『ザ・流行作家』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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「小説新潮」の編集部に29年在籍し、
編集長もつとめた校條剛(めんじょう・つよし)の筆による、
二人の流行作家、
笹沢左保川上宗薫の生(性)と死の記録。

「流行作家」であって、
「ベストセラー作家」でないのは、
昭和40年代、隆盛した小説誌や週刊誌に書いた
「マガジンライター」だったからだ。
正直、単行本になった二人の本は売れなかった、
と数字で示す。

二人とも最盛期には、
月産1千枚をこなしていたという。
月に1千枚ということは、
毎日30枚
ワープロもパソコンもない時代、
原稿用紙をこつこつと埋めていく作業。
この書き方も両者は違う。
川上は毎日午前中に30枚をきっちりこなし、
午後は趣味のピンポン野球をし、銀座に出かける。
土曜日曜には休みを取ったという。
笹沢は一度執筆に取りかかると、
終わるまで一気に集中して書き上げる。
講演で地方に行った時も、
新幹線の中、空港のロビーで書き続けたという。

このような、
身近で接した編集者ならではの描写に引き込まれる。

たとえば、
川上が水上勉と仲違いをした経緯を書いた短編「作家の喧嘩(けんか)」。
この時の川上のうろたえぶりと
水上の異常なほどの怒り。

「もしも、この原稿を失くしてしまったら、
同じものをまた書けますか?」
ある週刊誌の編集者が、
笹沢から原稿を受け取った際、
尋ねた言葉だ。
その時の笹沢の返事は、
「書けるよ」だった。
しかし、一拍置いて、
「でも、書かないよ」
と言い放ったという。

笹沢の『木枯し紋次郎』は、
テレビドラマ化され大ヒットとなった時にも、
単行本は売れなかった。
そして、笹沢自身が、『木枯し紋次郎』シリーズについて
「駄作ばかりだ」と言ったという。

川上は芥川賞の候補に5回なっている。
笹沢は直木賞の候補に4回
賞と縁がない、
文壇から評価されていないことについてのこだわりは
かなり濃厚にたちこめる。

最後は、2人は女と酒に耽溺。
笹沢の方は量産を重ねるうち、
アイデアが枯渇し、
もう書けないという焦りや鬱屈から酒に溺れたという。
それが原因で体を壊し、
入退院を繰り返すという悪循環におちいる。
やがて断筆宣言をし、71歳でなくなる。
過度の飲酒がたたっての肝硬変と肝臓ガンである。

川上の方は食道がんに侵され、
61歳で逝去。
笹沢と違い、川上は最後の最後まで書き続けた。

入院中も作品の題材にするため、
ホテルで女と同衾し、
果ては病室に女を呼び込んで、ことをなそうとするなど、
もはや「業」としかいいようのない作家魂をむき出しにする。

「未亡人となった人妻を、
夫の親友が夫の亡骸の横で抱く」
というのが川上の最高の官能イメージで、
死の間際、
「俺が死んだら、
俺の身体の横で圭子を抱いてやってくれないか」
と友人の吉行淳之介に頼んだという。
吉行は断った。(当たり前だ)

笹沢と川上の晩年から死まで。
笹沢の零落の姿は胸が痛くなるほどだ。
特に、生前深く愛した富士真奈美と、
再会して話す場面は、
その後、富士真奈美が書いた「楪」(ゆずりは)に痛烈に描写されている。

しかし、男とはなんと勝手な生きものだろう。
寿命を使い果たし、
尾羽打ち枯らした雄の分際で、
妻の世話になりながらなお、
昔の親友を身近に手繰り寄せ、
その温情に甘えて寄りかかり、
昔の女と会う手段まで頼んでいる。

別れた男女では、
女の方が強いことを印象つける。

笹沢の感傷とは対照的に、
富士のほうはクールそのものだった。
あと七十日の命と医師から宣告されている男と
まだまだ人生の果てが
かなり先だと考えている女とでは勝負にならない。


川上61歳、笹沢71歳。
家庭的には恵まれなかった。
幸福だったのか不幸だったのか。
文筆を志す者にとっては、
月産1千枚をこなす作家というのは、
憧れの存在だ。
いや、一度でも「天下を取った」ことのある人間は、
それだけでも幸福だと思うべきだろう。

川上は牧師の子、
笹沢は詩人の子として生まれ、
その父親の影響は最後まで及んだ。
地位と名声を得ても、
空虚さの中に飲み込まれていく。

川上が死の床で思い描いた幸福の図は次のようである。

彼が思い描く生きる姿というのは、
体のどこも痛くなくて、
家の近くの道を圭子と二人で散歩することができる、
そういう図である。
その散歩さえできれば、
かの時の今井(注・川上)には、
それ以上望むことはなにもなかった。

筆者は講師をつとめている日大芸術学部文藝学科の受講生62人に
2012年春、アンケートを取ったという。
戦前戦後の流行作家30人の知名度の調査だ。
笹沢の名前を知っていたのは、わずか2名。
川上の方は5名だった。

筆者は、「あとがき」にこのように書く。

今回の企画に関しては、
「今の読者は、川上宗薫も笹沢左保も知らない。
そな話を誰が読みますか?」
と敬遠されることを覚悟していました。
しかし、だからこそ、
知ってほしいのだと私は言いたいのです。
現在、活躍している作家の皆さんも、
あと二十年、三十年、いや半世紀もすれば、
忘れられた者たちの仲間入りをすることになるでしょう。
誰もが平等なのです。

そして、プロローグでもこのように書く。

明治の紅葉以来、
続々と現れた流行作家たちは、
一部の例外を除いて、
その死とともに忘れられる運命にあった。

流行作家という存在の「哀歓」さらには「幸福度」なるものを
川上宗薫と笹沢左保という
戦後の代表的な二人の流行作家を通して
探究してみようというのが本書の目的である。

一時代を風靡した流行作家の
“哀歓”と“幸福”を描いて、
当時を知る人間にとっては、
興味津々の本である。


ところで、
流行作家の運命として、
「人に忘れ去られる」ということがある。
源氏鶏太や石坂洋次郎の本を読む人は、
今はいないだろう。

ためしに、
浦安市立図書館の検索機能を使って、
図書館の蔵書を調べてみた。

源氏鶏太の蔵書は78冊
石坂洋次郎23冊
川上宗薫はどうかというと、
「おれ、ガンだよ」「川上宗薫芥川賞候補作品集」
「死にたくない」「闘犬記」の4冊のみ。
ポルノ小説は一冊もなし。(当たり前か)
宇能鴻一郎に至っては、
芥川賞を取った「鯨神」一冊のみ。
これに対し、笹沢左保288冊もあった。
しかし、源氏、石坂、笹沢そろって「在架」
つまり、借り出されていないのである。


この本に関する林真理子のブログ↓。

http://hayashi-mariko.kirei.biglobe.ne.jp/201303/article_6.html

忙しくて書いて書いて書きまくって
死んだら忘れられる作家って悲しい。

いずれ私もそうなると思うと辛いですが、
私はこのお二人と違い、
適当に遊んでて、
これほど壮絶な生き方はしてこなかったから、
ま、仕方ないかも。

と、書いています。






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