中欧旅行記・6 テルチ  旅行関係

今回のツァー「中欧6カ国まるごと大周遊10日間」は、
いつものトラピックス(阪急交通社)。
参加者は26人
一人参加が男性3、女性1で、
あとは姉妹が1組、
残りの10組がご夫婦の参加者。
中には、
アメリカ在住の方が、
日本で息子さんが申し込み、
来日して、息子さんの家を訪ねた上で、
ツァーに参加した方もいます。
アメリカは日本のようなツァーがないので、
いつもそういう形を取るのだそうです。
アメリカのパスポートなので、
中国に入る時は、ビザを取らなければならないとか。

年齢は、私より下の方が4名ほどで、
あとは全員、60代後半から70代。
私は若く見られたらしく、
(なにしろ50代に見られました)
「あの方、10日間も旅行できるなんて、
何の仕事をしている方なのでしょう」
と思われていたそうです。

さて、チェコに入り、
ブルノに一泊した私たちは、
バスでチェコの西を目指します。

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チェコの場所は、↓。

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古代にはケルト人がこの地に居住し独自の文化を形成しました。
その後、ゲルマン人が定住し、
6世紀までにはスラヴ人が定住し、
これが現在のチェコ人の直接の祖先となりました。
7世紀にフランク人サモの建設した王国がここを支配。
続いてアバール人が支配者となり、
9世紀前半に、
スラヴ人は大モラヴィア王国を建設しました。
907年にマジャール人が侵入し、
大モラヴィア王国が崩壊すると、
王国の東部スロバキアはハンガリーの支配をうけることになります。
10世紀にはボヘミア王国が建国され、
14世紀にボヘミア王国は全盛期を迎えました。
首都プラハは中央ヨーロッパの学芸の主要都市の一つとなり、
1348年にはプラハ大学が設立されます。
その後、ハンガリー王国、ポーランド王国の支配を受け、
16世紀前半にはハプスブルク家の支配を受けることになりました。
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、
民族自決の理念のもと
チェコスロヴァキア共和国の独立が宣言されました。
その後、ナチスの台頭により、
チェコスロバキアは地図から姿を消しました。
第二次世界大戦後にチェコスロバキア共和国は復活しましたが、
ソ連の力により、
共産圏に組み入れられました。
その後、「プラハの春」と呼ばれる自由化・民主化路線が布かれましたが、
ワルシャワ条約機構5カ国の軍が介入、
時代は逆行します。
1989年からの「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊、
1993年、チェコとスロバキアに平和的に分離(ビロード離婚)しました。
2004年5付き1日、チェコは欧州連合に加盟しました。

今でも、大きく分けて、
ボヘミアとモラヴィアの2地方に分かれています。

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さて、バスは、
おなじみのこの景色の中を走り、

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テルチに着きました。

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テルチは、モラヴィア地方の古都です。

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町は3つの池に囲まれており、
池を通ると、

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聖ヤコブ教会があります。

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ザハリアーシュ広場には、

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古い町並みがずらりと囲んでいます。

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1530年、
テマチの町が火事で全焼した後、
領主ザハリアーシュが再建の費用を全て出し、

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立て替える家は
全てルネッサンス様式
及び初期バロック様式に基づいて設計するように
市民に呼びかけました。

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その結果、
中世の町並みが残る、
美しい町が今まで残り、
世界遺産に登録されました。

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壁に古い壁画の残っている最古の建物。

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建物の前は

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アーケードになっており、

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熱心に人形を作る人の姿も。

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市庁舎

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聖ドゥハ教会

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マリアの像。

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水道。

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ペストの終焉を感謝する塔。

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ホルニー門

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旧市街。

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遠足の子供たち。

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西洋の子供は何て可愛いのでしょう。

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小振りですが、
これも世界遺産の町
テルチ。

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これから更に西を目指し、
チェスキー・クルムロフに向かいます。


六本木と『殺人の告白』  映画関係

本日も「きょういく」と「きょうよう」があり、
六本木へ出かけました。

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六本木といえば、
六本木ヒルズとならんで、東京ミッドタウン

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防衛庁檜町駐屯地跡を再開発して、
2007年3月にオープン。

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新しいもの好きな私には珍しく、

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今までまだ行ったことはありませんでした。

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オープンカフェの賑わい。

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内部。

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隣接して、

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港区立檜町公園があります。

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公園側から見たミッドタウンタワー。

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さて、今日の目的は、ここ、六本木シネマート

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韓国映画専門館とききましたが、
中国映画やインド映画もやっています。

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ロビー。

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自社ビル?

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エレベーターのレトロな階表示。

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スクリーン。

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ここで観たのが、↓。

〔映画紹介〕

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これは面白い

ソウルで連続殺人事件が起こる。
捜査本部のチェ刑事は、
犯人を追いつめるが、
もう少しのところで、取り逃がし、
犯人はチェ刑事の口の脇に大きな裂傷を残して去る。
「お前は俺の広告塔だ」という言葉を残して。

この冒頭のアクションが、
カメラワークも良く、
一挙に映画の中に取り込まれてしまう。

それから15年経ち、時効が成立
その2年後、犯人が現れる
出版記者会見の場で、
イ・ドゥソクと名乗るその男は、
連続殺人事件の犯人は自分であると言い、
その詳細を綴った告白本を出版すると発表する。
しかし、時効を楯に、
警察も手を出せない。
イ・ドゥソクは時の人となり、
貴公子のような容貌に、
ファンクラブまで出来てしまう。
もちろん本は大ベストセラーになる。

イ・ドゥソクは世話になった施設に詫びに現れ、
また、チェ刑事にも会いに来る。
その回りを常にマスコミが囲んでいた。
チェ刑事は、
イ・ドゥソクにジャージャー麺を投げつける。

一方、遺族たちはイ・ドゥソクの誘拐を企て、
遺体が発見されていない被害者の遺族は、
イ・ドゥソクからそれを聞き出そうとする。
一旦成功したかに見えた誘拐も、
思わぬ邪魔が入って頓挫する。

また、告白本には、
まだ遺体が発見されていない事件が書かれておらず、
それがチェ刑事と何か関係があるらしい。

生放送の討論番組
イ・ドゥソクと共に出演したチェ刑事は、
真犯人は別にいる、と発言する。
しかし、出版された本には、
犯人しか知り得ないことが沢山書かれている。

その放送の中で、
一般人の声を集めたところ、
と名乗る人物が
イ・ドゥソクは犯人ではない、と宣言する。

マスコミはJに接触し、
仮面を付けて現れたJは、
殺人に使われた凶器を提示する。
しかし、イ・ドゥソクは、
それは盗まれたものだと主張する。

再び、公開討論が開かれ、
生放送の中で、Jが初めて仮面を取る・・・。

というわけで、
謎が謎を呼び、
次々と起こる新たな展開に、
先が読めない

実は、映画そのものに
大きな仕掛けがあり、
これは明らかになるまで、
全く気づかなかった。
驚愕の事実だが、
後で振り返ってみると、
いろいろと伏線があったことが分かる。
巧みな脚本である。
類似の先行作品では、
宮部みゆきの「模倣犯」
(ただし、映画ではなく、小説の方)
があげられるだろう。

イ・ドゥソクを演ずるパク・シフが、
美形で冷たい犯人像をうまく演ずる。
及川光博か向井理みたいな風貌だ。
チェ刑事を演ずるのは、チョン・ジェヨン
矢沢栄吉みたいな感じで、
一つの事件を追う男の執念を演じて、うまい。

(ついでながら、日韓の役者に似た人物が最近多い。
「嘆きのピエタ」に出たチョ・ミンスは大沢たかおによく似ている。)

昨日、韓国映画は破滅的、絶望的な終わり方が多い、
と書いたが、
この映画はラストシーンに象徴されるように、
ある種の救いが感じられる。

ストーリーは映画のオリジナルだが、
小説として書いても、
秀逸な作品
になったと思われる。

こういうミステリーの部門でも、
韓国映画は日本を越えた

5段階評価の「4」


タグ: 映画

『これもまた別な話』  

高校時代のクラスメートが、
近く、勤務先を退職し、
リタイヤーすることを
メールで報告してきました。

その中に、次のような記述が。

以前読んだ日経新聞のコラムによると、
リタイヤー後に必要なのは
「きょういく」と「きょうよう」だそうです。

「きょういく」とは、「今日、行く所がある」こと
「きょうよう」とは、「今日、用事がある」ことだそうです。

私は、両方とも少ないのが悩みの種です。

というわけで、
私は今日、
映画を観に、渋谷まで出かけ、
「きょういく」も「きょうよう」も果たしました。

最近、韓国映画に注目作品が多いので、
今日は、2本をハシゴ
それにしても、
韓国映画は、
破滅的、絶望的な終わり方をするものが多いのは、何故なのか。
「恨」(ハン)の情念がそうさせるのでしょうか。


〔書籍紹介〕

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「キネマ旬報」1998年5月上旬号から
1999年4月下旬号まで
24回にわたって掲載されたもの。
この頃、既に「キネマ旬報」は読まなくなっていたので、
リアルタイムには読んでいない。

前作「それはまた別の話」は、
1996年の連載だから、
それは読んだ気がする。
この間、
私と「キネマ旬報」の間に、
何があったのか。

一本の映画について
とことんディテールにこだわって語り合う、
という、この連載。
なにしろ和田誠三谷幸喜という
なだたる映画観巧者が二人そろって
タイトルから始まり、
エンドクレジットまでなぞって語り合うのだから、
これほど面白いものはない。

この本に取り上げられたのは、

「ジョーズ」(1975年 スティーヴン・スピルバーグ監督)
「赤い河」(1948年 ハワード・ホークス監督)
「アメリカの夜」(1973年 フランソワ・トリュフォー監督)
「5つの銅貨」(1959年 メルヴィル・シェイヴルソン監督)
「ニノチカ」(1939年 エルンスト・ルビッチ監督)
「男はつらいよ」(1969年 山田洋次監督)
「薔薇の名前」(1986年 ジャン・ジャック=アノー監督)
「タイタニック」(1997年 ジェームズ・キャメロン監督)
「猿の惑星」(1968年 フランクリン・J・シャフナー監督)
「マダムと泥棒」(1955年 アレクサンダー・マッケンドリック監督)
「カサブランカ」(1942年 マイケル・カーティス監督)
「雨に唄えば」(1952年 ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン監督)

と、相当渋い

その年のキネマ旬報ベスト・テンの順位を見ると、下記のとおり。

「ジョーズ」  10位
「赤い河」
「アメリカの夜」 3位
「5つの銅貨」 28位
「ニノチカ」  17位
「男はつらいよ」 6位
「薔薇の名前」 10位
「タイタニック」 4位
「猿の惑星」  15位
「マダムと泥棒」36位
「カサブランカ」 8位
「雨に唄えば」 36位

とにかく二人とも
微に入り細に渡り見ていることが分かる。
助演者などについて、和田勉の
他の作品に何がある、などという知識の広さに驚く。
時々三谷幸喜が初歩的な質問をしたりするのが面白い。
また、二人とも実際に監督をした経験があるので、
過去の作品からどこを盗んだかなどが明らかにされて興味深い。

映画を観る時、
ただ眺めているだけでなく、
こんな風に観たら楽しめる、
ということがよく分かり、
とにかく、この対談を読めば、
この10本を観たくなること請け合いだ。

そしたら、昨日、
団地でフリーマーケットがあり、
DVDを売っている熟年のおじさんがいて、
そこに「赤い河」があったので、
買ってしまいました。
1枚100円。




中欧旅行記・5 クラクフ  旅行関係

アウシュヴィッツの重い負の遺産を胸に、
クラクフの町に戻ります。

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ポーランド王国の全盛期だった
1386年から1572年のヤギュウォ王朝の時代に、
王国の首都だった町です。

丘の上にはヴァベル城があります。

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ヴァベルとは、「丘」のこと。

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ヴィスワ川が湾曲する角の丘の上に建っています。

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11世紀から17世紀にかけて、
歴代ポーランド王の居城でした。

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現在残っている建物は、

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16世紀に建てられたルネッサンス様式のもの。

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この大聖堂では、
歴代ポーランド王の戴冠式が行われました。

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教会の前には、
ポーランド出身のローマ教皇、
ヨハネ・パウロU世の像が立っています。

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ヨハネ・パウロU世は、
教皇就任後、
ワルシャワなどを訪れて、
大演説をしています。
さすがの共産政権も
教皇には手を出せなかったようです。
総じて、ポーランドはカトリックが多い国です。
共産政権の時代、
スターリンへの反発精神の根拠が
カトリックだったからだと言われています。

このような門をくぐると、

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王宮の中庭に出ます。

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内部は博物館で、
16〜17世紀を再現した豪華な部屋や
歴代王の肖像画や
家具調度などを見ることができましたが、
残念、撮影禁止の上、
見張りが厳しく、
ここには掲載できません。

門を抜けると、

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旧市街へ。

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クフラフは、ポーランドでは珍しく、
第2次世界大戦の戦災を免れた町で、
中世そのままの町並みが現代まで残されています。
当然、世界遺産

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いろいろな教会が立ち並びます。

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観光客の足は、トラムや

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馬車。でも、小さな町ですので、徒歩が一番。

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町の中心は、中央広場

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中世からそのまま残っている広場としては、
ヨーロッパ最大級です。

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この銅像は、
ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキエヴィッチ

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広場に臨む聖マリア教会

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高い塔からは、
毎正時に、ラッパの音が響きます。
音が途中で止まるのは、
「モンゴル軍が来た」
とラッパで知らせたラッパ手が
矢で撃たれた故事を再現しているのだとか。

この建物は、織物会館
ここで布の取引が行われていました。

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長さは100メートルもあります。

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中は土産物屋がひしめきます。

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現存する
世界最古のショッピングモールと言われています。

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織物会館の模型。

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クフラフの町を後に、

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こんな景色の中をバスは進みます。

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墓地には、
その町の人々の記憶が眠っています。

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ポーランドとチェコの国境は川。

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6時間半、バスに揺られて、夜10時24分にブルノの町に到着。
行きは7時間半でしたから、
随分遠回りをしたものです。
しかし、アウシュヴィッツを見るための遠回り
と思えば、仕方ありません。

いよいよチェコの町を3つ訪ねます。


『許されざる者』  

〔書籍紹介〕

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日露戦争前夜から終結講和までの時代を背景に、
和歌山県熊野川河口の町・森宮に住む人々の哀歓を描く。

中心人物は医師・槇隆光
アメリカ留学し、
インドに渡って脚気の研究をし、
帰国後、森宮に居を構えて、
「差別なき医療奉仕団」を組織し、
忘れられた過疎の村での医療に力を注ぐ。
リベラルな思想の持ち主で、
洋食を取り入れ、
レストランを作り、パン食を奨励したりする。
貧しい者からは金を取らず、
金持ちからは高額の治療費を取り、
町の人からは「毒取ル先生」と呼ばれて慕われている。

副主人公として、
槇の甥で建築家の若林勉
姪で広大な山林を相続した西千春
シルクロードの探検隊を組織し
インドからの帰りの船で槇と出会う
京都の巨大教団の後継者・谷晃之
大阪からの鉄道敷設に尽力する実業家の上林などが登場し、
槇が脚気の治療のために日露戦争の戦線に派遣された時には、
軍医・森鴎外、小説化・田山花袋
「荒野の呼び声」を書いたジャック・ロンドン
石光真清頭山満など、実在の人物もからむ。

その他、森宮の警察署長で野心家の鳥子、
女組長、新聞記者、「熊野革命五人団」など、
森宮に住む様々な階層の人々が登場し、
当時あった職業の「ネジ巻き屋」や「点灯屋」などが色を添え、
槇の愛馬のホイッスルや鳥子の愛犬ブラウニーが口をきくシーンさえある。
ネジ巻き屋は、時計がまだ珍しかった時代、
各家を訪れてネジを巻き時計のメンテナンスをしていた存在。
点灯屋は、夕方になるとガス燈を点け、
早朝にこれを消して回るという職業。
時代と共に失われていく職業が哀切感を漂わせる。

登場人物の中で出色なのが、
旧藩主の末裔で陸軍歩兵少佐の永野忠庸
その妻・永野夫人で、
槇は夫人と不倫の恋に落ちる。

森宮は和歌山県の新宮がモデルで、
槇はその町に実在した大石誠之助がモデル。
大石は幸徳秋水と共に
天皇暗殺計画の首謀者とでっちあげられて死刑になっており、
そこは小説とは違うが、
幸徳秋水も後半登場する。

実業家は阪急電鉄や宝塚歌劇団の創始者・小林一三
教団教主は真宗大谷派の宗主で、
大谷探検隊を組織した大谷光瑞をモデルとする。
勉と千春も大石の甥で、
文化学院を創設した西村伊作がモデル。
槇が経営し千春がシェフを務める「太平洋食堂」も、
実際に大石誠之助が開いた西洋料理店で、店名も同じ。
斬新過ぎて1 年で閉店したという。

文庫本上下合わせて千枚を越える大作だが、
一気に読ませる。
そこはかとないユーモアが全編に漂っており、
著者の円熟度が感じられ、飽きさせない。
特に日清戦争の勝利にわいた後、
ひたひたと押し寄せる日露戦争の足音に町全体が巻き込まれ、
運命で引き裂かれていく様は、
時代の渦に庶民が巻き込まれていく様で震撼する。

肺を患い、
余命いくばくもない若林勉が養生の甲斐あって、
回復した際の次の記述は素晴らしい。

よみがえったのは、建築への夢だけではなかった。
人や風景を観察するよろこび。
人は建物の中に入ってゆき、
建物は自然の中に置かれる。
物をみるよろこび。
いま目の前にしているものを、
早晩みることができなくなるという意味での
いとおしさの感情が、
まず対象へ向けられ、
対象をぐるりとひと回りして、
彼自身へと還ってくる。
そして、彼の視線そのものが、
近いうちに地上から消えていくのだと考えると、
みるという行為自体が、
よろこびの源泉となるのだった。
それまでは、古臭くて貧しく、
つまらないものだと思っていた熊野の山奥の人々の暮らしと、
その表現である家々のたたずまいや
様々な山仕事の道具が、
またとない美しいものにみえてきた。

           
満州での戦闘のシーンなど、
さながら辻原版「戦争と平和」の趣だ。
銃弾が飛び交い砲弾が炸裂する戦場で、
ある者は負傷し、
ある者は戦死する。

戦場で、双眼鏡から殺戮の様を見る石光についての描写。

石光は悪寒に襲われ、
双眼鏡を取り落としそうになった。
突如、湧きおこった問いが彼を鷲づかみにし、
激しく揺さぶった。
「おれはいったい、誰に許されて、
この高みから、
人間と人間がかくも大規模に殺戮しあう場面をみているのか?
奥司令官か、大本営か、天皇陛下か?
いや、違う。
誰にも許されてはいない」
このとき、奇妙な命令が彼に下された。
「目を閉じるな、瞠目してみつづけよ」

砲門がいっせいに開き、
二十万規模の歩兵が激突する。
もし濃く垂れ込めた黄塵と硝煙の幕のすそを少しめくって、
天上からのぞくことができれば、
巨大な二頭の恐竜が、
互いに相手を噛み殺そうとしているようにみえるだろう。
しかし、高みから地上に降り立ってみれば、
何ら個人的うらみもないはずの相手を殺そうと
銃剣がおどりかかってゆく兵士たちから
数百メートルと離れていない窪地の岩かげに、
飯盒の飯が炊きあがるのを待っていたり、
お茶を飲んだり、
一本のタバコを回しのみしたりしている兵士たちがいる。

永野夫人の夫・忠庸は半身不随で帰還する。
戦死の誤報を受け取った永野夫人が
遺書を開いて愕然とするところはすさまじい。
その後、半身不随になっ帰還した忠庸と永野夫人の生活の中、
槇と夫人は結ばれてしまう。

脚気という病気が、
当時は肺病と並ぶ日本人の国民病で、
軍隊で脚気で死ぬ人数の方が戦闘で死ぬ人数より多かった、
ということは初めて知った。
まだビタミンなど発見される前のことで、
病気の原因がビタミンB1の欠乏であることを知らず、
森鴎外がコッホ流の「細菌説」に固執するあまり、
海軍に比べて対応が遅れた、などという話、
そういえば、どこかで聞いた気がする。

タイトルについては、作者の辻原は次のように語っている。
「明治政府にとっては
許されざる者が槇であったと捉えるかもしれませんし、
国家側を許されざる者と考えた読者もいました。
許されざる罪「姦通」でもいいです。
僕はこの地上で誰かが誰かを許さないことは
あってはならないと考えています。
それは神だけが決めること。
だから、逆説的なタイトルで許されざる者はいない、
と考えて貰っていいです。
今はこの題名でよかったなと思います」

明治に入り、世界が一変した時代、
その中で日清・日露という大きな戦争を体験した
日本の時代のうねりを描いた一篇。
小説を読む歓びを感じさせてくれる本。
是非読んでいただきたい。





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