『許されざる者』  映画関係

〔映画紹介〕

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クリント・イーストウッド監督、1992年の作品を
「悪人」の李相日監督リメイク
しかも渡辺謙さん主演となれば、
いやがおうにも期待が膨らむ。

たとえ別物だと言っても、
人様の作り上げた作品を
もう一度撮り直そうというのだ。
元の映画と比較されるのは宿命、
それだけの覚悟がリメイクには要求される。
重いプレッシャーがかかるわけだが、
アカデミー賞作品賞・監督賞・助演男優賞・編集賞受賞作の
再映画化となれば、
更に重い重圧にさらされたことだろう。

そのチャンレンジ精神は見上げたものだが、
では、リメイクとして成功しているかというと、
点は辛くならざるを得ない。
なにしろ元となるものは、見事な完成品なのだ。
時代と場所を置き換えただけなら、
リメイクする必要はなく、
元作品以上のプラスを付け加えなければ
観客は納得しない。

そのプラスアルファーはあったか。

時代は明治の初頭。
場所は北海道。
幕府軍の残党狩りが行われ、
開拓民が入植する荒ぶれた大地。

この置き換えはうまくいっている。
最初、馬が走り、雪の中に放置された馬の死体を取り囲むあたり、
映像が見事で期待できる展開。
そして、開拓村での女郎に対する傷害事件から
犯人に懸賞金がかけられ、
その賞金首を巡って、
刀を捨てた十兵衛のもとを
昔の仲間が訪ねて来、
貧困故に再び刀を取る十兵衛が
件の村に向かう。

元作品では、
訪ねて来るのは賞金稼ぎの若造だが、
本作では昔の戦友というところが違う。
若造に当る人物は後でアイヌとして参加して来る。

ここで、主人公の十兵衛に
幕府軍の残党で「人斬り十兵衛」として恐れられた男
という過去がつきまとう。
若造もアイヌだというアイデンティティーが付く。
これは余計ではなかったか。
どうも日本の脚本家は
登場人物の「存在証明」を付けたがる節がある。
この過去と出自の問題は
映画に不要な要素を加えたような気がしてならない。

あとは
元作品通りに展開する。
セリフもかなり重なるから
元作品に対するリスペクトが並でないことは分かる。

ただ、佐藤浩市の戸長(町長)大石一蔵役は少々やりすぎ。
特に最初に出会った十兵衛の顔を
「悪党には目印が必要だ」
と切り刻むが、
あれではただの残虐な異常者だ。
ジーン・ハックマン
「俺がこの町の正義を守る」
という過剰な自負心はうかがえない。

ラストの皆殺しも過剰な展開。

また、十兵衛を変えた女房に対する貞節の念
もっと描いてほしいところ。
元作品は、
十兵衛に当るウィリアムの妻・クローディアの母親が
一人娘がなぜ
酒浸りで残忍な
札付きの悪党と結婚したのか
という疑問の一つのくくりがあり、
妻の与えた影響というのが強調されていた。

顔を傷付けられた女郎・なつめと十兵衛の心の交流も
なつめが父親の姿を十兵衛に重ならせるなど、
原作とは違く、
余分な日本的ウェットさだ。
最後、アイヌの青年となつめが
十兵衛の家に向かうところで、
突然なつめのナレーションが流れて驚いた。
こういう不統一は困る。
このラストの改変が本作の最大の改変ではないか。
元作では、
その後、ウィリアムが西部に行って成功したという噂を流して終わる。
「別な人生」をみつけたというラストだ。
本作のラストは雪の中を彷徨する十兵衛のカットで終わるが、
極貧にあえぐ子供たちのために
再び殺戮の道を行ったなら、
その結果も十字架も背負って生きたらいい。
最後の十兵衛の涙は全くの余計だ。

というわけで、
一通り元作品は「置き換え」てなぞってはいるものの、
重要なところで余分な要素が入っている。
北海道の素晴らしい自然描写と
重厚なセット、
凝りに凝った撮影以外は印象に残るものがない。

帰宅後、1992年版の「許されざる者」を再見したが、
見事なカメラワークと演技、
そして、全編を貫く、
重く暗い雰囲気
深い深い絶望感
圧倒された。
もちろん監督が変われば雰囲気も変わるが、
一つの世界が完璧に構築された名作を
わざわざリメイクした成果は
今回の作品からは感じられなかった。

これがリメイクでなければ、
これだけの作品はそれなりの評価を得るだろうが、
リメイクの重荷は大きい。
なにも完成された作品を作り直す必要はない。
創作者であるなら、
オリジナルで勝負すべし。

5段階評価の「3.5」



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