映画『夜と霧』  映画関係

昨日の書籍「夜と霧」に続いて、
今日は映画「夜と霧」の紹介。

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アラン・レネ監督の1955年の短編映画。

ナチス・ドイツのホロコーストを描く

アウシュヴィッツ強制収容所での過去の映像〔白黒〕
と現在の収容所の映像〔カラー〕を交互に入れる。

映画は、一つの野原の自然描写から始まる。
カメラが下に下がると、
鉄条網が現れ、
そこがアウシュヴィッツ強制収容所の跡地であることが分かる。
ナレーションが始まる。

「静かな風景である。
カラスが飛び、畑には野焼きの煙が。
ひなびた街道のすぐそば、
楽しげなリゾート地の隣に強制収容所があった。
アウシュヴィッツ、ベルゼン、ダッハウなど
どの村もありふれた村だった。
今、収容所跡をカメラを手に訪れる。
血にまみれた地面を雑草が覆い隠す。
もちろん鉄条網には電流は流れていない」


そして、白黒画面に転じ、
ナチの軍隊の行進が始まる。
手をあげてこたえるヒトラー。
歓呼する群衆・・・
そして強制収容所の建設、
ヨーロッパ各地でのユダヤ人狩り、
貨車での移送・・・

ここから観る者が声も出ない映像が続く。
収容所に着いた途端、
全てを奪われ、
裸にされ、
分類され・・・
厳しい労働で死んでいく人たち。
骨と皮になって横たわる人々。
その一方で、
所長たちは贅沢の限りを尽くす。
収容所のすぐ隣の家で。
そして、ガス室の設置、
焼却炉での死体の処理。
特に衝撃なのは、
解放後、発見された死体の山が
ブルドーザーで穴に落とされるシーンだ。

こうした映像にはさまる10年後のアウシュヴィッツは、
平穏で物静かだ。
カメラは常に移動して収容所を描く。

最後に、収容所を運営した側の
「命令に従っただけ。責任はない」
という言い逃れに、
「では、責任は誰に」
と問い、
重なる死体の山を静かに見つめる。
これが白黒最後の映像で、
最後にカラーになり、
10年後のアウシュヴィッツを描く。

ナレーションは言う。

「冷たい水が廃墟の溝を満たしている。
悪夢のように濁った水だ。
戦争は終わっていない。
今、点呼場に集まるのは雑草だけ。
”都市”h見捨てられた。
火葬場は廃墟に、
ナチは過去となる。
だが900万の霊がさまよう。
我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか。
次の戦争を防げるのか。
今もカポが将校が密告者が隣にいる。
信じる人、あるいは信じない人。
廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で
希望が回復したふりをする。
ある国のある時期における特別な話と言い聞かせ、
消えやらぬ悲鳴に
耳を貸さぬ我々がいる」


ここで映画は終わる。
30分間の短い映画だが、
伝えるものは大きい。
その後の世界はどうだったのか。
戦争は回避できたのか。
アウシュヴィッツは、
世界のどこかに出来なかったのか。
世界中の全ての人が観るべき映画である。

タグ: 映画

パリにいます  

アブダビ経由で23時間半かけてパリに到着しました。
ツァーといっても、基本は個人旅行なので、
ホテルへは自分で移動します。
列車でパリ市内に入り、
地下鉄に乗り換え、
地図を頼りに、あちこち間違え、
遠回りして、
ホテルに着いたのは、
空港を出てから2時間後でした。
熱いシャワーを浴びた後、
明日の集合場所を下見。
その後、オペラ座、ルーブル美術館、
ノートルダム寺院、凱旋門、
エッフェル塔と巡り、
ホテルに帰って明日の準備。
場末の最低クラスのホテルなので、
壁が薄く、隣の部屋のイビキが
聞こえます。
写真をお楽しみに。




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