『ジヴェルニーの食卓』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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先の直木賞候補作
印象派の巨匠4人を描く
異彩を放つ作品。

「うつくしい墓」は、
年老いた修道女が
アンリ・マティスとの思い出を語る一人称小説。

コート・ダジュールの金持ちの家の家政婦・マリアは、
マダムの言いつけでマグノリアの花をマティスに届ける。
マティスに気に入られて家政婦となり、
マティスとピカソの親密な友情を見つめる。
マティスの死後、
ピカソのとった行動が哀切感を呼ぶ。

「この世に生を受けたすべてのものが放つ喜びを愛する人間。
それが、アンリ・マティスという芸術家なのです」

↓は、マティス「マグノリアのある静物」
               」
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「エトワール」は、
エドガー・ドガの作品を見いだした
アメリカ人画家メアリー・カサットを通じて、
ドガの唯一の彫刻作品の秘密に迫る。

↓はドガの「エトワール」又は「舞台の踊り子」

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「エトワール」とは「星」、
つまり「花形スター」のことで、
首席ダンサーを意味する。

「タンギー爺さん」
印象派が評論家から馬鹿にされ、
評価もされていなかった頃、
画家たちにツケで絵の具を提供していた
画材屋のタンギーさんがいた。
彼は当時芸術の世界では異端だった印象派に魅せられ、
無名で金が無い画家たちに、
出世払いで、
あるいは誰も買う人のいない彼らの作品と引き替えに、
画材を提供していた。
その中でもタンギーのお気に入りだったのが、
ポール・セザンヌ

「ポール・セザンヌは誰にも似ていない。
ほんとうに特別なんです。
いつか必ず、世間が彼に追いつく日がくる」

本編は、タンギーの娘の手紙の形式で
セザンヌの苦節時代を辿る。
セザンヌに「画材のお金を払っていただけないでしょうか」
と催促の手紙を送ったりする。
特に、エミール・ゾラがセザンヌをモデルに
失敗した画家の自殺までの軌跡を小説化し、
セザンヌと絶交するあたりが生々しい。

↓は「リンゴひとつで、パリをあっと言わせてやる」
とセザンヌが言っていた「リンゴとオレンジ」

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↓はゴッホの描く「タンギー爺さん」

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「ジヴェルニーの食卓」の、
ジヴェルニーとは、
クロード・モネの終の住処。
ここにモネは庭園を作り、
絵を描いた。
もちろん睡蓮も。

本編は、モネの二番目の妻の娘で、
モネの長男の嫁でもあるブランシュの目を通じての
モネの生涯を辿る。
モネの「アトリエ」が野外であったりとか、
白内障を病んだモネが
急速に創作意欲を失っていく様とか、
元首相のクレマンソーとの交流など、
興味深い話が続く。

「太陽が、この世界を照らし続ける限り、
モネという画家は、描き続けるはずだ。
呼吸し、命に満ちあふれる風景を」

↓はモネ「睡蓮」

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というわけで、
印象派の誰でも知っている画家を題材に
小説世界を構築。
マリムラ美術館、森ビル森美術館、
ニューヨーク近代美術館に勤務したことのある
キュレーター原田マハでないと
描けない世界が展開する。

しかし、小説としては、今一で、
「作者の知識・教養は素晴らしいが、
小説としては少し足りない」

という直木賞選者の批評そのままの出来。

ただ、門外漢でも
絵画の世界をのぞいてみたいと思わせること請け合い。
画家が目で見たものを
カンバスに転写していく過程は、
絵の才能のある人にしか分からない作業だろう。

「印象派」の名前の元となった
↓モネ「印象、日の出」

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印象派については、↓をクリック。
                           http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E8%B1%A1%E6%B4%BE


前作「楽園のカンヴァス」の感想は↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20130322/archive


                                        





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