ロシア旅行記@ モスクワ・その1 旅行関係
それでは、ロシア旅行記を始めましょう。
今回の飛行機はアエロフロート・ロシア航空。
Аэрофлот — Российские авиалинии

ソ連時代から存続する
ロシア連邦の航空会社です。
ロシア語でアエロ(Аэро)とは「航空」、
フロート(Флот)とは「艦隊」を示します。

ロシアに旅行する人がそれほど多いとは思えませんでしたので、
空いてるかと思えば、何と満席。

そういえば、この便は、
モスクワ経由でパリまで行くのでした。

曜日によっては、
モスクワ経由ロンドン行きもあります。
それだけではなく、
隣の席の男性は、
ツァーでクロアチアに行くのですが、
モスクワで乗り換えてウィーンに入り、
一泊した後、
バスで500q走ってスロベニアのブレット湖まで行くのだそうです。
つまり、欧州各地へのハブ空港として利用されているわけで、
アエロフロートの営業努力が伺えます。
ただ、安くチケットを出していることは確かなようで、
帰国後確認すると、
今度の飛行機はマイルの加算のないクラスでした。
テレビはさすがにパーソナル。

映画は150本ほどあり、
そのうち日本語で観られるのは20本位でした。
遥かに眺める日本の土地。

ほどなく昼食が出て、

読書をしている間に、シベリア上空。

この雲の下にシベリアの大地があります。

大戦後、抑留され、シベリアに骨を埋めた方々のことを思わざるを得ません。
アエロフロート航空といえば、
サービスが悪いのが有名。
というのも、
ソ連時代、「民間航空輸送」を業務とし、
小作農から政治局員までの
全ての人民が利用できるように運賃を低く設定し、
利用者は必要以上の機内サービスにかかる料金を含まない
「純粋な運賃」を支払うだけでよいシステムになっていたため。

しかし、そんなことは大昔の話で、
途中、アイスクリームが出る位サービスは充実していました。

早い夕食が出た後、

飛行機はモスクワの町を眼下にして、
着陸。
飛行時間は9時間22分でした。

途端にトラブル発生。
私を含め、チェックインが早かった人の荷物は出てきたのに、
遅くチェックインした人の荷物が出て来なかったのです。
30分ほどして、
まるごと一つコンテナが発見されて荷物は出て来ましたが、
「やはりロシアだなあ」と思わせる始まりでした。

タグについた「SVO」は空港を表すスリーレターコードで、
シェレメーチエヴォ空港(Sheremetyevo)空港のこと。
「SU」は航空会社を表すツーレターコードで、
ソビエト連邦(Soviet Union)の名残です。

空港スリーレターコードについて詳しく知りたい方は、↓をクリック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
航空会社ツーレターコードについて詳しく知りたい方は、↓をクリック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89#IATA.E8.88.AA.E7.A9.BA.E4.BC.9A.E7.A4.BE.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.89_.28IATA_Airline_Designators.29
1時間も無駄にして、ようやく空港の外へ。

ホテルへ向かう途中、
変わった形の雲が出ました。

火力発電所?

ホテルの場所が分からなくてウロウロ。
マキシマ・イルビス・ホテルが変更になって、
姉妹ホテルのマキシマ・ザリャー・ホテルに変更。

これについては、
帰国後4日目にトラピックスから手紙が来て、
ホテル立地地域の配管に問題が生じたことにより、
一部の部屋で水が出なくなる状態となったため、
現地で変更、
旅行業約款に伴う変更補償金<旅行代金250,000円の4%>として、
お一人様10,000円(一人部屋利用の場合は11,600円)を
をお支払いさせていただきます。
との連絡がありました。
場所も近かったし、
姉妹ホテルだし、
実感的には変更の印象もありませんでしたが、
やはり大手旅行会社は
こういう時、しっかりしています。
それにしても帰国後の1万円余りの返金、
得したような気持ちです。
ただ、部屋は↓のようにお粗末でした。

円からルーブルの両替レートは、
成田空港が1ルーブル=3.5円、
シェレメーチエヴォ空港が1ルーブル=4円でしたが、
ホテルにあった自動両替機は、

1ルーブル=3.24円で一番良く、

試してみると、操作も簡単で、
小銭を含めてちゃんと出て来て、

たいしたもんだと思いました。
この日、夕食がつかなかったので、
ホテルの近くのスーパー(コンビニ程度)に
みんながでかけて繁盛したようです。

レジのおばさんは
同僚と無駄話しをしながらで、
愛想なし。
いかにもロシアです。

モスクワの位置は、ここ。↓

市域人口は11,503,501(2010年)。
2011年の近郊を含む都市圏人口は1,368万であり、
世界第17位、ヨーロッパ第1位。
世界有数のメガシティです。
翌朝。
このあたりはモスクワの北部にあたり、
住宅街のようです。

新しいビルの建築も盛ん。

町にはマクドナルドも

ケンタッキーもあります。

ミュージカルもやられているよう。

ロシア文字。○の真ん中に棒は「F」のようです。

モスクワ名物の渋滞ではありません。
これ、路上駐車。

前向きに駐車しているのと後ろ向きに駐車するのが混在。

中には横断歩道に駐車している車も。

最初に連れて行かれたのは、
ノヴォデヴィッチ修道院。

1524年に建てられた女子修道院。
世界遺産です。

しかし、外側からだけとは。
ここで、真っ先に土産物屋に連れていかれました。

ロシア土産といえば、マトリョーシカ人形。

1900年のパリ万国博覧会で銅メダルを受賞したのを機会に、
ロシア各地で作られるようになりました。

そのルーツとなるものはいくつかの説が挙げられています。
1890年代半ば、
モスクワ郊外に住む
S. I. マーモントフ夫人と
画家S. V. マリューチンと
ザゴルスクのろくろ師V. ズビョズドチキンによって、
モスクワの工房「子どもの教育」で制作されたという説。
19世紀末、
箱根にあった正教会の避暑館にやってきたロシア人修道士が、
本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)が
もとになったと言われている説。

マトリョーシカの第一号が飾られている
セルギエフ・ポサードの博物館には
「日本に教わった」という縁起が記されており、
隣にはモデルとなったとされている
箱根七福神の入れ子人形も展示されているといいますから、
日本起源説もあながち嘘とも言えなさそうです。

その他の土産物には、琥珀。

ドイツからバルト三国、ロシアは琥珀の産地です。

あとは食器。

次は雀が丘。

モスクワ川南岸の丘陵地帯から
モスクワを見渡します。

そこにあったオブジェ。

近隣の子供たちがゲームをしていました。

その脇にある三位一体教会。

ガイドさんが「活動している教会」と言っていましたが、
ロシアの教会は実際に礼拝をしているものと、

博物館になっているものとがあるようです。

その内部。

今日は「聖ヨハネの記念日」と言っていました。

この首から見て、聖ヨハネとは、
サロメの踊りで首を切られた
洗礼ヨハネのことらしい。

モスクワ大学。

対岸に見えるのは、ゴーリキー公園。

このスペースシャトルは本物だそうです。

モスクワ川に立つピョートル大帝の銅像。

ここはコローメンスコエ。

14〜17世紀の教会や木造建築が建っています。

このような道を歩いていくと、

こんな教会があります。


中の様子。


1532年に建てられた
ヴォズネセニエ教会。
上の方がロケットのような形をしています。
世界遺産です。

その他、周辺に様々な教会が建ちます。



ピョートル大帝が住んだ小屋。

このあたりはリンゴがなっており、
落ちたリンゴを袋に一杯入れて持ち帰っている人がいました。

ロシア最初の昼食は、
こんなレストランらしからぬところで。

野菜サラダと

きのこのグラタン。

日本で言うグラタンとは随分違うものが出ました。

そして、クレムリンへ。

この建物の中でプーチン大統領が執務しています。

クレムリンは、
モスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。
ソ連時代には、
ソ連共産党の中枢が置かれたことから、
ソ連共産党の別名としても用いられました。
現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれています。
正面には赤の広場があり、
両方合わせて世界遺産です。

ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味し、
中世ロシアにおいて、
多くの都市は中心部にクレムリンを備えていました。
しかし、単にクレムリンと言った場合は、
モスクワにあるクレムリンを指すことが多いです。
城壁の総延長2.25km。
20の城門を備え、
内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂が林立しています。
今日は、トロイツカヤ塔から入ります。

このレリーフのままに、

衛兵の交代が行われていました。


兵隊の服装を直します。

はい、衛兵の出来上がり。

城壁がこんなにも厚い。

中の様子。

城塞ですから、

大砲が並びます。

尖塔の星が、いかにもロシアです。

クレムリン大会宮殿。今はコンサートホール。

ここは、寺院の建ち並ぶところ。

イワン大帝の鐘楼。


ブラゴベシェンスキー大聖堂。


ウスペンスキー大聖堂。

クレムリンの中心に位置し、
ロシア帝国の国教大聖堂として君臨。
皇帝の戴冠式も行われました。

この中に入ってみました。

あらゆる壁がイコンで埋まっています。

まさにロシア正教は、イコンの文化です。

しかし、こうした教会が
無神論のソ連時代にどうして保存されたのか。
普通なら破壊されるところです。
ガイドに訊くと、
これらの教会は博物館として残されたそうです。
そこで、莫高窟を思い出しました。
紅衛兵が様々な寺院や仏像を破壊した時、
周恩来が「莫高窟には手を出すな」と言って、
莫高窟が無傷のままに残されたことを。
ソ連においても、
教会建築の文化的価値を認めた誰かが
「博物館として保存しよう」
と提言したに違いありません。
こうした、物事の分かった人によって
文化は守られたんですね。
鐘の皇帝。

1735年に作られた
高さ6.14m、重さ200トンの世界最大の鐘。
鋳造中の事故でひびが入り、
未完成となりました。
大砲の皇帝。

重量40トンの大砲。
1586年当時は世界最大口径の大砲でした。
大砲に見送られて

外へ出ると、

外の壁際に

無名戦士の墓が。

この後、赤の広場に向かいます。
今回の飛行機はアエロフロート・ロシア航空。
Аэрофлот — Российские авиалинии

ソ連時代から存続する
ロシア連邦の航空会社です。
ロシア語でアエロ(Аэро)とは「航空」、
フロート(Флот)とは「艦隊」を示します。

ロシアに旅行する人がそれほど多いとは思えませんでしたので、
空いてるかと思えば、何と満席。

そういえば、この便は、
モスクワ経由でパリまで行くのでした。

曜日によっては、
モスクワ経由ロンドン行きもあります。
それだけではなく、
隣の席の男性は、
ツァーでクロアチアに行くのですが、
モスクワで乗り換えてウィーンに入り、
一泊した後、
バスで500q走ってスロベニアのブレット湖まで行くのだそうです。
つまり、欧州各地へのハブ空港として利用されているわけで、
アエロフロートの営業努力が伺えます。
ただ、安くチケットを出していることは確かなようで、
帰国後確認すると、
今度の飛行機はマイルの加算のないクラスでした。
テレビはさすがにパーソナル。

映画は150本ほどあり、
そのうち日本語で観られるのは20本位でした。
遥かに眺める日本の土地。

ほどなく昼食が出て、

読書をしている間に、シベリア上空。

この雲の下にシベリアの大地があります。

大戦後、抑留され、シベリアに骨を埋めた方々のことを思わざるを得ません。
アエロフロート航空といえば、
サービスが悪いのが有名。
というのも、
ソ連時代、「民間航空輸送」を業務とし、
小作農から政治局員までの
全ての人民が利用できるように運賃を低く設定し、
利用者は必要以上の機内サービスにかかる料金を含まない
「純粋な運賃」を支払うだけでよいシステムになっていたため。

しかし、そんなことは大昔の話で、
途中、アイスクリームが出る位サービスは充実していました。

早い夕食が出た後、

飛行機はモスクワの町を眼下にして、
着陸。
飛行時間は9時間22分でした。

途端にトラブル発生。
私を含め、チェックインが早かった人の荷物は出てきたのに、
遅くチェックインした人の荷物が出て来なかったのです。
30分ほどして、
まるごと一つコンテナが発見されて荷物は出て来ましたが、
「やはりロシアだなあ」と思わせる始まりでした。

タグについた「SVO」は空港を表すスリーレターコードで、
シェレメーチエヴォ空港(Sheremetyevo)空港のこと。
「SU」は航空会社を表すツーレターコードで、
ソビエト連邦(Soviet Union)の名残です。

空港スリーレターコードについて詳しく知りたい方は、↓をクリック。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
航空会社ツーレターコードについて詳しく知りたい方は、↓をクリック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89#IATA.E8.88.AA.E7.A9.BA.E4.BC.9A.E7.A4.BE.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.89_.28IATA_Airline_Designators.29
1時間も無駄にして、ようやく空港の外へ。

ホテルへ向かう途中、
変わった形の雲が出ました。

火力発電所?

ホテルの場所が分からなくてウロウロ。
マキシマ・イルビス・ホテルが変更になって、
姉妹ホテルのマキシマ・ザリャー・ホテルに変更。

これについては、
帰国後4日目にトラピックスから手紙が来て、
ホテル立地地域の配管に問題が生じたことにより、
一部の部屋で水が出なくなる状態となったため、
現地で変更、
旅行業約款に伴う変更補償金<旅行代金250,000円の4%>として、
お一人様10,000円(一人部屋利用の場合は11,600円)を
をお支払いさせていただきます。
との連絡がありました。
場所も近かったし、
姉妹ホテルだし、
実感的には変更の印象もありませんでしたが、
やはり大手旅行会社は
こういう時、しっかりしています。
それにしても帰国後の1万円余りの返金、
得したような気持ちです。
ただ、部屋は↓のようにお粗末でした。

円からルーブルの両替レートは、
成田空港が1ルーブル=3.5円、
シェレメーチエヴォ空港が1ルーブル=4円でしたが、
ホテルにあった自動両替機は、

1ルーブル=3.24円で一番良く、

試してみると、操作も簡単で、
小銭を含めてちゃんと出て来て、

たいしたもんだと思いました。
この日、夕食がつかなかったので、
ホテルの近くのスーパー(コンビニ程度)に
みんながでかけて繁盛したようです。

レジのおばさんは
同僚と無駄話しをしながらで、
愛想なし。
いかにもロシアです。

モスクワの位置は、ここ。↓

市域人口は11,503,501(2010年)。
2011年の近郊を含む都市圏人口は1,368万であり、
世界第17位、ヨーロッパ第1位。
世界有数のメガシティです。
翌朝。
このあたりはモスクワの北部にあたり、
住宅街のようです。

新しいビルの建築も盛ん。

町にはマクドナルドも

ケンタッキーもあります。

ミュージカルもやられているよう。

ロシア文字。○の真ん中に棒は「F」のようです。

モスクワ名物の渋滞ではありません。
これ、路上駐車。

前向きに駐車しているのと後ろ向きに駐車するのが混在。

中には横断歩道に駐車している車も。

最初に連れて行かれたのは、
ノヴォデヴィッチ修道院。

1524年に建てられた女子修道院。
世界遺産です。

しかし、外側からだけとは。
ここで、真っ先に土産物屋に連れていかれました。

ロシア土産といえば、マトリョーシカ人形。

1900年のパリ万国博覧会で銅メダルを受賞したのを機会に、
ロシア各地で作られるようになりました。

そのルーツとなるものはいくつかの説が挙げられています。
1890年代半ば、
モスクワ郊外に住む
S. I. マーモントフ夫人と
画家S. V. マリューチンと
ザゴルスクのろくろ師V. ズビョズドチキンによって、
モスクワの工房「子どもの教育」で制作されたという説。
19世紀末、
箱根にあった正教会の避暑館にやってきたロシア人修道士が、
本国への土産に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)が
もとになったと言われている説。

マトリョーシカの第一号が飾られている
セルギエフ・ポサードの博物館には
「日本に教わった」という縁起が記されており、
隣にはモデルとなったとされている
箱根七福神の入れ子人形も展示されているといいますから、
日本起源説もあながち嘘とも言えなさそうです。

その他の土産物には、琥珀。

ドイツからバルト三国、ロシアは琥珀の産地です。

あとは食器。

次は雀が丘。

モスクワ川南岸の丘陵地帯から
モスクワを見渡します。

そこにあったオブジェ。

近隣の子供たちがゲームをしていました。

その脇にある三位一体教会。

ガイドさんが「活動している教会」と言っていましたが、
ロシアの教会は実際に礼拝をしているものと、

博物館になっているものとがあるようです。

その内部。

今日は「聖ヨハネの記念日」と言っていました。

この首から見て、聖ヨハネとは、
サロメの踊りで首を切られた
洗礼ヨハネのことらしい。

モスクワ大学。

対岸に見えるのは、ゴーリキー公園。

このスペースシャトルは本物だそうです。

モスクワ川に立つピョートル大帝の銅像。

ここはコローメンスコエ。

14〜17世紀の教会や木造建築が建っています。

このような道を歩いていくと、

こんな教会があります。


中の様子。


1532年に建てられた
ヴォズネセニエ教会。
上の方がロケットのような形をしています。
世界遺産です。

その他、周辺に様々な教会が建ちます。



ピョートル大帝が住んだ小屋。

このあたりはリンゴがなっており、
落ちたリンゴを袋に一杯入れて持ち帰っている人がいました。

ロシア最初の昼食は、
こんなレストランらしからぬところで。

野菜サラダと

きのこのグラタン。

日本で言うグラタンとは随分違うものが出ました。

そして、クレムリンへ。

この建物の中でプーチン大統領が執務しています。

クレムリンは、
モスクワ川沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。
ソ連時代には、
ソ連共産党の中枢が置かれたことから、
ソ連共産党の別名としても用いられました。
現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれています。
正面には赤の広場があり、
両方合わせて世界遺産です。

ロシア語ではクレムリは「城塞」を意味し、
中世ロシアにおいて、
多くの都市は中心部にクレムリンを備えていました。
しかし、単にクレムリンと言った場合は、
モスクワにあるクレムリンを指すことが多いです。
城壁の総延長2.25km。
20の城門を備え、
内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂が林立しています。
今日は、トロイツカヤ塔から入ります。

このレリーフのままに、

衛兵の交代が行われていました。


兵隊の服装を直します。

はい、衛兵の出来上がり。

城壁がこんなにも厚い。

中の様子。

城塞ですから、

大砲が並びます。

尖塔の星が、いかにもロシアです。

クレムリン大会宮殿。今はコンサートホール。

ここは、寺院の建ち並ぶところ。

イワン大帝の鐘楼。


ブラゴベシェンスキー大聖堂。


ウスペンスキー大聖堂。

クレムリンの中心に位置し、
ロシア帝国の国教大聖堂として君臨。
皇帝の戴冠式も行われました。

この中に入ってみました。

あらゆる壁がイコンで埋まっています。

まさにロシア正教は、イコンの文化です。

しかし、こうした教会が
無神論のソ連時代にどうして保存されたのか。
普通なら破壊されるところです。
ガイドに訊くと、
これらの教会は博物館として残されたそうです。
そこで、莫高窟を思い出しました。
紅衛兵が様々な寺院や仏像を破壊した時、
周恩来が「莫高窟には手を出すな」と言って、
莫高窟が無傷のままに残されたことを。
ソ連においても、
教会建築の文化的価値を認めた誰かが
「博物館として保存しよう」
と提言したに違いありません。
こうした、物事の分かった人によって
文化は守られたんですね。
鐘の皇帝。

1735年に作られた
高さ6.14m、重さ200トンの世界最大の鐘。
鋳造中の事故でひびが入り、
未完成となりました。
大砲の皇帝。

重量40トンの大砲。
1586年当時は世界最大口径の大砲でした。
大砲に見送られて

外へ出ると、

外の壁際に

無名戦士の墓が。

この後、赤の広場に向かいます。