『さらば八月の大地』  演劇関係

今日は新橋演舞場へ。

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この芝居を観るためです。

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チラシにも写っている
小津安二郎監督愛用
ミッチェル撮影機

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館内に展示されていました。

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開演前の会場。

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芝居の内容は、
チラシで、次のように書かれています。

1944年、
満州映画協会撮影所。
助監督の張凌風(中村勘九郎)と
撮影助手の池田五郎(今井翼)は
厚い友情を築き、
いつか二人で映画を撮ることを夢見ている。
だが、初の主演映画に意気込む
中国人女優陳美雨(檀れい)、
満州の人に喜ばれる映画作りを標榜する
理事長高村國雄(木場勝巳)など、
映画への志を持つ
満映の仲間たちも
次第に戦争の混乱に巻き込まれていく・・・。

見終えた感想は
「昭和だなあ・・・」
という感じ。

日本の敗北が迫っている中、
国策映画を撮る人々。
その中で満州人と日本人の相剋があり、
それを克服しようとする映画への愛があり・・・
そして、終戦。
ソ連軍の侵攻を恐れ、
次々と帰国する人たち。
監督も本土に逃げ帰り、
撮影は一時中断。
その混乱の新京の撮影所で、
新しい映画作りに取り込む中国人たち。

それにしても、
70年前の満州を舞台に
映画への愛を語る
などという企画がよく通ったものです。

ご存じの通り、最近、
ニューヨークで最先端の舞台を観て来た立場では、
日本の芝居作りが
あまりに後ろ向きで停滞しているように感じました。

ニューヨークで観た3本のミュージカルは、
エネルギーが舞台から発散するような仕上がり。
何よりも
新しい、誰も観たことのない舞台を作りたい、
という意欲があふれていました。

ストーリー展開、役者の演技、演出(山田洋次)、
ことごとく既視感があり、
場面転換も
幕を閉めて叙情的音楽を流すだけ。
目の肥えた外人が観たら、どう思うでしょうか。

もっとも、観客席も
昭和の香りただよう様子
でしたから、
これでいいのかもしれませんが。
ただ、この観客層に
12,600円を投下する体力がなくなったら、
どうなるのでしょうか。

日本の演劇の行く先を心配したくなるような舞台でした。

ただ、満映理事長を演じた木場勝巳は、
さすがの演技でした。


さて、夕方からは、
引き続き、
神保町の一ツ橋ホール試写会

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試写会なんて、何年ぶりでしょうか。
作品は↓。

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入口で持ち物検査があります。
どういうことかというと、
盗撮による海賊版の防止。
なにしろ新作ですから、
カメラや録音器材を検査し、
みつかると預かります。
デジカメは常に持ち歩いていますが、
預けるのもいやなので、
ズボンのポケットに入れて通過。
さすがに体に触っての検査はしません。

意外と空いていて、
前に人がいない座席をゲット。

映画は、一味違う竹取物語で、
背景画も人物造形も好感が持てます。
動きもなめらか。
音楽もいい。

と、半分ほど過ぎたところで、
観劇疲れか、猛烈な睡魔に襲われました。
かぐやの名付け披露がなされるあたりで、
場所は、自動車教習所の学習室に移動。
目の前に映し出される映像に
次々と交通標識が現れます。
それを見るのも眠くなり、
教官がやってきて頭に触れられた様子。
映画を観ていて、映画を観、
夢の中で夢を見る感じ。
ようやく講義が終わって、
エレベーターの前に並んだところで
かぐやが幼なじみに会いに行く場面に戻りました。

どうやら30分位寝てしまったらしい。
(後日、映画館で鑑賞し、
確認したところ、
睡眠時間は1時間に及んでいたようです。
もはや居眠りの段階ではない、
爆睡です。)
かぐやが月からの使いが来ることを告げるあたりが
すっぽり抜けてしまいました。
多分ここがキモのはずなのに。

月からの使者の場面も
意表をつく音楽で大変よく、
翁と媼との別れも哀切。

手応えは5段階評価の「4」ですが、
30分も寝てしまっては、
正当な評価とは言い難い。

というわけで、
せっかく試写会で観たのに、
再度映画館で観ることになりました。
やれやれ。







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