『拉致と決断』  書籍関係

民主党が相変わらずの「決められない政治」を続けている。

参議院選挙の東京選挙区で
公認候補を差し置いて、
無所属議員を応援し、
共倒れの原因を作った菅直人元首相の
議員辞職勧告と除名処分
常任幹事会で提案したが、
結論持ち越し。

手本となるべき元党代表が
党の決めた決定に従わなかったのだから、
当然処分の対象なのに、
処分できない。

加えて鳩山邦夫元首相の
逆上っての処分も出来ない、との結論。
これだけの壊滅的敗北を通じても
民主党、何も変わらない
危機感あるいは当事者意識がないのだとしか思えない。


〔書籍紹介〕

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拉致被害者・蓮池薫さんの著書。
北朝鮮での24年間の生活を克明に描く。

蓮池さんが北朝鮮によって拉致されたのは、
1978年7月31日。
小泉訪朝の日朝首脳会談によって
北朝鮮が拉致を認め、
帰国を果たしたのが2002年10月15日。
24年間の長きにわたり、
北朝鮮での生活を余儀なくされた。

その間、共に拉致された女性と結婚し、
子供をもうけるが、
子供たちにさえも、
日本から拉致されてきたことは秘密にしていたという。

日本に帰国した時、
北朝鮮に戻らない決断をした時も、
家族のことが心配でたまらなかった。
それから家族を取り戻すまで1年7カ月。
その間の心境も記されている。

24年間の生活は、
「招待所」に幽閉され、
「指導員」と世話をするおばさんとだけ交流する生活。
しかし、その中から北朝鮮の現状をじっくりと観察する。
その観察眼はなかなか鋭い
並の体験談ではない、
北朝鮮という特殊な社会での内側から見ることの出来る
貴重な記録である。

アメリカとの対立で
北朝鮮人民が戦争の恐怖におののく様など、
内側にいた人間にしか分からないことだ。
食料事情が悪くなって、
配給の分量が減らされた時、
農民たちがどのようにして飢えをしのいだか、
闇流通の事情を含めて書かれている。
協同農場とは別に個人農地で三毛作した野菜を市場に流したり、
豚を飼育し、高い収入を得るなどということもしている。
高層アパートに住みながら、
自室のトイレで豚や食用犬を飼っている実情など、
初めて知った。
ベランダで鶏やアヒルを飼ったり、
タバコを栽培する姿も見られる。

24年間の間には、
つのる望郷の念と、
それを指導員にさとられまいとする葛藤なども
読んでいて痛々しい。
中国国境に旅行した時、
豆満江の釣り場で、
川幅わずか3メートルにも満たない川を
渡って向こう側に行こうかと逡巡する姿も描かれる。

幽閉生活の閉塞感の中で、
木の枝を削ってゴルフクラブを、
綿に糸を巻いてボールを作り、
招待所前の坂道で一人ゴルフに興ずる姿や
板を削ってマージャンパイを作り、
奥さんと遊ぶ姿は、
人間、娯楽がないとやっていけない姿を表す。

その他、北朝鮮での思想教育の実情、
北朝鮮のスポーツの政治的利用の仕方、
金日成が亡くなった時の民衆の反応など、
興味深い内容が続く。
特に、サッカーの試合は、
ビデオが編集され、
北朝鮮の勝った試合しか放送しないというあたり、
思想統制国家の面目躍如という感じだ。

全体的に、
北朝鮮の社会を口を極めてののしる文章ではなく、
ありのままに描くことによって
北朝鮮という特殊な社会での
非人間性を浮かび上がらせる。
そして、拉致という手段の卑劣さも。

最も感動的な部分は、
翻訳の仕事のため、
送られてきた日本の新聞をめくっている時、
拉致被害者家族会の写真を発見した時のことだ。

心臓が激しく高まるなか、
私の目は必死に
ある面影を探し始めていた。
長いテーブルを前に並んでいる
十数人の顔をひとりひとり確かめていく。
「いた!」
──高校卒業アルバムに収録された私の写真を
ぐっと握りしめて座っているオヤジと、
その後ろに緊張気味に立っているお袋がいたのだ。
瞬間、糜爛性潰瘍のある十二指腸のあたりが
ギュッと締め付けられ、
酸っぱい胃液がこみ上げてきた。
二十ぶりに見る両親だった。
お袋はさほど変わっていない。
しかし、親父の額はかなり後退していた。
(いまいくつになったのだろう。
昭和二年と昭和七年生まれだったから・・・)
と改めて計算して見る。
親父は年齢以上に老いてみえた。
それがこの次男のせいでもあると思うと、
息がつまりそうだった。
胃液とともに悲しく切ない思いもこみ上げてきた。

最後に蓮池さんは、
今だ帰らない拉致被害者への思いを語っている。

現在、北朝鮮に残されている拉致被害者の思いはどうなのだろう。
最初は私と同じ思い(注:あきらめと現状容認の思い)で
暮らしていた人たちもいただろう。
しかし、私たちが十年前に帰国し、
そのまま日本で自由な生活を送っているという事実を知ったなら、
そのような覚悟は一瞬にして
崩れ去ってしまうに違いない。
そして、その切ない思いは、
ある意味で割り切って生きて来た
私たちの思いを超えるものがあるはずだ。
いくら閉鎖的な北朝鮮社会とはいえ、
あれだけ世界を騒がせた
私たちの帰国報道が、
十年経った今も
拉致被害者たちのもとに伝わっていないなどとは
とても考えられない。
彼らは間違いなく私たちの現状を知っているはずだ。

拉致問題解決を推進すべき
日本政府の人たちは、
そういう拉致被害者たちの思いを、
果たしてどれだけ感じてくれているのだろうか。
そんな疑問を抱かずにいられない現状が
なんとも腹立たしい限りだ。
この本が、政府関係者をはじめ
多くの人たちに、
拉致を自分の家族の問題として
改めて考えてもらうきっかけとなってくれたらと願ってやまない。

北朝鮮に拉致された立場で、
北朝鮮の内情を描いた本として、
密度は高い
全ての日本人に一読をお願いしたい。

読んでいて、
ナチの強制収容所を内面から描いた
フランクルの「夜と霧」を思い出したのは、
私だけだろうか。


フランクルの「夜と霧」については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20130605/archive








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