中欧旅行記・5 クラクフ  旅行関係

アウシュヴィッツの重い負の遺産を胸に、
クラクフの町に戻ります。

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ポーランド王国の全盛期だった
1386年から1572年のヤギュウォ王朝の時代に、
王国の首都だった町です。

丘の上にはヴァベル城があります。

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ヴァベルとは、「丘」のこと。

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ヴィスワ川が湾曲する角の丘の上に建っています。

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11世紀から17世紀にかけて、
歴代ポーランド王の居城でした。

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現在残っている建物は、

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16世紀に建てられたルネッサンス様式のもの。

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この大聖堂では、
歴代ポーランド王の戴冠式が行われました。

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教会の前には、
ポーランド出身のローマ教皇、
ヨハネ・パウロU世の像が立っています。

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ヨハネ・パウロU世は、
教皇就任後、
ワルシャワなどを訪れて、
大演説をしています。
さすがの共産政権も
教皇には手を出せなかったようです。
総じて、ポーランドはカトリックが多い国です。
共産政権の時代、
スターリンへの反発精神の根拠が
カトリックだったからだと言われています。

このような門をくぐると、

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王宮の中庭に出ます。

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内部は博物館で、
16〜17世紀を再現した豪華な部屋や
歴代王の肖像画や
家具調度などを見ることができましたが、
残念、撮影禁止の上、
見張りが厳しく、
ここには掲載できません。

門を抜けると、

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旧市街へ。

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クフラフは、ポーランドでは珍しく、
第2次世界大戦の戦災を免れた町で、
中世そのままの町並みが現代まで残されています。
当然、世界遺産

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いろいろな教会が立ち並びます。

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観光客の足は、トラムや

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馬車。でも、小さな町ですので、徒歩が一番。

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町の中心は、中央広場

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中世からそのまま残っている広場としては、
ヨーロッパ最大級です。

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この銅像は、
ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキエヴィッチ

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広場に臨む聖マリア教会

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高い塔からは、
毎正時に、ラッパの音が響きます。
音が途中で止まるのは、
「モンゴル軍が来た」
とラッパで知らせたラッパ手が
矢で撃たれた故事を再現しているのだとか。

この建物は、織物会館
ここで布の取引が行われていました。

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長さは100メートルもあります。

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中は土産物屋がひしめきます。

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現存する
世界最古のショッピングモールと言われています。

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織物会館の模型。

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クフラフの町を後に、

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こんな景色の中をバスは進みます。

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墓地には、
その町の人々の記憶が眠っています。

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ポーランドとチェコの国境は川。

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6時間半、バスに揺られて、夜10時24分にブルノの町に到着。
行きは7時間半でしたから、
随分遠回りをしたものです。
しかし、アウシュヴィッツを見るための遠回り
と思えば、仕方ありません。

いよいよチェコの町を3つ訪ねます。





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