識を深めたりする。
ランチタイムには
家から持参した握り飯を外のベンチで食べ、
閲覧室で午睡を取ったりするが、
露骨に寝息を立てて顰蹙を買うのは避ける。
日参するうち、
職員に顔を覚えられてしまうが、
職員は気を利かせ、素知らぬふりをしてくれる。
図書館が休みの月曜日、
彼らは何処に行くのだろう。

廃車に泊まり、児童公園を転々とし、
コンビニの駐車場や駅前、
スーパーの試食などで過ごす。
中学生のオヤジ狩りに遭い、
一文無しになる。
また、不思議な女性に救われたりもする。

様々な時間帯に町を歩き回ってみてわかったのは、
下界に暮らす人々が
実に巧みに
時間のニッチを使い分けていることである。
同じ猛禽類でも、
タカやワシは昼間に活動し、
フクロウやミミズクは夜、活動する。
時間を変えて、
棲み分ける習性や知恵は
人間においてはもっと高度だ。
特に申し合わせたわけでもないのに、
早朝から昼下がり、深夜、未明まで、
人々の活動時間帯は微妙にずれている。

こうして、自らのニッチを探し求めながら、
道長の離脱には、
実はある意図があり、
途中から話がある方向に展開し、
意外な結末を迎えるのだが、
それは読んでのお楽しみ。

本書で、国内の監視カメラの総台数は約400万台に及び、
一人の人間の容貌や身体特徴を入力すると、
監視カメラの画像の中から
その人物の立ち回り先が判明するのだと、
初めて知った。
その捜査の過程で、
監視カメラの映像から
道長の行動が判明したりする。

他に、高度成長をし尽くした日本の行く末に関わる、
次のような記述が気に入った。

もうこれ以上の発展も、進化も、
成長もないと見切ったら、
あとは堕ちてゆくだけである。
問題はその堕ち方だ。
努力空しく、騙され、出し抜かれ、
敗北して、堕ちてゆくくらいなら、
自らすすんで、緩やかに、
フェードアウトしてゆく方が百倍ましである。

「成長神話よ、もう一度」
と願ったところで、
くたびれたオヤジになった日本を
溌剌とした青年に戻すことなどできないし、
神は同じところで二度も奇跡を起こさない。
これからの時代は、
どれだけ上手に没落できるかが問われる。
没落はするが、
破滅はしない。
目指すべきは、
多くの副産物をもたらす、
実り多い没落、
誰もが真似をしたくなるような
魅惑の没落である。






AutoPage最新お知らせ