モン・サン・ミッシェル旅行記A モン・サン・ミッシェルへ  旅行関係

7時20分の集合時間に合わせて、
ホテルを出発。
ホテルの朝食は7時からなので、
どこかで食事をしなければなりません。
しかし、コンビニなどという便利なものはパリにはありません。
アメリカで生まれたコンビニ文化は、
アジアでは花開いたものの、
50年たっても、
ヨーロッパでは全く業態的に受け付けません。
宗教的問題、法律的問題で
小売店の営業時間は制限されていますので、
朝7時前後などに開いている店は一軒もありません。

そこで、地下鉄のホームで各駅にある
↓の自動販売機で

クリックすると元のサイズで表示します

ワッフルと飲み物をゲット。

クリックすると元のサイズで表示します

駅のベンチで朝食です。
何だか淋しいですが、
薬を飲む関係で、
こんな貧しい食事となりました。

待ち合わせ場所のギャラリー・ラファイエット

クリックすると元のサイズで表示します

時間になると、旅行会社の係員がやってきました。

クリックすると元のサイズで表示します

まず、最初に強烈パンチ。
「モン・サン・ミッシェルは、今ストライキ中なので、
入れないかもしれません」
聞けば、島内のホテルや土産物屋の従業員の送迎バスが
6月からなくなり、
一般観光客と同じバスで島に行かなければならず、
バス停から徒歩で不便なので、
送迎バス復活のストをしているのだそうです。
なにしろ島の住人は26人しかおらず、
後は対岸からの通い。
「でも、今日と一昨日は
入場料を取らずに入れていましたから、
多分大丈夫と思います。
他の日にしますか?」
と言われても、
この日しか取っていませんから、
とにかく行くしかありません。

このパリからのツァーの参加者は15名。
うち6名が現地に泊まり、
残りの9名は日帰り。
6名は翌日のツァーのバスがピックアップしますから、
旅行会社は経費の負担はありません。
ホテルの手配も自分でするのですから、
リスクも手間もない。
なのに、日帰りと一泊で料金が違うのは、
万一、ツァーが非開催になった時に
ピックアップするためだけに現地にバスを派遣する
保険料なのでしょうか。

ちなみに、6名のうち3名は、
現地に泊まって
翌日、バスと列車を乗り継いで自力でパリに帰る人たち。
泊まるホテルは島の対岸で、
島内に泊まったのは、私だけでした。

入れないかもしれない、
という不安を抱きつつ、
バスは出発します。

クリックすると元のサイズで表示します

モン・サン・ミッシェルは、
パリから見て、ほとんど真西

クリックすると元のサイズで表示します

パリを出たら、すぐに、この風景。

クリックすると元のサイズで表示します

フランスは農業国だと分かります。

クリックすると元のサイズで表示します

途中トイレ休憩で立ち寄ったレストラン。

クリックすると元のサイズで表示します

自家製のりんごジュース。2ユーロは安い。

クリックすると元のサイズで表示します

お菓子には「甘い」という日本語が。

クリックすると元のサイズで表示します

オーナーが、オールドカーのコレクターのようです。

クリックすると元のサイズで表示します

途中立ち寄ったボンレヴェックの町。

クリックすると元のサイズで表示します

美しい川が流れ、

クリックすると元のサイズで表示します

ノルマンディー風の建物が連らなります。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

すっかりこの町を気に入ってしまいました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

一度、ゆっくり訪れてみたいものです。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

再び、こんな景色の中をバスは進みます。

クリックすると元のサイズで表示します

途中、アヴランシュの町の教会が見えます。

クリックすると元のサイズで表示します

この町は、モン・サン・ミッシェルとは縁が深く、
西暦708年、
この町のオベール司教という人のところに
大天使ミカエルが現れ、
「あの島に礼拝堂を建てよ」
と命じました。
しかし、司祭はただの夢だと思ってしまいます。
2度までそういうことがあり、
すると、大天使は再び現れ、
「頭の中によく刻み込め」
と司祭の頭に指を突っ込みました。
目覚めた司祭は、
頭に穴が開いているのに気付き、
「これは夢ではない、まさに御告げだ」
と信じ、
島の山(トンブ山=墓の山)の上に礼拝堂を建てました。
アヴランシュの教会の宝物殿に行くと、
オベール司祭の穴の開いた頭蓋骨が祭られています。

クリックすると元のサイズで表示します

モン・サン・ミッシェルの
モンとは「山」、
サンは「聖」、
ミッシェルは大天使の名前。
ミッシェルはミカエルのフランス語読み。
英語ではマイケルとなります。
つまり、
モン・サン・ミッシェルとは「聖ミカエルの山」の意味。

しばらく行くと、

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

はるか遠くに、モン・サン・ミッシェルが見えてきました。

クリックすると元のサイズで表示します

交通標識もこのとおり。

クリックすると元のサイズで表示します

島には直接車は入れなく、
対岸でバスから降ります。
このホテル、ルレ・サンミッシェルのレストランは、

クリックすると元のサイズで表示します

モン・サン・ミッシェルを眺めながら

クリックすると元のサイズで表示します

食事が出来るレストランとして有名。

クリックすると元のサイズで表示します

ガラス越しに見るモン・サン・ミッシェル。
わくわくします。

クリックすると元のサイズで表示します

時間が合ってしまったのか、
レストラン内は日本人客で一杯。

クリックすると元のサイズで表示します

こんな豪華なツァーや

クリックすると元のサイズで表示します

おなじみのトラピックスも。

クリックすると元のサイズで表示します

われわれパリ組も好位置をゲット。

クリックすると元のサイズで表示します

日本語の説明もあり、

クリックすると元のサイズで表示します

前菜はモン・サン・ミッシェル名物のオムレツ

クリックすると元のサイズで表示します

玉子に牛乳とクリームを加えて、よく泡立て、焼いたもの。
このオムレツが生まれたのは1880年頃で、
島に渡って来る巡礼のために
「すぐ食べられて栄養たっぷりの料理を」
マダム・プラールが考案したのが始まりとか。

バスのガイドは別の説明。
島に、本土のお偉いさんが来ることになったが、
玉子が3個しかない。
そこで牛乳とクリームを加えて泡立て、
いわば、「水増し」して作った料理。
しかし、「うまい」と評判を呼び、
名物料理になったとか。
どっちが本当でしょうか。

味は薄味。
口の中で溶けるが、おいしいものではありません。

これは前菜で、
島内で食べると、
もっと大きいものが出るようです。

メインは豚肉料理。

クリックすると元のサイズで表示します

それに、デザート。

クリックすると元のサイズで表示します

馬車でも行けるようです。

クリックすると元のサイズで表示します

島の東西方向の断面図↓。

クリックすると元のサイズで表示します

南北方向の断面図↓。

クリックすると元のサイズで表示します

山の頂上に礼拝堂が乗り、
それを脇の建造物で支える形をしています。

オベール司教の建てた当時は
↓のような簡素なものでしたが、

クリックすると元のサイズで表示します

966年には
ノルマンディー公リシャール1世が
ベネディクト会の修道院を島に建て、

クリックすると元のサイズで表示します

増改築を重ねて、

クリックすると元のサイズで表示します

13世紀にはほぼ現在のような形になりました。

クリックすると元のサイズで表示します

しかし、すごいですね。
当時の建築技術。
イギリスとの百年戦争(1337〜1453年)の期間は
島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果たし、
城塞の形に改築されました。
18世紀末のフランス革命時に
修道院は廃止され
1863年まで国の監獄として使用され、
その後荒廃していましたが、
ヴィクトル・ユゴーがここを訪れた際の
「モン・サン・ミッシェルは、
フランスにとって、
エジプトにとっての
ピラミッドに値する」

の紹介がナポレオン3世を動かし、
1865年に再び修道院として復元され、
ミサが行われるようになったのです。

昔は島で、
大潮の時だけ地続きとなりましたが、
今陸との間に堤防が作られ、
↓このバスで行くことが出来ます。

クリックすると元のサイズで表示します

バスに乗って、出発。

クリックすると元のサイズで表示します

次第に近づいて来ると胸が踊ります。

クリックすると元のサイズで表示します

ついに到着。

クリックすると元のサイズで表示します

いよいよ島内に入りますが、
それは、明日。





AutoPage最新お知らせ