『許されざる者』  

〔書籍紹介〕

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日露戦争前夜から終結講和までの時代を背景に、
和歌山県熊野川河口の町・森宮に住む人々の哀歓を描く。

中心人物は医師・槇隆光
アメリカ留学し、
インドに渡って脚気の研究をし、
帰国後、森宮に居を構えて、
「差別なき医療奉仕団」を組織し、
忘れられた過疎の村での医療に力を注ぐ。
リベラルな思想の持ち主で、
洋食を取り入れ、
レストランを作り、パン食を奨励したりする。
貧しい者からは金を取らず、
金持ちからは高額の治療費を取り、
町の人からは「毒取ル先生」と呼ばれて慕われている。

副主人公として、
槇の甥で建築家の若林勉
姪で広大な山林を相続した西千春
シルクロードの探検隊を組織し
インドからの帰りの船で槇と出会う
京都の巨大教団の後継者・谷晃之
大阪からの鉄道敷設に尽力する実業家の上林などが登場し、
槇が脚気の治療のために日露戦争の戦線に派遣された時には、
軍医・森鴎外、小説化・田山花袋
「荒野の呼び声」を書いたジャック・ロンドン
石光真清頭山満など、実在の人物もからむ。

その他、森宮の警察署長で野心家の鳥子、
女組長、新聞記者、「熊野革命五人団」など、
森宮に住む様々な階層の人々が登場し、
当時あった職業の「ネジ巻き屋」や「点灯屋」などが色を添え、
槇の愛馬のホイッスルや鳥子の愛犬ブラウニーが口をきくシーンさえある。
ネジ巻き屋は、時計がまだ珍しかった時代、
各家を訪れてネジを巻き時計のメンテナンスをしていた存在。
点灯屋は、夕方になるとガス燈を点け、
早朝にこれを消して回るという職業。
時代と共に失われていく職業が哀切感を漂わせる。

登場人物の中で出色なのが、
旧藩主の末裔で陸軍歩兵少佐の永野忠庸
その妻・永野夫人で、
槇は夫人と不倫の恋に落ちる。

森宮は和歌山県の新宮がモデルで、
槇はその町に実在した大石誠之助がモデル。
大石は幸徳秋水と共に
天皇暗殺計画の首謀者とでっちあげられて死刑になっており、
そこは小説とは違うが、
幸徳秋水も後半登場する。

実業家は阪急電鉄や宝塚歌劇団の創始者・小林一三
教団教主は真宗大谷派の宗主で、
大谷探検隊を組織した大谷光瑞をモデルとする。
勉と千春も大石の甥で、
文化学院を創設した西村伊作がモデル。
槇が経営し千春がシェフを務める「太平洋食堂」も、
実際に大石誠之助が開いた西洋料理店で、店名も同じ。
斬新過ぎて1 年で閉店したという。

文庫本上下合わせて千枚を越える大作だが、
一気に読ませる。
そこはかとないユーモアが全編に漂っており、
著者の円熟度が感じられ、飽きさせない。
特に日清戦争の勝利にわいた後、
ひたひたと押し寄せる日露戦争の足音に町全体が巻き込まれ、
運命で引き裂かれていく様は、
時代の渦に庶民が巻き込まれていく様で震撼する。

肺を患い、
余命いくばくもない若林勉が養生の甲斐あって、
回復した際の次の記述は素晴らしい。

よみがえったのは、建築への夢だけではなかった。
人や風景を観察するよろこび。
人は建物の中に入ってゆき、
建物は自然の中に置かれる。
物をみるよろこび。
いま目の前にしているものを、
早晩みることができなくなるという意味での
いとおしさの感情が、
まず対象へ向けられ、
対象をぐるりとひと回りして、
彼自身へと還ってくる。
そして、彼の視線そのものが、
近いうちに地上から消えていくのだと考えると、
みるという行為自体が、
よろこびの源泉となるのだった。
それまでは、古臭くて貧しく、
つまらないものだと思っていた熊野の山奥の人々の暮らしと、
その表現である家々のたたずまいや
様々な山仕事の道具が、
またとない美しいものにみえてきた。

           
満州での戦闘のシーンなど、
さながら辻原版「戦争と平和」の趣だ。
銃弾が飛び交い砲弾が炸裂する戦場で、
ある者は負傷し、
ある者は戦死する。

戦場で、双眼鏡から殺戮の様を見る石光についての描写。

石光は悪寒に襲われ、
双眼鏡を取り落としそうになった。
突如、湧きおこった問いが彼を鷲づかみにし、
激しく揺さぶった。
「おれはいったい、誰に許されて、
この高みから、
人間と人間がかくも大規模に殺戮しあう場面をみているのか?
奥司令官か、大本営か、天皇陛下か?
いや、違う。
誰にも許されてはいない」
このとき、奇妙な命令が彼に下された。
「目を閉じるな、瞠目してみつづけよ」

砲門がいっせいに開き、
二十万規模の歩兵が激突する。
もし濃く垂れ込めた黄塵と硝煙の幕のすそを少しめくって、
天上からのぞくことができれば、
巨大な二頭の恐竜が、
互いに相手を噛み殺そうとしているようにみえるだろう。
しかし、高みから地上に降り立ってみれば、
何ら個人的うらみもないはずの相手を殺そうと
銃剣がおどりかかってゆく兵士たちから
数百メートルと離れていない窪地の岩かげに、
飯盒の飯が炊きあがるのを待っていたり、
お茶を飲んだり、
一本のタバコを回しのみしたりしている兵士たちがいる。

永野夫人の夫・忠庸は半身不随で帰還する。
戦死の誤報を受け取った永野夫人が
遺書を開いて愕然とするところはすさまじい。
その後、半身不随になっ帰還した忠庸と永野夫人の生活の中、
槇と夫人は結ばれてしまう。

脚気という病気が、
当時は肺病と並ぶ日本人の国民病で、
軍隊で脚気で死ぬ人数の方が戦闘で死ぬ人数より多かった、
ということは初めて知った。
まだビタミンなど発見される前のことで、
病気の原因がビタミンB1の欠乏であることを知らず、
森鴎外がコッホ流の「細菌説」に固執するあまり、
海軍に比べて対応が遅れた、などという話、
そういえば、どこかで聞いた気がする。

タイトルについては、作者の辻原は次のように語っている。
「明治政府にとっては
許されざる者が槇であったと捉えるかもしれませんし、
国家側を許されざる者と考えた読者もいました。
許されざる罪「姦通」でもいいです。
僕はこの地上で誰かが誰かを許さないことは
あってはならないと考えています。
それは神だけが決めること。
だから、逆説的なタイトルで許されざる者はいない、
と考えて貰っていいです。
今はこの題名でよかったなと思います」

明治に入り、世界が一変した時代、
その中で日清・日露という大きな戦争を体験した
日本の時代のうねりを描いた一篇。
小説を読む歓びを感じさせてくれる本。
是非読んでいただきたい。





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