高齢化社会の恐怖  

産経新聞の数日前のコラムで、
賢人・曽野綾子さんが、
↓のような一文を書いておられた。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します

拡大出来る方は拡大して読んでもらいたいが、
拡大機能がない方のために
採録すると、

安倍内閣は、
一応順調にすべり出していると言われるが、
私はただちに取りかからなければならない、
重大な課題が残されている、
と思っている。


という書き出しで、
原発問題より
もっと深刻な問題として、
高齢化社会をあげている。

団塊の世代が75歳以上に至る
2025年には高齢者人口は3625万人になり、
2035年の高齢化率は33.4%で、
3人に1人が高齢者になる。
更に、
2060年には、39.9%になって、
日本人の2.5人に1人は
65歳以上の高齢者で、
2.5人の成人で1人の高齢者をみるということはかなり困難だ、
と述べた後、
次のような恐ろしいことを書いている。

私は恐ろしい社会現象の出現を、
単に想像上の恐怖とは考えない。
老人ホームの人々は、
食事は与えられても、
入浴や排泄の面倒をみる人がいなくなるだろう。
町には棄民に近い高齢者が溢れ、
道端に横たわり、
死なないだけで
生きているとはいえない状況で、
彷徨(さまよ)い歩くようになるだろう。

若者たちは
老人の存在自体を悪と考えるか、
あるいは自分たちの世代の発展を阻害するものとして敵視する。
その結果
個人的に高齢者を殺害するか、
あるいは集団で
老人ホームを襲撃したり、
火を放って焼いたりするようになるかもしれない。

一方で、老人は
若い世代からますます自分の生が脅かされていると感じ、
若い世代を憎み、
自分たちがただ生き延びることだけを考えて、
利己的な自衛に走るようになる。
そこには一定の時期が来れば人は死ぬものだという
人間らしい覚悟も哲学も、
存在のかげを潜める。

賢人の目には、
このような未来図が見えているのか、
と暗然とする思いである。
そして、

2035年は決して遠い先ではない。

として、

悲劇の開始まで時間的余裕はない。
人に優しいという言葉を掲げ、
長寿を目標とした社会構造には、
大なたをふるわなければならない。
安倍内閣は、
この推測可能な悪夢に、
ただちに手をうたなければ
手遅れになる。


と結んでいる。

この問題は少子化の問題と密接につながっている。

それにしても、
長寿を目標とした社会構造には、
大なたをふるわなければならない

とは何を示すのだろうか。
ただちに手をうたなければ
というのは、
どんな手をうてというのだろうか。

賢人にしては珍しく、
具体的なことは何も書いていない。
この続きを聞きたい
と思うのは私だけではないだろう。

実は、この問題に関しては、
私は一つの小説を考えている。
ある国民的人気のある人が
ニュース番組の一コーナー
「賢者の提言」で、
生放送の中、
ある解決策を呼びかける、
という内容だ。
どんな提案なのか、
小説の完成をお待ち下さい。






AutoPage最新お知らせ