『光圀伝』  書籍関係

もう9月ですか。
早いですね。
今年も3分の2過ぎました。
今日は防災の日
「天災は忘れた頃にやって来る」
といいますので、
みなさん、備えを忘れずに。

「あまちゃん」
明日あたり、
東日本大震災の当日を迎えるようです。


〔書籍紹介〕

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冲方丁(うぶかたとう)による水戸光圀の生涯。

幼少の光國(隠居後は光圀)は、
しばしば父・水戸藩主徳川頼房(家康の息子)に試される。
打ち首にした咎人の生首を持って来いとか
幅広い川を泳いで渡れなどと命令される。
それは水戸藩の世子(世継ぎ)としての試練だが、
光國の中には<「なぜ俺が世子なのか」
という疑問が渦巻いていた。

というのも、光國は三男で、
次男は夭逝したものの
長男を差し置いて世子となったことに
何か理由があると疑っていた。
「俺は不義の世子だ」
という想念が光國を責め苛む。

若い頃は江戸の町に出かけ放埒を尽くす。
仲間にそそのかされて
無宿人を手にかけた時、
通りかかった武士に
苦痛なくとどめをさす方法を教えられる。

それが宮本武蔵だった。
武蔵の寄宿する東海寺を訪れた光國は、
沢庵山鹿素行と知り合う。
武蔵によって詩作の方向性を指し示された光國は、
いつか京人を詩で唸らせたいと思う。

18歳になった光國は、
居酒屋で坊主を論破することに喜びを見いだしていた。
そこへ手強い敵が現れ、負ける。
林羅山の講義を聞きに行った光國は、
その敵と再会する。
羅山の息子の読耕斎
光國の前で読耕斎は「たかが世子だ」と言ってのける。
彼こそ光國の生涯の友となる人物だった。

時は戦国時代を平定した徳川の時代。
早や三代・家光の時で、
文治の時代に入っていた。
水戸藩の世子でありながら、
光國は「詩で天下を取る」と豪語し、
研鑽の日々を重ねる。

このように、
徳川御三家の一つ、
水戸藩の世子としての光國の抱える内面を
詩作と歴史編纂の立場から辿るのが本作の特徴。
そして、三男にして世子という「不義」を抱えて、
それを「義」に変えようとする内面の葛藤。
自分が世子として選ばれた秘密を知った時、
その「不義」を正す唯一の方策を光國は見いだす。
嫁として迎えた近衛家の泰姫との結婚で、
光國は初めて心の中を打ち明ける相手を得る。

「詩歌はわしに生きる喜びを、
史書は生きるための大義を与えてくれた。
どちらもわしの命だ。
共に、文事の頂を目指し、
天下を目指して我らの名を歴史に残そうぞ」

後半、名君と呼ばれ、
高まる声望の中、
次々と葬儀を出さなければならない姿が描かれる。
父を亡くし、母を亡くし、妻を亡くし、
伯父たちを亡くし、兄を亡くし、
生涯の友を亡くし、詩歌の目標となる人を亡くし・・・
師を亡くし・・・
否応なく時が進み、
愛する人々を送らなければならない光國の立場が哀切をもって描かれる。
最後には、次の代を嘱望した家臣さえ
自ら手に掛けなければならない立場に立たされる。

特に、妻との別れ、
友との別れ、
師との別れの場面は、
涙なしには読めないほどだ。

光國は、すっと音を立てぬよう気をつけながら、
泰姫の枕元に座った。
目を閉じていた泰姫が、
ふいに瞼を開き、
不思議そうに周囲を見回した。
やがて光國の顔をみとめると、
まじまじと見つめた。
光國が微笑むと、泰姫も微笑んだ。
沈黙の中、
病者のか細い息づかいが部屋に響いた。
かすかに布団の下で泰姫の右手が動き、
光圀はそれと察して、
そょと同じほうの手を伸ばした。
姫の手を握ると、
意外に強い力で握り返してきた。
その間もずっと、
泰姫は光國を見つめ続けている。
泰姫の目に涙が溢れ、
頬を滑り落ちていった。
光國は一方の手で、
優しく拭いてやった。
そのとき、
あまりにかすかな、
おそらく光國の耳にしか届かなかったであろう
ささやきが姫の口からこぼれた。
「・・・生きたい」
光國は、あえて表情を変えず、
ただ微笑み続けた。
そうしながら、小さくうなずいてみせた。
泰姫が瞼を閉じた。
他に何か告げようとしたのかもしれない。
詫びか、感謝か、悲しみか。
だがなんであれ、
姫が口にすることはなかった。
それからどれほど時間が過ぎたのか。
握り続けた姫の手から、
すうっと何かが抜ける感じがあった。
医師がすぐに気づき、
姫のそばに寄った。
光國が握らぬほうの、
泰姫の左手を取り、脈を診た。
父や母や家人たちが注目する中、
医師はそっと姫の手を戻し、平伏した。
「ご臨終にござります」

読耕斎のおもてに笑みが浮かんだ。
果たして、一抹の悲痛も抱かず、
未来を楽しみにしながら死ぬことができるものか、
このときの光國にはわからなかった。
ただ、そのときの読耕斎の顔は、
まるで祭日を楽しみに待つ子供のように朗らかだった。
そしてその朗らかさのまま、
生涯の朋友(とも)の口から最期の言葉が告げられた。
「大義をまっとうしろ」
読耕斎の両目が、
光國の返事も待たず閉じられた。
光國は枕元でゆっくりと頭を垂れた。
「貴様に出会えたことに感謝する」
立ち上がると、
二度と振り返らず部屋を出た。

光國は舜水の枕元に侍った。
意識が虚ろとなった舜水の、
青黒く生気を失った顔を見つめ、
後から後から涙が流れた。
激情の涙ではない。
どこまでも静かな、永訣の涙だった。
やがて舜水の意識が僅かに戻り、
いっとき光國を見た。
「我が師よ」
そょと呼びかけた。
舜水が手を動かそうとした。
最期に何かを記そうとしたのだとわかった。
だが手を持ち上げる力は残っていなかった。
舜水は諦め、代わりに、
穏やかな微笑みを浮かべて、
「さらばです、我が王よ」
はっきりとした日本語で、言った。
光國が驚きに目を丸くした。
舜水の笑みが、
してやったりというような、
ひどく優しく面白がるような様子になり、
そして動かなくなった。

途中、「天地明察」の主人公、
安井算哲と光國との関わりも描く。

光圀の業績は、
最期には日本の歴史を初めて編纂し、
「本朝史記」としてあらわしたこと。
後に本朝史記は、
「大日本史」と新たに命名され、
以後、200年にわたって編纂事業は継続される。

作品の最後にこのように記されている。

史書は人に何を与えてくれるのか?
その問いに対する答えは、
いつの世も変わらず、同じである。
突き詰めれば、
史書が人に与えるものは、
ただ一つしかない。
それは、歴史の後にはいったい何が来るのか、
と問うてみれば、おのずとわかることだ。
人の生である。
連綿と続く、
我々一人一人の、人生である。

徳川家の安定の時代、
徳川御三家の世子として生まれた宿命を背負いながら、
時代の激流を生き抜いた水戸光圀という稀有な文化人
苦悩と葛藤を描いて、読ませる。

750ページになろうという大作にして
労作だが、
直木賞の候補にさえならなかった。
これほどの作品を候補にさえ推さない
予備選考委員のセンスを疑う。





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